ゴルフィーライフ(New) ~ 龍と共にあれ

目指すはスクラップ・ブックか、はたまたビジョン・ボードか。
隠れ家CLUBゴルフィーにようこそ♪

[ピアノ弾きおじさん] 未来をイメージとして予見せよ ~Imagine(take1)

2016年08月27日 | ツールとしての音楽

ピアノを滑らかに弾くには、指先まで滑らかに弾けているイメージをしっかり持つと良いと言う。

ピアノに学ぶことは多い。
鍵盤を叩くというよりは、音をつかみにいく感じ。そのことがこのうえなく心地よく感じられる瞬間があるという。

今とは違う感覚で弾けるのではないか、といつも考えてみることが大切で、
今までの手癖や、今までの自分の中になかった違う感覚を発見して弾けるようになったとき、
簡単で弾きやすいことにびっくりすることも多いのだといいます。

 

何事においても、いろんな場面においても、
心地良いフィニッシュ感を、あらかじめイメージとして予見するのを習慣化したい。

大切なのは言葉だけではない。 

言葉の先にある、あるいは言葉にはしにくい、望むイメージや気持ちを、
予めちゃんと持っておいて、それをイメージの力で、無理なく引き寄せてみる。

たいそうな先の未来だけではない、すぐそこの未来だって、
そこで感じるであろう気持ちを、あらかじめ先読みして予見することで結果は変わってくると思うのだ。

"Imagine the Future"の言葉が街のここそこに。

 

たーくんの下宿選びに訪れた、夏も終わろうとしている筑波の街。

よく来るという『安心と信頼』の夢屋。
写真だと小さいが、ジャンボ!

学生街ならではの満足のボリューム、これでたったワンコイン(500円)の日替ランチ。
メンチカツと唐揚げとねぎ玉のセット、どれも美味しい。
ねぎ玉は、つまり、好物の天津飯の台抜きのことだった。あんの味つけが好みのタイプで二度びっくり。
これまでも、これからもお世話になるのでしょう、これからもよろしくお願いします。

蔦の絡まる外観もいいが、ほんのり薄暗くて落ち着いた感じの店内もどこか懐かしい感じがする。

こういうアカデミックな街には自転車が似合うと思う。

"人生は自転車のようなものだ、乗り続けていないと倒れてしまう” と言ったのはアインシュタイン。

 

アインシュタインはバイオリンを愛奏したが、なかなかの腕前だったという。
サルトルがピアノを弾いてるのがあったが、(ピアノを弾く哲学者)
アインシュタインのピアノはどうだったのだろう。どこかブラームスの弾き姿にも似ている。

 

( ↓ ) この夏取り組んでいるイマジン、まだ途上ではありますが、”Imagine the Future” にかけて弾いてみました。

imagine(take1 2016年晩夏
 

 

最初のパートはCコード(ドミソ)を、左がドのオクターブ、右はミソ(4拍目でセブンスのシを加える)

続けてFコード(ファラド)」を、左がファ・ドのパワーコード、右はファラ(4拍目のラシ♭シ、こういうのをトリルと呼ぶものと思ってたら違うみたい)、

そして、右はミソレ(レは9th、Cadd9)と弾いてから、
Cコードのミソに戻るのだが、私はレを省略して、いきなりCコードのミソを弾いてしまっている。

~ 4泊目のラシ♭シを2,3,4の指で弾くと、次のミソ(レ)に戻りやすい。
  ついつい2,3,3、と3の指を滑らせて弾いてしまうが、ちょっとした指使いで弾きやすさが随分違ってくる。

その後も左手はパワーコードが何度も出てくる。

パワーコード (Power Chord) とは、コードおけるヴォイシングの一種である。

メジャーコードもしくはマイナーコードの第3音を省略し、それにより音の濁りが少なくなるため純粋かつ力強い音を醸し出す事が出来る。
また、オクターブを加える場合もある。
通常はヴォイシングの一種であるため、譜面上では表記されることはほとんどないが極まれに使う事があり、
その場合は例えばルートがCであるとすると、C5と表記する。

そして、この曲でペダルの働きについても理解が深まりました。

“真ん中のペダル(弱音ペダル)を踏んで弾くとそれらしく聴こえますよ。”
とネットにあったので、真ん中のペダルを初めて使ってみることにしたのです。
(先日アップした She's got a wayも、ピアニスティックな曲で、
 ペダルを使うようになって、うまくコードとフィルインが繋がるよになったのですが、
 練習で最初にペダルを使い始めたのはこの曲でした。)

ピアノのペダルって、グランドピアノやアップライトピアノで、ペダルの役割が違うってことに気づきました。意外です。
そんな基本的な部分の使い勝手がピアノによって違う、っていうのは不思議です。
それだと、積極的にペダルを使ったり、ペダルを使った効果を計算しにくくなる。
だから、ペダルの踏み方について多くを語られることがないのだと思います。


意外と知らないピアノ・ペダルの意味と役割 (2014年5月29日 [楽器演奏])

ダンパーペダルは全ての音を伸ばす役割ですが、ソステヌートペダルはある特定の音を伸ばしたいときに使用します。
鍵盤を弾いてこのペダルを踏むと、鍵盤から指を離してもその音だけが持続します。
その音が鳴ったまま、別のフレーズを両手で弾くことが出来ます。

うちのピアノは、真ん中のペダルがグランドピアノ仕様(ソステヌートペダル)になっているようで、
一番右のダンパーペダルと違って、コード感やルート音だけを響かせたいような時に役に立つそうです。
たしかに、響き方がシンプルで、音の濁りみたいなものがない、すっきりした残響になります。

( ↓ ) イマジンを覚えるのにとてもいいチュートリアルでした。
How to really play "Imagine" by John Lennon on the piano - tutorial

 

( ↓ ) ジョン レノンの音や想いを、こういう形で受け継いで、そのメッセージを賦活させる。
     音楽的な遺産は、オリジナルな形で聴かれると共に、
     新しい発想で、もっと血肉化して感じるものとして、活かしていくべきだ。
     楽譜を基にいにしえの音楽家の芸術を今に表現するクラシックとはまた違った、参加型のマッシュアップ的アプローチ。

Imagine (UNICEF: World Version)

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[ピアノ弾きおじさんへの道] 断片的弾き歌い ~ フォー ノー ワン

2016年08月14日 | ツールとしての音楽

夏休み、ピアノの方は、イマジンとロング・アンド・ワインディング・ロードに取り組み始めました。

(イマジンはかなり弾き歌いらしくなってきましたが、ロング~は、今の私にはかなり難度が高そうです。)

そんな合い間に、気分転換に弾き歌ってみたくなった「フォーノーワン」。

ハープシコードの音色が原曲のイメージに合います。

(Bメロは確り練習しないと、すぐには弾けそうにないですが、Aメロはすぐに弾けました 。
 淡々とした風情があって、歌を乗せにくいかと思いきや、意外に歌いやすい。
 ここでは練習初日と二日目の演奏をつなげてみました。
 先日、イマジンのレッスンで、” もっと音を先取りするイメージで弾くといい” とアドバイスを頂いて、
 この曲でも意識するようにしたら、いちいち、つっかえていたのが二日目には幾分マシになってきました。)

完成に至らない断片弾きの曲が、また増えていきそうですが、そんな風でいいと思う。
完成させることが、必ずしも目的ではないし、
音楽を聴くのだって、完成前のデモを聴いているのが好きだったりする。
断片を弾いて、いろんな調性や世界観みたいなものを愉しめればいいんです。

ヘイ ジュードだって、通しで弾けるようになるまでは断片だけだったし、
難しい部分は追々足して、作り上げていけばいい。

コードや奏法の勉強にしても、勉強になってしまっては、続かないです。
愉しんでるうちに、そういうことだったか、って具合になればいい。
きっちり積み上げていくというよりは、らせん状に、ふらふらと上達していく手もあると思う。

いつだって、下手くそだって、愉しみの原点に戻ろう。

for no one take1&2

この曲は、間奏のフレンチ・ホルンばかりが有名だが、
ビートルズはこの曲に、クラヴィコードという珍しい楽器を使った。

ペニーレインのピッコロ・トランペットも、バッハのブランデンベルク協奏曲の影響だったように、
( ブランデンベルク協奏曲 ~  桃源郷 )
イギリスではないドイツやフランスの異国情緒や、時代を跨いだクラシックの音を、さらっと採り入れてみせる。

ポールとジョージは、ギターを始めた頃に、バッハの「ホ短調 ブーレ」で腕を磨いた。

そしてブラックバードは、ホ短調 ブーレの進行をたどりながら生まれた曲だという。

とても興味深い本だった。ポールの肉声がこれほど聞ける本はこれまで無かった。

以前にブログでも採り上げた トゥー マッチ レインについて、ポールがこんなことを言っている。
(It's not right in one life too much rain  )

これは人生に問題を抱えたあらゆる人に当てはまる曲だ。
ぼくはそういう人を大勢知っている。自分自身を含めてね。
人生は、人に、いろいろな問題を投げかける。
ありとあらゆる、クソを投げつけられたすべての人たちに同情し、
その気持ちは分かると言ってるような曲だよ、すごく共感できるんだ。
もし大雨が降ってきたら、きみはどうする?
笑うかもしれないし、ため息をつくかもしれない。
でも、なんとか折り合いをつけて、もう二度とこんな風にはならないから、と自分に言い聞かせるしかないんだ。
ぼくだってそうするから。

一見明るさと輝くばかりの才能に溢れたポールの曲が共感を寄せるのは、
"静かな絶望に彩られた人生を送る人々”や、
”社会からは無視されている、忘れ去られた人々”。

音楽や芸術が掬い取ってみせるのは、一面的な世界観ではないから、深みがあるのだと思う。

むしろ、人生に問題を抱えているくらいの方が良いのだと思えてくる。それに負けない限りは。

”みんな、ほほ笑みの向こう側を見ようとしないんだ。”
当たりがよくて、おセンチで、人をそらさない男、
”ぼくには当たり障りのない男というイメージがしみついてしまった。それだけじゃすまないものがあるんだけど。
ぼくには当然、それがなんだか分かっている。
そのしょうもないクソを実際に生きてきたからだ。

( ↓ ) そのうち、Bメロも。揺らぎまくっている高揚感がいい。

 Como tocar "For no one"(The Beatles) - Tutorial y partitura

( ↓ ) センチなんだけども、センチにはしないようなところを上手く掬い上げたようなカバーが素晴らしい。

こういう丁寧な演奏は、ピアノ教室に通われている私以外の方々の、丁寧な音楽を聴いているような感じがする。

For No One- Moran Meisels (Beatles Cover)

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[ピアノ弾きおじさんへの道] she's got a way / Billy Joel  弾き語り間近まできた。

2016年07月18日 | ツールとしての音楽

ピアノ発表会が終わって、新しい曲にも取り組み始めています。

ピアノを始めた頃に、弾き語りらしい曲のレパートリーにと、練習を始めたのが
ビリー ジョエルのShe's Got a Wayでしたが、なかなか、歌を上手く乗せることが出来ませんでした。
( She's got a way ~ 弾語りの道は遠く )

特にAメロの一拍ずつ変わっていく流れ(D7,C/E, D7/F#, D7)の部分は、
指を鍵盤上で動かすのに忙しくて、歌を乗せるどころではなかったのですが、
この動画のボイシングは画期的に易しかった。 ⇒ ピアノレッスン【She's Got A Way コード進行解説】Billy Joel

さらに、先生に相談してみたら、左手を D⇒ E ⇒ F# ⇒Dと弾けば、
右手はC、F#,A で(C/Eのところも)通しで弾いてみてもいいかも、とのアドバイス。
コード音に上手く歌のメロディが馴染まなかったのが、たったこれだけで、馴染んで歌が乗るようになった。不思議。

ボイシングひとつで、弾き歌いは全然歌いやすくなるのです。

(前に、ストリングス風の演奏だけでアップしたイエスタディ(イエスタディの捧げもの)も、 歌いやすいように、ボイシングを変えて練習中。)

そして、先日のレッスンでは、はじめてボーカルのボイストレーニングも受けてきました。

なるほどと思ったのは、

ハミングして歌を乗せていく時には、メロディの階段に音をひとつずつ当てにいくのではなく、
  経過音も含めて、メロディを円く歌う。そうすると音の着地を外さない

息をはぁーと漏らして歌うのではなく、おなかを引っ込めたタイミングで声を出す

喉を締めるのではなく、喉を空けて、声を出す。

 (こうすると、声がうわずることもなくなる。)

こういうトレーニングって、音楽のみならず、呼吸法や 調心・調息にもつながるので、面白いし、色々な側面で役に立つ。

音楽を習っているようで、古武術を習っているような感じすらある。

(↓) フレーズが滑らかにつながっていないけど、真ん中のペダル(弾いてから踏むと、その音だけ持続する「ソステヌート・ペダル」)を使ったりしながら。

いいレパートリーになりそうだ。

she's got a way / Billy Joel  ピアノ弾き語り間近まできた。

いわゆる「おかず」とも呼ばれるフィルインについて、勉強を始めたのですが、
この曲はコードをアルペジオに展開して、フィルインにしたり、
Aメロの終わりのGコードから、Gコードの構成音(B,D,G:シ,レ,ソ)を使って、経過音のを加えた
つなぎの間奏(シレソ、 ,シ,レ、レ,ソ,,シ)があったりして、なるほどと思う。


(↓) フィルインには色んなパターンがあるが、コードをアルペジオで弾くというのは代表的なパターン。

ここではGのコードをソ、シ、レと弾くケースや、間のドの音を挟むケースが紹介されている。

She's Got a Wayでは、経過音として、ドの代わりに、ラを使っているのだ。




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[ピアノ弾きおじさんへの道] 大人のピアノ発表会でヘイジュードを披露するの巻

2016年05月29日 | ツールとしての音楽

この程度の腕前で、ピアノの発表会に出ていいのでしょか。

昨年暮れから通い始めて半年近くになるピアノ教室主催の「大人のピアノ発表会 ~ 大人サロン・コンサート」に参加してきました。

気安く参加表明したものの、前日のレッスンで、ジーパンはだめ、みたいなドレスコードチックな説明があったり、
演奏の前は一礼をしてから始めてくださいね、とか言われまして、
あぁ、ピアノの発表会って、やっぱり堅苦しいかも、とやや怖気づく。

フォーマットを与えられてるのだから、乗ればいいだけなのだが、
フォーマットがあると、愉しいばかりでもないよな気がしてくるのです。

だがしかし、ピアノ弾きおじさんへの道の途上イベントであります。

発表会の前日に、ヘイジュードを一曲通しでレッスンを受けたのですが、
なんだか気持ちが乗っていかず、歌詞も指もついてこなくてボロボロ、
おいおい、大丈夫か、状態。

いや、気持ちを乗せていくだけの技量が伴っていないといったほうが正確でしょう。

  

4番バッターです。家族連れで観に来ていらっしゃる中には男性もいますが、発表会の参加者は女性ばかり。

しかし、このマイノリティ感は悪いものでもありません。

弾き歌いするのは私だけだったので、演奏前にはピアノの前にマイクロフォンがセットされました。
なんだか それだけで上手くなった気になれますが、とんだ勘違いで、皆さんお上手でした。

丁寧にピアノを弾き込んでいるのが感じられるような演奏ばかりです、すばらしい。

ブルグミュラーを弾いてらしたのは70歳台のおばあさん。
私が弾き歌いするのを聴いて、今度は岩崎宏美さんの聖母達のララバイ、を私も弾き歌ってみるわ!って仰っていました。
同じく、教会で伴奏なんかをしながら、コード弾きをメインに練習されているという方が、バリスタの資格をお持ちで、
演奏がひと通り終わってからの懇親会では、自慢のコーヒーをふるまってくださいました。


で、私は逆立ちしても、そんなに上手に弾けるわけもないので、
前日のレッスンで、テンポが速くなりがちだったのに気をつけて、ゆっくり弾くことを心がけました。
しかも、通しで弾き歌うと、どうも歌詞が怪しくなることに、前日に気づいたのもラッキーでした。
指がもつれると、頭ももつれてしまうものですね。

これは、ボロボロだったレッスンを受けて、自宅で修正練習したバージョン。

大して変わり映えしたわけではありませんが、発表会が終わってから、
これまでで一番良かった!と先生に言ってもらえたのが何よりでした。

Hey Jude (大人のピアノ発表会当日の自宅練習バージョン)


皐月も終わろうかという、スイカズラの花香が漂う夕べ。

あまり見かけたことのなかった、花を咲かせる前のマロニエの蕾。

 

うちのファットアルバータも銀青色のキレイな新芽を吹いて見事になる時季なのですが、
かなり樹高も幅も出てきたので、刈り込みました。もうそろそろ、芯止めもしたほうがいいかもしれません。
チンシバイもすっかり根付いて、
植えては枯らしていた好きなアスチルベに似た、
それでいて、アスチルベよりも高さのある花穂を揺らす。

ピアノ弾きおじさんへの道はつづく。

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[ピアノ弾きおじさんへの道] セブンスコードを分数コードにして1+3和音に分けてしまう

2016年05月21日 | ツールとしての音楽

「セブンスを分数コードに置き換えて弾く」、
この発想が、眼からウロコでした。

 

 

ルートを左で弾いて、のこりは第三音をルートにしたトライアドにして右手で弾く。

『CM7のようなメジャーセブンスなら、第三音( E )をルートにしたマイナー・トライアド( Em )』

『Dm7のようなマイナー・セブンスなら、第三音( F )をルートにしたメジャー・トライアド( F )』 を右手で弾く。 (分母はそれぞれ/C,/D)

 

12キー(C , D , E , F , G , A , B と D♭, E♭, G♭, A♭, B♭)について、
トライアドの時と同じように、メジャーセブンスとマイナーセブンスを分数コードにして書き出してみた。

1) トライアドの時

 右手だけだとつまらないから、左手はルート音を弾くのだが、

   エイトビートを意識して、” 「1」・と・2・「と」「3」・と4・と ” の青字部分のタイミングで、右手が四分を打つ間に三回弾く。

 

  ちなみに、このメジャートライアドをCからオクターブ上のCまで半音ずつ上行してまた下降するトレーニングは、

    先掲の本の著者である杉山 泰さんによると、” この10年で最も成果を上げたトレーニング方法 ”とのこと。

2) メジャーセブンスとマイナーセブンスも同じように。

当たり前のことだが、右手はトライアド(三和音)なので、音の並びの法則性みたいなものは、トライアドと同じ。

AM7を C#/Aと書いてる。(トライアドの時は、♭に統一した方が分かり易かろうということで、D♭と書いていたのだから、D♭/Aの方が分かり易そうな感じがするのだが・・。)

これには理由があって、もともとがA(A, C#, E )にセブンス(G)を加えたコードなので、
C #のトライアドだと 解釈すると、( C#, E , G)/A でセブンスコードが分割されているのだと分かるが、
D♭のトライアドだと解釈すると、(D♭, F♭, G)/Aになってしまって、音名から元々のセブンスコードの構成音が失われてしまうから。

(弾いてみれば、同じ音を弾いていることに変わりはないのですから、きっとどちらでもいいのです。)



以前、ヘイジュードをYouTubeの見よう見まねで弾き始めた頃、先生に指使いをもっとシンプルなものに変えてもらいました。

ヘイジュードのBメロの下降進行( Hey Jude、Refrain, don't carry the world upon your shoulder♪ )の部分、
B♭- B♭/A‐ Gm7 - Gm/F - C7 - F というコード進行なのですが、
右手をB♭のまま、左手だけをB♭-A-G-Fと下降させていけばいいと教わって、
手品のような芸当にしか思えなかったのに、その理由も分かるようになりました。
Gm7は分数コードで弾くとB♭/ Gだし。

 Take a sad song , and make it better, っていい詩だなぁ。

  悲しい歌が現実だったとしても、受け容れることができれば、マシにはできる。

The Beatles - Hey Jude


何だか一皮むけてきました。

 

ヘイジュードのエンディングの決め方を教わりました。

この娘のちょっと抜いたNananaも参考になります。

Beatles - Hey Jude (cover)

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[ピアノ弾きおじさんへの道] コードを覚えるためのアイデア

2016年05月14日 | ツールとしての音楽

ハノンも指の強化に大切ですが、コード譜をみて弾き歌いするための基礎練習が出来ていませんでした。

コードを見たら、すぐに構成音を理解して、反応するように弾けてしまう。
さらには、メロディや歌声に合わせるトップノートを決めて、転回させて弾ける。

これが出来るようになるには、面倒なようですが、ひたすらコードを弾いて覚える。
クラシック畑は違うかもしれませんが、ミュージシャンと呼ばれるような人達であっても、
最初は退屈でも、まずは、ひたすらコードを覚えるのだと聞いて納得いたしました。

ハノンと併せて、コードを覚えるための基礎練に取り組んでいくことにします。
基礎練でありながら、単なる指の強化訓練だけではなく、
弾き歌いや、伴奏をつけたり、曲を作ったり出来るようになるための、直接的な訓練にもなる。
曲を弾きながら、慣れていけばいい、という考えは捨てて、意識的に覚える。
いつまでもYouTubeの指使いを真似たりしてではなく、コードネームが分かれば、弾けてしまうようにする。

( ↓ ) 流麗に弾かれるピアノもいいが、一音のタッチや響きまで身体化されたような弾き歌いが素晴らしい。
基礎練習であっても、音に対する接し方みたいなものを大切にしよう。

(ハノンでも、スタッカートで音を切りながら弾いたり、滑らかにレガートで弾いたり、
5本の指を鍵盤の上に置いたフォームから、鳴らす鍵盤の指を順番に押さえたり、(これは最初は指がふるえて上手く出来ませんでした)
いろんな表現方法や練習方法がある。)

Nina Simone - feelings (1976) HQ

コードを覚える時、ルート音はコードネームそのままだからいいのですが、
マイナーキーかメジャーキーかといったコードの性質を決める ミドルの第三音、
そして、歌のメロディを支えるトップノートの第五音が、すぐに出てこない。

転回形をスムースに弾くためには、
コードネームから、ミドルノートとトップノートが何の音なのかすぐに分かる必要があるので
愚直に書き並べてみた。( ↓ )

  まずはコードネームそのものでない、ルート音以外の構成音もすぐ分かるようにしよう。

   (たとえば、Amを転回させて弾くときに、ルート音をCで弾く、っていう反射が働きますか?)

音階に色彩をつけてイメージする方法があるが、そういうアイデアも良いかもしれない。

マイナーのAmコードが、C,Eで構成されていたり、
明るいイメージのGコードが、B,Dで構成されていたり、

音名だけでは、感覚的に意外だったりする。

【メジャー・トライアド(3和音)】

一番上に書いた12個のメジャーコード「C-D♭-D-E♭-E-F-G♭-G-A♭-A-B♭-B」は、
Cから同じ指の形で平行移動していくだけで弾けてしまうのだが、音楽的でないから面白くはない。

むしろ、縦に並べて書いた転回形(1-3-5、3-5-1、5-1-3)を自在に弾けることのほうが実践的だ。
(たとえば、Amを弾くのに、ルートをCにして「1●2●●5」の型で弾く。
 こういう反応が出来る為には、意識して覚えるようにしないと、なんとなくでは100年かかりそうだ。)

覚えやすくするために、「C,D,E,F,G,B」と、フラット(♭)系の「D♭,E♭,G♭,A♭,B♭」を上下に分けて書いてみました。

すると、ハ長調のダイアトニックコード(C-Dm-Em-F-G-Am-Bm♭5)に含まれる
マイナーコードの
「Dm,Em,Am」を軸にして考えれば、
D,E,F、そしてD♭、E♭、A♭は同じ指の形としてグループ化して覚えられることに気が付いた!

D,E,Fはマイナーな響きの第三音を#させるだけで弾ける。
Dm(D-F-A)⇒ D(D-F#-A)
Em(E-G-B) ⇒ E(E-G#-B)
Fm(F-A-C) ⇒ F(F-A#-C)

D♭,E♭,F♭は、逆に第一音と第五音(ルートとトップ)を♭させるだけ。
(D,E,Fを構成する2和音を各々半音下げるだけ。)
Dm(D-F-A)⇒ D♭(D♭-F-A♭)
Em(E-G-B) ⇒ E♭(E♭-G-B♭)
Fm(F-A-C) ⇒   F♭(F♭-A-C♭)

そうすると、覚える残りのコードは少ない。
G♭はG(G,B,D)を各々♭させて、(G♭-B♭-D♭)だし、
少し特殊なBについては、よく出てくるB♭(B♭-D-F)を各々半音上げて、(B-D#-F#)になる。
簡単だ。

音感を磨くために ~音程の捉え方について~)

(コードのボイシングとハーモニーについて)

(転回形の3パターンをコード進行させて揺らぎながら上手くなる)

 

 【マイナー・トライアド(3和音)】

  理屈はメジャーコードと何ら変わらない。

 

コードを一覧化して、転回形の形を含めて、繰り返し練習しやすいようにしました。 

Dm,Em,Gmを軸にグループ化した固まりとして覚えやすいし、
 転回形で使うルート、ミドル、トップノートが何の音かも覚えやすい。
一覧化しているから使いやすいし、縦にも横にも練習できる。

ちょっとしたアイデアだが、なかなかこういう便利なものを見たことがない。
 まだピアノも購入していない頃に、転回形には何か法則のようなものがあるのではないかと考えた時にも似て、ささやかな発明をしたような感じ。
 (転回形の3パターンをコード進行させて揺らぎながら上手くなる


 譜面を読めるにこしたことはないのだが、それが為にコード弾きが遠回りになってしまうと本末転倒だ。
まずはコードを叩き込みたい。


 

 音名はカタカナでなく英字で覚えようと思う

分数コードやセブンスやナインスをそのまま弾くのではなく、
たとえば左手と右手に音を割り振り直して弾くような時、
英語でコードの構成音を覚えている方が便利だと思うから。
 

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断片がつながって来た ~ Hey Jude (大人サロンコンサートに向けて)

2016年04月29日 | ツールとしての音楽

トップノートを大事にしようと思います。
全て和音でアプローチするのではなく、しつこかったり、幼稚な響きを、引き算でキレイにしていく発想。
GWに良い課題が見つかりました。

5月下旬に開かれる”大人サロンコンサート”なる、小じんまり乍ら発表会への出席表明をしてしまったものですから、
あれもこれも、と言ってる場合ではなくて、ヘイ・ジュードを断片でなく、通しで弾いてみましょう!、ってことに。
なんとか弾き歌いになっているのかも!? 、辺りのレベルを目指します。

( ↓ ) トップノート採用前のヘイ・ジュード。
あんまり褒められたものでもないが、発表会よりはマシだと思う。
参加表明したら、予想外に喜んでいただけてびっくりするほどだったのですが、
まさか出るとは、のサプライズを起こしたのはわたしの方だったのかもしれない。
こうして見るとアラも自覚できるからよい。

Hey Jude cover(take2)Almost full version

引き算で無駄な音を覗いて、キレイにしていくのはこれからですが、
断片的にしか弾けなかったのが、通しで弾けるようになってきました。
(断片的弾語り ~ Hey Jude)

わずか30分のレッスンなのに、いろいろ手を出して、とっ散らかり気味だったので、
一曲ちゃんと弾き歌いの曲をやってみましょう、ということで、ここのところ、未完成だったヘイジュードに再び取り組んでいます。

下降進行(walk down)の部分に歌が乗らなかったのですが、
コード音を鳴らすタイミングと同時に歌うのではなくで、少しタメてから発声するとうまくコード進行に歌が乗る。
へぇ、そうだったのか!って。

(マーサ マイ ディアといい、音を揃えてバーンと弾くのではなく、タメを持たせながら乗せていく感覚であるとか、
 拍子の取り方がずいぶん変わってきました。)

Bメロ冒頭、anytime you feel the pain, hey Jude,refrain、、のとこだって、
F7がどうもしっくりこなかったのですが、気づきがありました。
Aメロとのつなぎで、ラファ→ラミ→ラミ♭と弾く3つ目の音が、F7の頭の音になってる(すでにその小節の第1音になってる)んですって!
左手でFを押さえてると、F7の構成音のファ・ラ・ド・ミ(この曲はキーがF Majorだからミ♭)のうち、ファ・ラ・ミ♭を鳴らしてるから、それはもうF7になってる。

7thのコードでは、ルート音(ファ)とセブンス(ミ♭)の端と端が大事で、間にある音が抜けているボイシングもあり、なんです。
~これまで、3つの音を弾いてから、またF7の小節の頭から弾こうとしてたから、タイム感が崩れるのも当然だったのです。
へぇー、なるほど、
F7の頭の小節から弾くというよりは、その前の小節(F)からの流れで弾く。

出だしのF(ファ、ラ、ド)のトップノートのドで歌い出しの音程感を掴んだり、
べたっとCで弾いていたところを、Csus4で第三音のミをファで弾いてみたり、C7でセブンスを加えてみたり。
単調だったAメロにも変化が生まれます。
レッスンに行く前にさらっと譜面を見たりするようになって、適当にCだけ弾くのではなく、ちゃんとC7やCsus4を入れて弾くことに気づく。
これもレッスンがあればこその気づきの効果。

Aメロでメロディに併走して弾く、ミ⇒ファ⇒ソの3つ目の音の「ソ」で左手でルート音を鳴らして、4分の4拍子のリズムをキープしたり、と、
一つ一つ改良は進んでいるのですが、まだ音作りに粗さが目立つ。

GWの課題は、先に書いたように、トップノートによる引き算の発想です。
べたっとした演奏を、キレイにしていく。


1. 全て和音でアプローチしなくてもよい

アンサンブルやバンド演奏をやっているわけではないので、コードボイシングの考え方が硬直的になりがちだ。
右手の押さえ方は、左手で何を押さえているかによるし、
他の楽器は何があってどういう音を担当してるかによって、どんどん変わる。


コードを構成している基本和音にこだわりすぎると、稚拙で単調になってしまうのだと思います。
アンサンブルを分かっていないだけでなく、たとえばジャズピアノがどういうものなのかも、ちゃんと分かっていませんから、
ボイシングに関する狭い見識を押し広げていかないと。


全て和音でアプローチするのではなく、始点と終点を和音にして、あとは単音で上下行するとか
(シンプルなコードトーンだけのほうが効果的な場合はあるが)、
ジャズのように何にでもテンションをぶち込む位の気構えで取り組んでみたり、アプローチは色々だ。


2. 歌を支えるトップノート

トップノートをメロディに合わせると、歌うときに音を拾いやすくなるのだそうです。

べたっとユニゾンで弾いてしまうと、ダサくなってしまうので、
トップノートを合わせるのは強拍の位置。

4分の4分拍子の場合だったら1拍目と3拍目の強拍の位置、ということです。

ちなみに、弾き歌いでは、左手のルート音でリズムをキープするのが大切になってきますが、
左手のルート音の場合は、右手とは違って、裏拍(4分の4拍子の場合、1拍目の次は4拍目)で入れるようにすると、
日本的ではないグルーヴ感が出たりするらしい。


レットイットビーで、試してみましたが、オリジナルの雰囲気からは離れてしまう。
他の曲で使ってみよう。

3. 分散和音的な響き

これは私見なのですが、全ての和音を鳴らさずにトップノートを選んで弾くようにすると、
分散和音を弾いているような効果を感じます。

ヘイジョードの演奏をいくつか聴いてると、
たとえばCコードの「ドミソ」を「ミソ、ド、ミソ、ド」と分散和音で弾いてる演奏があったりしますが、
真似してやってみると、かえって単調に感じられたり、何より歌を乗せにくかったりします。


コードの構成音を一音ずつばらして展開して弾くのはアルペジオだと思ってたのですが、
ネットを見ていると、
”分散和音は CM7 を例にすれば「ドミソシ」を一度に押さえずに一音ずつ弾くこと”

とありました。

だとすると、トップノートを混えながらコードを弾くのは、まさに分散和音的な弾き方ということになる。
トップノートの背景に自然と前後で鳴っているコードの和音を感じるから、キレイに聴こえるのかもしれません。


そんなところに気をつけて弾くと、べたっとしていたコード弾きが多少スッキリしてきました。

大人のピアノ会に向けて、洗練させていきましょう。

声を頸椎(首の後ろ側)から出すように意識してみたり、色々と工夫してみると、面白い。

( ↓ )  声をどこで発するか、意識を後ろに持ってくるのがポイントのようです。

これは地声と裏声を融合させる、いわゆるミックス・ボイスでもよく言われることです。

響く声の出し方カンタンポイント!深みのあるいい声になる!【スピリットボイストレーニング46】

( ↓ ) 丹田呼吸法をボイストレーニングに活用する。

呼吸と歌の力で、身心を強化し、安定させることができる。潜在能力を向上させることもできる。
身体を楽器のように自在に振動させることを目指す。

ケリーが言うように、
”私たちは生活の中で、自分を研究対象にできるのであり、ぜひともそうしていただきたいのです。”
(未来の自分とのつながりを強化していくこと ( one of these days ) )

音楽から何を学ぶのか。
丹田を強化するボイス・トレーニングとか、愉しみながら生活のクオリティまでも向上させるような方法が沢山ありそうだ。

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自分なりのリベラルアーツを

2016年04月22日 | ツールとしての音楽

マーシャルアーツの話ではない。

現代のアメリカの大学では、” 音楽で学ぶ” リベラル・アーツ教育が盛んなのだという。
音楽そのものを学ぶだけではなく、音楽をとおして人間や世界をどう学ぶか。

” 芸術はあいまいさを受け入れ、創造的に考え、問いかけ、また挑戦することを教えてくれます。”

既成概念を打破し、既存の価値観や美意識にあらがいながら、人の感覚や知覚を大きく広げてきた芸術や音楽には、
社会に多様性や創造性をもたらす新しいフレームワークとしての役割が期待されているのだといいます。

”世界の難題に立ち向かうには、科学技術に加え、文化・政治・経済活動を営む人間そのものに対する理解が必要”。

人間が何千年もかけて受け継ぎ培ってきた知や情の集合体であり文化的資源である音楽を、今の私たちにどうやって活かしていくかを工夫する。

古代ギリシアでもっとも重要視されていた教育科目は、健全な肉体と魂を育む体育と音楽だったといいます。

なかでも肉体より魂に価値を置いたギリシア人にとって、音楽を学ぶことは最上であると考えられていた。

「音楽のリズムやハーモニーが魂の内奥まで入り込み、力強く引き締め、優雅さを授け、正しい魂の在り方へ導いてくれる」

現代社会では、科学技術への偏重や、経済的、あるいは社会的活動上の要請から、重視される教育が偏っているのだと思う。

体育と音楽はやっぱり、個々人の向上や覚醒、人間としての基礎や総合力、みたいなものを鍛えるうえでは今も最重要科目なのではあるまいか。

”音楽、文芸と体育とを最もうまく混ぜ合わせて、これを魂に差し向ける人”

ゴルフやピアノだけではない、呼吸法やボイス・トレーニングも併せて、

自分なりのリベラル・アーツに取り組んでみようと思うのです。

ゴルフだって、ピアノだって、誰かに認めてもらえるようなエクセレントなプレイヤーになろうとしているわけではない。

自分なりの修業を続けていたいのです。

“こういうことは誰の本にも書いてない。だから、自分の身体が習い覚えたことを、自分の言葉で語ってゆくほかないのである。”

(大切なのは、まず「身体を割る」ことなのだ。

 

 

東洋経済オンラインに面白い記事があったので引用します。(本物のリベラルアーツを日本人は知らない)

ここでのポイントは、欧米の学問体系は大きく2つに分かれていること。
ひとつは「アート、art」で、もうひとつは「サイエンス、science」である。
アートが日本でいう「文系」で、サイエンスが「理系」と考えてもいいが、その本質はまったく違う。

なぜなら、キリスト教世界に生きている欧米人にとって、
アートは「人間がつくったもの」のことを指し、その科目がアートだからだ。
美術、文学、音楽はもちろん、歴史、哲学もアートだ。

では、サイエンスは何かというと、「神がつくった世界=自然(ネイチャー)」を研究する科目だ。
このうち、化学や物理学を自然科学といい、経済学や心理学などを社会科学という。

ところが、日本では、各学科はこのような体系で分類されていない。
明治期以来、輸入されてきた学科が、文系、理系の違いを深く考えずに、継ぎはぎに されて存在するだけである。
だから「文学部心理学科」のような欧米の伝統的な学問体系に基づいたらありえないことが、日本では起こる。

アート=芸術の指す範囲は意外にも広く、
人が作った世界がアートであり、神が作った世界がサイエンスである、という説明になるほどと思いました。

理系・文系というのは日本独特の分け隔ての仕方らしいのですが、しっくりきません。違和感があります。
サイエンスとアートという分類の方が納得感がある。

『心は数学である』、理系と文系みたいな発想しか持てないようだと意味不明になってしまいますが、

アートとサイエンスの分け方でいくと、
心は、神の世界を掬い上げて表現するサイエンスとしての数学と同じ領域にあるということになります。

これは『心は自分ではない』にも通じる考え方、(★★『心は自分ではない』★★)

自分ではない、ネイチャーとしての心と、自分で選び取ったアートとしての心を分けて考えてみると、
ネイチャーとしての心は、神の領域の出来事であって、混沌(カオス)の状態があたりまえ。
人知でどうにかなるものでもない。そのカオスから何を選択していくかが大切。

さわやかに晴れ渡ったアルファの心の状態であることがたとえ1%であっても、
濁ってぐちょぐちょした曇天なベータの心の状態でいることが99%を占めていようとも、
1%のアルファの方が本来の自分だと捉えてみる。
時間の長さの問題ではない。

自分自身が機能しやすい状態とはどんな状態か、これが本来の自分だったらいいな、の方に信頼を置く。
「心の状態」(コンディション)と、「自分」を明確に区別する。

( ↓ )  サイエンス&アート的 自由七科 リベラルアーツの歌って感じ。

What a wonderful world - James Taylor, Simon & Garfunkel W/ Lyrics

同じアルバム「ウォーターマーク」に入ってたこっちの曲の方が好きだったなぁと探してみたらあった,Someone else。
これからの夏の夕方、ゆっくりした宵に似合いそうな曲。

Art Garfunkel Someone Else 1977

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イエスタディの捧げもの

2016年03月13日 | ツールとしての音楽

 Is it raining in London? (ロンドンは今頃 雨が降っているのだろうか?)

あれは確か Movin' on だったろうか、
ポール マッカートニーのビデオに収められた、ジョージ マーティンによるオーケストラ・スコアが印象的だった曲。
(未完成に終わったのか、きちんとしたテイクを聴いたことはない。)
雨降りすらも素敵な空間に変えてしまうそのセンス、確かな審美眼。

2016/3/9 ジョージ マーティンが逝ってしまった。
近頃、デビッド ボウイやイーグルスのグレン フライ(テキーラ・サンライズやテイク・イット・イージーはフェイバリットだ)、
やっぱり人間だったか、と思うような人たちが次々と。

今でも、時々、他でもない自分自身の車輪の音で自分をいらつかせている』ことに気付いたりする。

こういうことを教えてくれる人は、なかなかいない。

気楽に行こう
自分自身の車輪の音で自分をいらつかせたりするんじゃない
君がやれるうちはリラックスすればいい
理解しようなんて思わなくていい
自分の居場所を見つけるのが大切
気楽に行こう
(Take it easy)

こういうのを共時性、シンクロニシティというのでしょうか。
つい最近ジョージ(マーティン)の姿を映像で見ながら、「音感を磨くために ~音程の捉え方について~」を書いたばかりだ。
あまりに偉大で、遠くの人だが、身近な人でもあり、
実際に会ったことすらなくても、その存在から何かを受肉しているということはあるのだ。

Tribute to George Martin

ポールがコメントを出している。

YouTubeから消えてしまったが、No more lonely night の冒頭のメロディが生まれるシーンが素敵だった。
この時のように、ポールがベースで得意げにリフを繰り返し弾き、
それをピアノでアルペジオに展開して、あの印象的なメロディが、”ほら出来た! ” っていうシーン。

 

ジョージ マーティンに捧げるように、下手なピアノをストリングスverで弾いてみた。
みんなの3.11、そしてわたしの3.11にも。(梅が清々しく香る頃)

 イエスタディ ( ストリングスver)

 

今日のピアノレッスンも収穫がありました。
嬉しがって前回記事でビデオに撮ってみましたが、
マーサ・マイディアの冒頭3小節、
やっぱり左右交互で拍子を取るところが、後半同じタイミングになってしまっている。
(ビデオに撮って、少し時間を置いて見ると、客観的に見れて、とても良い勉強になります。)

Hey JudeもBメロでNaNaNa、Na-na,Nanana-naと歌う所、
頭のNaNaNa、を最後の2小節のコード(F7,C7)に乗せて歌っていたが、その前のFコードでNaNaNaと歌って、
Na-na,Nanana-naを続くF7,C7で歌うのでした。
そういうちょっとしたタイミングの違いで、歌が乗るようになるから不思議です。

しばらくやっていなかったハノンの1番も、上昇音階だけでなく、
指使いの変わる下降音階も練習して、音の粒立ちが均等になるように意識していきましょう。

ビートルズ来日50周年、わたしも齢50を迎える7月に、
武道館で催される近未来型の面白そうなショーの予約申込みをしました。
なんだかワクワクするショーになりそうです。

奇しくもジョージ マーティンの眼や耳になって、セッションに立ち会うかのような体験になるかもしれません。

”人生にまたとないコンサート”。

「ザ・セッションズ」は、ビートルズの伝説的スタジオ・セッションを、舞台セットと映像技術を駆使して再現した新しい形態のライヴです。
観客席のあ らゆる角度から見渡せる舞台セットは「アビイ・ロード・スタジオ2」。
そこで1962年から1969年までに収録された「ラヴ・ミー・ドゥ」から「ジ・エ ンド」までを再現します。
当時の革新的レコーディング技術を駆使して制作されたアルバムから生まれたヒット曲たちが、若きシンガー、バンド、オーケストラ メンバーのパフォーマンスにより蘇ります。

 

このライヴは、いわば“進行するレコーディングセッション”です。
ステージに照明が灯り「ザ・セッションズ」の幕が上がると、
歴史に名を刻むレコー ディングで使われたスタジオ機材――音響装置、ブームスタンド、そして楽器たち――それらにも息が吹き込まれ舞台は動き出します。
総勢約50人の演奏者と シンガーのパフォーマンス、
そしてオーバーダビング技術を駆使したレコーディングが見せる「進化」もショーの見所の一つです。
当時のレコーディング収録曲 を、演奏、アレンジメント、そしてハーモニーにおいて忠実に再現。
もちろん、ギター、アンプ、マイク、管楽器も当時のまま。
まるでビートルズのヒット曲を 収録した“レコード”を、コンサートで“ライヴ再生”しているかのような感覚を味わえるはずです。

 

これはスタジオセットを真似たショーではありません――“音”の再現を限りなく追求したライヴなのです。
精鋭のミュージシャンたちが各パートを担当。
プロデューサーとジェフ・エメリック自らがボーカリストを選抜しました。

 

観客の皆さんが経験するのは、音楽の歴史を密かに目撃するというファンタジー。
時代を映し出す「ザ・セッションズ」のステージは絶えず変化します。
シーンは流れるように移り変わり、スタジオの機材の配置を変える場面はバレエを彷彿とさせる美しい振り付けで演出。
楽器を設置する技術スタッフには当時の ユニフォームを着せるこだわりようです!

人生にまたとないコンサート。
それは、名曲たちと魅力的な映像を映し出すマルチメディア技術の融合です。
スクリーンに映し出されるのはニュース映 像、古き良きリバプールの日常、カーナビー・ストリートのファッション、サイケデリア、そしてもちろんビートルズのファンたち。ステージに設置された複数 のカメラがとらえるライヴ映像と共にステージを演出します。

ザ・ビートルズが、語り継がれるレコーディングセッションを開始してから50年以上が経ちました。
しかし今もなお、彼らのコラボレーションに対する 反響は消えていません。
また、1960年初頭のポップなサウンドを深みのある革新的サウンドへと進化させたことで、後世のレコーディング基準を打ち立てま した。
ビートルズが音楽界のパイオニアであり、革新的なバンドであったことは世界中の誰もが認めることです。
彼らの象徴的メロディライン、歌詞とアレンジメント、それらはこれからも変わらず称賛されることでしょう。

音楽ドキュメンタリーライヴ「ザ・セッションズ」は、ビートルズの伝説、偉大さ、才能に敬意を払いつつ、忠実に、丁寧に、そして正確に、観客の皆さんに音楽史の1ページがいかにして刻まれたかをお見せします。

来日50周年記念 日本武道館公演 「ザ・セッションズ」 ~ザ・ビートルズ at アビイ・ロード・スタジオ~ 開催決定!

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譜面を見て、拍子感覚を読み取るのです~ ラヴとマーサのレッスンから

2016年03月05日 | ツールとしての音楽

” 実は何千回の稽古よりも言葉による理解が大事である。” 

前回までの記事で引いた友寄隆哉氏の本にある言葉なのですが、
とっ散らかったままでいるより、
オーバービューイングして、解きほぐして、言葉や文章にしてみる、ということは、とても効果的に思えます。

今回は、譜面の大切さを思い知った出来事について。

もっぱらYoutubeをみて、押さえる鍵盤やコードを書き写して、弾いてみるという手法をとっていましたが、
動画に頼りすぎるのはよくないと先生が仰ってました。

譜面は、元来、音楽を盗み見られるのを防ぐための暗号(コード)として発達したもので、
判読しづらくて当たり前だという話があったりもするので、そんな面倒なモノはできれば回避したいという思いもあります。
(ましてや、クラシックでなくてポピュラー音楽を愉しむのであれば。)

ところが、どこか自由なイメージがあって、譜面とはあまり関わりがなさそうに思っていた、
曲のリズムや拍子を掴むのに、譜面が殊のほか役立つことに気づきました。

ハノン代わりの練習曲にと弾き始めたジョン レノンのLoveのイントロ、
右手のメロディなんてすごくシンプルなのですが、私にとっては意外に難しい曲。
左右で鍵盤を押さえるタイミングが違うからです。
ハノンの練習曲だと左右の指使いは違っても、左右のリズム(鍵盤を押さえるタイミング)は同じらしいのですが、
左右で拍子やリズムが違ってくると、私のような初学者には結構難儀です。

右手メロディの最小フレーズの後ろの音(「F#、C#、A、C#」のA、C#や、「B、C#、A」のA )を
左で弾く4連符を跨いで、次の4連符の最初の音に当てていくのがコツなのですが、
このリズムのモンダイは譜面をみた方が分かりやすい。


( ↓ ) 譜面に「青い矢印」で4連符を跨いで当てにいく音をチェックしてみました。

 ~ 譜面に音がついているので分かりやすい ⇒ Musicnotes/ラヴ

John Lennon Love Intro

 

さて、左右を合わせるのだけで精一杯で、
拍子のモンダイを軽視していたことを気付かされたのは”マーサ・マイ・ディア”。

マーサマイディア(拍子に気をつけて)

4小節目からの左手のオクターブ奏法の効果ばかりに意識がいってましたが、
冒頭右手4音目のを一拍置かずにシの後0.5拍で入れて、
左手の4つ目のミ♭をその後0.5拍で入れて、といった具合に、コード弾きの4分打ちとはタイム感が違います。
これまで、こういった拍子を無視して、
コード弾きのルート音を押さえる左手の要領で左右同時に鍵盤を押さえていました。
速攻で弾けるコード弾きで、譜面はとばして、のやり方一辺倒だと、
左右を一緒に合わせることにばかりに意識がいってしまい、
拍子を左右で入れ替えながらリズム感を作っていくような曲だと、ぐちゃっとなってしまって、響きまで悪くなってしまいます。

左右が互い違いの指使いになってくると、2小節、あるいは1小節くらいの断片にして、確かめながらでないと、弾けません。
そのためには、むかし教科書の譜面を見ながら歌ったり、演奏したように、譜面を見ながらのほうが分かりやすくなってきたりして、
譜読みの訓練にもなります。

弾けるのはもうすぐのようなつもりでいましたが、またゆっくり、タイミングを確かめながらの練習に戻らざるを得ません。

ところが、下手なりに、演奏に不思議な変化が生まれてきたような気がします。

” 両手を動かすことは、本当に難しいことなのですが、拍子を少し気にするだけでも 分かりやすさが変わってくると思います! ”
と先生からアドバイスを頂いたのですが、
左右のコンビネーションで拍子をとっていく愉しさ、みたいなものが掴めてきたような気がします。

6小節目のオクターブ奏法のところまでを左右同時に合わせるのが関の山でしたのに、
そのあと左手をA♭とB♭を左手で交互に入れていく箇所や
10小節目で右手を一拍休めて、左手のA♭から左右で拍子を取っていくところのコツみたいなのが分かると、
弾いているのが楽しくなってきて、
最後にオクターブではないユニゾンのB♭をバーンと弾いて終わる所まで、ゆっくりながらも弾けてしまいました。

長らく手をこまねいていて、通しでなかなか弾けなかった曲なのに、
レッスンを挟んで、譜面を見て、拍子に気をつけて、ゆっくり音を確かめていくうちに、曲がりなりにも通しで弾けてしまうとは。
(こんなのできそうにないなぁ、と思っていたのに、レッスンを受けて、いつしか受肉するということがほんとうに起きるのですね。)

テンポはとてもゆっくりですが、ゆっくりでも弾けてしまえば、あとは少しずつ反復していけばいいのだと思えるようにもなりました。

譜面読みの大切さを、拍子の理解を通して、教わったような気がします。
(それでも和音をメモしておくには、コードと転回が分かれば、オタマジャクシにこだわる必要もないとは思いますけど。)

 

~ マーサ・マイ・ディア ⇒ Musicnotes/マーサ・マイ・ディア

 

さて、ヘ音記号の音階って、慣れてないので、ぱっと見て分かりづらいです。
譜面をもっと活用してみても良いかも、と思い直して二段譜を見ても、ヘ音記号の方は苦手。
これまで、基本コード弾きでルート音を押さえればいいだけだったので、
コードネームさえ分かればよくて、わざわざヘ音記号側の低音域の譜面は確認する必要がなかったのです。

”「ド」と「ソ」を叩きこめば、両隣のシとレ、ファとラが分かるようになる”との解説もありますが、
自分なりに覚えやすい方法で覚えればいいのだと思います。

五線譜の間にすっぽり挟まっている、ラ・ド・ミ・ソを覚えてしまえば、両隣と合わせて、五線譜の線上にあるソラシドレミファソラがすぐに分かる。

さらにト音記号との間の中央のド、ヘ音記号がついているファ(へ)の音、
五線譜の下の補助線上にあるミ(ト音記号の時のド)、あたりがポイントでしょうか。



 

 今さらですが、Cを線で割ったら2/2拍子になるのでした。

変拍子が多いのはビートルズの曲の特徴らしいのですが、マーサ・マイ・ディアでも3小節目で3/2拍子に変わります。

 

 

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音感を磨くために ~音程の捉え方について~

2016年02月21日 | ツールとしての音楽

”音程”の問題こそが、音楽理論上一番難しいのではないかと、読んでる本に書いてあった。

しかし、音程への理解が深まると、コードやボイシングといった、音楽を趣味にしていく上でベースになる知識への理解が一気に進むはずだ。
難しそうにあちこちに書かれてあることを横串にしたり、書き出したりして、分かりやすく整理してみるのも悪くない。

陥りやすい誤解や、単にこれだけのことじゃないか、という気づきなど、初学者の視点だからこそ見えてくることがあるようにも思う。

 

Paul McCartney: From the Archive ? George Martin

( ↓ ) 大体、ドラミファソラティドの白鍵をルート音にしたコードを順番に弾いているだけなのに、
  マイナーコードが混ざるからややこしくなる。 ここにも音の間隔の問題(音程の問題)が潜んでいる。

白鍵だけのハ長調のスケールを弾いてみても、ミ・ファとシ・ドの間は半音になっている。
音の動きや解決感を生むこの半音使いが、音楽の構造を一見複雑にみせてしまうのだ。

ルート音から1・3・5の指で白鍵だけを押さて、順に平行移動すると、
中心音(第三音)が半音跨ぎになるDmやEm(第三音のファとソがミ・ファを跨ぐ)や、
Am(第三音のドがシ・ドを跨ぐ)といったマイナーコードが混ざる。

白鍵だけを押さえているからメジャーコードというわけではない。

分かりづらいのは、セブンスの音。
なぜ、7音だけが「7(セブンス)」と「△7(メジャーセブンス)」に分かれるのだ?
(2,3,5,6も半音下がった所に黒鍵があるのだから、そちらを2,3,5,6にして、白鍵は△2、△3、△5、△6とすべきではないのか?)。

おまけに第7音の話をしてるかと思えば、
第3音を半音下げてCmにしたセブンスのコードを、Cm7と呼ぶからややこしい。
(△7(メジャーセブンス)があるがために、Cmの7(セブンス)ではなく、Cのm7(マイナーセブンス)と読み違えてしまっても仕方がない)

 

そういった音程の問題を解きほぐすと、理解が進むのではなかろうか、と思って表を作って考えてみることにした。
(振動数の比率も書き添えてみると、十二音階や倍音との関係もよく分かる。)

 

ドレミファソラティドは、ルート音から順に、1度、2度、3度、4度、5度、6度、7度、8度となるが、
この度数というのは、名前に反して、ルート音からの距離を測るモノサシになっていなくて、
単に五線譜の間隔順に数字を並べただけのもの。

ミ・ファとシ・レの間は半音なので0.5度になりそうなものだが、半音でも1度なのだ。
同じ1度であっても、音程間の距離が伸び縮みするから、
同じ度数でも、(2,3,6,7度の場合)ルート音からの距離を表すために、短X度、長X度という使い分けが必要になる。

縦方向の度数(五線譜のドレミファソラティドの並び順)は、正確には音程の距離を表していないので、
 横方向に音程の距離(長短、増減)を表現してみたら分かりやすいのではないかと思って作ってみたのがこの図なのです。

ユニゾン(1度)とオクターブ(8度)は別として、
なぜ4度と5度のことを完全音程と呼ぶのか、理解しづらかったが、
増音程・減音程、長音程・短音程、完全音程、と書き並べてみると、それぞれが音程の捉え方、なかでも半音の扱い方の話だと分かってきた。
 
半音増やすか減らすかだと、増減の話になるし、
基音からの音程の距離は、長短の話。

では完全音程とは何かというと、音程の距離が、(転回させても)変わらない音ということになる。

4度と5度が完全音程である理由は、音程を転回(inversion)させても、
長音程が短音程になったり、短音程が長音程になるような変化がないから。
~(ド⇒ファの半音(ミファ間)を1つ含んだ完全四度は、転回するとファ⇒ドになり、同様に半音を1つ含んだ完全五度の関係になる。
また、ド⇒ソの半音(ミファ間)を1つ含んだ完全五度は、転回するとソ⇒ドになり、同様に半音を1つ含んだ完全四度の関係になる。)


(基音(ド)と完全音程(ファ、ソ)との振動数の比率がそれぞれ、3:4、2:3という単純な整数比になるから、という説明があったが、
それを言えば、レだって5:6だし、ミだって4:5だ。
だがしかし、人間の耳にきれいにハモって聴こえるのは、やはり完全音程のほうなのだ。)

完全音程とかPerfectだ、と言うと、数秘術みたいでよく分からない感じになってしまうが、
なんだ、音程間の距離が変わらないだけの話か、ということになる。
音程半音分の距離が、ミファによってもたらされるのか、シドによってもたらされるのかが変わるだけ。


~ さて、ではコード・ボイシングや転回のさせ方にも関わってくる音程の数え方~
コードのボイシングとハーモニーについて

 

 

 

 

 

 

1)複音程・・・ オクターブ(8度)以上の度数から「7を引くと単音程の同じ音になる。」

これで、基音から指折り、ドレミファソラシドレミ(10度)数えなくても、ドレミと3度数えればよくなる。

2)単音程を「転回」させた時の度数の関係・・・「足して9になる度数分だけ上下させればよい。」

・7度上の音=2度下の音(7+2=9)

・6度上の音=3度下の音(6+3=9)

・5度上の音=4度下の音(5+4=9)

これで単音程の音を自由に転回させられるようになる。

 

著者によれば、これはかけ算の九九と一緒で、理屈抜きで覚えてしまったほうがいいのだという。

 

 

 

 

 

 

 

 

でも同じ覚えるにせよ、これは仕組みを可視化しておいた方が理解しやすいと思う。
「オクターブ(8度)を跨いだ音階の度数を上に行ったり、下に行ったりするだけの話」から、こんな図を作ってみた。

(セブンスの音が8度(オクターブ)のすぐ下の音、ナインスの音がすぐ上の音になるというのは、覚えておくと便利そう。
たとえば C(ド)のセブンスなら、ティ(シ)、ナインスならレ。分かりやすい。)

 

~ 屋号まで含めた転回のさせ方について。~

 単音程の度数の転回のさせ方 (7度上の音=2度下の音(7+2=9)etc.)について書いたが、
度数の前に、長・短、完全(音程)、減・増、重減(ダブル♭)・重増(ダブル♯)とかいった屋号がついた場合にはどうなるか、です。

 

♯している音(半音上がっている音)は、転回させても♯したまま。

基準音から上に離れている距離は、♯していればその分長くなるし(Major interval、または増音+)、
基準音の下に転回させれば、下に離れている距離は短くなる(minor interval、または減音―)。

当たり前の話だ。
(音階の上下の話と、(基準音からみた)音程の距離の話を取り違えてはいけない。)

残りも同じ。

完全音程が転回させても完全音程のまま変化しない、というのは、さっき上で書いた通り。

 

 これで、”E♭の音からM7上の音は何?”って聞かれたら、

”M7上ってことはm2下、つまりE♭の半音下だからDの音だ!”って分かるようになった。

 (そんな会話するかな・・・)

 

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音感を磨くために ~メロディの正体と調性について~

2016年02月14日 | ツールとしての音楽

歌で大事なのは、メロディがしっかりした音程構造を持ったドレミファソラティドになっているかどうか。
ピアノの鍵盤のどの音にも一致しないけど、確かにドレミファソラティドの音階になっているという
「絶対音程感」があれば、歌の音がピアノの12のキーに所属していようがいまいが正解なのだという。

たしかに「ラ」音を440Hzに合わせて一定のピッチに調律した音階というのはどことなく人工的に過ぎる気もする。
自然界にある音というのは、もっと様々なピッチや周波数を持っているはずだと思うから。
絶対音感ばかりがもてはやされるが、あらかじめ定められたピッチ数をモノサシ無しでそらんじて感じることよりも、
横方向に流れていく相対的な間隔としてのピッチを感じる「絶対音程感」のほうが大事なのではないかと思えてきた。

(十二音階の狭間に在る音)
(「倍音声明」体験へ)
(グレゴリアンのように倍音声明を謡おう)

 

歌うべきメロディは、相対的な音の流れであって、
どの絶対音を基準としてそのメロディを歌い奏でるかは、あとから自由に決められる、
そんなことを感じさせる歌声。
 

私たちは絶対的なものに弱いが、どうも宇宙は違っている。
音もまた然り、相対的なもののようだ。
ナノ・ユニバース、微細なところにも宇宙は宿る。

素朴な疑問。

楽譜の縦方向(和音)の話なら、マイナーとメジャーの区別は分かりやすい。
和音の真ん中にある第三音が歪むと音に解放感が無くなってマイナー(短調)になるというのは分かりやすい理屈だ。
(コードのボイシングとハーモニーについて)

しかし、横方向(スケール、メロディ)については、
短調と長調の違いは、短調は(平行調である長調の)スケールの6番目の音から主音が始まるというだけで、
同じ音階の音を使ってメロディが出来ているはずで、理屈に無理がある。
(しかも実際のメロディが主音で始まるとも限らない)

節目(主音)の設定によって、実際に明るい響きに感じられたり、暗く悲しい響きに感じられたりするのだから、そういうものだと受け容れるしかない。

さて、調性については、♯や♭がごちゃごちゃ出てきて、一見ややこしく見えるのですが、
書き出してみると、仕組み自体はシンプルで、♯や♭の数で黒鍵に変化する音は常に決まっている。

こういうものは覚えてしまえ! 、ということらしい。
かけ算の九九のようなもので、九九を覚えずに事を難しくしてしまっているケースが多いとのこと。

(ただし、これをピアノで弾くとなると、黒鍵と白鍵の並び方のパターン別に指使いが変わってくるようで、
頭で覚えるより、指で覚えなさいとも。)

でも、恐れるに足りない、覚えてしまえばいい程度のことだと思うために整理する。
それにレヴィ=ストロースやサルトルではないが、
音楽の構造を理解することは、宇宙や自然法則の理解にも通じているような気がするのです。
(断片的弾語り ~ Hey Jude)

一見ややこしく、こじれたように見えてしまっているものを、なるだけシンプルに解き明かす。

1. ♯ 系

シャープ系のキー(主音)は、♯の個数が1個~5個の順に、ソ、レ、ラ、ミ、ティ
(Soの♯をSi(SoフラットはSe)と呼ぶので区別するために、シのことはティと呼ぶ)

=G Majorのキー、ト長調 (黒鍵(♯)は、ファ)・・シャープがつくのは主音の下の音

=D Majorのキー、ニ長調 (黒鍵(♯)は、ファ、ド)

=A Majorのキー、イ長調  (黒鍵(♯)は、ファ、ド、ソ)

=E Majorのキー、ホ長調   (黒鍵(♯)は、ファ、ド、ソ、レ)

ティ= B Majorのキー、ロ長調  (黒鍵(♯)は、ファ、ド、ソ、レ、ラ)

 


譜面上では一番右のシャープのついている音のすぐ上が主音になる。

~ ファに♯なら、キーはソ(G)、 レに♯なら、キーはミ(E)、ラに♯なら、キーはシ(B)


 

2. ♭ 系

 

フラット系のキー(主音)は、♭の個数が1個~6個の順に、ファ、ティ、ミ、ラ、レ、ソ

ファ=F Majorのキー、ヘ長調 (黒鍵(♭)は、ティ) ・・フラットがつくのは次の主音の音

ティ= B♭Majorのキー、変ロ長調 (黒鍵(♭)は、ティ、ミ)

ミ = E♭Majorのキー、変ホ長調 (黒鍵(♭)は、ティ、ミ、ラ)

ラ = A♭Majorのキー、変イ長調 (黒鍵(♭)は、ティ、ミ、ラ、レ)

レ = D♭ Majorのキー、変ニ長調 (黒鍵(♭)は、ティ、ミ、ラ、レ、ソ)

ソ = G♭ Majorのキー、変ト長調  (黒鍵(♭)は、ティ、ミ、ラ、レ、ソ、ド)

譜面上では一番右から2番目のフラットについている音が主音になる。
フラットが1個ならキーはファ(F)、これは2番目がないので、覚えるしかない。

~ ♭1個ならキーはファ(F)、 右から2番目がシに♭なら、キーはシ♭(B♭)、
  
右から2番目
がレに♭なら、キーはレ♭(D♭)


 さて、”歌うべきメロディは、相対的な音の流れであって、どの絶対音を基準としてそのメロディを奏でるかは、あとから自由に決められる”、
と書きましたが、
実際に調性(キー)にかかわらず、長調の音階は、「全全半(つなぎの全音)全全半」になっています。

逆に言うと、♯や♭の調号が果たす役目は、
どの音から主音が始まっても、「全全半(つなぎの全音)全全半」の間隔になるように調整することだと分かります。

ムタツィオという、言語的な先入観に惑わされずに、音程の本質を見抜くテクニックが中世の昔にあったらしい。
全全半(全)全全半という音程を歌うのであれば、
絶対音感をベースにした固定ド唱法(音名のドレミファソラティド通りに音階もドレミファソラティドと歌う)で歌わずとも、
ドレミファと歌った後、(つなぎのソでシフトチェンジして)、ソラティドではなく、ドレミファと歌ってもよい。
前半部分のドレミファだって、絶対音感的に正しい音名で歌っているわけではないから、
後半のソラティドが正しい音名で歌えていないからと言って気にする必要はない。
どのみち、絶対音感的に正しいピッチ、正しい周波数の「音名」を歌ってるわけではなく、「音階」を歌っている。
(言語的な先入観というのは、ドレミファソラティドと各音階を別の言葉で歌うと、音名を正しく指定できているという勘違いのことを指している。
 実際には音名を正しく歌うことは困難で、ドレミファ、ドレミファと同じ音階を続けて歌っているのと大差はない。)
全全半という相対的な音程感が正しければ、シフトチェンジしながら正しい音階を歌っていることになる。
必要なのは「絶対音感」ではなく、正しい間隔のピッチを持った相対的な音程感(本記事冒頭でいう「絶対音程感」)なのだということになる。

移動ド唱法に通じるアイデアだ。

 

(ただし、短調の場合には、自然的短音階の他に、主音(イ短調のラ)へのつながりを良くするためにソに♯をつける和声的短音階や、
ファにも♯をつけて音階をスムーズにした旋律的短音階といった細工が存在するので、短調=全半全全半全全、というわけでもなくなる。)

 

相対的な音の流れがメロディの正体だとすれば、
メロディは、必ずしも絶対音感的な音名を歌うものとは限らない。
前後の音のつながり、前後の音程が正しければ、正しくメロディを歌うことはできる。

(カラオケのキーを変えて、メロディを歌うとは、そういうことだ。)

つまり、キー(調性)とは、「ドレミファソラティ」のような7つの音使い(メロディ)を
どの基準(主音、キー)に設定したら、もっとも気持ち良く奏で歌うことができるかを決めたもの、
ということになります。

繰り返すが、シャープやフラットは、
主音が変わっても、
メロディの音程感を変えることなく歌い奏でるための、便利なもの。
誤解してはいけない。決して、事をややこしくするものではない。
そして、主音が変わると(調性が変わると)、
音の流れは変わらなくても、世界観が変わるという魔法のようなおまけがついてくる。

なんだ、簡単なことじゃないか。

  

調性についてテーマアップした吉松氏の本。
弦を押さえて高音を鳴らす楽器の構造上、シャープ系が得意な弦楽器、逆にフラット系が得意な管楽器、
作曲家がどの楽器を鳴らすかを想定して調性を決めるという下りや、
タイトルに相応しいとは思えないのに、なぜ、クラシック音楽の曲名にはいちいち調号を付けるのか、

(チャイコフスキー ピアノ協奏曲第一番 変ロ短調』とか。)~ (大切なのは、まず「身体を割る」ことなのだ。)

調性と言うのは題名に冠するべき、曲の内容を左右するほどに大事なものなのだろうか、

という問いの立て方まで、興味深い内容です。

( ↓ ) これは、スケールに節目をつけて横展開したらマイナーになったという話ではなく、音自体を縦方向に歪めたマイナーなのでしょう。
   もともとゴスペルソングなのだが、より一層、教会音楽的受難曲の調べになっている。

 (マタイ受難曲 ~ ノベリスト ~ 物語を登るひと)

"Let it be" in Minor key

バロック音楽についての過去記事から。
ブログを続けていると、ナノ・ユニバースではないが、ナノ的な一編一片がつながってくるようで面白い。

(ニュートンがリンゴを見ていて気づいたように)

(バレエがデフォルメするものをエトワールに学ぶ)

(バッハの少し前までは、中の三本指しか使っていなかった)



 

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[ピアノ弾きおじさんへの道] レット イット ビーが操れるようになってきた。

2016年01月30日 | ツールとしての音楽

よいシンボルマークができた。

おじさんだからといって、工具や陶磁に限る必要はなく、ピアノをいじっているおじさんがいてもよい。

別に流麗に弾かなくてもよい。

弾くというよりは、いじる、触る、操る。

マリオネットを操るように。

完成もなければ、後悔もない。

ただ、いじり続ける。

こういうのを台詞ごと音楽といっしょに、クルマで聴いてみても面白いかも、と思った。

ポルトガル・ギターやマンドリンの響きは実にリリカルだと思う。

( ↓ ) レット イット ビーにはなかなか良いカバーがないなぁと思ってたら、ギターにいいのがあった。

ミロシュというクラシック・ギター奏者によるカバー、歌はグレゴリー ポーター。

ピアノの参考にはならないけど。

Miloš Karadaglić - Let it Be (Beatles cover) ft. Gregory Porter

ピアノを弾いてみようと思ったのは、楽器店のおじさんが、レット イット ビーやヘイ ジュードを店頭で弾いて見せてくれた時のことでした。
あの時は、そんな風にコード弾きが出来るようになりたいんです! って感じでしたが、
いつの間にか、あの時の憧れだった店頭弾きの水準に近づいてきたような気がします。

もっと、触って、いじって、操れるようになろう。

let it be 20160130

今日はTone up Toneの2回目のレッスン。
僅か30分の短いレッスンなのに、なんという的確なアドバイスなのだろう。

Gコードの左手を ”右手から解離させる” と、
響きに拡がりが加わっただけでなく、コードの流れがスムーズになった。
どことなく歌のメロディが乗りにくかった伴奏だったのが、スムーズに歌が乗るようになった。

ながらく断片弾きのまま放置していたレット イット ビーがつながった!
こういう進歩はうれしい!

先生がハノンの教本を買ってきてくださいました。
もっと「大人のハノン」とか、易しそうなのをイメージしてましたが、がっつり目。(@_@)
このハノン曲は、こういう効果があるとかいった解説がある風でもなく、目次もなく、びっしりと楽譜が並んでいるが、
この一冊をベースに、自分で書き込みしたりしながら、育てていくようにしたらよいのかもしれない。
はじめて英語の辞書を買った時のように、これもまたいじりながら、触りながらくらいのつもりで。

”ハノン”って、響きがいいなぁと思ってたら、LENNONに綴りが似ていた。

今、ハノン替わりに練習しているのが、ジョン レノンのLoveのイントロ。

同じく練習になればと思って始めたマーサ・マイ・ディアも私には難しいが、
シンプルで簡単そうなLoveのほうが、ある意味、もっと難しい。

右手のメロディが、左手のリズムと違うのだ。
この両手の合わせ方が今の課題。
左手を弾きながら、メロディを口ずさんで入れてみたり工夫もしてみたが、上手く左手に右手のメロディを当てることができない。

右手メロディの最小フレーズの最後の音(「F#、C#,A、C#」の最後のC#や、「B、C#,A」のA)を、コードを跨いで次のコードの頭に当てるのがコツのようだ。

Love by John Lennon Piano TUTORIAL Part 1

 

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[ピアノ弾きおじさんへの道] 夏の思い出 (ピアノいじりの愉しみ方)

2016年01月24日 | ツールとしての音楽

遅かった冬の訪れでしたが、先週に続き、明日も降雪予報の関東

・・・だというのに、季節外れの夏の思い出。(思い出す頃は、夏ではないはずだから季節外れでもないか。)

 

歌に出てくる尾瀬は、関西出身の私にとっては、憧れの地だった。

ガンダーラの如く、なぜか懐かしみを覚える遥かな世界、異郷の地の歌。

~荒城の月もいつか弾き歌ってみたい。
もののけ姫もそうだが、切っ先鋭い、洗練の極みを感じさせる日本の歌だと思うから。

夏の思い出 20160124

どのみち、そんなに上手くないんだから、もっと練習してから完成テイクを、なんて思わずに、
アップすることで、モチベーションをアップさせることにした。

ピアノは響きのバランスを様々な方法で操ることによって、和声や倍音の効果を意のままに変えることのできる唯一の鍵盤楽器である。

和音の意味を引き出し、和声の効果を利用するためには、
音を弾いている各指の強さを自由に変えられる能力が必要だ。
音質を決めるのは、この弾き分け能力と響きのバランスだ。

―これは腕の脱力から生まれるのではないが、腕の脱力がなければ生まれない。
腕から力が抜けていれば、腕が各指の独立を妨げることはない。

ピアノを教える時に強調すべきはこの点であって、いい響きを得るための純粋に機械的・技術的メソッドがあるという思い違いではない。

だれもが忘れてはならないのは、音楽が音であると同時に身振りであること、
そして、原初的なところで、ダンスとつながっていることである。

(「ピアノ・ノート」より)

 なんだか、ゴルフにも似ている。

 

 ピアノ・ノートの表紙のイラストが象徴的で面白い。
あらたまって、弾くというよりは、操る感覚なのかも。 構えずに、いじって、愉しむものかもしれない。
初学者だからと、かしこまることもないのだと思えて元気が出るから、シンボルを作っておくことにした。

 

 


  

コード弾きではスルーしがちなスケール弾きだったが、学びは面白い。(今度また整理します。)

小説の類を、はじめからストーリーを追ってちゃんと読むのが、なぜか苦手で、
そんなことならサイエンス系の本をぱらぱら読んでいる方が好きだったりするのだが、
音楽本には、サイエンス本を読むのと似たようなところがあるのに気づいた。
しかも、実際に触って、書いてあることを確かめたりできるので、
ひょっとしたら、サイエンス本の代替以上の愉しみ方ができるかもしれないと思い始めた。

 

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[ピアノ弾きおじさんへの道] 2015/年の瀬の音楽漬け

2015年12月31日 | ツールとしての音楽

逃げ続けるがゆえに追い続けてゆかざるをえない、移ろい続ける瞬間。

この曲は、オリジナルが特別だ。

ピアノに触るようになって、今さらながら思うのだが、
その時、その空気、に響いていた音色というのは唯一無二の音で、同じ音にはならない。
楽器やコンディションの違いも含めて、
その場所で共鳴していた音というのは、そこにだけ在ったもの。

最初の1音 " the" を聴いたとき、その一瞬で これは凄いと感じた、と前に書いた。 (The ロング・アンド・ワインディング・ロード)
レコーディングの際のちょっとしたハプニングか何かで、特有の歪んだ音色が生まれたものだと思っていたら、
そうでもなく、メイキング途上のテイクでも、歪んだニュアンスで歌っている。

The Making of the Long and Winding Road Part 1

この曲やLet it beは、極めてピュアでネイキッドな曲だというのに、
不思議なことに、以降のライブ・パフォーマンスでは、繊細なニュアンスは失われてしまっている。
ポール自身が再録したバージョンでもそう。
ブラームスの音楽は、本来狭い暗がりの部屋の中で聴かれるように作られているのではないかという話を読んだことがあるが、
原曲には、大きなライブ会場で聴くのではない、傍で聴いているような親密感がある。

不思議のもうひとつは、この曲やLet it beの良いカバーがなかなか見つけられないこと。
演奏やニュアンスの好みの問題を差し引いても、ストレートに楽曲の良さが伝わってくる演奏や歌に出会うことが殆どない。

なのに、タケカワユキヒデさんが歌うバージョンが素晴らしかった。
たぶんポールの意図に反しているであろう、フィル スペクターも驚くほどの壮麗なオーケストレーションが、すごい。
年末の第九の合唱や、歌劇のようで、仰々しいとされがちな解釈なのだが、
これでもかと言わんばかりに、たっぷりとハープが曲の輪郭の上でキラキラ踊り、
羽田健太郎さんのピアノは、ラフマニノフのコンチェルトを聴いているようだ。

タケカワユキヒデ「The long and winding road」

久しぶりにCDを焼きました。

Dirpyすごい! 便利! (Dirpy安全?ウイルス感染の危険性はある?評判と使い方について )

ソフトをインストールしなくても、YouTubeから音声をダウンロードできる。

来年は、ピアノに力を入れようと思って、弾き歌いの練習になるようなものを集めてきました。
(Hey Judeの下降進行や、Yesterdayのカウンター・パートにも歌を乗せられるように)

素人の方の演奏や、中には小学生のピアノ演奏まであります。
YouTubeというのは、本当に音楽の愉しみ方を拡げてくれたと思います。
商業ベースに乗ってないような、アマチュアの音楽もシェアされていて、
そんな中に自分にとっての名演を見つけられる。
小学生の女の子の弾くピアノに感激したり、おじいさんの弾くギターに聴き惚れてしまったりする。
レコード店やオンラインで配信されているものだけが、聴くに値する音楽だというわけではないと思う。
(逆に、Hey JudeやLet it beを上手に歌えていないプロやネイティブの方も沢山いる。
ストリート・ピアノで弾き歌いしているお兄さんのが格好良かったりする。)
音楽をプレイする楽しさが伝わってくるのは、むしろアマチュアの音楽だったりもする。

自分の歌までしのばせてしまったのはご愛嬌。
コード付けとか、いろいろ勉強する刺激になるから。
いつか、McCartneyⅡを録音していた時のポールのように、” 自分で楽しむ用に作った音楽 ” をもっと楽しめるといいなぁ。

イエスタディでも、作った当の本人が、こんなに愉しんでいます。

Yesterday - McCartney Rehearsal

というわけで、最近は、音楽をアナリーゼする読書にも勤しんでおります。

 

 

 

Twitterの中に埋もれかけていた、年の瀬の記憶。

~ 緩い生クリームは結構好きです。アルペンに遊んでいるようで、
どさくさに紛れて、雪崩をうったように食べることができます。

~ 長崎は魚が美味しいらしいので、肉が食べたかったそうです。
〆も、” 日本一おいしいミートソース ” を替え玉で。


年の瀬の〆はやっぱり、蕎麦でいこうと思います。

皆さま、よい大晦日をお過ごしください。

コメント (2)
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