And we were New,,, そして当たり前のように今年も奇跡が現実になった。
まさにJust in Timeだった大病明けの2013年秋から数えて、3度目のポール来日公演は、最終日4月30日の東京ドームへ。
前回2015年に続き今回もいい席でした!
ステージ正面ではありませんが、最前列になるA4ブロックのなかでも5列目のステージ寄りの席。
妻が、初めて一緒だった25年近くも前の1993年が一番良い席だったというので、
あらためて当時のチケットを見直してみると、前回よりも正面寄りのC13列でした、、よく覚えている。
(「Peace in the Neighborhood」っていう当時のニューアルバムに入ってた曲を気に入っていたことは、私のほうがよく覚えている。
今回も80年代の曲、「エボニー・アンド・アイボリー」とか「パイプス・オブ・ピース」とか「カエルの歌」(= We All Stand Togetherのこと)とか歌ってほしいなぁ、と言ってましたが、80年代の曲についていえば、Here Today以外は不思議なほど選から漏れます。いつか聴かせてくれぃ。)
まもなく75歳にもなるポールだけに、長旅や3時間近くに及ぶ連日のライブによるパワーダウンを心配していましたが、
ツイッターに上がってくるコメントや、黒柳徹子さんのインスタグラム投稿に、そんな不安も払拭。
武道館は行けなかったけど、最終日の東京ドームへの期待が高まります。
そう、何度見ても深いところで感動するのです。
おぉ、神よ、そこでは、あらゆる種類の人生や感情が肯定される。
朝から、神さまに逢う日の地球の春を愛でる。
沁みるような緑、フランス式庭園のように整形された端正な生垣。
青空に異国情緒のような差し色を入れるピンクのハナミズキが好きです。
上手く写真に撮れていないが、よく晴れた青い空に浮かぶ花色は、ガンダーラの歌に出てくる遥かな憧れのようだ。
生命が蠢き、沁みるような艶やさを見せるのは緑だけではない、土から栄養を吸い上げて沁みるような赤を見せるのがこの時期のツツジ。
太陽が眩しすぎて、沁みるような瑞々しさのある写真にはならなかったが、これもまたどこか遠い異国アルルの田舎道風。
おぉ、銀座に行くのに、またも出遅れた。
出待ちのペニンシュラに着く頃は黒山の人だかり。
McCartney on 30 Apr 2017@Tokyo Dome / part1 ~In spite of all the dangers
”彼らは2002年のDriving World Tourからバンドとして10本目になるOne On Oneの準備をしながら、ポールとの仕事について語る。
それから14年が経ち、何百もの思い出に残る夜を経て、そして何百万もの音符を奏でて、
このバンドはこれまでにも増してタイトであり、可能な限り最高のコンサートをしたいという意欲を強く持っている。”
1989年以来ポールとステージを共にしているキーボード奏者、ウィックスの言葉が紹介されている。
~”僕はこれを一般観客に提示すること、そしてそのレガシーという意味で、自分の仕事、僕ら全員の仕事の責任を理解している。
僕らは演奏する度に、その状況の重要性を常に認識しているつもりだ。”
”曲の特徴的なパートには敬意を払う。それは何度も弾いたからという理由だけでどこかのフレーズを変えたりはしないけど、
一方で、知られているからという理由だけで何かを全く同じように演奏したりもしない。”
曲のフレーズのここそこに、そのようなスピリットを感じる瞬間がたしかにある。
これまでに聴いた演奏と、フレーズの断片をどこか違えていたりするのだ。
その細やかなこだわりに敬服させられる。セットリストが似ていても、同じツアーではない。
McCartney on 30 Apr 2017@Tokyo Dome /part 2 ~ you won't see me ~
ヘイ ジュードでの合唱用にチケットと共に送付されて来た「Na Na Na」のプラカード。
4月30日には会場にサイリウムが用意されていました。
McCartney on 30 Apr 2017@Tokyo Dome /part3 ~ The end
ポールは最終日のコンサートを終えた晩、会場からそのまま羽田空港に直行し帰国の途に就いたそうです。
休暇を取ってゆっくり観光するようなこともなく、音楽を届けるため、ライブをするためだけに、はるばる日本にやって来たのでしょうか。
Out There ツアー然り、One On Oneツアー然り。
たとえば、一つの和音を長いこと押さえたままにし、「これはどんな感じがする?」と自分に問いかけながら、
納得できる答えが浮かぶまでその音色に浸り切る。
「ものごとを実際にどう感じるかを意識し、それを確かめる力」、
この大切な心と体のつながりを果たした時の変化は、文字通り目に見えるほどだ。
そのような再生が実現するかどうかは、それを自分のものにできる、という根本的な信念を取り戻せるかどうかにかかっている。
想像がつく通り、「克服するのではなく追跡するように態度を変えれば」、問題は不思議にも消えてしまうことがある。
もう一度弾いてみて、体のどの部分が、いつ緊張するのか、どこから問題が始まっているのかを、正確に追跡すること。
そして、選んだパッセージをどんなふうに感じたいのか、エネルギーの細部にいたるまで想像する。
動作を細部に至るまで想像すると、神経学的には、その動作を実際にしているのと同じ経験ができることが分かっている。
動作がどんなふうに『見えるのか』のイメージを描くのではなく、
体が神経学的にどんなふうに『感じるのか』の『フィールイメージ』を描く。
(「ミスタッチを怖れるな/ウィリアム ウェストニー」より」)
ポールの音楽や、その底知れぬパワーについての洞察や手がかりにもなる。