ゴルフィーライフ(New) ~ 龍と共にあれ

目指すはスクラップ・ブックか、はたまたビジョン・ボードか。
隠れ家CLUBゴルフィーにようこそ♪

一番先に浮かんだ言葉は使わないこと。

2012年10月28日 | お気に入り♪(クラシック)

一番先に浮かんだ言葉は使わないこと。たぶん、それは「自分の癖」だから、いつも同じ事を言っていることになる(大村はま)

他にも国語の教師としての実地体験に基づくような珠玉の言葉がたくさんあるのですが(「大村はま 優劣のかなたに」 )、

話し言葉に限らず、書き言葉でも、自分の使う語法というのは、どうしても癖のようなものがついて回るのではないかと思えて、ふむふむと頷いてしまいます。
" 感動した "って言葉を多用するな、とか言われることがありますが、よく似たことを言ってるのかもしれない。
" 感動した "と言わずに、どうやって、感動を伝えることができるか、そこに工夫が生まれるようなこと。

そんなに技や語彙のバリエーションを持ち合わせているわけではないので、自ずとカベや限界のようなものはあると思うのですが、そこを押し拡げることは大切なことなのかもしれない、と思ったり。
(昨日の「秋桜」は、巧拙は置いといて、そのような試みみたいな感じ。コスモスを見て、写真に撮って、オー!ビューティフル!! で済ませないようにしよう、みたいな。)

( ↓ ) 私の場合、ここから抜け出すことは非常にむずかしいのですが、バッハをよく聴いたと語るポールも一番好きなのがMonteverdiだ、って言ってます。シンプルなコードなんかが60年代初期のビートルズみたいだからって。
嗜好はなかなか変わらないけど、視点を少し変えてみよう、というマインドは大事だと思う。

Paul McCartney talking about classical music and composing

モンテヴェルディ、知りませんでした。

もののけ姫の米良美一さんと同じくカウンターテナーの美声の持ち主、Jarousskyが歌うこの曲、クラシックというジャンル分けは適切でないように思える。
管の音色とか、どことなく夕焼け酒場風だけど、エンディングでは上質な酒の酔いみたいな後味になる。

IdS (14) - Monteverdi: Ohime・ ch'io cado - Jaroussky (Pluhar)

 

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秋桜

2012年10月27日 | 日記

誰かきいてくれるかい、俺のところに居着くことになった女の話を

Is there anybody going to listen to my story
All about the girl who came to stay?

彼女は人をその気にさせるタイプの女、それは悲しくなってしまうほど
なのに、たとえ一日でも後悔しないんだって?

She's the kind of girl you want so much
It makes you sorry
Still you don't regret a single day.
Ah girl、Girl

別れようと何度も考えてはみるが 離れることができないんだ

When I think of all the times I've tried so hard to leave her


She will turn to me and start to cry;
And she promises the earth to me
And I believe her
After all this time I don't know why

そのたび 彼女は君に背中を向けては泣き出す
そして涙ながらに誓う姿をみては また信じてしまうんだ
結局いつも同じ 何やってんだかわからないよ

Ah girl、Girl  



She's the kind of girl who puts you down、when friends are there, you feel a fool.

彼女は人前でおまえをがっかりさせても平気で 自分はなんて愚かなんだろうって思う



When you say she's looking good
She acts as if it's understood.
She's cool, ooh, ooh, ooh,

君は素敵だ、なんて言おうものなら
そんなの当たり前でしょ、
クールなんだ 残酷なくらい


Girl、Girl  

Was she told when she was young
that pain would lead to pleasure?

若い頃に 彼女だって教えられたはずだ、
苦しみに耐えてこそ喜びがあるって

Did she understand it when they said
that a man must break his back to earn his day of leisure?
Will she still believe it when he's dead?

彼女にはみんなの言うことがわからないんだろうか
愉しみのために 男が骨身を削ってるってことが、、
彼が死んでしまうまで 彼女にはそんなことすらわからないんだろうか

Girls...The Beatles..

もうひとつのGirl、
Another girl who will love me 'til the end

The Beatles Another Girl 1080p HD

まーくんの授業参観からの帰り道、竹やぶを渡る風もすっかり秋めいてました

秋というひとつの季節の中で、コスモスはサイクルする時間を送っている。

蕾をつけたばかりの花もあれば、それぞれの花色で咲き、粉をふいては朽ちてゆく。

そして秋の中にクロスオーバーするように透明な青を咲かせる、夏のアサガオ、

それを看ている私たち、いくつもの季節を渡ってゆける幸せ。

「尋胡隠君の詩」を思い出した。

渡水復渡水   水を渡り復た水を渡る
看花還看花   花を看 還た花を看る

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負けたり、負けたり、する ~ tug of war

2012年10月20日 | 心の筋力トレーニングを続けよう

誰もが負けたくはないし、負けを認めたくもない。

それは、"決して負けを認めないことが賢い生き方であるとする当代の風儀に従順なせい"、なのかもしれない。

「勝ち負け」というと勝負の世界に限られた話のようにきこえるかもしれませんが、
「優劣」と読み換えてみると、ウチダ先生の指摘することは、我々の生活のあらゆる場面についてまわるように思えます。
目にするのは、それとは気づかなくても、どんなに優れているかを誇示する、
いわゆる” 自慢マーケティング”モノだらけ。
(ワタシは弱くて、みみっちくて、きたなくて、いやらしくて、邪悪です、ってのは少ないです。)

家庭でも学校でも会社でも、私たちは「どうやって競争に勝つか」を教えられる。
あらゆるメディアが「勝つ」方法をうるさく教えてくれる。(株式投資で、競馬で、恋愛ゲームで。)

しかし、現実の生活では、私たちは決して「勝ったり、負けたり」しているわけではない。
むしろほとんどの場合、私たちは「負けたり、負けたり」しているのである。

究極の勝負が、生き死に、にあるのであれば、誰しもが例外なく、確実に訪れる敗北に向かっている。
人間は構造的に敗者なのだ、ということを基礎にして、勝負をとらえ直す必要がある。

4000校以上が出場する高校野球、あれだけの時間とエネルギーを投じながら、
勝利するのは一校だけで、残りはすべて敗者である。
「どうやって勝つか」を会得することが目的なのであれば、これほど「費用対効果」の悪い教育事業はない。
参加者のほとんど全員が敗者であるイベントが教育的でありうると考えるのは、
「適切に負ける」仕方を学ぶことが、人間にとって死活的に重要だということを私たちが知っているからである。

"教育は「費用対効果」や「市場原理」といったビジネス・タームで語るべきではない。
 これは教師としてどんなことがあっても譲ることのできないギリギリの防衛戦である”、

”この平明な真実を踏まえて発言しているひとは、少なくとも教育行政の中枢にはいない”、

”教育について大きな声を上げて語っている人間のほとんどは、
「教育はビジネスだ」ということを自明の前提にしている。

教育施策を巡る議論さえも、論者たちのほとんどは
「どちらの提言する施策の方がより費用対効果がよく、より多くの経済効果をもたらすか」を競うという、
「ゲームのルール」そのものには疑念を差し挟まない。”

と語るウチダ先生の熱さに心打たれました。

「ゲームのルール」の了見のなかでしか物事を考えられない、物を言うことができない、
ということの浅薄さ、精神の荒廃、に対する指摘。

別に負けをススメてるわけでもないし、負けたいわけでもないが、
「負ける」ことがむしろ当たり前なら、勝つことばかりを前提にするのではなく、
「どう負けるか」、「負けてからどうするか」、という前提にたつことの方が大事なのではないか

負けたことを、他の誰のせいにするでもなく、自分の責任だ、と受け入れ、
ベストを尽くしたから改善努力の余地はない、と言わずに、それでもなお改善点を見いだし、
このような不具合を伴いながら ここまでやってこられたことを周囲の人々に「感謝する」、

そのような語法をもって、敗北を総括し、とらえ直す。

ただひたすらに不快な後味を残すような「無意味な敗北」を引き受けるのではない、
そのような負け方がある、そのようなことを高校球児の敗北にすら学ぶことができる。 

エートスとは聞き慣れない言葉であるが、「社会認識の基軸」のような意味。
第二次世界大戦を境にして、日本人のエートスは、断絶ともいうべき転換を強いられた。

~  天皇制や封建的家族制度のうちにおのれの戦前的「半身」を深々と残しているせいで、
   費用対効果や市場原理といった「グローバルな」世界思想をためらいなく選ぶことができないという不自由さ、
   それが結果的に昭和人に例外的な知的深みを与えた。
   人の知的な深みは、その人が抱え込んだ葛藤の深さと相関する

仕事をすることの意味についても再考させられた。これはまたあらためて。

昭和のエートス (文春文庫)
内田 樹

文藝春秋

勝ち負けの向こう側にある、「どう負けるか」、「負けてからどうするか」という態度、
勝ち負けは大切だが、本当にリスペクトすべき尊厳や佇まいは、別なところにあるように思える。

リスペクトすべきところまでゲームのルールの枠内に支配されているようでは、ろくな者になれないのでは、
ということに、あらためて思いが至った、というわけなのです。

( ↓ ) unsung heroにも通じる、新しいperspectiveにふさわしい歌を。

~ 歴史ではエビデンスのないものは存在しないことになっている。
  何も起こらなかった場合には、その人の功績には誰も気づかない(本人さえも)。
  けれども、私たちの社会はそのようなunsung hero(その功績を歌う人のいない英雄)たちの無言の献身によって、
  かろうじて今あるようなものとして成り立っている。
  そのことを忘れるべきではない。

We Expected More
But With One Thing And Another
We Were Trying To Outdo Each Other
In A Tug Of War 
僕らはもっと期待していたけど、
所詮 戦いの拮抗の中で お互いを打ち負かそうとしていただけだった

In Another World In Another World
We Could Stand On Top Of The Mountain With Our Flag Unfurled
In A Time To Come In A Time To Come
We Will Be Dancing To The Beat Played On A Different Drum
違う世界でなら
違う世界でなら 僕たちは山の頂上に立って 旗を広げることができたろうに
やがて来る未来では
やがて来る未来では 僕たちは異なったドラムの様々なビートに合わせて踊っていることだろう

It's A Tug Of War
Though I Know I Mustn't Grumble It S A Tug Of War
But I Can't Let Go If I Do
You'll Take A Tumble And The Whole Thing Is Going To Crumble
It's A Tug Of War
これは綱引きだ
不平や愚痴をこぼしてはいけないのは分かってるが、いつだって拮抗した綱引きなのだ、
手を放したら、転落し、すべてが崩壊していく、人生は綱引きなのだから

In Years To Come They May Discover
What The Air We Breathe And The Life We Lead Are All About
But It Won't Be Soon Enough Soon Enough For Me
やがて来る時代には、みんな分かるだろう
僕らがどんな空気を呼吸し、導き出すべき人生がどういうものなのか
でも 僕にとっては それでは遅すぎる…

 

<2010/3/8 初稿>

<2012/10/20 再稿>

このtug of warと対をなすpipes of peace、を付けた記事は、巧拙はともかくよいテーマだと思っていたので、
ちゃんと対をなすようにしようと思っての再投稿です。
平和について語ろう ~ パイプス・オブ・ピース

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内的リズムと外的リズムを同調させること~同期現象(引き込み)について

2012年10月14日 | ツールとしての音楽

最近はキーボードやタッチパネルばかりで、ペンを握る機会が随分減った。
なので、たまにペンを持つと、頭の中の書きたいスピードに、実際のペン先のスピードが追いつかず、
そのリズムの不整合さ加減がイヤになったりする。

キーボードの操作感の違うPCに変わった今もよく似た感じ。
指先が覚えているいつもの位置に、いつものキーボードがなかったりする。
私は「半角スペース」を入れたいときに、「Shift+スペース」で入力していたのだが、どうも東芝のキーボードではそれが使えないみたいだし。
テンキーにある「Enter」と同じ縦長長の「+」キーも邪魔だし、[backspace」や「Delete」キーもよく打ち間違える。

というわけで、思ったようにキー操作で言葉を並べ立てていくことができなくて、少しイライラしていたら、
この静謐な動画を教えていただいた。

音声はないが、書家の筆使いや息使いが感じられるような動画です。
湧き出るインスピレーション、瞬間的な閃めき、を一気に文字に込めるかのようなスピード感をイメージしていたのだが、違っている。
柿沼氏の筆使いは、ときに筆を止め、次の展開を考え、筆の行く方向を探るような間合いを持ちながら先へ進んでいく。

丁寧な間合い、次の展開を探るようにして、場と対峙する姿勢、

これはキーボード使いをはやる気持ちを抑える効果があるばかりか、
会話や、佇まい、ゴルフのリズムに至るまで相通ずる何かがあるのではないか。

堪えるようなタメのワンステップを入れることができるかどうかで、
一本調子になることを防ぎ、さまざまな分岐点をこしらえ、深みや多様な可能性が生まれる。

大げさに言うと、そのゲームの流れを支える自在なタイミングの拍こそ、自分に欠けているものではないのか、と思えてきた

書家 柿沼康二 臨書 李キョウ雑詠残巻 伝嵯峨天皇(2009年)

動画だらけになってしまいますが、書にも、音楽と同じような息使いを感じました。
音を探るように鍵盤を弾くピアニストにも似た魅力を感じます。(エレーヌ グリモー~ 憑依のピアニスト

出来上がった作品を観るだけでは前景化してこない、生き活きと運動する感性。

書道家矢部澄翔・百花

音楽と人間と宇宙~世界の共鳴を科学する~
エレナ・マネス
ヤマハミュージックメディア

以前ちょこっと触れながら、ブログに起こせていない本。

耳が聴こえない、パーカッション奏者、デイム エルヴィン グレニー。
彼女は、身体で振動を感じる―低い音は下半身で、高い音は上半身で―ことが、演奏の鍵になっている、と 言います。
"人はたいてい音を聴くことと振動を感じることを区別する傾向にある"、とも指摘しています。

Dame Evelyn Glennie & City Chamber Orch of HK perform Vivaldi's Concerto in C major RV 443, Mov 2

振動の違い、すなわち、振動の大きさや周波数、位相・タイミングのずれや違いみたいなものを感じることができるか、
まずはそこに注意を向けることができるかどうか、なのだと思います。
ゲームを変える自在なタイミングの拍をとる、ことができるようになるために。

( ↓ ) これです。あなた、内的リズムと外的リズムの同調を無視して叩きに行くからだめなのよ。

     


 (Choice2012秋号より)

書道に始まり、音楽からゴルフに至るまで、テンコ盛りになってしまいましたが、
テーマは、振動の同調とリズムについてです。

内的リズムと外的リズムを同調させること、
そして、リズムの違いやずれに気づき、適切に修正できること、そのようなテーマはジャンルを超えるからです。

( ↓ ) 周期(周波数)が異なる時計の二つの振り子は、一緒に置かれるとやがて同じ周期で動くようになる。
     ロウソクの火の揺らぎや蛍の発する光まで自然界の至るところでこの同期現象は見られる。(同期現象について

     流体力学などで説明されることもあるが、
     二つの物体(人間)が同じ周波数で運動するようになる「引き込み」とも呼ばれるこの不思議な現象は、ややもするとオカルト的に採り上げられる。
     しかし、生命の生まれる場の不思議にも通じるものがあって興味深い。
     (場を考える ~ 意識や生命の見える化に成功した。
     ハード サイエンスがすべてではないと思う。

おもしろい。ばらばらの周期で音を立てていたメトロノームたちの音がやがて揃い始める。

メトロノーム同期 (32個)

 

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パパニュー

2012年10月13日 | 日記

うーむ、ゴルフの調子が思わしくないせいか、ブログに向かったのだが筆が進まない。
PCを替えてキーボードのタッチが変わったせいもあるのかな。
(初めての東芝、キーの操作感に馴染んでないのでサラサラ書けないし。)

こういうときは、こういうときなりのブログにしておこう。

先週は赤坂でワイン会だったのだが、ジャケットを忘れ、スマホをなくした。。

(無事に見つかりました。)

深酒はよくないですね、気をつけましょう。

( ↓ ) なぜかコレを思い出した。田村正和に憧れていたのです。

「パパはニュースキャスター」 (コメディ)  昭和62年

( ↓ ) まだ大丈夫だと思うのだが、10年先を考えてはじめてみようか、と思ってます。
     いいのがあったら、教えてください。

3篇 石原さとみ CM みんなのスカルプ シャンプー スリーボム

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[2012年10月 ディアレイク・カントリー倶楽部] へたくそすぎる。

2012年10月08日 | ゴルフィーライフ[ラウンド編]

3連休最終日、前回のスルーの無念を晴らすべく、
向かったのはチャンピオンコースであるディアレイク・カントリー倶楽部。

(左)希望に満ちた朝、Outスタートホール。

(右)18ホールを終えて。秋空がなぜか哀しくも高く見える。

 

気合いを入れる勝負服のつもりだったが、ロペの栄光のユニフォームを汚してしまった。

スタートホール、丁寧に振ったティーショットこそよかったが、
シャンクが出てボギースタート。

その後はティーショットがつかまりすぎて、左が怖くなり始め、
調整しながらのティーショット、精彩を欠く。

忌まわしいシャンクも顔を出し、8番ミドルではセカンドショットでウェッジを手にしてから5回を費やしダブルスコア。

後半シメレバいいや、と思ったら、スタートホールからシャンクが飛び出し、
またも糸の切れたタコのようにOB/プレイング4を繰り返す。

ボロボロ。。

14番でボギーペース(ハーフ45)+15、
このまま残り4ホールをボギーであがり続けても+15のまま、ハーフ60という不名誉が待っている。あとがない。
↑ レベル低すぎるが、せめて こういうコダワリを持たないと。)

そこから、せめて次回につなげようと奮闘。

15,16,17とパーを取りきれないながらボギーで凌ぐ。

そして迎えた最終18番、
セカンドショットをピンハイ2mにつける。(ここをParでアガれば1つ戻して、後半(45)+14個でなんとか59。
しかし、下りライン、触っただけに近いパットは無情な転がりぶりをみせ、返しの上り1.5mを残す。

このパーパットを決めれず、ボギーでハーフ60。

うーむ、これでは、えらそうにゴルフブログをつけてる場合ではない。
あまりに不甲斐なさすぎる。

特に今年はドライバーが暴れすぎ。
叩きにいったときに、つかまりすぎるので、タイミングを合わせながら打ち始めると、右に左に、球が曲がり始める。

そして、リズムが崩れた時は、アプの集中力がなくなって大叩きの悪循環にハマる。
(ここのところ、そんなゴルフが続いている。)

60叩いて、何を言っても、釈迦に念仏だが、← ちょと違う
FUBUKI50のSシャフト、重量50gの軽さがアンダースペックなのではないか、とアドバイスされた。←悪魔の囁きか

"そんな大きなケツして馬力あるんだから。" ← 大きなお世話だ

でも、たしかに私は着やせするタイプで、自分でいうのも何だが見た目より体幹は強いように思う。
事実、カラダが切れている時は、左が怖いので、振りきれていないから、右にいくようにも思える。

最近もショットの調子がそんな悪いわけではない、むしろ良いくらいなのだが、
暴れ馬につき、制御するのに手をこまねいている感じがしなくもない。

たぶん、まちがいなく、ウデに問題があるのだろうけど、
シャフト選びをもう少し考えれば、もっと振り切れるようになるのかもしれない。

無性にR11が、私を呼んでいるような気がしてきた。

゛あなたが振ってくれるのを待ってるのよ。゛  ← 妄想でもないように思えてきた

うーん、どうしよ。 やっぱり妄想かな。

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ビートルズで一番好きな歌は何ですか。

2012年10月06日 | お気に入り♪(ビートリー)

harman/kardonのスピーカーで随分クオリティのあがった音を聴きながら、
パソコンを替えて、最初にブログに何を書こうか、と考えていた。
(あさってのゴルフで華々しい結果を結実させて、ばーん!と景気よくいこう、とも思ったが、あんまり高望みはしないほうが身のためだ。)

" ビートルズで一番好きな歌は何ですか? "

誰もそんなことは聞かないけれど、難しい質問です。

でも一度、UCLAのサマースクールにいた頃に先生役だったBarbraとそういう話になったことがある。

他にも好きな歌は沢山あるのだが、なぜかその時、ぼくは" I will が一番だ"と言った。

地味で控えめな小品だけど、素朴でキレイなメロディに乗せて歌われる詩は、深い優しさと強さに満ちている。そして、ちょっとさみしげだ。
Barbraはその答えに驚いたように、" なんてロマンチックだこと "、みたいに言っていた。

ホワイトアルバムと呼ばれるそのジャケット、
Sgt・・・の狂騒の後に発表された、シンプルだけど、とてつもなくバラエティに富んだアルバム。
I willの入ったB面の深淵な静けさ、が好きで、夜中とか、独りのときに聴くのにぴったりだった。

I Will - The Beatles Lyrics

訳すと野暮になるけど、 すごい何かを持ったフレーズがさりげなく歌われる。

For if I ever saw you, I didn't catch your name.

( ↓ )いつかまた歌いたくなるかもしれないので。

I Will by The Beatles - karaoke version.wmv

Barbraはこの声に世界が惚れた、ようなことを言っていた。 

Twist and Shout - The Beatles

I will とtwist and shout、タイプは違うのに、どちらもすごい。
本当は一番なんて とても決められないのです。

The Beatles - Twist And Shout (1965)_HQ

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パソコンがパソコンでなくなる秋

2012年10月06日 | 日記

巷ではiPhone 5の話題でもちきりだが、
わたしは10/26に発売されるWindows8のほうが気になる。

10/26を境に、パソコンは操作の激変に戸惑ってしまいそうだ。
もはやWindows3.0や95以来のパソコンのイメージとは かけ離れたものになってしまうような気がする。

4分でわかるマウスを使った Windows8 操作方法

 

さて、この3連休はWindows7を搭載したPCの決算セール状態、底値のようで、
Core i7の第3世代を搭載したハイエンドノートPC、Office付属モデルが10万円程度で買えるよう。
ドライブもBDXL対応のものが出てるし。
(情報セキュリティの関係から、自宅でPC仕事が出来なくなって不要になったパワーポイントですが、
 子どもが使うので、Officeのパワポ入りパックを別売で買うとそれだけで3万円くらいするし。)

いわゆる、Windows7までのふつうのPCが必要な人にとっては、今がラストチャンスといえなくもない、と思えてきた。

タッチ操作を意識したWindows8は、Windows95からのキーボードとマウスでの操作感になじんできた者にとっては、斬新すぎる。
もはやパソコンとは言い難い。

パソコンというよりは、タブレット製品向けな感じがする。

近い将来はPCも、シーンに合わせて色々なタイプの製品を使い分けるようになって、
iPhoneや iPadのように、直感的な操作感をもったタッチパネル方式やタブレット型が主流になるのかもしれないけど、
机の上のPCとして使い続けるならWindows7で十分間に合いそうにも感じます。

( ↓ )タブレットとノートPCの切換えができるハイブリッド型製品まで出ている。
    Windows8は、まだ製品が追いついてきていない、過渡期にあることを象徴しているかのようです。
   タブレットとPCは別物だ、と割り切ったほうがいいようにも思える。

~ 操作画面が大きく変わるWindows 8。
その登場に合わせて、VAIOのフラッグシップノートPCも大きくカタチを変えてきた。
ついに国内でも正式発表された「VAIO Duo 11」に秘められた未知の可能性を追う。

VAIO Duo 11のモード切り替え

iPhone だって4S になってから ようやく購入したオクテの私。
Windows 8 だって、SPが出て、製品やソフトがもっとこなれてからにしよう、と思います。

昨日はスティーブ・ジョブズ氏の1周忌だったのですね。
近ごろ名前聞かなくなったビル・ゲイツ氏(シアトルですれ違ったこと あるんです。)、どうしてるのかなー。
Windows for Smart Cardみたいにならないといいけど。

<2012/10/6後記>

有名音響メーカーのスピーカーを搭載したdynabookのハイエンド機種、今夏モデルがOffice businesss込で86千円。 
ふつうのパソコンが買えなくなったら、むしろプレミアになるかもしれないのにね。
店員さんが打てば響くような方だったので、話がトントンとはずみました。
エイトが出てもアップグレードせずに、純粋にノートPCとして使い続けるつもりです。

BDXLという統一的なディスクの規格もでたことだし、
旧いデジタルビデオテープの整理とかそろそろ手をつけるとするかな。

 

 

 

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