ゴルフィーライフ(New) ~ 龍と共にあれ

目指すはスクラップ・ブックか、はたまたビジョン・ボードか。
隠れ家CLUBゴルフィーにようこそ♪

[2015年初秋 赤城] そんなゴルフを誰が愛してくれるものか

2015年09月22日 | ゴルフィーライフ[ラウンド編]

ホールインワン達成記念杯となった2015年シルバーウィークの赤城でのゴルフ合宿用に
オスカー像のようなトロフィーを準備しました。

(「杯」の一文字を入れ忘れたおかげで、試合用のトロフィーではなく、ただの記念品にしか見えませんけど。)

   

しかし、この手に杯を抱くことはできませんでした。

ひと頃は、ゴルフの神はきっと私のことを愛してくれているものと信じていましたが、
アンのようにはなれませんでした。

Ella Enchanted (8/12) Movie CLIP - Somebody to Love (2004) HD

アンが歌うとチャーミングですが、フレディの歌うSomebody to Love, に激しく共感する私の心。
かつてイエスタディや、ジャンクが慰めてくれたように。
(イエスタディ♪)
(シャンク ♪)

思うようにならないゴルフは歌にも似て。
「翻訳は良い趣味だ」(内田 樹)というのはほんとうです。
作り手の辿ったラインの跡をなぞることで、人間の情理の深いところに触れることができるような気がする。

SOMEBODY TO LOVE - Queen | Video & Lyrics on Screen

Each morning I get up I die a little  毎朝起き上がるごとに、私は少しずつ死に近づいている
Can barely stand on my feet       もう立っているのがやっとなんだ
Take a look in the mirror and cry    現実が映し出す世界を見ては、悲嘆にくれる
Lord what you're doing to me       神よ、あなたは私をどうしようというのですか、
I have spent all my years in believing you 生まれてからずっとあなたを信じてきたというのに
But I just can't get no relief, Lord!     私は苦しみから逃れることもできないのです、神よ!
Somebody,somebody               誰か、誰か、
Can anybody find me somebody to love ?  誰か教えて、何を愛すればいいのか

I work hard every day of my life  僕は毎日一生懸命に働く
I work till I ache in my bones     骨が痛み疼くまで働き続ける
At the end of the day                                 そして一日の終わりには
I take home my hard earned pay all on my own 稼ぎを持って家に帰るんだ
I get down on my knees 、And I start to pray  僕はひざまづいて 祈りを捧げる 
Till the tears run down from my eyes        するとが瞳から溢れだすんだ
Somebody,somebody               誰か、誰か、
Can anybody find me somebody to love ?  誰か教えてくれ、何を愛すればよいのだ?

He works hard everyday           毎日一生懸命に働いている
everyday, I try and I try and I try    毎日こんなに一生懸命に努力しても          

But everybody wants to put me down     みんな私をけなしては、ガッカリさせたがる
They say I'm going crazy            ”あいつはどうかしている”、
They say I got a lot of water in my brain   ”あいつの脳に詰まっているのは水ばかりだ”
Ah, got no common sense                ”あいつには常識がない”
 I got nobody left to believe in              誰か信じられる人間はいないのか
Yeah, yeah,yeah,yeah!
                                 嗚呼 嗚呼 嗚呼 嗚呼

Oh Lord, somebody - ooh somebody        ああ神よ、どうか誰か、誰か、
Can anybody find me somebody to love ?  誰か教えてくれ、何を愛すればよいのだ?

Got no feel, I got no rhythm         感覚は鈍り、リズム感も失った
I just keep losing my beat            心臓の鼓動をキープするだけで精一杯
I'm OK, I'm alright                でも、オーケー、大丈夫だ
I ain't gonna face no defeat                    敗北に向き合う必要はない
I just gotta get out of this prison cell   囚われの監獄からは出ていくぞ
One day I'm gonna be free, Lord!      いつの日か 私は自由になるんです、神様!

「幸せの黄色いボール」を使う権利を賭けに出して、失ってしまいました。

長い停滞の谷にあるとはいえ、アルバトロスやホールインワンを運んできた縁起の良いカラー、
このブログを始めた頃に目標に掲げた「ビジョン84」をなんとか達成したりと、愛着のある色でしたが、
執着なら捨てよ、ということかもしれません。

 

賭けに負けて白いボールを使わざるを得なくなるので、早めの予習。

ジョークではありません。

しかし、最強の切り札になるのがジョーカーです。

夜の帳が降りてきたかのようですが、

ホールインワンのぶり返しよ、どうかここまでに。

(保険もすっかり使い切ったし、厄払いは終わったと信じましょう。)

 Tug of Warのようなコンフリクト。青と赤がせめぎ合う、赤城の朝。

世界の不正や不幸と闘い抗議するために、たずさえるべき正義と幸福。

”自分の考えや経験、感じたことを日誌や日記、手紙、あるいは書物に書くことを習慣にしている人は、
私たちのうちわずか1パーセントに満たないと言われています。
あなたのフリー・ノートが、私の作り上げたものに似ていたとしても、
それはあなたの偉大な意識が独自の感性で受け止め、あなたの必要に応じて作り上げた情報であることに間違いはありません。
あなたにとって最高のものであるはずです。”

”心を自由にさまよわせること。
フリー・ノーティングによって、より深い思考のパターンを探す。
宇宙の中のすべての出来事を関連づける形而上学的システムを見つけることに臆病になってはいけない。
こうした考えが起こってくるのは、あなたの潜在意識が今までの世界観を変えようともがいている証拠である。
これこそが、何かを深く学ぶうえで最も重要なステップなのだ。”

( ↓ ) 夜の帳の中に消えてほしい断片たち。
(初日の2ホール目、5パットしている時点で、実は早々と終了していた。)

しかし、理想と現実はふつうコンフリクトしている。世界はそういうものだ。

欠けているものがあるなら、たずさえて行け。

バンカーはずいぶん上手くなって、ことごとく1ピンに絡めることができるようになりました。

 

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汝、マインド・ゲリラであれ。 ~ なぜ正義と幸福なのか

2015年09月19日 | 日記

不条理やあらゆる政治的暴力を忌避しようとしたアルベール カミュにこんな言葉がある。

人間は永遠の不正に対して闘うために正義を肯定すべきであり、
世界の不幸に対して抗議するために幸福を創造すべきである。

世界はそんなに単純ではないが、正論を馬鹿にしないプリンシプルに対する態度、
なぜ正義と幸福なのか、について明快に答えている言葉だと思う。
正義や幸福は、ギゼンとかヤワな理想とかお花畑、ではなくて、混沌(カオス)の中に生きる人がたずさえるべき勇気のもとなのだ。

安全保障関連法が成立して、国会前のSEALDsのデモであるとか、大変な騒ぎになっている。

”戦争に対処する能力のない国は、戦争に巻き込まれやすい”
”「新しい脅威」から平和を守るために、「抑止力」を高めて戦争を防ぐ”

との意見もあるが、原理原則、プリンシプル、が置き去りにされている気がする。
(#白洲次郎/プリンシプルと自前の筋を持つということ#)

日本は戦争をしない国だったのに、その明快なプリンシプルが失われてしまう。
場合によっては(自国が攻撃されていなくても、同盟国が攻撃されれば)、戦争をする国になってしまう。
国内的には平和主義の延長であっても、他の国から見れば、違う。

勝てる戦争ならOKだと考える国が大多数のカオスの中で、
「憲法9条にノーベル賞を」と言われるほどの稀有なプリンシプルを持った国だったというのに、
自分の安全保障のためなら、、という体になってしまう。
戦争反対と安全保障、どっちが損か得か、どっちが戦争に巻き込まれないか、という目先、足元の現実がやはり最優先なのだろうか、
”世界はそんなに単純ではないが、戦争はしません。”というプリンシプルは、おまえ現実を見ろよ、みたくあり得ないのか。

ジョン・レノン「Mind Games」

映画「Dear Danny Collins」のせいもあって、ジョン レノンを聴きたくなった。
(曲や歌詞もそうだが、曲を通じて伝わってくるジョン レノンのバイブレーションのようなものを。)

Peace & loveというプリンシプルを持ったマインド・ゲリラたち。

歌に出てくるドルイドという、キリスト教に改宗する前のケルト族の祭祀たちのことが書いてあった。

マーリンという有名なドルイドは、アーサー王を魔術で鷹に変身させて、
”鷹が知っていて、お前が知らないことは何だと思う?”と尋ねた。
鷹の視点から見た世界に境界線がないことに気づいたアーサー王は、
部族間の争いを治めて一つにまとめあげようと決心したと言う。

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[ピアノ弾きおじさんへの道] 音楽家とは。~Martha my dear ( take2)

2015年09月13日 | ツールとしての音楽

筑波も広いが、レイクタウンも広い街だ。

駅前のショッピングセンターにスポーツ用品店があるのだが、
テニスのガットが切れたら、
歩くと随分かかるので、一続きのショッピングセンターの中だというのにバスに乗っていかないといけないくらい。

ぬぬ、高校生とは思えぬ高みに達している。

おじさんのことが分かるのか。

射とめた。

ミサンガを2本ゲット。

まーくんのバースデー迄になんとか格好がつく程度にしたかったマーサだが、間に合わず。
しかし、両手を合わせるコツみたいな感覚は分かってきたかも。

これまでのコード弾きと違って、右手でメロディを弾き、
左手もルート音を押さえるだけではなく、オクターブ奏法を弾いたりするので、両手を合わせるタイミングが難しいが、
退屈な練習曲とかではないから、愉しめる。

まだまだ途上のtake2、前半/両手。
([ピアノ弾きおじさんへの道] マーサ・マイ・ディア(前半/片手、オクターブ奏法)♪)

Martha my dear ( take2)

The Beatles - Martha My Dear (Horn-Mix)(Rare Version) [Photos of Paul & his dog, Martha]

伝統音楽の演奏家が楽譜を読めるようになったのはつい最近のことで、
音楽はそもそも、口伝えで伝えられてきた。
テレビやCDが普及するずっと前から音楽はあって、人はみずから楽器を演奏したり、歌ったり、踊ったりして楽しんできた。

( ↓ ) この写真を見ていて、「山の音楽家」っていう歌を思い出した。

音楽家って、別にひとにぎりの人たちのことだけを言うのではない。ぼくも音楽家だ。

 

 今年は、お盆を過ぎた頃に、台風や低気圧がやってきて、そのまま夏が過ぎ去っていった。

鮫が現れて、海水浴場がクローズになり、TVでも話題になった茨城 大洗海岸。

海がしけて、広い海岸一帯に霧が立ち込めていた。

Mull of Kintyre,

oh,mist rolling in from the sea

2015年夏 霧が寄せてくる大洗海岸の風景


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アル パチーノとジョン レノンとのシンクロニシティ

2015年09月06日 | 日記

春に見た夢の夜は、ふたたびのポールだった。(ポール マッカートニー ~ 武道館と天の采配)

処暑を過ぎ、秋風を感じさせる頃になって、今度はジョン レノン×アル パチーノという嘘のような組合せの映画がやって来た。

9.5公開 映画『Dear ダニー 君へのうた』予告編

 

30年前、いや40年前か、ロックスターとして輝いていたダニー コリンズ。

およそ30年ぶりの同窓会のあった夏。
4年前は行き損ねた、これもまた、ふたたびの同窓会でした。(小さな竜巻(Warterspout) / 3チアーズ
今夏はうまく休暇のタイミングを合わせることができました。
自身の病気という大きな変わり目を跨いでの参加、
ポールのリベンジ公演みたいなもの、というのはちょっと言い過ぎ。

 

 

2013.1.13に起きたアルバトロスの奇跡。

そして病気と回復を跨いだ今夏、2015.8.19にふたたびの奇跡、ホールインワン。

どこかシンクロニシティのような、意味のある偶然か共時性のようなものを感じざるを得ない、ふたたびが続く。

病気も快復も、どちらも、そうそう起きるものではないから。

「自分の出た映画を観て初めて泣いた」とアル パチーノが打ち明けたラストシーン、

癌に侵され、標的薬治療を受けた息子トムを、得意のユーモアで勇気づけるダニーの姿が描かれる。

ダニーのような富や名声は持ち合わせていなくても、ダニーの気持ちは分かる。大事なことは他にある。

ジョン レノンの言葉のように、" 自分に忠実に "、
もう一度人生を生きようとした時にダニーが求めたもの、
それはスーパースター的成功譚や、自己満足なハッピーエンド物語とは違っていた。

" What do you think of ? " (きみはどう思う?)

そういう捉え方をするのもどうかと思うが、
アルバトロスを達成した2013年1月から間もない3月になって、大病に見舞われた。
だから、今回のホールインワンは、ツキの偏りを正して早く昇華させておかないといけないような気がする。

オスカー俳優アル パチーノ演ずるダニー コリンズが、
息子のトムとともに祈り、招き入れた幸運、" Hi, Tom ! "に肖ったわけではないが
オスカー像のようなトロフィーを見つけた。
これもいわゆるシンクロニシティかもしれない。幸運と共時し、リズムを合わせろ。

 

30年ぶりの新曲を書くためにピアノに向かうダニー、

ポールが来た季節でもある春、そして訪れつつある秋をモチーフに歌は始まる。

決して上手とも言えないピアノの弾き歌いにも元気をもらいました。

これまた、共時性でもないのでしょうが、映画公開日のこの日、ロング休暇前半以来のピアノをゆるゆるやっていた。

Al Pacino Danny Collins (sing)

下手でもいいから楽しめ!って。

いつだってまだ間に合う、祝祭日はあなたと共にある。

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