これまでまったく関心がなかった能に、興味を持ちました。
夢幻能に「前シテ」、「後シテ」という対比があります。
~ 前シテと後シテは同一人物であるが、その現実の次元がまったく異なってくる。
後シテは魂の次元の現実を舞うのである。
音楽でいうところの対位法みたいな発想です。
~ 年収や社会的地位といった一般的な尺度で測定した「私」は分かりやすいし、
他人に対して説得力を持ち、多くの人はそれに頼ることになる。
どのような職業についていようと、どこに住んでいようと、
それによって相当明確に自分の位置を見定めることができるという意味で普遍性をもつ便利な考え方。
「俺もたいしたものだ」とか「まあ、そこそこやっている」などと感じることができるし、
「私とは何か」、に相当答えることができるのだ。
~ 一方でこれとまったく異なる考え方もある。
たとえば、山小屋の前に立って、高い山々を見ている。
それだけでまったく十分なときがある。これが私だと感じることができる感覚。
このような感覚がわからない人は、自分がそのときにみた山が「海抜何メートル」であるのか、 「有名」な山なのか、
そこに行くためにどれほどの費用を使ったのか、などを強調する。
同じ山を見ている「私」であっても、その尺度は先に述べた一般的尺度に頼っている。
~ 「私は誰か」に答えるのに、一般的尺度に頼るのではなく、
「私の魂の在り方」を知ることは、中年における重要な仕事というべきであろう。
前シテと後シテのように、中年は二つの私を必要とする。
一般的尺度に還元しうるのみの「私」であってみれば、いかに成功しているのせよ、
それはこれまでもあったし、これからもある存在のひとつ。
せっかく生まれてきた「私」について、「実は私の魂は」と示せる姿、
後シテのような姿がその内部に生きていてこそ意味があるのではないか。
あまり個性や独創性ばかりを重んじるような個人主義にはしってはいけませんが、
後シテ、という発想、物の見方に得心するものがありました。
「夢幻能」は「現在能」と区別される、死者が中心になった能をいいます。
能が生まれ、大成されていった観阿弥、世阿弥の時代、鎌倉・室町時代には、
夢幻能が能の中心であったということです。
それは、戦乱の時代に、死が極めて人々にとって身近なものであり、「死者の世界からものを見る」、
亡霊や神仙、鬼といった超自然的な存在が主役(シテ)であり、
生身の人間である脇役(ワキ)が、シテの話を聞き出す構造を持つにいたった、との理由からのこと。
信長が舞った能、敦盛のごとく、生死がもっとリアルであった、
言い換えれば、もっともっと本気であったであろう、いにしえの日本人が、
どのような感覚を持ち得たのかに興味が湧いてきます。
織田信長の敦盛
2冊ほど読み進めていますが、今に活かす知恵を探りたいと思います。
(禅ゴルフ、という本があるので、能ゴルフ、の着眼点も持って切り口を探したく。)
(↓)観世流シテ方、梅若基徳(うめわか もとのり)氏のHP
http://www.umewaka.info/index2.html
河合隼雄氏の著書にいい文章がありました。
面白いこと探しをしながらもけじめをつけておく、ということ。
~ 現実は際めて多層であり、それを知ることによってこそ人生が豊かになり、意味深くなるのであるが、
それらの層の差について、何らかのけじめを心のなかにつけていないと、
破壊的・非建設的なことになったりすることも知っていなくてはならない。
簡単なことは簡単、しかし豊潤。、でいきたいものですなぁ。
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