ゴルフィーライフ(New) ~ 龍と共にあれ

目指すはスクラップ・ブックか、はたまたビジョン・ボードか。
隠れ家CLUBゴルフィーにようこそ♪

[2012年11月 ホーム入会前] ~ マスカラスのメンタル面での気づき

2012年11月25日 | ゴルフィーライフ[ラウンド編]

年間最強選手を賭けた戦いが来週に迫ってきた。

約1ヶ月ご無沙汰しているゴルフ、接待ゴルフに明け暮れるY選手の独り旅の予感に苛まれるなか、
直前になって午後スルーで調整に行ってきました。

メンバーの方2人との組み合わせ、
見知らぬ方と回るとき、最初は程よい緊張感があるので、出だしからいいことが多い。
先日の練習場では、おまえは初心者か、と思えるほどボロボロだったのに、
今回も出だし3ホールから、手堅いゴルフでのスタート、Par5ではParをしっかりゲット。

しかし、やりつけていないショートゲームから崩れ始める。
4番でG手前からシャンクしてバンカーに入れると、
その後もシャンク ⇒ バンカーが止まらなくなってしまった。丁寧に打っているのに。。

( ↓ )丸をつけてる/g(goodショット)が多いのに、まるでスコアにならなくなった。
    9番ではとうとう1打ごとの採点が正の字で打った数をカウントするだけになり下がる。。

後半2ホール目の11番もバンカーからバンカーへ、固いバンカーに苦しみ、正の字になり下がったまま。

日没が気になり始めながら、川を渡って12番ホールへ。
(ここの菜の花コースは11番ホールまで続けたあと、12番以降は一旦船で川を渡るのです。)
 

ここで気持ちがシフトしたのです。
無駄な力を入れたり、今日一を狙おう、とか、余計な欲が削ぎ落とされたら、結果が急についてきました。
(残り7ホール、では1オーバーの健闘ぶり。
 このラッシュ力があれば、9ホールで3オーバー、39のハーフ30台が出てもおかしくないでしょ。)
 

なんとか盛り返して来週につなげようという気持ちと、
日没までにホールアウトしようという気持ちで、スイッチがうまく切り換わったのです。

特にあがり数ホールは、暗くてボールも見えなくなってきている。
曲げたり、無駄なシャンクを打っていては、ホールアウトに差し支えが出ます。

日が暗くなってきて、視覚に頼れないので、耳や打った感覚が研ぎ澄まされて、「今、ここ」と同調したような感覚になったとでもというのでしょうか。

残り7ホールで4つのパーと1バーディー、
(たらればですが、17番はカップに蹴られてのパー逃しだし、最終18番は暗くてGの上り下りもわからない中での2m弱のバーディーパット逃しのパーだった。)

稀にみる集中力でもって、ラッシュしてホールアウトできました。

スコアはともかく、この気持ちの切り替え方は収穫です。
決してgood shotばかりを続けたわけでもないのに。
スコアがいい時ってこういうものなのか、みたいな、集中できるメンタルの持ち方がわかったような気がしてきました。

ゴルフに限った話ではないのですが、変わりやすい心、暴れ馬の心を御する方法・技術というものに興味があって、
本を読んだり、瞑想とまではいかなくても技術的な実践的な方法に落とし込んでいけたら、と思っているのですが、
今日のゴルフでは、結果的にかもしれませぬが、うまく御していける自分を発見したような気がしました。

( ↓ ) メンタル面での気づきをレッスン化するのは、たぶんはじめてです。
     肩と肩の間を暴れさせず、肘から下のニュアンスでうまくゴルフが出来たと思います。
         「これもまた過ぎ去る。」(「これもまた過ぎ去る。」~ 今にとどまる言葉としての諸行無常)に始まる、
        「今、ここ」 にとどまり、「今、ここ」にきちんと対処するための気持ちの持ち方。
     この技法化に、ゴルフでも取り組んでいきたいと思います。

マスカラス先生~メンタル面の気づきレッスン

 良いゴルフができたらアップしようと思ってた、Piano GuysのOver the Rainbow。

まだアルファの精神状態でいる時間は全時間の1%かもしれないけど、
その1%を感じること、自分で作り出せたことが大事なのだ。

Over the Rainbow/Simple Gifts (Piano/Cello Cover) - ThePianoGuys

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カリコ模様の空の下で

2012年11月24日 | 日記

11/23を「もみじの日」と命名したのは2年前のこと。(11月23日は紅葉(もみじ)の日

23日はあいにくの雨模様だったので、今日24日の晴れ間を待って近所で紅葉狩り。

ここは四季折々の風景が美しいので、週末は日常使いにしている通り。
道の脇からもみじたちが誘っている。

一歩入ると、もみじの里。ここ数年、毎年のように紅葉を愛でに来ています。

 

光と色彩が織りをなすカリコ模様の空。

今年一番目を惹いたのは、木登りもみじ。

この向こうで甘酒や豚汁なぞをいただけるのです。好きな田楽がなくて、奥さんは少しがっかり。

枝垂れもみじの小径。

Calicoというのは、2,3色が入り混じったまだら模様のことを言うそうです。

カリコ模様の空の下で。

Paul McCartney - Calico Skies - Lyrics

Long live all of us crazy soldiers   我らクレイジーな兵士たちに栄光あれ
Who were born under calico skies  カリコの空の下に生まれた我らに
May we never be called to handle  決して利用されたりするものか
All the weapons of war we despise 軽蔑する兵器を使ったりするものか

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「これもまた過ぎ去る。」~ 今にとどまる言葉としての諸行無常

2012年11月23日 | 心の筋力トレーニングを続けよう

ブログを始めてから知った内田樹(たつる) 先生。

書籍だけでは飽き足らず、ツィッターまでフォローさせていただき、
ブログでも幾度となく採り上げさせていただいておりますが、動画や先生のお姿をアップしたことがなかった。
上を向いてるから生返事をするという、内田先生の師匠、多田先生の話がおもしろい。どぞ。

小田嶋隆×内田樹トークショー「地雷を踏んで生きる」Vol.1

内田先生が帯文を書いてたりすると、つい手にとってしまうことも多い。
名越先生の本にもそんな風にして出会ったのだが、 一見捉えどころのない心というものを観察して、具体的で実践的なアプローチの技法を考えてゆこうとする工夫や文章の表現に共感を覚えます。

心は一瞬にして変わる性質を持っている。
心の速度は光の17倍の速さがある、という仏教での教えもあるという。
我が身ひとつの無常にしても、物質的な体が持つ速度(光の速度)と心の速度という2つの速度から構成されている。

立ち読みでふむふむ、して、家に帰ったらもう一度読みたくなって、Amazonで注文。
陳腐な常套句の並んだものにはあんまり興味が沸かないのですが、
さすが、鮮やかな視点を与えてくれる本だなーとまたもふむふむしながら、読み進めました。
ところが、もう一度読みたかったフレーズが出てこない。どして?? 

心がスーッと晴れ渡る「感覚の心理学」 角川SSC新書
名越 康文
角川マガジンズ(角川グループパブリッシング)
心がフッと軽くなる「瞬間の心理学」 角川SSC新書
名越 康文
角川SSコミュニケーションズ

題名がそっくりな別な本を読んでました。

結果的に2冊ともお買い上げ。

しかし、2冊買っただけの気づきをもたらしてくれました。
先週は泊まりがけの研修があったのですが、2日間泊まりで受けた一流コンサルによる研修よりも、こちらで得たもののほうが、内容としては深い。

(夜中までグループ討議して、たまさか自分がプレゼンするとは思わずに妥協を許してしまったアイデアを、
納得感を持ってもらえるようにプレゼンするというのは、本を読むだけでは得られない体験ではありますが。) 

若干自慢めいた話になってすみませぬが、私は子供のころ運動が得意で、
寒い時期になると恒例のマラソン大会がありまして、小学校の頃は5年生までずっと連続して毎年2位でした。
なんだ、1番じゃないのか、と思うなかれ。
成長期にあって背の高さ(=足の長さ)といった体力面の条件や強力な転校生といったライバルの出現などなど、
毎年2位をとる、というのも我ながらなかなかなことでして、小学生にしてある種のプレッシャーがあったのです。
(6年生のときには今度は自分が転校してしまいましたが、1番のやまもと君は結局6年連続1位のまま走り抜けました。
 かたやぼくも転校した先では、走っても泳いでも負ける相手がいなくなって、
 中学校になっても夏の水泳大会の自由型競泳、秋の体育祭の1500m走、と負けなしで1番でした。)

「自分が苦しい時は人も苦しい」

小学生にして、小学生の私が、当時考えたかどっかから仕込んで来た、自分を励ますフレーズです。
たぶん、この頃が一番アスリートだったのではないでしょか。
(もしそうでないなら、今頃こんなにゴルフが下手くそなわけがありません。)

前置きが長くなりましたが、名越先生の本のなかによく似たフレーズが出てくるのです。

「これもまた過ぎ去る。」

苦しいことや悲しいことにも必ず終わりがある。
辛い体験や感情の執着、マイナスのこだわりから逃れる助けになる言葉として、名越先生は座右の銘のひとつとしているとのこと。

シンプルですが、奥の深い言葉でもあります。
先生曰く、"「これもまた過ぎ去る。」は、言わば、諸行無常を肯定的なニュアンスで捉えたような言葉。"

~ 「幸福なこともまた過ぎさるもの」である。だけど一方で苦しみも同じように過ぎ去るもの、である。
   「今、ここ」にきちんと対処するために、心をリセット」する。
    諸行無常だとどこか空しい感覚を帯びてきますけど、今にとどまるための言葉として、よりポジティブに使うことができるという感じですね。

(「諸行無常」について。→もっと「振り子」を伸縮自在な拍で

この2冊にはずいぶん気づきをいただきました。一気にはき出さずに、時折々に取り出せるようにテーマを絞っては書き出していこうと思います。

( ↓ ) 諸行無常ではなく、今にとどまるということ。

柴田淳/カバーアルバム『COVER 70's』 30秒 SPOT

 

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ピーターパンのように自由自在に飛びまわりたい 矢野健夫

2012年11月17日 | お気に入り♪(いろいろ)

矢野健夫、飛行撮影家。

TVで見てたら、息を呑むような自然の風景がすごかった。
紅葉の京都、アリゾナのモニュメント・バレー、ゴールド・コーストの海を泳ぐイルカの群れ、、
自家製のパラグライダーで地面すれすれの高さから3800m級の高さまで、鳥の目線で撮影する。

大河ドラマのオープニングシーンは、私も好きで、「天地人」の頃にはオープニングシーンに登場するような霧立ち込める棚田の風景が見たくてわざわざ出かけてみたら、田植え前で水も張っていないカラカラの田んぼを目の前にして愕然としたことがあったくらいなのだが、「龍馬伝」のオープニングは氏の撮影によるものらしい。
大河ドラマ 天地人ゆかりの地へ  /  天地人~棚田を見に行く

この秋は、その時訪れた日本三大急流のひとつ、最上川の紅葉を撮影されたそう。
さみだれを集めて早し最上川)

真っ赤な紅葉もいいが、杉の緑と紅葉のコントラストの美しさを伝えようと思ったとのこと、
鳥の目線も素晴らしいけど、自然な自然、への視線も素晴らしい。

ピーターパンのように自由自在に飛びまわりたい 矢野健夫

Free as a birdがぴったりだな、と思ったけど、前にクリップしてたので(ジョン レノンの新曲??)、
今日はポールのOff the ground を。
揺るぎない大地、常識的な地平からの視点を一旦離れてみて、聴こえてくるものがあるのかも。

Paul McCartney - Off The Ground

There must have been a lot of heartache  心を痛めることが沢山あったんだね
For you to sink so low.              きみがそんなに沈んでいるなんて
You must have had a ton of pressure.    押し潰されるほどのプレッシャーを抱えているんだね
Only answer if the answer's no.        必要なのは答えだけ、もし答えがNo だったとしても
I Need Loving, You Need Loving Too.
Doesn't Take A Lot To Get Off The Ground.

There Must Have Been A Lot Of Magic    沢山の魔法があったに違いない
When The World Was Born.           この世界が生まれた時には
Let Me Be The One You Wish For,      求めてもらえる人になりたい
One You Call For, When You're All Alone.  きみが絶望的に孤独なときに

Off The Ground, Off The Ground.
Fly Around, Fly Around.
Hear The Sound, Hear The Sound.
Off The Ground, Off The Ground.

Though It Takes A Lot Of Power        沢山のパワーが注ぎ込まれたんだろう
To Make A Bog Tree Grow.            大きな木が成長するためには
It Doesn't Need A Pot Of Knowledge.      たいそうな知識なんか必要じゃない
For A Seed Knows What A Seed Must Know. 種は知っている、自分に必要なものを 

ポールにはブルースっぽいフレーズを楽しげな音楽に乗せたりということが多々ある。 
明日のブルース・ナイト、楽しみであります。

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ある意味、人間は音楽だ。

2012年11月17日 | お気に入り♪(いろいろ)

視覚と聴覚がクロスオーバーする共感覚的な現代アート。

宇宙のものはすべからく振動するから、ぶつかり合っては共鳴を繰り返す。

ここに提示されているものは、時空や生命、そして人間や世界の象徴なのでしょうか。

目から入ってくるのは、静かに渦巻く水の時間の上を流れていく大小の器。
ぶつかり合い、方向を変えては、また違う器とぶつかることもあれば、すれ違っていくこともある。
目を閉じると、様々なぶつかりが、様々に響きあっては、倍音を奏でていく。
ひとつひとつの器が音を発し、静寂に戻っていく間にも、別の器が響きあう。
そして、その運動の軌跡や音の強弱やリズムは、同じようでいて、決して同じではない。
その瞬間々々に常に変化し続ける。

Variation, Piscines, Céleste Boursier-Mougenot

「翻訳は良い趣味だ」。

エンディングで繰り返されるピアノ、同じメロディなのだが、同じ音ではない。
ひとつであろうとする心、絶え間なく変化し続ける心、
ひたむきなまでに一徹で、且つ抑制の効いた心の動きのよう。
同じものを感じます。

Elton John - The One

I saw you dancing out of the ocean           あなたが海から踊り出てくるのを見ていた
Running fast along the sand      砂浜を駆け足で走りながら 
A spirit born of earth and water            地球と水から生まれた ひとつの生命
Fire flying from your hands        あなたの手からは炎が燃え立つ
In the instant that you love someone                 誰かを愛した瞬間に
In the second that the hammer hits                 ハンマーがぶつかりあった瞬間に
Reality runs up your spine          現実となって君の背骨を駆け上がり
And the pieces finally fit           ばらばらだった破片は遂に結ばれる
And all I ever needed was the one    僕が求めていたものはただひとつ
Like freedom fields where wild horses run 野生の馬が疾走する自由な平原
When stars collide like you and I     君と僕のような星が衝突する時 
No shadows block the sun         もう影が太陽を遮ることはない
You're all I've ever needed         君こそが私が必要としていたもの
Baby you're the one            あなたこそがそのひと
There are caravans we follow         僕たちが紛れ込んだキャラバン
Drunken nights in dark hotels          暗がりのホテルの部屋で呑んだくれる夜
When chances breathe between the silence       静寂の中でチャンスが息を潜めていた
Where sex and love no longer gel       セックスや愛では もはや繋ぎ止められない
For each man in his time is Cain         男はいずれ成長してカイン(弟Adelを殺したAdamとEveの第一子)になるのだから                      
Until he walks along the beach              そして彼はいつしか海岸線を歩き出す
And sees his future in the water             自分の未来を水の中に見つけるまで
A long lost heart within his reach              長い間失っていた心を手元にたぐり寄せるまで 
 
 
音楽と人間と宇宙~世界の共鳴を科学する~
エレナ・マネス

ヤマハミュージックメディア

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クレシェンドの瞬間は教えることができない

2012年11月10日 | ツールとしての音楽

14歳の頃、父の友人に買ってもらったベートーベンのバイオリン協奏曲のレコードが、バレンボイムのものでした。
(まだ14歳の子どもだった。 今はもっと子どもだけどね。(笑)) 

” 次の音を念じていると、本当にクレシェンドになるんだ。"

" クレシェンドの魔術を欲するなら、どうにかしようと欲することだ。"

日常を忘れられるほどのクレシェンドの瞬間を教わることはできない。

しかし知識と感性を結集すれば、意志( will )を持てば、どうにかなるのか。

若いlang lang(大切なのは、まず「身体を割る」ことなのだ。)を交えて熱く語るバレンボイムさん、齢を重ねた方の口から語られる言葉には何かがある、と思う。

Barenboim talks about music

 

音楽と人間と宇宙~世界の共鳴を科学する~
エレナ・マネス

ヤマハミュージックメディア

この本のなかでも、バレンボイム氏の言葉が引用されています。

私たちはきわめて視覚的な社会に暮らしているので、耳から入る情報よりも、目から入る情報に意識がいってしまう。
しかし、人は生まれるまで何も見えないが、耳は子宮の中でも聞こえていて、目より一歩先にスタートを切っている。
さらに、目は耳と比べてコントロールしやすい器官だが、耳はそうはいかない。
"私の外見が気に入らなければ 目を閉じれば私の姿は消えます。
でも私の声が好きでなかったとしても耳は自然に閉じることはできません。
音は人間の身体に浸透するのです。”

視覚体験に依存しない、共感覚とも呼ばれる世界(共感覚 ~ food for thought♪)、
地球上のすべてのものは振動するから 音楽体験(耳体験)は人間の生理機能との結びつきが強い、というのは真実かもしれない。

バレンボイムさんの言葉、おもしろいので続けます。

依存というのは一つが上にいる限り、下にいるものが出てくるから否定的なものだ。
自分は完全に独立していると考える一つの声は、こう言う。
「私は独立している。私はひとりだ。
 私はメロディだ。
 私はリズムを気にしない、そんなのどうだっていい。」
依存と独立、その二つの間に第三の方法がある。
伴奏もなくひとつの楽器で演奏されるひとつのメロディでさえ、それ自身と対話している。

最後にミッキー ハート氏の言葉を引用しておきます。
クオンタム理論にも似ている。(内的リズムと外的リズムを同調させること~同期現象(引き込み)について
この本でも場の量子論が引き合いに出されているが、その辺りにはまだまだ解明されていない領域が沢山ありそうだ。
人間は光のようなものではないか ~ ゴルフィー仮説(多次元境界仮説)

~ きみたちはリズムの世界にいる多次元的な振動体だ。リズムがいいと何でもうまくいく。
  この最高のリズムが生み出す最高の感覚を受け止めて、それで何かいいことをしてくれ。
  子どもを抱きしめろ。親切になれ。
  音楽は素晴らしいもの、魔法だ。

ミッキーハートではないが、ジャンプするエルトンを。
花嫁にキスはあんまりいいことでもなさそだけど.
Elton John - Kiss The Bride (Night Time Concert, 1984)

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CSN

2012年11月04日 | お気に入り♪(マイナーなラジオ局編)

朝晩はめっきり冷え込むようになってきました。

モンブランを買いにケーキ屋さんに入ると、もうXmasシーズン入りしてるんですね、こないだまで暑かったのに。

(左) フヨウってこんな実をつけるのです。もうすぐパパンって弾けてタネを飛ばすのでしょう。

(右) 昼の2時を過ぎると、もう西日です。ハロウィンの宴の後のようなのはウルシの仲間。
 

坂を下りた小径に新たな紅葉スポットを見つけました。もみじの緑を吹き抜ける秋風が爽やか。
紅く色づいた頃にまた散歩に来よう。

松田聖子の風立ちぬ、今は秋~が、カーラジオから流れていましたが、こちらもそう。
なんだか、イーグルスやCSN(クロスビー、スティルス、ナッシュ)あたりを思わせるアメリカンなコーラスワークが空の高い秋の日に合うな、と思ったので。

How old is your soul ?

Jason Mraz - I Won't Give Up (Lyric Video)

CSN(クロスビー、スティルス、ナッシュ)って、映画「小さな恋のメロディ」のTeach your children,あたりが日本ではポピュラーなのですが、よく似たテイストのこちらの曲を。 

Wasted on the Way - Crosby, Stills and Nash - Lyrics

Favoriite だったのは、Song for Susan、
「翻訳は良い趣味だ」といつものように前置きして訳そうかと思ったが、2行目で手が止まった。歌詞がナイーヴに過ぎる。
しかし、手が止まって隠したくなるような気分になるものには、
フェイクではない本当の痛々しいところに届くフィーリングが込められているように思います
BeatlesのI willがフェイバリットだ、と言えた頃の好み、(ビートルズで一番好きな歌は何ですか。
今でも良いと思うのでクリップ、めめしくて、青臭いやつ。

CSN - Song For Susan

If anyone wants to know where to find me    
I'll be right here in the warmth of your arms
'Cause you you're the one I can trust in
You've never done me harm

I'm putting all my troubles behind me
I don't feel the same when I'm away from your smile
'Cause you you're the one that can calm me down
Whenever I get wild

Fooling myself about how to exist
All by myself there was much I had missed
You came and showed me what happiness is

If anyone wants to know where my heart is
Tell everyone that's it's wrapped around yours
'Cause you you're the one I can turn to
You opened up the door

緑の多い土地柄が気に入っているのですが、かたや住宅造成も進んでおります。
若い桜の木が3本だけ残されておりました。

 

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芸術とはナニモノなのか

2012年11月03日 | 読書ノート

 「前衛」とは何か、「芸術」とは何なのか、

これは宇宙とは何か、生命とは何なのか、にも似て、答えを見つけるのがむずかしいテーマだと思ってましたが、
かの有名なダーウィンの「進化論」に、そのヒントがあったのですね。

スルドイ指摘のある本が、新しい視点を与えてくれる。

ピカソは本当に偉いのか? (新潮新書)
西岡 文彦

新潮社

曰く、

今日の私たちにはわかりにくいことですが、ダーウィンの進化論が登場する以前、
変化や刷新というものは、基本的にネガティブな意味しか持っていませんでした。

 

神が最初に全宇宙を創造したとするキリスト教の世界観に従えば、
真なるものや美しいものは、太古にその理想型を与えられていることになります。
従って、真なるものや美しいものに到達するには、
太古の黄金時代に回帰し、古来の聖典を参照することによってしかなされないわけです。
「新しい」ということや「変化する」ということに、今日のような肯定的なニュアンスはまったく含まれていなかったのです。

今の常識的な世界観は、進化論によって根拠づけがなされている。

すなわち、変化することが「向上」することを意味し始め、
「生存競争」に生き残るために変化してゆくことが正義と同等の意味を持ち始める、、

芸術もまた、革新的であることが、時として「美しい」ということさえ凌駕し、「前衛」という価値観になってゆく。

~ 「芸術が生き延びるためには美が死ななくてはならない」という倒錯した論理に、「科学的」な根拠が与えられることになったのです。

逆説めいていておもしろい !
「新しいこと」に対する、進化論を跨いだ時代間での認識の断絶。

ここにも、「切断された知」の厚みとして残っていく人類の歴史がある。
透明にすることによって隠蔽されたもの、そして賦活させるもの
美術やアートというものは、自由な発想が求められるが、科学や他の分野の人類の知見と無関係な訳ではない。ダヴィンチの時代には芸術と科学が一体であったように。

進化論という科学の根拠づけによって、美術は進化してアートになったのか、、

芸術というものが本来の美しさ(美術)とは違った新しい視点で捉えられるようになって、「前衛」が評価されるようになったのだな、とふむふむする。

かつて、教会にあれば神の威光を表し、宮殿にあれば王の権威を表し、市民の家庭にあれば暮らしを美しく彩るという、
それぞれの場面で実用的な目的を持っていた美術が、
「用途」から切り離され、「純然たる美」=「芸術」としての価値を云々されるようになってゆく。
そして、それはフランス革命後に登場した「美術館」という施設がもたらした変化だといいます。
~ 美術が実用性を放棄し、むしろ実用的で機能的であることを軽蔑するようになってゆく。

美術という「美しさ」を追求するはずの世界において、そのわからなさに破格の評価が与えられているピカソの芸術は「美術館」的なものであって、
それを、「美」を本来のありようから切り離すものとして批判的に捉えると、ピカソを偉大とする審美眼や美術観はおかしい、ということになり、
逆に「美術館」を、人類の美的遺産を個別の文化や宗教の拘束から解放するための人文的な資産として不可欠なものだと考えると、ピカソこそ美術館にふさわしい偉大な画家、ということになる、という指摘。

著者は、このどちらの立場をとるかは、「美術館」を是として成立している私たちの社会や文明に根ざした問題であり、
自分の全思想と美意識をかけて検討するに値する問題だ、といいます。

どちらがどう、と決着をつけるモンダイでもないように感じましたが、「美術館」という具体的な箱のあるなし、という論点の立て方がおもしろい。

ピカソ芸術の持つ「わからなさ」を「大芸術」として崇める現代芸術のわからなさ、
をこれほど端的に解きほぐしてくれる文章にはあまりお目にかかったことがありませんでした。

出自を忘れてしまいましたが、以前読んだ本のなかにも、「芸術」とは何か、「美」とは何か、について鋭い指摘をしているものがありましたので、併せてご紹介。

~ 偉大なる芸術に、そうとは知らずに日常のありふれた光景の中で遭遇した時、世の人々はどう反応するだろう?

ほんの二、三日前にボストン・シンフォニー・ホールでコンサートを開いたヴァイオリン奏者が、
同じ楽器、愛用のアントニオ・ストラディヴァリを持って地下鉄の構内でジーンズ姿で野球帽を被って演奏をする。
通り過ぎた人々は1000人以上、稼ぎは32ドル。

音楽に限った話ではなく、あらゆるパフォーマンスにおいて周囲の状況が極めて重要な役割を担う。
コンサート・ホールで演奏される音楽と、野球帽を被ったみすぼらしい男が地下鉄の駅で演奏するそれはまったくの別物なのだ。
有名な絵画でも、それが実は贋作となれば、至宝から紙くずへまっさかさまだ。
重要なのは出自なのである。
出自や希少価値が物のクオリティを変えることはないが、同じ絵でもピカソの真筆だと分かると、数段に優れて見える。
こういった異なる反応は、俗物根性と集団思考と知的怠惰が入り交じった人間の欠点をさらけ出す。

しかし、数学や物理の世界ではあるまいに、純粋な美的基準による評価なんてあり得るのだろうか。

来歴や状況へのこだわりは、俗物根性や集団思考とは別物だ、とする著者の意見に賛成です。

私たちが芸術から得る喜びの多くは、創作の根源に人間らしい来歴があるという認識に根ざしている。
これが芸術の本質なのである。

来歴や状況へのこだわりは、そこにある温もりや安心感や愛情といったものに人が喜びを感じるから、なのだと思う。
温もりや愛着のようなものは、純粋な美、ではないかもしれないが、それらを排除した測り方はむずかしいと思う。

そもそも、美や芸術というものは、透明で公明正大で純粋なものではなく、不純物を含んでいるがゆえに輝きを増すようなことすらあるように思えるし、
純粋な美的基準なんてあるはずがない。
神が宿る風景 ~ 私の範囲をとらえ直す

不純物はキタナイばかりでもない。芸術に資しているのだ。

( ↓ ) へんなおじさん、ではない。 おじさんはヘンでないとだめなのだ。(自分のなかに毒を持て

「芸術は爆発だ!」「何だ、これは!」  岡本太郎は何者? 1/2

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