ゴルフィーライフ(New) ~ 龍と共にあれ

目指すはスクラップ・ブックか、はたまたビジョン・ボードか。
隠れ家CLUBゴルフィーにようこそ♪

[2011年11月]佐野クラシックゴルフ倶楽部 ~ ピーターアーツの必勝祈願

2011年11月27日 | ゴルフィーライフ[ラウンド編]

いよいよXマスシーズンが近づいてきた。

会社の前にもロビー階にも立派なツリーが飾ってある。

なぜに、休みに出勤してまた資料作成をしてるのだ。

喫煙ルームでふけながら、窓から見えた空は絶好のゴルフ日和ではないか。

  

疲れを押して、行ってきました。
朝晩、急に冷え込んで、昨冬来のピーターアーツ帽をかぶって向かったのは佐野クラシックゴルフ倶楽部。 

佐野クラシックゴルフ倶楽部 × ピーターアーツ帽、
昨年来、あまりいいことがなかったことに気がついた。ならべてみる。

佐野クラシックゴルフ倶楽部 、ここでの昨年12月の〆のラウンドは巻き球に苦しみ、
[2010年12月佐野クラシックゴルフ倶楽部] マスカラスセンセイの〆の言葉

満を持して臨んだピーターアーツのデビュー戦は、雪の振る早朝にあの娘の幻影に出会い、、
[幻の2011年初ラウンド] なごり雪は降るときを知らず

そして、開幕戦の本戦では、ピーターアーツはこうべを垂れてうなだれていた。
[幻であってほしい]2011年開幕ラウンド

しかし、その後、今シーズンは夏場にかけて調子を上げ、85、87と連続80台をマーク。

ところが、それ以降再びフックに悩まされ失速、再びフックを克服したばかり。

ピーターアーツ × 佐野クラ、はたして成長の跡はみられるのだろうか。。

( ↓ ) ピーターアーツに向かって、雉狩りにでもきたのか、というやつがいた。

ふふふ。89で準優勝だぜぃ。(NETですけど。)
1位はケーデー氏、念願の初優勝を決めた。おめでとう。
(最終ホールで2mのバーディーパットを外し、ボギーを叩いた、
 雉狩り男の隠れたやさしさに感謝してくれ。(-_-))

フックはおさまったが、寒さのせいで振りにキレがなくなったのか、
今度はつかまらないスライス球が出始める。

出だしから右へ行ってプレ4である。やっぱりこのコース、相性がわるいのか。。

前半、合計3つのプレ4.
トリッキーな右ドッグレッグの14番ではティーショットでUtilityを持ったにもかかわらず大きく右へ打ってプレ4.

前半最終のロングホール、Gサイドからの転がしアプはピンを直撃(入ればイーグルだった)、
2mのバーディーパットを残した。
キメて、なんとか49で留まりたいところだったが、まさかの3パット。
結局、前半パーも来ず。

言い訳すると、この日のGは固くて早くて、カップ間際で微妙に切れるし、難しかった。
「g」と書いてるのは、思い通りのティーショットが打てたgoodの「g」。

昼食のレストランで、みんな悪かったのがわかったので、気を取り直しての後半。
2番ショートでParを奪取、
3番も狭いFwのドラコンをゲットするティーショットに、ケガを避けて右目に打ったUtilityもG横につけ、
アプをピン横まっすぐのラインの3mにつけた。
しかし、バーディー決めれず、3パット。。
5番所352Yミドルも、狙い通りのカンペキなフェードボールで残り50Yにつけたのだが、
その後のアプで取りこぼし、ボギー。
またもリズムに乗り切れない。。

7番ではアプでシャンクまで出て、もはや万事休すかと思ったが、
最終9番ロングホール、2打目FwバンカーからG手前に運び、
3mの入れごろバーディーパットを残す。
だがしかし、またしてもポロポロ3パット・・・。

よく切れずに、ふんばった。
ここで優勝すると、10のハンディが7になってしまうので、
3位につけた、ドライバーからアイアンまで、スリクソンからTitleistに変えたおっさんとのハンディ10の均衡が崩れてしまう。

ほんとは優勝するに越したことはないのだが、今日は素直にケーデー氏の初優勝を祝福することにしよう。

冬場はだいたい調子が崩れるのだが、この冬はひと味違う冬にしたいものです。

話は戻ります。
休日出勤の朝、これはお祓いしとかないと、と思って少し早めに家を出て、
神田神宮で仕事がうまく軌道に乗りますように、と祈願。


仕事を終えて会社を出てツリーを見たら、なぜかこの歌を思い出した。

明日も早いぞ。

 

「安奈」 甲斐バンド

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もみじの空

2011年11月23日 | 日記

11月23日を「もみじの日」にしたのは昨秋のこと。(11月23日は紅葉(もみじ)の日

定点を定めると、秋の深まりがおそいのが分かる。

だがしかし、てのひらのような、もみじ空に恵まれた。

紅葉になりきる前、の紅葉(もみじ)空。
てのひらが若い分、フォルムがキリッとしていて、これはこれで秋に似つかわしい。

 空のおとしもの。

  

日本画のような写真になったので、今年は簡素にシンプルに。

もぎたての柚子を買って、秋サンマに絞ると、キリッとした香りが立ちのぼった。

大根おろしを食べると、日本旅館の朝よろしく、なんだかカラダがゼロにリセットされるような気がした。

 七色の世界の歌を添えよう。

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ブルー

2011年11月23日 | 日記

冬へと向かう朝の漆黒に近いブルー。

早めの出勤、玄関を出たら まだ暗い。

夜中2時半ごろに夕食もとらずに仕事からタクシーでそのまま帰ってきて明けた朝、睡眠時間は2時間少々。

こういうことは昔もよくあった。そして、こういうときに妻はやさしい。
家から駅まで歩いてもたかだか10分なのだが、疲れを察してくれたのか、
何も言わないのにクルマで駅まで送ってくれた。

ありがたい。駅から見送った。


逃れることのできないブルーの反射作用、
反射するように温かさもまたいっぱいあるものだと思う。

逃れることのできない矛盾の反射作用について

好きだったランディー ニューマンの歌を思い出した。
L.A.でカリフォルニア娘にデレデレしていたか、と思うと、とてつもなく深い歌を書く。
ランディニューマン/I Iove L.A.
不条理をのみこんでしまうような、尊敬すべき幅の広さと深さをたたえたおじさんだ。
私のブルーなどは比較にならない。くそみたいなものだ。

Randy Newman & Paul Simon - The Blues

He's gonna tell you 'bout his dear old mother / 彼は語ってくれる、年老いた愛する母親のことを
Burned up in a factory in Springfield Mass.      / スプリングフィールドの工場で黒焦げになってしまった
He's gonna tell you 'bout his baby brother   / 彼は話してくれる、可愛い兄弟のことを
Hustlin' down the city streets and selling his ass for a dollar bag / 小遣い稼ぎのために街通りでケツを売ってる
He's gonna tell you 'bout his Uncle Neddy / 彼が語るのは、ネディおじさんについて
Locked up in a prison out in Oregon     / オレゴンの監獄で囚人暮らしをしている
He's gonna tell you 'bout his best friend Eddie / 彼が話すのは、大切な親友のエディのこと 
Killed in a bar fight with a pair of Marines and a sailer / 水兵たちとバーで喧嘩の果てに殴り殺された
Oh

He's got the blues this boy / 彼にはブルースがあるのだ、彼の音楽を聴けば分かる
Has got the blues
You can hear it in his music

When I was nine years old / ぼくが9歳のとき
My daddy ran away With a woman he met on a train, oh / 父はいなくなってしまった。列車で出会った女といっしょに。
His little boy ran to the room/ 小さな少年は部屋に逃げ込んだ
Where his piano lay in wait for him/ そこにあったのは、彼を待っていたピアノ
He played and he played / そして少年はピアノを弾きまくったんだ

A year ago, I met a girl , / 1年前、在る女に出会った、
I thought we'd hit a massive groove / 最高の奇跡に当たったかと思ったよ
But she dumped me , / でも彼女はオレを打ちのめしただけだった  

 And all we`d hit were the blues / 大当たりしたのはブルースだったってことだ

最後にまぬけな現実のぼく、が登場するところがこのひとらしい。
悲劇をそのまま悲劇にしない。
凄惨な過去の哀しい話も、まぬけで悲しい現実も、同じブルーであることに変わりはない。

ボス、がんばります。

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深夜会社を出る

2011年11月22日 | 日記

以前までの会社ではよくあったことだが、深夜1時半までメシも食べずに仕事するのは久しぶり。
なんだか 懐かしい疲れ方。

だけど 明日朝も7時半には今夜作った資料説明がある。

ここのところ日曜まで遅くて、毎日が金曜のようです。

(-_-)

週末に都会の夜にふさわしい音楽でもつけよかな

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お詫びm(._.)m

2011年11月20日 | 日記

 

ブログ更新、滞っておりますが、
来週末はゴルフライクなやつをアップできる予定です。(たぶん。)
あ、11/23が休み(のはず)ですね。

よき秋の夜長を。

日曜出勤の帰り
夜10時過ぎの後楽園駅より

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やさしさの街角

2011年11月19日 | お気に入り♪(フォト×音楽)

岡本太郎氏のメッセージ、ややもするとイージーになる私にはなかなかに効くので続けます。

これでしあわせなんだと自分を納得させているが、
一方にほんとうにしあわせなんだろうかというマイナスの面を併せ持っている。
人間として当然だ。
外に向かって発言する時はそれをごまかして、何事もないようににこにこしているが、
もっと正直になって、恐れずに自分の内側を直視していいじゃないか。
必ず心のどこかに満たされていないものがあるはずだ。
それとマトモに向かい合うことはなかなかスリルのある、
しあわせなんかより、もっとキリッとした面白さだと思う。

わが人生、他と比較して自分を決めると言うような卑しいことはやらない。
自信に満ちて見えると言われるけれど、
ぼく自身は自分を始終落ち込ませているんだ。
自信を持ちたいなどという卑しい考えを持たぬように突き放す。
つまり、ぼくがわざと自分を落ち込ませている姿が、他人には自信に満ちているように見えるのかもしれない。
人間は他の動物より進歩した存在のようにみえるかもしれないけれど
不安や恐怖を抱かずにはいられない、悲しい運命を背負っている。
だから、恐怖感は自分ひとりではなく、
これは人類全体の運命なんだと思っていけば、意外に救われるんじゃないか。

金八先生のファイナル編をTVでやっていた。
私が中学生になったばかりの頃に始まったのだが、今や長男が中学校を卒業し、次男が中学校に入学する。
時の経つのは早い。金八先生は定年、である。
しかし、金八先生は、人間的にあれほど立派なのに、決して経済的に豊かに恵まれている風には見えない。
エラくなって校長先生になったというわけでもない。
生ぬるいしあわせなんかより、もっとキリッとして純粋に自分の正義に生きたゆえなのか。
私にもよく分からないが、そのようなモノサシで測れないモノがあることは確かなのだと思う。
人生は自動販売機ではないのだ。

( ↓ ) 学園ドラマといえば、中村雅俊さんでしょう。
    こないだ、YouTubeにアップしたThank you、Babyを、いいだろーと子どもに見せたら、
    " なんだか ジメジメした感じがする " と言ってたが、こういうのが好きなんです。
    青くさいけど、体温を感じるようなやつが。
    " 雨の中泣きながら駆け出していった小さな背中を引き留めもしなかった・・・"
    " 髪濡らし街角で独りさまようおまえ・・・"

    好きで落ち込ませて、じめっ、とする。
    こういうのを豊潤というのだぞ。たぶん。

「優しさの街角」

 ※ このような、街中の風景写真は自分ではなかなか撮ろうとしないが、アメリカの詩人ウィリアムズのよう
    フォト蔵のwangan_boyさんの作品を使用させていただきました。<(_ _)>

<初稿 2011/3/27>

<再稿 2011/11/19>

登録したままになっているFacebook、マジメにやろうかな、と思ったが、
誰かのこんな言葉を思い出した。
~ みんなそれぞれに悩みなんかもあるだろうに、そこでは皆楽しそうにして見える

岡本太郎氏のメッセージに重なるではないか。

明日また休日出勤を控えて、そんな愉しい気分ばかりでもない私には
Facebookで楽しそうにすることもできず、
こっちでじめじめする方が気分に合っていた。
(青春ドラマのエンディングみたく、日本語なのに動画に歌詞を乗せてみた。
 明日横切って渡るであろう交差点の写真もある。) 

 



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ヴィーナスとマースは今夜も好調さ♪

2011年11月13日 | お気に入り♪(ビートリー)

ドストエフスキーについて書いたりすると、えらく気難しくて気位の高い嫌なやつに思えるよな気もする。
何を思って書いてるかと言うと、自分を含めて、
おじさんや老齢というには微妙な年代への応援になるようなもの探しがひとつのテーマになってきているのだ。
いささかでも新しい価値観へのパラダイム・シフトの蓄えになるように。
雑誌にたとえるなら、「小学校4年生」を1年生が読んでいるような感じ。

日曜だったが10月から途中参加したプロジェクトがのっぴきならない状況になっているので、
今日はコンサルのおじさんたちを含めて、タスクスケジュールの抜本的な見直しからのテコ入れ作業。

単にスケジュールといっても、プロジェクトを組成して、タスクごとにWGを置いて、全体を進捗管理するともなると、マスタースケジュール(Level1)~ 週間のWG別のスケジュール(Level3)~担当者ごとのスケジュール(Level5)まで全体の整合性を取りながらまとめていくことになる。
プロジェクトというと聞こえはいいが、仕事は生き物のように状況が変化するので、
機動力を兼ね備え柔軟性を失わずに、且つ漏れなく遅滞なく進行していくというのは、たやすいことでもない。

あ、仕事の話だ、ごめんなさい。<(_ _)>

というわけで、ゴルフの誘いを断って、日がな仕事で疲れたおじさんを元気づけてあげる必要がある。
(亭主九分九厘です。)

( ↓ ) 計算されてショーアップされた完成型の、手前のような、ネイキッドな生の音やコーラスがかえってロックを感じるRock Show。
   ほんとはVenus and Marsという曲からのメドレーになっている。

スポーツアリーナのスタンド席に座ってショーの始まりを待っている
レッドライトやグリーンライトに照らされて、ストロベリーワインを傾けてる
ヴィーナスとマースは今夜ゴキゲンさ、

でRockShowの始まり。 
Paul McCartney & Wings - Rockshow (Seattle '1976)

( ↓ ) これに応援された。 ← 応援するつもりが逆に勇気をもらった。
    このおじさん、キーボードが上手で、ポールのハイトーン・キ―の曲にもついていく歌唱力の持ち主なのだが、
    この曲ではギター片手にかなり苦しい。
    シャウトがあって、テンポ・チェンジがあって中間部で一旦スローになって、
    さらにはマドモアゼル・キティについての語りまで入るのだから無理もない。
    ポールがやると普通に聞こえるのだが、わぉ、がんばってる~!って感じが伝わってくる。
    >WOW. You can really rock XD
    >How many hours a day do you devote to practice and playing? However many, it's paid off!
    >YOU HAVE MASSIVE TALENT.
    YouTubeに寄せられたコメントも称賛する声ばかり。

venus and mars / rock show (paul mccartney cover)

( ↓ )おまけ。 亭主が口づさめるように歌詞を再確認。 

Venus and Mars/Rockshow - Paul McCartney and Wings

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逃れることのできない矛盾の反射作用について

2011年11月13日 | 心の筋力トレーニングを続けよう

~ドストエフスキーを読んで得られる特別な思いを、娯楽だと一言でかたづけることはできない。他人事でいられる人は読まなくてもいい。あなたの世界が平和で愉快で理路整然としているならば、そのまま、舗装された道を進めるならば、ドストエフスキーなどを読む必要はない。

ドストエフスキー(残念ながら私は一作も読んだことがない)の評論集。
多くの人を通して、それぞれの経験、さまざまな視点から語られることで
個人的な読書体験では得られないような物の見方を示唆してくれるようで、こういった評論の類は読んでいて面白い。

~ 結婚の高める悪徳中の最たるものは利己主義。結婚という、いわば全体から二つの個を離反させ孤立させる利己的な制度。
― かつてこのような言説には出会ったことがないぞ。

~ 他者を自分自身と同じく愛すること、それを唯一なしえたのがキリストであり、
   われわれ人間がそれをなしえないのは人間が自我を持つ存在だからである

逃れることができない自我やエゴイズムの人間の法則のようなものと、
片や他者を尊ぶヒューマニズムの矛盾。

様々な相矛盾する見方を理解する能力、
「矛盾」は一つの価値であり、その矛盾を感じる能力を持てばこそ他ならぬ深みとなって現れてくる。

" ああ、きみ。だって神様がそうお創りになったのだよ。"
ドストエフスキーはそう言って、人間の最も醜い面を許容したのだという。
~ 我々がふつう軽蔑しあざけり、あるいは嫌悪するものの中に、彼は魂の美を見るのだった。 

21世紀 ドストエフスキーがやってくる
大江 健三郎 他
集英社

相矛盾する世界の中で見つけ出した、ささやかな温かさ、この曲にはそのようなものを感じる。
何に歓びを感じ、何に誇りを感じるのか。ささやかだからといって誰が何を言えるのか。
ソビエトがロシアになって、レニングラードという地の名前はサンクトペテルブルクに変わった。

Billy Joel - Leningrad w/lyrics

Went off to school and learned to serve the state  学校では国への忠誠を教育され
Followed the rules and drank his vodka straight   規則に従うことを覚え、ウォッカをストレートで飲んだ
The only way to live was drown the hate        生きていくためには憎しみを消し去るしかった
A Russian life was very sad                 ロシアでの生活はひどく哀しいものだ
And such was life in Leningrad               そしてそれがレニングラードでの生活だった

Viktor was sent to some Red Army town        ビクターは赤軍の捕虜送りになった
Served out his time, became a circus clown      刑期を務めあげた彼は、サーカスの道化になった
The greatest happiness he'd ever found        そうして彼がようやく見つけた最大の歓び、
Was making Russian children glad            それはロシアの子どもたちを喜ばせることだった
And children lived in Leningrad                レニングラードに住む子どもたちを

And in that bright October sun              あの明るい十月の太陽のなかで
We knew our childhood days were done        ぼくらは子供時代が終わったことを知った
And I watched my friends go off to war         友だちが戦争に行くのを見送った
What do they keep on fighting for?           どうして彼等は戦い続けるのか?

And so my child, and I came to this place       そうして子どもたちと僕はこの場所にやってきた
To meet him eye to eye and face to face        彼に会って、目と目を交わし、顔と顔を合わせた
He made my daughter laugh, then we embraced  彼は僕の娘を笑わせて、僕らは抱き合った
We never knew what friends we had           ぼくらは友情というものを知らなかったのだ
Until we came to Leningrad                  レニングラードに来るまでは

もう15年ほど前になる職場の先輩と淡路町の交差点でバッタリ出会って、久しぶりに飲みに行こうということになった。
いつまでも若いと言われてよろこんでいるようではアマいのだ。
いろんな経験を経て「自我」が形成されていくのだが、エゴイズムのまま突き進むのではなく、
ヒューマニズムという相矛盾するものに照らすことをしてこそ反射を繰り返して深みが出てくる、
そのようになりたいものだ。

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ノベリスト ~ 物語を登るひと

2011年11月06日 | 心の筋力トレーニングを続けよう

小説というコトバがよくないのかもしれない。
小さな論説、みたいな謙虚さが時として、ちまちまして小賢しいイメージになる。

世界が物理と物語で成り立っていて、私たちが新しい物語を必要としているのであれば、
それを探しにいくスピリットのようなものを持ったほうがよい、と思う。
Novel、ノベリスト、というと、なんだか登山家のようで勇ましいイメージになるではないか。
世界は「物理」と「物語」で成り立っている
wordingは、ゴルフに限らず、大切だ。

ディアローグ
平野 啓一郎
講談社

「思考の究極としての小説」、おもしろい言説だ。

平野啓一郎氏と日野啓三氏の対談が示唆に富んでいた。

小説をあまり読んでこなかった私が、なぜに今さらになって、そこにキラめく何かを感じるのか、
うまく説明してくれたような気がして、胸のつかえがとれたようで、すっとした。

「小説というのは酒と女だ」「女を描けなければ小説じゃない」とか、イヤになるほど言われたけど、そんなだったら楽ですよ。
確かに一つ一つの領域と一定のレベルに限って、
しかもそれ以上のことを予感しないで書くと、書きやすいし、りっぱな結論が出ます。
そういう結論はわかりやすい。
けれども少し横のものと一緒に考えたら、すぐに矛盾が出てくるんです。
論文やエッセイは結論らしきものをつけないと格好悪いでしょう。
小説というのは、人類の発明した最も新しい、とても柔軟で豊かで便利な思考の方法だと思います。
いろんなことを重層的に書ける。
実はわれわれは小説というすごいものにまだ慣れていなくて、使いこなせていないんです。
世界の全体を見て、さらに意識のメタ次元でも見て、
意識のメタレベルのロジックを考えて、メタレベルの知覚を創り出して、
欲しいということです。

「新しいところから古くなっていく」。

ぼくらは戦後ずっと、勇ましいスローガン的評論、スローガン的小説をあれこれ読まされてきたけど、そのときはカッコよく、一元的に正しい、とされてきたものが、どんどん時間の中で相対化されていった。
逆に濃いリアリティを持った、割り切れないもののほうが残っているんです。
新しそうなものほど古くなる。新しいところから古くなっていく。
そのときそのときの時代現象に添い寝するだけのものは、すぐに古くなってしまいます。
もちろん、小説は詩とは違うから、具体的な個物、日常の現象に即さなくては書けないけれど、言葉を持って以後のわれわれ、ホモ・サピエンスの最も根源的で簡単には解決されない矛盾の悲しみを描かなければならない。
たとえ個人的な経験から発していても、普遍的なレベルまできちんと象徴化されているからトーマス・マンが好きなんです。
少しも普遍化されないまま、個人的な問題を文字として提示されても、ぼくならそんなものは見せたくない。

日常的個人的経験を直接題材にしなくても「私」を表現できる作品をつくることですよ。
私小説を擁護する人達は私小説でないものには「作者の血のにじむ自己がない」と言いますが、結局それは自我がないことへのコンプレックスの裏返しじゃないですか。
強烈な自我を持った人は、かえってそういうものを露にしない方向を目指したくなるように思います。
現代アートなどには、奔放な表現がたくさんありますけれど、
フォルムに対する感覚をかなぐり捨てて、自分の中のものを垂れ流すと、逆に薄まってしまいますね。
意識の上で枠がないと、表現が弱くなると思います。
キレた状態で瞬間的に暴発しただけで全的な解放になるほど人間存在は単純ではないですよ。
自分を本当に生かしたい、自分自身を本当に感じたい、というのは、
手続きや自己訓練や時間をかけなければとてもできないことです。

意識を深めてより高いレベルを目指していくわれわれの生きる意味を
小説によって考え、シミュレーションしなければならないと思います。
小説でしかうまく表現できない問題を抱え込んでしまった作家は孤独であっても、ある種の人々にはわかるんです。
どこかの誰かが「なんだ同じようなことを考えていたのか」と、いつか言ってくれるであろうものを書けばいいわけです

職業としての小説家でなくても、矛盾や哀しみを感じ、解決するための物語を探して、物語る人になりたいと思う。
老いてゆくにせよ、がんばらないといけない。
時々のあいだみつおはいいけれど、がんばらなくてもいいんだよ、がいつも正解ではないはずだ。
そのようなひとを目指していれば、老いてもなかなかに愉しそうな気がする。

~詩人とは必ずしも詩を書く人とは限らない。別に何をやっていてもかまわない。詩を書かなくてもよい。
「詩人」という生き方

「何のために書くのですか、ということの答え」

僕はこれだけ生きてきて、おそらく何万回と夕陽を見ているはずです。
ところが小説で夕陽を書くとき、そのうちの三回か四回、本当に夕陽そのものに出会ったと思った、その魂の経験としての夕陽しか書いていない。女性を書くときもそうでしょう。
そういう体験は自分で探してもできるものではない「恩寵」のようなもの。
読む者の心を深く打つのは、そういう経験なんです。
書く前に考えていなかったことが、書いている途中で一種の霊的体験(インスピレーション)として出てきたらそれはいいものになるのであって、「この小説で何を書いたのか」って質問は無意味ですよ。
書く前に思っていたことしか書いていないものなんて読む必要もない。
エリアーデは「妖精たちの夜」を書き終わったあとに、その小説に含まれている意味を理解して愕然とした、というようなことを書いています。
何のために書くのですか、ということの答えがそれです。世のため人のやめだったら、もっと役に立つことがたくさんあるもの。
書き終わっても気がつかなくて、人から言われてはじめてわかることもあるでしょう。
作者自身でさえも気がつかないことを読み手のほうが作品そのものから読み取ってくれるということがある。

小説や物語には、どこか「つくりもの」のニュアンスがあって、そこを軽んじて、ファンタジーだと片づけてしまいがちだ。
  しかし、現実世界で「恩寵」のような体験を、わたしが一体いくつ持てますか。
そのようなアテにできない貧困な材料を元手にして、どのようにしたら豊かな精神を持てるのか、
に思いを至すと、大事なことは現実ばかりではないようにも思えてくる。 
物語を軽んじてはいけないわけである。

バッハのマタイ受難曲。カメラワークが凄い。
憑依に取りつかれたかのように、目に見えない何かを必死につかもうとしている人々がいる。
人類の宝のように崇められている作品に思えるが、バッハの死後100年経ってから、
あのメンデルスゾーンが復活上演して再評価されるまで忘れ去られていたものらしい。復活上演時の評判も芳しくはなかったという。
目にみえないレベルのもの、意識のメタレベルのものは、なかなかに評価することは難しいのだと思うが、分かること、感じることならできそうだ。 
さらに、メタレベルのロジックを考えて、逆に知覚をつくりだして欲しいと言われても、むずかしい。
目には見えないが、登ろうとしなければきっと登れないところなのだと思う。

Bach: Erbarme dich, mein Gott (Matth醇Buspassion) - Galou (Roth)

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幸せをノックするための輪郭を整えにいこう

2011年11月05日 | 日記

ラヴェルのボレロみたいに淡々と同じリズムが繰り返されるのだが、このマッシュ・アップ版、気に入った。

途中交代みたいな感じで入ったプロジェクトの課題を洗いだしたら、オンスケだったはずが実は課題山積み。
休日出勤して工程表を作って毎週定例の事務局会で説明した。

あるら~、へっ? (・・? 

早く秩序を取り戻すことが必要だ。
疲れも残っているが、こういうときこそトレーニングに行って、増大している無秩序な状態の
エントロピーを整えるのだ。

ぼけた感じの輪郭をシャキッとさせて、身心の輪郭を保つために。( 輪郭を保つためのトレーニングを技化する )

幸せのノックを叩いて、みんなも入れてあげよう、、
私にとってのチータのなんとかマーチ(幸せは歩いてこない、だから歩いてゆくんだよ、ってやつ。)みたいなものだ。
エンディングでテンポ・アップして、かけこみセーフ、めでたし。めでたし。

PAUL McCARTNEY & WINGS 「Let 'Em In (alternative mix)」

 テンポアップするためには、地道に輪郭を整えておくことが大切なのだ。

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[2011年11月 21センチュリークラブ 富岡ゴルフコース]

2011年11月01日 | ゴルフィーライフ[ラウンド編]

いいコースでした。群馬サファリパークに面したコース。少し遠いがまた来たい。
平日のせいもあるのか、前後の組もほぼ見かけなかった。

レストランからの眺め、携帯の写真でうまく伝わらないかもしれませんが、
エメラルドグリーンの水辺と、採光が秋に映えてキレイ。
最近はゴルフ場のレストランも美味しいところが増えてきた。
名物とのことなので、ステーキカレーを食べたが、ステーキが柔らかくてうまいので、
カレーはもったいないけど要らないくらい。
19番ホールはなかったが、人も少なくて風雅なひとときを過ごせました。<(_ _)>

ゴルフの内容はおいといて、秋晴れの群馬県富岡のパノラマを。

フックはおさまりましたが、グリーン廻りの粗さが目立つ。

グリーン手前まではチャンスはあったのに、ずるずる。
片や3連続パー発進のアニカ、に対し、グリーンが近づくとぽろぽろしながら、またもリズムに乗っていけぬ展開。
やっとParが来たのは前半最終手前、201YのPar3 。(3番アイアンでピン横につけたらアプ不要だもんね。)
何度か自慢げに書いているが、
長いpar3が好きなのだ。短いと皆乗せてくるが、200Y をアイアンで狙える輩はそう多くない。
私の場合、距離がのこっているほうがアドバンテージを感じる。
150Y は7番で、6番/160Y 、5番/170Y、4番/180Y、と飛距離に階段ができていて、
決して150Y を何番で打った、とかいう番手話には興味がない。
(アイアンはモノによって、ロフトの立ち方が違ったりする。それではまるでロンドン・ブーツではないか。)
最近はティーアップでしか使わないが、
3番に限っては、刃を入れる位置やスイングテンポやスピードを変えることで190-210Yならピンを狙う気持ちが持てる。
220Y あっても手前から攻めてもいいケースなら3番を持つ。
引っかける心配も少なくなるから、シンプルだし。

バーディパット外してパー。距離は3m程度だったが、ラインが微妙、これは仕方ない。
でも、3mくらいのパットをイメージ通り決めるシーンもあった。

後半は、Par5でしかPar がとれなかった。
しかし、46でなんとか100叩きせずにおさまった。
フック病で増長した感のある、緊張感に欠けるゲーム運びが顔を出すものの、
ショットはそこそこコントロールできていた。
7番ホールでの残り170Yの5番ショットもほぼカンペキ、イメージ通りの弾道でグリーンを捉えた。

 

Outコース最終9番がここの名物ホール。
群馬サファリパークのライオンが見える。
これまた、携帯の写真なのでわかりづらいが、右下写真中央にはライオンの姿が。

 

そして、ゴルファーを阻むのは、ちょうど230YのFw正面に高くそびえる岩。
左は傾斜があって谷、フックは厳禁だ。
決して広くはないが右サイド超えあたりに落としどころは限られる。

   

フック防止のハンドアップで、フェード気味のストレートで岩の右側向こうに思った球が打てた。
こんなにウデがいいのに、なんでこんなスコアなのだ。 ヘ?(・・?

しかし、残り150Y弱、左の池を避けて、これまた思い通りのショットだったが、G右奥のバンカーにつかまって、
3パットしてダボでのホールアウトとなった。 ← やっぱりウデがわるい。

こんなであっても、いいことしか思い出さないようにする。
それが、フローな人間のすることだ。

これはゴルフ場のモニュメントではないが、「希望」。
丹田にチカラを感じる、いい姿勢だ。がんばれよ。

コメント (2)
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