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ゴルフィーライフ(New) ~ 龍と共にあれ

目指すはスクラップ・ブックか、はたまたビジョン・ボードか。
隠れ家CLUBゴルフィーにようこそ♪

クリーブランドのウェッジ

2011年02月28日 | ゴルフィーライフ

近頃、PWを使った転がしのアプローチがことごとくオーバーする傾向にある。
かといって、今使用しているキャロウェイのXウェッジの50°で転がしアプをすると
今ひとつ転がりが足りずショート気味になってしまってチップインのイメージが湧いてこない。

100Yショットもガツンと打っているイメージがあって、もっと柔らかいイメージで打てないものかと思っていた。

こないだ友人に試し打ちさせてもらったクリーブランドのウェッジ(CG14)、
握った瞬間にしっくり感があって、包み込むような柔らかな安心感があって惚れこんでしまった。

スコアを作るのがショートゲームなら、
せっかくモニターで当たったホワイトドライバーのアドバンテージを活かすショートゲーム作りが喫緊の課題である。

で、品薄でなかなか見つからなかった48°をネットで見つけたので即買いしてしまいました。
ニューモデルのCG16が出たばかりなので値段も手ごろ。
AWにしてはロフトが立っていますが、
選んだ理由はキャリーとランが1:1になるような球足の長い転がしのアプローチにも一本で対応したいのと、
短いアプローチから100Y超までの距離まですべて打てる、頼れる1本にしたいとの思いから。
パッティングが良くなったので、あとはショートゲームのエースが必要なのだ。

クロムもよかったが、48°が良かったらSWをクロムにしたいので、頼りの一本はブラックパールにした。
他の鉄と違った色合いの一本がグリーンに近づくほど精悍になっていくイメージを盛り上げる。
( クロムのSWを買い足した時にも違いが一目で分かって便利だし。)

さすがクリーブランド、名器の雰囲気がある。
ソールのトゥ側をプロの要望に答えて削ったというSグラインド・ソールが開いたショットをしっかりサポートする。
バンス幅にまで細やかなこだわりがあって、
Sグラインドソールにした結果、ソールが一定の幅になっていて、フェースを開いて打つ時の性能がアップする。
ソールの幅が極端に広いのがチッパーだが、幅が広いと地面からの抵抗も大きくなって抜けの良さが変わってくる。

これは、使いごなし甲斐のある一本になりそうだ。

 このオフは、クラブセッティングが強化できた。あとはもう腕の問題だ。

 欲張らずに少しずつ、やわらかく、調子をあげていこう。4月頃をピークで迎えられれば良い。

Cleveland Golf CG15 wedges - Features and Benefits - Buy Today

( ↓ )豊富なバリエーションはクリーブランドならでは。
    ウェッジのシャフトは重い方が軌道が安定するというが、
    ガツンというイメージを避け、柔らいイメージを持ちたいこともあって、アイアンと同じNS PROにした。

   

  

   さて、ここからは、SWのネタ仕込みである。(頼れる一本を育ててからにしようと思う。)
   56°からはローバンスとスタンダードバンスが選べる。
     (バンスってのは、ソール後方からリーディングエッジにかけてのソールの傾斜角。)
   トップしてホームランするのが最悪なので、
   わたし程度の技量なら、明らかにスタンダードのバンスのほうが良いだろうと思う。
   ハイバンスのほうが多少手前から入っても芝を滑ってミートが安定する。
   ハイバンスはロフトが立って距離が出やすい、というのも距離の有るバンカーで寄せワンが狙えそうだ。
   ローバンスは地面の跳ね返りが弱いが砂を薄く取る技術が必要で、整備の行き届いたコースでレベルブローに打たないと良さが生かせないという。
   バンスがあるのが、そもそもウェッジの特徴だもんね。

  ( ↓ )ネット上の評価も上々。コントロール抜群だって。

評価   5.00

投稿日:2011年02月23日

以前CG15の56-10を購入してとても良かったので、アイアンセットのAWの変わりに50-10を今回購入しました。使い練れると操作性がよく、ほぼ思い通りのアプローチが出来ます。バックスピン程ではないですが、グリーンで良く止まります。なかなか50-10が無くてやっと探しました(価格が高い所ほど残ってる)。 

評価   5.00

投稿日:2011年01月02日

 クリーブランド ウェッジ

50度バンス10度を購入しましたが、寄せは方向が出て、スピンの効いたボールがふわっと上がり気持ち良いです。これまでXXIOのアプローチを使ってましたが、アイアンを更新したので、これにしました。価格は手頃ですが、想像以上でした。 

評価   4.00

投稿日:2010年12月15日

 100ヤード飛んで止まるウェッジ

【デザイン】【構えやすさ】いいです。【打感】ややソフト。【コントロール】抜群。【弾道】高め。【スピン】これも抜群。ただしフルショット時のみ。【その他】48°はかなり品薄でした。 

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お祝い

2011年02月28日 | 日記

灯を求め、道に迷ったわたしであったが、

あたたかい暖炉を見つけた。

水晶婚式の記念日から1年、うえの子のねぎらいを兼ねて、
16回目のアニバーサリーを近くのお気に入りのイタリアン・レストランで祝う。
したの子も小学校を卒業するし、みんなめでたしだ。

(ようやくケータイを持てるようになったうえの子の初メールを頂戴した。← 女の子でなくてよかったな、ヨメに行かせてもらえないぞ。)

この日もなぜか千葉や神戸ナンバーの車まで。
林に囲まれた隠れ家のような目立たないレストランなのに、いつも客がいっぱい。

( ↓ ) ケーキサクレみたいなやつ、旨かった。
    店の横に畑があって、ハーブが効いてるのと、岩塩の味がすごく合ってる。
 

ハーブ園からの木漏れ日が気持ちいい。

 メニューはこんな風に黒板書き、名前だけではよく分からないのも多い。

この日は、カレイのポアレー・タプナードソース、黒毛和牛のタリアータ・バルサミコ、ボルタルガのリゾットなどを。
(残念ながら、食事に集中したかったので写真は取らずじまい。)

そう、ここのリゾット旨いのですよ。ボルタルガ、ってカラスミのことだった。まったく分からなかった。(-_-メ)
したの子はたいそう気に入ったようで黙々と食べていた。

リゾットといえば、昔行った山中湖のキャンディ・コモも旨かったなぁ、と話しておりました。
覚えてないだろ、圏央道使ったら、近いからまた行こう。

 夜はこれ、どや、まぐろ好きのおにいちゃん。

 さすが関西人、ねぎらずにはいられない。1500円也。(褒められた)

しかし、見事な上げ底、まいったわ。
でも皮つきインドマグロ、味はしっかりしてるで。手巻きというか、うちニギリで食す。

( ↓ ) あんまり関係ないけど、アメ横風でおめでたい。市場のしあわせ。 

Ob-La-Di, Ob-La-Da by the Beatles w/ lyrics

 

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夢の桃源郷 ~ The long and winding road

2011年02月27日 | 日記

桃源郷であった話をしよう。

昨年は宴のあとのように桃の花びらが地面に咲き散らかっていた。

今年の春は可憐な桃の色に誘われて小路を分け入ると、

そこは見事な桃源郷

蕾のようにはずかしげで、

控え目でうつむき加減なのに眩いばかりに光り輝いていた。

うなじの綺麗なひとだった。

青が似合う女だった。
  

春空に舞う君。

春爛漫の桃のうたげは賑やかで、

 

ひとつ処に三つも咲くほどの春のなか、

いつしか君を見失ってしまった。
 

もう一度 あのほんのりした灯で暖めてはくれないか。

Long and Winding Road 訳詞付

 

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シューマッハの仏教経済学

2011年02月27日 | お気に入り♪(クラシック)

 シューマッハーを続けよう。

現代経済学に対して「仏教経済学」というと、なんだそれ?って向きもあろうと思うが
仲間の経済学者たちが彼を変わり者と呼ぶと、
「変わり者のどこが悪いのだろうか。
 変わり者とは革命を起こす機械の部品で、それはとても小さい。
 私はその小さな革命家だ。それは褒め言葉なのだ」とシューマッハは応じたそうだ。

なんで今さら70年代の本なのだ、と思われるかもしれないが、
前文にあるように、シューマッハのような人間を、
彼らが生きた時代状況に固定してしまうのはどうかと思う。

彼らのような人間は、新たな現象が起これば、新たな解決法を発見して、
「この瞬間に生きる」術を実践し、他人にもそうするよう励ましただろう。

シューマッハーは、自分に合った持続可能な「中道」を発見するようにすすめた。
未来を資本やエネルギー多消費型の技術にあずけるのではなく、
民衆の力と自分自身の精神と肉体の創造力に頼るよう呼びかけた。
このメッセージは今日依然としてもっとも幅を利かせている経済政策への挑戦だ。

『 持続可能性 』という考え方は大切だと思った。
シューマッハは、市場型の消費社会の未来と価値に疑問を投げかける。
少なくとも、日本経済は右肩上がりの経済成長から過渡期に入っていると思われるし、
日本の大手企業が将来の海外分野(もちろん中国やインド、といった新興国でのビジネスを指すのであろう)に向けた採用を増やすとのニュースも伝わってくる。
子を持つ親としては気がかりなこと。
私が東京、関東で住まうことなど考えもしていなかったように、
自分の子供たちが就職する頃にはアジア圏が赴任地というのが当たり前になっているかもしれない。

現代経済は、永続的な財産を徹底して過小評価しているとシューマッハは指摘する。
同時に、束の間の財が、まるで永遠の用に供し、いつまでも続くものであるかのように洗練され、贅沢に製造されてもいる。

生産の量と一人当たりの所得が同じ2つの社会があるとする。
1つの社会は「束の間の財」が豊富にあるが、「永遠の財」は乏しく、
不潔で醜悪な不健康な環境の中で、飲み、喰い、娯楽にふける。
もう1つの社会は、「束の間の財」は質素だが、「永遠の財」に恵まれており、
豊かな雰囲気の中で、少量で簡素な消費が行なわれる。
2つとも単に量的な接近法では経済的には同様な社会であり、どちらがよいか、という問いは出ない。

経済計算がところかまわず行なわれているが、実際のところはこんなものなのか、である。
シューマッハの推測では(たぶん誰もが同じような感想を持つと思うが)、
産業革命以前の社会の多くは、「永遠の財」(すぐに使い切られるモノではなく、長きにわたって役立つことが想定されているもの―文化的財産や設備、教育)に重点を置くことで素晴らしい文化を創造することができた。
現代世界の文化遺産の多くはこうした社会に由来している。

ローマのように大都市が成長の限界までいった例が歴史上数多くあったが、
成長をおしとどめたものは食料の供給。
巨大化した都市は周囲に食料の供給を頼って生きており、距離が遠くなりすぎて輸送が対応できなくなり、それがボトルネックとなった。
近代社会は19世紀になって石炭、石油を開発して、この壁を突破したが、
稠密度の高い生活形態は燃料の多消費によってしか維持できなくなってしまった。
そして今や世界の豊かな社会が追求しているのは、経済代謝を高めてGDPを増やすことである。
燃料不足や物資不足で一層の成長ができなくなったり、経済活動を一とすほかなくなったら、
貧窮が待っていると恐れられている。

しかし、すべてこれらは経済代謝率を生活水準と同等とする混乱した考えに起因する。
生活水準は本当に、財やサービスを壊したり使い尽くす率によって決まるようなものなのだろうか。

そもそも、工業社会にとって理想的な構造が、
当たり前のことだがさまざまな場面で理想的な構造であるわけがない。

しかし、人を管理するより機械を管理する方が常に楽であるから、
経済計算は常に小規模よりは大規模なプロジェクトを優先し、規模の経済を重視する。
組織は肥大化し、手に負えなくなった「不経済」なものは、感傷や現実感覚の乏しさとして排除され、個人は数に還元される。

そのようなシステムが人類の到達点であろうはずがない。

シューマッハが提唱するのは「適正規模」、「中道」である。
「中道」は物的なものも、富も敵視しない。それに執着することを諌める。
大規模なものが全て悪いというわけではなく、大規模が悪魔の仕業とされるならば、反対意見を推してバランスをとらなければならないとも言っている。
量的な扱い方は一定の力を持っており、それは誤りではないが、異質で大事なこととのバランスをとることが前提条件だと言っているのだ。 

スモール イズ ビューティフル再論 (講談社学術文庫)
F・エルンスト・シューマッハー
講談社

ブラームスのような風貌の方である。
ベートーベンの10番シンフォニーとも称されたブラームスの1番シンフォニー。
たしかにベートーベンの9番、歓喜の歌の続編のような第4楽章。
Brahms Symphony No1-4mov(5/5) Bernard Haitink-S.K.Dresden

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Jem - It's Amazing / 7days

2011年02月26日 | お気に入り♪(マイナーなラジオ局編)

サビのバックでうごめくようなエオリア旋法的音階というのか、陰影のある雰囲気がいい。
Theyにあった"I'm sorry, So sorry, It's like this."
沁みるような何かがあったので、J.E.Mをもう一曲。

Jem - It's Amazing (lyrics included)

バックのサウンドに耳が惹きつけられるということはよくある。

これもそうだった。
結晶が音になって空間に漂っているような。

Craig David - 7 Days

 

 

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サクラ咲く ~ 白い春

2011年02月25日 | 日記

球春の訪れに先がけて桜咲く。

理数科は1クラスの募集だけで2.6倍の狭き門なのに、よく突破したぞ。

(オレも何と35倍の倍率を突破したのだぞ、ほら。)

今日は、積み上げてきた仕事が白くまっさらになってしまうような、大変な出来事があったのだが、
良い知らせがメールで届いたのが救いになった。

まっさらからまた始めたらよいではないか。
プロのスポーツ選手だって毎年、0勝、0安打からスタートするのだ。

とりあえず間に合わせの手土産持参で。

ほんとはバナナのような香りのする銀河高原ビールが、こいつに限ってはよく合う。

赤飯とは、これまためでたい。

茶碗蒸しならぬ、山芋蒸し。なかなかのニューアイデアだ。

しかし、こちらは祝ってばかりもいられない。

自分の力でコントロールできないことに思い煩うのはバカバカしいからやめよう。

おそらく銀行出身=財務会計、IT=システム、みたいなところで召集令状を受けたプロジェクトであったが、
突然の終戦とあいなった。

( ↓ ) 最後の砦としての硫黄島。しかし終戦記念日を迎えた。

Letters From Iwo Jima, new theater trailer 硫黄島からの手紙 新予告編

 大義や場の空気によって世の中は動いていくのだが、
 忠義や感情を排してはいけない。
 ドラッカー本が並んでいる中、今さらながらこの本を読んで、そのようなことを考えた。

スモール イズ ビューティフル再論 (講談社学術文庫)
F・エルンスト・シューマッハー
講談社
 

~ われわれが心配するのは、今の生産システムがその構成部分の多くにおいて、
  人間の創意を失わせ、頭脳をむしばむ性質のものであり、
  しかもこの被害を例外的に少数の人に及ぼすのではなく、
  何百万人に日常のこととして被害を与えているという事実である。
  男であれ女であれ、なぜ金銭的報酬ゆえにそれを許し、受け入れているのかはまったく別個の問題である。
  仕事が人間の生において中心的な役割をもつことを考えれば、
  本来なすべきことは、労働者をして仕事の要請に人間を適応させるのではなく、
  仕事を労働者の必要に適応させることであり、そこに言及がないとはどういうことであろうか。
  歪んだ仕事は歪んだ社会しか生まない。
  彼らは個人として気配りができるか、個人として配慮されているだろうか。
  巨大さによる合理化に毒された社会の中で条件づけられた我々は、
  もっとずっと小さい単位を念頭におく思考に慣れていくべきである。  

~ 「生きる術とは常に悪いことから善いことを生み出すことである。
   これによって一歩進んで世界を新たな光の下に見ることができる。」

コメント (4)
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[幻であってほしい]2011年開幕ラウンド

2011年02月20日 | ゴルフィーライフ[ラウンド編]

ゴルフィー、開幕から大不振。
マスカラス師匠との不仲説も。

( ↓ )不本意なラウンドに、控室で肩を落とすゴルフィー選手。

2011年開幕ラウンドが、ロイヤルカントリークラブ(宇都宮)で2月20日行われ、
Taylormadeのニュードライバーを二本ひっさげて会場入りしたゴルフィー選手。
2/11のラウンドが雪のため1週間延期となったものの、調整不足の感が否めず、不安を抱えながらのラウンドとなった。
早々に会場入りしたゴルフィー選手は1月半ばから調整中のTaylormade社のSuperfast Driver(ロフト10.5°)とあわせ、
前夜同社とのモニター契約として贈られたSuperfast J2.0を手に練習場へ姿を現した。
なんでも、3Wを抜いて、ドライバー二刀流でいくことをラウンド前夜に決めたという。
ラウンド仲間が見守るなか、30球ほど交互に打ち込みを行なったが、
調子をつかめないままのスタートとなった。

懸念のドライバーはスタート後しばらく10.5°のものを使用していたが、
途中からTaylormade社と契約のある9.5°のものに持ち替えた。

” アイアンがメチャクチャで、スイング自体は本調子ではなかったのに、そこそこ距離も出ていた。" (ゴルフィー)

心配された安定性のほうも引っかけがおさまり、ドライバーでのOBは10.5°で右プッシュした1回だけ。
その後の3打目はきっちりフェアウェイ・センターをヒットしていた。

しかし、課題はショートアイアンにあった。
スッポぬけたような右へのショットやダフリ、チョロ、目を覆わんばかりのプレーが続いた。
相変わらず、アプローチもショート、オーバー、ホームランOB、なんでもアリである。
アゴのあるバンカーからの50ヤードショットをGカラーまで運ぶなど、小技が冴える場面もあったものの、
小技の荒さは相変わらずでスコアが伸びない。

スタート5ホール目、ようやくこの日初めてとなるParを奪取したが、
続く6ホール目、右の木に当たって不運にもボールはFWと逆方向の谷へ。

ボールは泥でぬかるんで、フェースを入れる方向が山のように盛り上がっており、林に取り囲まれた状態。
アンプレヤブル宣言をせずにゴルフィー選手は、あるがままに打ち、脱出に4打を要し、このホール10の大叩き。

続くホールをボギーでこらえて反撃を待ったが、
残り2ホールもショートアイアンとアプローチがぼろぼろで、バンカーや樹木のハザードにことごとくつかまり、
前半のスコアはなんと60.

後半出だし右プッシュ、林、バンカー、OB、とクラブの番手を変える間もない慌ただしいプレーでなんと14をたたくと、
あとはキレた凧のようなゴルフに終始し、62.

本人は、
" グリップを変えてパッティングが安定し、
アイアンがあんなにメチャクチャなのにもかかわらず、あれだけ球がいっていたので、ニュードライバーの今後が楽しみ。"
と強気のコメントも飛びだしたが、
ゴルフにならなかったことは事実。ラウンド後は大きく肩を落としていた。(写真)

" スコアでTaylormade社のドライバーの良さを証明できなかったことは、
  契約選手として残念。"

" ゴルフに気持ちが入っていない。
 わるい時にこそ、粘りを試される。彼はややもするといい加減なゴルフをする。
 去年は悪くても後半尻上がりに巻き返す場面が多かったが、今日はそういう覇気がなかった。
 素ダボを続ける気のないゴルフをしているうえに、ショートアイアンやアプローチが右に抜けてるようでは話にならない。"

マスカラス・コーチからは厳しいコメントもあったが、
結果が伴ってこないがために一部で囁かれている不仲説についてはノーコメント。
ちょうど1年前の2・17にも大叩きをやって7分に及ぶロングインタビューが決行されたが、
今日は足早に控室を後にした。

" はずかしいプレーをした。
  ショートアイアンとアプローチの練習をこの冬サボったのが緩みにつながっているのだと思う。
  アイアンは3番が打ててれば、あとは簡単なので打てるはずだという考え方をあらためたい。"(ゴルフィー)

この男に、本当の球春は訪れるのだろうか。
スコアの組み立てができないヘボゴルファーのままでいつまでいるつもりなのだろうか。
ゴルフ上手くなろうで始まったブログもそろそろ3年目、
今年は真価を問われる年、自覚を促したい。

 

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I'm so sorry ~ イギリスには憲法がない

2011年02月19日 | お気に入り♪(マイナーなラジオ局編)

I'm sorry, So sorry, It's like this.
( ごめんね、とってもごめんね。 こんなもんなの。)
この率直なフィーリングに胸を打たれた。

Jem-They Lyrics

イギリスは非成文憲法やコモン・ロー(判例法)の国で、
あえてルールを決めず、人間の判断を信じるらしい。
そこに「叡知」があるだという。

人工知能を研究した結果、
人間の知性や知能はルールの集合体では書けないことがすでに明らかになったのに、
ルールで社会を運用しようとすると、出来損ないの人工知能みたいなことになってしまうと警鐘を鳴らす。

教養脳を磨く!
茂木 健一郎,林 望
エヌティティ出版

どうでもいいことは規制で決めておけばいい。
人の生き方や国の運営など、根幹にかかわることほど成文で規定できるはずがない。
日本の憲法論議は悪い意味の条文主義になっていて、
ルールを制定しさえすれば国がうまくゆくものではない。

イギリスには有名なナショナル・トラストという自然や文化遺産を保護する民間団体があり、
ナショナル・トラスト法なるものが存在するが、
ナショナル・トラストに寄付もしくは売却された資産は第三者に売却することを得ずということを規定した法律であって、
ナショナル・トラストを規制する法律ではない。

関係者の人には申し訳ないですが、
NPO法人になって、やっている事業が官庁に認められたとか言ってるけど、何のことだか意味がわからない。
お上に認めてもらう、という考え方自体がNPO的ではない。
自然法的なもの、紳士協定みたいな信頼、「トラスト」を重んずることなく、監督官庁が必要だとなる発想。
そうして新たに認可団体ができると、そこが天下り先となってしまう、沙汰の限りとはこのことです。

MBA的手法やツールがもてはやされ、ルールやフレームワークが増えていく。
冷戦後は、軍事技術が民間で利用されるようになり
NASAやペンタゴンで使用されているような技術や管理手法が仕事やゴルフ道具にまで及ぶ。

日常の生活でそんなことをいちいち気にもしていないと思うが、
区分所有権とか、定期借地権とか、
自然にそぐわない社会インフラやルールは法律に限らずごろごろしている。

そんななかにドップリ浸かって日常生活を送っているのが私である。
なので、時々矯正して、うまくバランスをとったほうがいいと思っている。
人間本来の、野生の感性や、理屈抜きの理性や感情、インスピレーションを侮ってはいけないと思う。
なんとなくヘンだぞ、はきっと正しい。
フラットでいることは存外にむずかしいことなのだ。
ルールも大切だが、その道理をわきまえておくことの方が優先する。

歳の重ね方にも練ってゆくやり方がある。
一歩間違うと、一見正しい人は狭量な人にもなる。
プリンシプルを持つのはよいことだと思うが、絶対視するのはよくない。
プリンシプルに縛られては本末転倒である。

内田樹氏がいいことを言っています。
ピットフォールに気をつけないと。

原則としてことに臨んでは無原則に対応することにしている。
局所的に機能する方法、プリンシプルの汎通性を私たちは過大評価する傾向にある。

若い頃にはなかなか練れた人だったのだが、
中年過ぎになって、どんどん狭量になったという事例を私たちは山のように知っている。

「原則的な人」は、ますます努力して、ますます知識や技能を身につけ、ますます禁欲的な自己制御の度合いを強めていく。

そして、知識があり、技能があり、理路整然とした「幼児」が出来上がる。

「原則的に生きる人」は、ある段階までは順調に自己教化に成功するが、ある段階を過ぎると必ず自閉的になる。その理路が本人には分らない。

自分が立てた原則そのものの妥当性を検証する次元があることに思い及ばないことが、
「原則的な人」の陥るピットフォールである。

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白い球春到来

2011年02月19日 | ゴルフィーライフ

白。

白梅が春を告げる。

白。

ようやく届いたテーラーメイドのニュードライバー、Superfast J 2.0。

 

シャフトは前モデルと同じFUBUKI50のSなのだが、打ってみると、さらにシッカリ感がある。

ロフトが9.5°とたったせいか、10.5°の前モデルよりシビアなスイングを要求されるように思えた。
2本交互に打つと、明らかに違った。

こわごわ打つ必要はない。
引っかけが俄然出にくくなった。
まだ慣れていないせいか安定感が出てこないが、自分のベストを引きだしてくれるのは9.5°の方に感じられた。

( ↓ )白いドライバーに敬意を表して、白い服装で初打ちに行った。
   初球はとんでもないスライスだったのでアップしていない。
   スイングを探りながら打ってて、2発目はダフっている。
   しかし9.5°はボールの初速が明らかに違う。
   左手グリップや左手の裏筋から身体の中心へとつながる回路を意識した方が鋭く振れる。
   右手がそのぶん弛緩するので右腕がよりスムースに返っていくイメージで。
   

しかし、スイングのニュアンスをつかむ前に明日の2011年初ラウンドを迎えることになってしまった。

夏ドライバーにするアイデアも頭をよぎったが、待っていられない。
仕方ないので二本持っていこうと思う。
(このような迷いがあるときに良いゴルフは難しい。明日は謙虚にいこう。)


マスカラス兄弟にも似た、編成飛行部隊の趣きだ。
Mascaras Brothers

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燃えよ、白い蛇 //BURN//

2011年02月19日 | お気に入り♪(マイナーなラジオ局編)

ドライバーが早く届かないかなぁ、と思いながらテーマ曲探しをしていた。

ヘビメタはあんまり趣味でなかったのだが、〝 Burner Superfast "ってそのような響きがするではないか。

ここにも余人の追随を許さぬ変人たちがいる。狂気のクラシックにも通じるものがある。

3:30すぎのギターなんか凄いパフォーマンスだ、ホワイトスネーク、白い蛇がBurnする。

Whitesnake - Burn

昇天。。

Led Zeppelin-Stairway to Heaven(天国への階段)

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2月14日はホワイトデーだったのであります

2011年02月18日 | ゴルフィーライフ

テーラーメイドの粋な計らい。
2/14、バレンタインの日にホワイト ドライバー当選のメール。

期待せずに応募してみたら、
先日買ったTaylorMade Superfastドライバーの後継機種、
ニューモデル Superfast 2.0J White driver のモニターに選ばれました。

ナタリー ガルビスも" It's white! " って驚く斬新なデザインがウリ。

テーラーメイド スーパーファスト2.0 ドライバー レビュー

送られてくるのはロフト9.5°のホワイト ドライバー。

ほんとは10.5°でいいんだけど、9.5°にも興味はある。
(昔、8.5°のドライバー買ってすぐに手放したこともあって、10.5°が好み。
 ロフトがあった方がスピンが減少して方向性が安定するだろうし、今では男子でも10.5°使用プロも多い。
 でも、本当に飛距離でるのは9.5°かもしれないし。)

ニュードライバー、ようやくドローンではなくビュッと振れるようになってきた。
2発目は" 残心のゴルフ "にならず、やや開きが早く、フォローも伸びあがってパワーロスする悪いクセが顔を出してますが、
1発目は、左脇がしまり、左手を管理してるので、フォローでの視線の送り方も良くなっている。

うまくタイミングが合うと、弾道が途中からぎゅんと加速して球が伸びるようにさえ見えることがある。

Superfastドライバー正面

(↓)46.25インチと長くなったにもかかわらず、
   以前のNIKE SUMO5000以上に鋭い締まりのあるスイングに進化したように思える。
   これは1年前位のスイング。

 エースの証明は修正能力の高さ。
シャフト長くなったのに、ややもするとフック目に出る。(少し上体で打ちにいってる。)
2発目でフェード気味に打って修正すると、
3発目はほぼストレート(少しドロー気味)。
フックはイヤ、コースではドローは狙わずストレートで勝負したい。

 

うーん、週末の2011年初ラウンド前に届いたら、ドライバー2本持っていって、
数年前のミケルソンのように2刀流でいくか。

 

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いちいち騒ぐなよ/ ニキータのぱぱらっち

2011年02月16日 | お気に入り♪(ビートリー)

ヘイ、ヘイ、なんだって?
Hey hey what do you say
誰かのせいでプランが狂ったって?
Someone took your plans away
いちいち騒ぐなよ
So what's all the fuss
俺たちみたいにイカしたスパイはいないぜぇ~
There ain't nobody that spies like us

Paul McCartney - Spies Like Us


世の中が世知辛くなってきたら
Oh when things get tough
俺たちみたいなやつらの出番だぜぃ
Guys like us act rough

なんだか白髪ふえてきたなぁ、と思ったら元気なポールを見て勇気100倍。

ケンブリッジでは、立派なスーツを着て歩いていると、
「ああ、普通の人だ」と思われるそうだ。

十年も着てるような穴の開いたセーターをまとい、今にも壊れそうな自転車をギーコギーコ漕いでいると、
「あの人は大学者に違いない」と人々がさっと道を空けてくれるらしい。

ポールもときどきスタァとは思えないようなセーターやシャツを着ていて、いかにもイギリス風で良しだと思う。

ケンブリッジでは他の人と一緒では相手にされない。
少しでも異なることがあると、アクセルを目一杯ふんでその違いを拡大することを奨励される。
しかも、少々の変わり者ぶりでは、たいして認めてくれない。
余人の追随を許さないような狂気の世界に至ってはじめて一人前の「変人」なのである。
                                 ( 「教養脳を磨く(林望、茂木健一郎)」より)

ほんとかどうか分からないけど、痛快な話に思えたので記しておきました。

こういう気質の土壌が影響してるのか、
イギリスにはときどきバカバカしい感じのPVがある。

Spiesと同じころに流行ったエルトン ジョンのニキータ( 同名の映画とは関係が無い)、
ペレストロイカ時代のソビエト軍の女の子にイカれてパパラッチおじさんを演ってるエルトン。
曲はいいのだが、明らかに変人だ。
雪のソビエト軍基地で、真っ赤なジャガーのオープンカーにパナマ帽、手には銃でなくてカメラ。
Hey, Nikita , is it cold? って、、寒いのはあなたのほうですよ~。
余人の追随を許さない変人ぶりだ。

I 'll never know how good it feels to hold you …

おっ、だが、" 唇に触れもせず 別れたひと何処 "と歌った小林旭の「熱き心に」みたいなおじさんのロマンを感じるではないか。

こら、おっさん、ハートマークを書いてる場合か。感電死するぞ。

しかし、この余人の追随を許さぬ思い込みこそがロマンを生むのではないか。
おおいなる勘違いは、人に迷惑をかけない範囲なら むしろ奨励すべきことなのではないか。
そのほうが 、きっと愉快だ。
 Elton John Nikita

 

 

 

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休まないスピリット~ thank you、baby

2011年02月13日 | お気に入り♪(フォト×音楽)

トキワマンサクの黄花は紐かブラシのような独特の形をしているのだが、
落葉樹なのに、ユズリハのように前年の枯葉をまとっていることに気がついた。

新葉が出てきて成長するまで古い葉は落ちずにいてあとを譲るから、ゆずりは。

マンサクは、早春にまず咲く(まんず咲く)から、マンサクという説も。
マントをなびかせて咲くからマンサクではない。

ブランケットをまとった風に見える。仲の良いてるてる坊主みたいだ。

夕日が沈んだら暖かい眠りにつくのだろうか。

 

ほのぼのした写真になったので癒される曲をつけました。

My spirit won't let me rest till then, It's a lonely longing,
魂がわたしを休ませてはくれないのである。

 

国木田独歩は、郊外という都市のはずれにいて、
武蔵野の雑木林の美しさ、それまで誰も目にとめなかった風景の美しさを発見した。

風景とは、はじめからそこに存在しているわけではなく、
それを見るもののまなざしによって風景として立ち上がる。

ヨーロッパにあっても風景は近代になって発見された。
18世紀にジャン ジャック ルソーが「新エロイーズ」のなかで、
それまでは恐怖の対象でしかなかったアルプスの山々を美しいと感じ、
個人の内面性と結びついた風景として描き出したのが風景の発見のはじまりとなった。 
それはちょうど農村の田園風景が、
そこで働く農民にとっては生活の一部として当たり前にしか意識されていないのに、
外部から来たものが特別な風景として意識することと同じである。

人が風景を見出すと、こんどは風景のほうが人に働きかけてくる。

「 山は、人が目にしていると思っているままの姿で存在しているわけではない。
 目にしているのは、情熱や才能や詩的霊感によって創造された山である。」

( 「言葉のなかに風景が立ち上がる / 川本三郎」より)

 

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武士の一分(いちぶん)

2011年02月12日 | 心の筋力トレーニングを続けよう

 

藤沢周平作品が2009年に映画化された時のもののようですが、気に入りましたこの写真。

「 武 」、なじみ深い字ですが、よく見ると中にあるのは、" 残心 " にも通ずる「止」という字。

頭に浮かぶ諸々の雑念を一旦意識に上げてみる「止観」の考え方、
そして身体の一部を止めることによる発力機構、勁(けい)のエネルギー。
心に意識を向けて、意識のクオリアを磨き、
本来の輪郭を探りながら肌理を細かくしていくこと。
マイナスの感情が湧くときにも一旦受け止めてから、
プラスに変えて、変性させて潜在意識の海へ戻してやる。
頭に浮かぶ感情の粒を一旦止めて眺めてみてから自分の中で吟味して揺るがせる。

と、いうようなことを考えていたら、いみじくも同じ箇所に言い及んでいる本に出会いました。

武道とは「戈(ほこ)を止める(とどめる)道」と書きます。
つまり、いかに相手と争わないかが目的です。
争わないとは、争いから逃げることではありません。
自分の中に争う心を起こさないようにすること、
そして、相手に争う心を起こさせないことです。

表面的なプラス思考は顕在意識だけをプラスにしようとする。
潜在意識がマイナスであるのもかかわらず、顕在意識だけをプラスにすることは明らかに無理がある。
無理を続ければ疲れるのは当然。
本当のプラス思考とは、常に変化しているのが当然である自分の感じ方に心を向けて、
顕在意識の源になっている潜在意識をプラスに変えていく習慣を持つこと。

マイナスな観念がよぎった時に、「フッ」と息を吹く。
" 息を吹くことで、マイナスの観念がプラスの観念に変わって心に収まった。
 これでプラスになった。"
と自分の中で決めてしまう。
日頃からそういう回路を自分の中に作ってしまう。

まさしく、Face the Strength。 

心を静める―大事な場面で実力を120%発揮する方法
藤平 信一
幻冬舎

このブログの副題も、Face the Strength、という意識への気持ちの向け方を表現したものでして、
立ち昇る感情を意識に上げてコントロールしていく術理の習慣化は大切なテーマ。 
潜在意識を変えるには、一つ一つのことを心身一如の状態で、意識に深く入れて、繰り返し行なうことが大事。
心身分離では効果がない。
言葉を発する、ブログを書く、という行為は自分の輪郭を確認し、
潜在意識をプラスに保つ習慣としても優れていると思う。

書かなければ見過ごしてしまうようなことを意識化するために
「出来たことノート」をつける習慣を持つことを著者の藤平信一(とうへいしんいち)氏は提案する。

舞台に立つ役者や音楽家にも指導を行なっている、という心身統一合気道会を主宰する氏の、
心を静め、感性を磨き、感受性を豊かにするメソッド。
藤平信一氏のブログ。

さて、併行して読んでいたのが甲野善紀氏の本。
本当に武士が、刀が、人斬りがあった時代の数々の逸話をまじえて語られる。
手裏剣術の世界で" 離れの至極 "と呼ばれるのは、
手裏剣を投げ打った時には、離れているはずの、
投げ打った時空とその先にある標的の時空が一致したように感じられるという境地。

なんだか北斗の拳の" おまえは既に死んでいる。"みたいだが、
そういった感覚が生死と隣り合った世界に向き合っていると研ぎ澄まされてくるのかもしれない。

武術の創造力―技と術理から道具まで
甲野 善紀,多田 容子
PHP研究所

私も平和ぼけした日本人の一人にすぎませんが、
"生命のかかった場でも冷静でいられる身体"とはどのようなものなのでしょう。

 「勇気を出して克服しろ」などと言うが、
身体を練ることではっきりと心の反応が消せるという事実はあまり知られていません。

近代の人物でも、肥田式強健術の創始者 肥田春充(ひだはるみち)翁などは、
長年にわたる正中心、つまり下丹田の鍛錬により、
恐怖を感じようとしても、横隔膜が自動的に押し下がって心臓を圧迫しないから、
恐怖を感じようととしても感じられないと述懐しています。

動きの質の変わるような稽古、作動のメカニズムを創り上げていけば、
泰平の時代でも抜群の身体捌きと精神を持つことはできる。

『甲野善紀身体操作術』

( ↓ ) おまけ。
    武道と格闘技は違う、のであった。

 

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[幻の2011年初ラウンド] なごり雪は降るときを知らず

2011年02月11日 | ゴルフィーライフ[ラウンド編]

宇都宮方面は夕方から雪との予報。

雪の舞う中 新年初ラウンドというのも、名残り雪のなかでの残心のゴルフといった趣きがあってよいではないか。

ニュードライバーのシャフトは、三菱レイヨン社の、その名も「吹雪」。

この日の為に帽子も新調した。

( ちょっと石川遥選手を意識してるようだが、ピーターアーツおじさんみたいでよいと思った。
  われながら意外に似合うではないか。
 ダッフルコートみたいなボタンがあって紐ひとつで耳フードの上げ下ろしができるので便利だし。)

 ピーターアーツ  

そして、気分はすっかり、風の大地の沖田圭介、である。

なにかが待っているような気がするぞ。

ありえない構図だ  ⇒ 

期待に胸を膨らませて東北道を北に向かう途中、
夕方からのはずの雪が次第にはげしくなってゆく。

高速道路を降り立つと、風の大地、どころか雪の大地である。

気合いが入り過ぎて、クローズの連絡が届く前に着いてしまった。
なんにも待っていないぞ。。

雪を舞わせる風がただ吹いているだけ。 

(↓)詩をつけてもう一度アップしてみました。あったかいなぁ。

あの頃から季節は何度巡ったのだろう。

球春を待つ。

沖田

 

 

 

 

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