ゴルフィーライフ(New) ~ 龍と共にあれ

目指すはスクラップ・ブックか、はたまたビジョン・ボードか。
隠れ家CLUBゴルフィーにようこそ♪

悩みをサイエンスする(続編)/ ペルソナとストレンジャー

2010年03月10日 | 読書ノート

悩みをサイエンスしてみる、続編です。

さて、セパレーション感覚(疎外感)を減らし、周りの世界(宇宙)と一体化させる、
すなわち、意識を成長・進化させるために、具体的な方法があるのでしょうか。

喫茶去(しばし ごゆっくりと) <(_ _)>」でも、
<無意識レベルの強化>、<科学モノ、時間と哲学の融合>なんかでこのあたりをテーマにしてきました。

この意識の成長・進化については、
そのプロセスは決して簡単なものではなく、
古来から多くの人達がその道を進み、自らの道のりを伝えてきました、と本書にもあります。

私たちの多くはなかなか「個」の確立さえおぼつかない状態ではありますが、
自我の発達の度合いによって、悩みの様相は変化していくのだといいます。
心理学者によって、言葉の定義などもまちまちのようですし、
ここで、学問的なところを追求しても仕方ないので、大雑把な整理になってしましますが、
成人した大人の自我の発達レベルは、普通の人間(聖人でない)の場合、次のようなプロセスになります。

1.本能や感情(フロイトのいう「イド」)がストレートに出ず、良心や道徳律のフィルターを通した自我。
 社会の既成観念に依存した自我であり、しばしば本能や感情との葛藤も生じます。

 ⇒ 著者曰く、殆どの人は、この「中期自我」と呼ばれる段階のなかで社会生活を営んでいる。
   いわゆる、世間的な常識、レベル、ということでしょうか。

2.自分の外側に規範を求めることがなくなった状態。いわゆる既成観念の物差しに依存しない自我。
 人間は社会生活を円滑に送るために仮面(ペルソナ)を作り、
 望ましくない部分人格(シャドー)を自ら抑圧しているが、
 そのシャドーをある程度自覚できるようになった状態。

  ⇒ 著者は、このレベルになると、いかめしい人格者や聖人のイメージより、
    むしろ他人からは「無邪気に、堂々と、裸で生きている人」に見えることが多いはず、  としています。
    「後期自我」、「成熟した自我」と呼ばれる段階。
    孔子の言う、「70にして心の欲するところに従って矩(のり)をこえず」という言葉を連想するようで、
    40歳そこそこの自分には手の届かない望むべくもないレベルなのでしょうか。

著者は、ペルソナを持つこと自体は、健全な社会生活を送る上ではむしろ不可欠なことだ、と言っています。
(仙人みたいなことを言われても困るので、そのとおりだと、妙に納得。)

私たちは、課長、父親、夫、友人、といった複数のペルソナを持ち、状況に応じて使い分けて暮らしている。
ただ、このペルソナは社会の上層部にいくほど強固になって、本来脱着できるものであることに気づかなくなり、
「こうであるはずの自分」にとって好ましくない側面から目を逸らし意識下に抑圧する(シャドー)傾向を強めていく、というのです。

バース・トラウマと同様、ペルソナが複数ある以上様々なシャドーがついてまわるのですから、むやみに否定しないこと。

トラウマやシャドーが原動力となって戦うエネルギーに昇華させているうちはいいのですが、
ペルソナが立派になればなるほど、シャドーも深くなり、
無意識からの衝動の突き上げが人生を苦しくさせる、ということは心得ておくべし、ということです。

人間は勝手なもので、「自分のなかの認められない自分=シャドー」を、自分の外に締め出す、ということが起こる。
人間関係のトラブルは、このシャドーを他人の中に見出すことによって発生するもの、とのことです。
歴史上の多くの紛争や戦争も、抑圧されたシャドーを解消し、戦う人の心の安定のために、「正義の戦い」として行われる。

 シャドーはコントロールするものであって、必ずしも悪者でもありません。

いくら腹が立つことがあっても、怒りを抑えるように、負の情念としてのシャドーは巧みに抑圧していくべきもの、であり、
これが出来るのは、後期自我の特徴でもあります。
感情を抑圧できることが「冷静沈着な人」という評価にもなるのです。
(セパレーション感覚(疎外感)にしたって、競争社会で生きていくためには、
「自分は人とは違うんだ」と、あえてエゴを肥大させる方向に仕向けることは有用でもあるのです。
 ただ、目的志向への傾向が強い現代人は、視野が狭まり、
本来人間が持っていた宇宙との一体感や、見えない流れをつかむことが苦手になってしまっている、ということ、
 そして、肥大化されたエゴがセパレーション感覚(疎外感)を増大させる方向に働く、
 ということをワキマエテおくことが大事だということです。)

シャドーを消し去ることはそうそうできるものではないが、シャドーの存在、
すなわち「自分の中にも望ましくない自分がいること」を素直に認めることができること、これがポイントのようです。

個々の悩みに潜む、悩みの本質であるトラウマとシャドーをある程度自覚しておくこと、これだけでも意識は成長し、進化していく。

朝 ふとんの中でうとうとしながら、台所から聞こえてくる音や、窓の外の鳥の鳴き声を何となく聞いている、
そのような状態の時、私たちは無意識とつながっていて、何となくとはいえ、宇宙との一体感を取り戻している、
大切なのは そのような一体感を意識的に取り戻していくこと、とのことです。

無意識レベルにアクセスしやすくする方法を理解して、無意識レベルの強化を図っていくこと、
これからもテーマとして取り組んでいきたい。

(↓)ペルソナにちなんで。
The Stranger 訳詞付 / Billy Joel

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悩みをサイエンスしてみる

2010年03月08日 | 読書ノート

~ いま、何をどんなふうに悩んでいるかによって、
  いま自分が意識の成長・進化のプロセスのどのあたりにいるのかが分かってくる。
  逆に言えば、
  意識の成長・進化という概念を頭の片隅に入れておくことが、
  悩みに上手に対処するための一番の近道なのです。

(↓)生き方をサイエンスする、というキャッチに惹かれました。
   天外 伺朗(てんげ しろう)というのは、
   ソニーでコンピュータ ビジネス責任者を8年間やった土井利忠という方の別名。
  (精力的な活動をされているようで、ペンネーム、というには失礼な気がします。)    

心理学が専門というわけでもない、ビジネスマンだった方ならでは、の平易で実学的な本で、
装丁は、バッタ臭いですが、説得力あります。
悩んだ時には、時々振り返って反芻したくなりようなことが多々書かれていました。   

悩み 溶かすか、戦うか!? (ロング新書)
天外 伺朗
ロングセラーズ

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著者は、人間の悩みの根源をたどると、あらゆる悩みの原因は「セパレーション感覚」に行き着く、と説明しています。

セパレーション感覚とは、自分が切り離されているという孤独感や疎外感。

これは、聖書の楽園追放神話(知恵の果実を食べてエデンの楽園を追放されたアダムとイヴ)や仏教の四苦八苦、
などでも指摘されている、
「自分は”宇宙”から切り離されたひとりぼっちの存在だ」という感覚を指します。この”宇宙”が、両親、パートナー、会社、とかいろいろなものにすり替わることで、
様々な悩みが生まれます。
理解されない疎外感を感じ、自分は受け容れられていない、と悩み、苦しむ。

心理学では、バース・トラウマ、といって、
生まれた時の「個」として母親(宇宙)から切り離された別離の記憶が、
人間の悩みや苦しみの始まりである、というのが定説になっているようです。

いったん、お母さんのおなかから出た赤ちゃんは、自分で栄養を取り、自分の肺で呼吸し始めなくてはなりません。
危害を加えるものも出てきますし、暑かったり寒かったりもする、
別に哲学じみた小難しい理屈ではなく、そういったところから苦しみは始まるのです。
人間はこの世に生まれ落ち、「個」となった瞬間に、強烈なセパレーション感覚を無意識のうちに持ってしまう、ということ。

だから、人が悩むということは、生きている以上 宿命でもあるのです。

 (↓)一見、よく分からない図ですが、要は、
   縦軸(A軸)に、悩みを生きる戦いのエネルギーに変えていく対応力、
   横軸(B軸)に、人間が生まれながらに持っているセパレーション感覚を減らしていく熟達度、
  を示しています。
  周りでは、いろいろな人がさまざまな人生を送っていますが、
  悩みとどう向き合うかという視点から、さまざまな人生をチャート上に表したもの。   
  自分がどの位置にいるのか客観的に状況を把握して、「悩みとどう向き合うか」、対処法を考えてみる。  

~ 私たちはより良い人生を目指して、つねにチャートにおける自分の位置を移動させようとしています。
  このとき、私たちが進む方向は大きく二つに分けられます。
  A軸に沿って、戦いのエネルギーを高める方法をとるか、
  B軸に沿って、意識を成長・進化させる方法をとるか、です。

~ A軸で上方に位置する人ほど、人生の目標をはっきり掲げ、それに向かって活動的に取り組む傾向にあります。
  A軸で上に進めば、よりよい人生が開けるというのが、いわゆる世の中の常識です。
  競争社会では、戦いのエネルギーが強い人が望まれます。
  そのため、A軸に沿った生き方が人生の王道と考えられてきたのです。

  B軸に沿って、意識の成長・進化をとげて自らのセパレーション感覚を減らしていくことより、
  まずは目の前の敵を打ち負かし、偉大な業績を上げる生き方こそが賞賛される。
  本人にしても、トラウマを原動力として戦っている間は、
  セパレーション感覚という本質的な悩みから目をそむけていられますし、
  ある程度の心の安定もはかれるので、おもしろい人生を歩むことになります。

~ (世の中の物差しでなく)本人にとって、その人生が幸福かという根本的な問題意識から見つめるなら
  トラウマを原動力にして戦うA軸のみに沿った生き方は、
  B軸を進化させずセパレーション感覚を減らすことができない限りは、必ずしも幸せに続く道だとは限りません。
  A軸方向に、新たな目標のはしごをどんどん昇って行ってもキリがありません。
  戦い偉大な業績をあげたアメリカン ドリームを体現したような人が、
  B軸方向への意識の進化を伴っていなかったがために、結局は不幸になり、
  大金を払ってセラピストのもとに通う人生を送っているのを著者は沢山眼のあたりにしてきた、と言います。

~ 近年、競争を好まない人たちが増えていることが指摘されています。
  社会に無理やりはしごを登らされ、戦いの人生を強いられるのではなく、
  自分の身の丈にあった暮らし(スローライフ)を好んで、出世や名誉を追い求めない人達。
  そういった彼らをハングリー精神がないと歯がゆく感じる年長者も多いようですが、
  私から見ると、彼らは人類の進化を先取りしているように思えます。

  人間の憎しみが戦争を引き起こし、人類絶滅と多大な環境破壊を引き起こしかねない現代、
  戦うアドレナリン系のホルモン・システムが強いA軸方向のみに沿った生き方は、むしろ時代遅れではないでしょうか。

  社会の変化にしたがって人類のホルモン・システムも変わっていき、
  今後はアドレナリン系ではなく、ベータ・エンドルフィン系の活動がさかんな人類が誕生することは、
  人類の進化の道筋として当然です。

~ B軸の方向に進む生き方は、悩みに対する抜本的な解決方法です。
  意識を成長・進化させ、セパレーション感覚が小さくなっていくと、
  それにつれて人生はどんどん楽になっていきます。

  今後は、セパレーション感覚が少なく、肩の力を抜いた人がリーダーシップを発揮できる時代になるでしょう。

~ 悩みは敵ではありません。
  悩みは心の中のセパレーション感覚を気づかせてくれます。

  『あらゆる人のあらゆる人生は、母親の胎内より生まれ出て、
  「個」として多くの苦難を経験し、
   それから再び「宇宙の胎内」に戻っていく、至福の旅路である。』

  自分が何をどのように悩んでいるのか、深く見つめることによって、
  私たちは、宇宙に向かう旅のどの道程にあるのかを知ることができるのです。

 経歴などのラベリングで判断することを良しとは思いたくないですが、
 ソニーの元役員、にしてこの透徹した人生観、学ぶところあります。(続く) 

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それって何?

2010年03月06日 | お気に入り♪(ビートリー)
ゴルフやって(遊んできて)、ストレス抱えてるってのも変な話ですが、
なんかこうムシャクシャするような気持ち、、。
ゴルファーのみなさんには 若干なりとご理解いただけると思います。

というわけで、ちょっとBADなシリーズ続編を。
くたっ、と疲れたときには、これもひとつの気分転換。

(↓)誰もみてないのに、どうして みんなやらないの?

Why Don't We Do It In The Road - The Beatles


(↓)銃の温もりって??

Happiness is a warm gun lyrics:remastered


(↓)今の自分に一番しっくり来るのはこれかも。
   疲れたときに、とてもしっくり馴染む曲です。こういうジョンの歌っていい。
   あ~今日はもう寝ましょ。

I'm So Tired




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[2010年3月 佐野ゴルフクラブ 駒コース]

2010年03月06日 | ゴルフィーライフ[ラウンド編]

ラウンド中にスコアが良くなっていく仕組みをつくれないものか、と考えながら佐野ゴルフクラブに到着。
本日のの秘策はグリーン回り、100ヤードから、
特にパターのリズムをよくすることがんばろ~。

(↓)この集まりの時は秩父方面の山岳コースが多いのですが、今日はクラブハウスもなかなか。
   ゴルフに行ってしまったり、ここ最近の雨でうちの近所の桃源郷をご紹介することができませんでしたが、
   クラブハウスの庭には、きれいな梅の花が咲いていました。
  

~・・~・・~・・~・・~・・~・・~・・~・・~・・~・・~・・~・・~・・~・・~・・~・・~・・~・・~
で、結果です。。(ーー;)

何が秘策じゃー !

前回のラウンドに続き、グリーン周りがボロボロ、惨憺たるありさま。
なんで、こうなるの~??

秘策と言うのは、
グリーンに乗ったら 歩測あるいは目測で、パットの距離を測り、パット数と共にスコアカードに記入することで、
パッティングを丁寧に打つ習慣づけ、モチベーションアップを図ろうというもの。

そういえば、このブログをつけ始める前、去年の3月頃も、
長いロングホールで3Wで2オンに成功して、イーグルパットが決まらず、
そのあと、たらたら5パットした記憶があります。。
今日も、あがりの気合い入れて行くホールでパーオンした後、5パットしています。
(何という進歩のなさ。(-_-メ) )

へぼゴルファーほど、ティーショットで完全燃焼する、という記事をアップしましたが、(リズムを良くする新しい工夫
グリーン傍からの、安定感のなさが、このところ顕著。
ひと頃、アプには自信持ってた時期もあったし、パットも緩まないときは結構イケてるんですが。。なぜ??

とにかく、100Y以内を、もう一度 鍛え直そう。
長めのショットのレベルはかなり 底上げされてきています。

でも、練習も積んでいない、多様なアプローチ技にうつつを抜かして、
アプローチの再現性や安定感を増すことができていない。

シーズン入りまで、キャンプは続く。     いつになったら シーズン入りするんですか??


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BAD

2010年03月05日 | お気に入り♪(ビートリー)

明日のゴルフは、またも雨模様。。しかし、雨なんて、I don't Mind.

ここ最近、いい人っぽい内容が続いているように思えて、本意でもないので、ちょっとBADな感じで。


(↓)リンゴが自身の最高のドラム パフォーマンスのひとつ、と言っているRain。   
   その後のビートルズのインド・東洋音楽や思想への傾倒の兆候が見てとれます。
   アルバム「Revolver」(拳銃)っていうのは、この小気味のいいドラムサウンドに由来しているのでは、と思うほど。

The Beatles Rain (Original Edit) (2009 Stereo Remaster)

(↓)バッキング トラックだけのやつも、自分が聴きたいのでクリップ。 The Beatles Rain (Rythym backing track)


(↓)同じころのShe said、She said。
   She said、I know what it's like to be dead, i know what it's to be sad.
   And she's making me feel like I've never be born.
   死ぬってことがどんなことだか、哀しみってのがどんなことだか分かってるわ、
    彼女といると 僕はまるで生まれてこなかったような気分になってしまう、、


   う~む、わけわからんが、カッコいいと感じました。
She Said She Said Lyrics


ちょっと前の写真(下)ですが、都内の某公園にて。
完全に、この映像の当時のジョンかポールあたりになりきってます。(゜o゜)
カットしましたが、上から下まで黒づくめで、ちょっとBADな雰囲気で。

曽野綾子さんも言ってました。
  ~ ・「ほどほどの悪」と共生して生きるという認識は、私の中で、重大な意味を持つ。
     自分がかなりの人道主義者だなどと思ったら、その時から、誰もが、腐臭を放つようになる。
     「ほどほどの」とう形容詞がつく状態ほど、愛や許しを思わせるものはない。
     しかし、現代には、そのほどほどの悪を自分にも他人にもけっして認めない自称ヒューマニストがいる。
     生きることは、これまた、ほどほどに人を困らせることでもある。
     ほどほどに他人の受ける権利や幸福の分け前を、力で収奪することである。
     その疚しさを、ほどほどに減らそうとする時、初めて人間は少し人のことを考える行動を取れる。

    ・いささかの悪の匂いのするものを、我が身に許していることを自覚している人というのは、誰でも感じのいい顔をしていますね。
     引け目というのは人間的なのでしょう。
     自分は悪いことなど一切していない、と思ってる人より、私はどれだけ好きかもしれません。

    ・自分の内面の美学や哲学には不純であってはならないけれど、
    生きていくための方途については誰も理想どおりやっていないのだから、
    その誤差をおおらかに許せる人のほうが好きなのである。

 

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美しい魂の声

2010年03月05日 | お気に入り♪(ビートリー_見つけもの)

見つけました。ジョージハリソンのMystical One、ホームデモ。
妻のオリビアの声が聞こえたりして、
アコースティックギターをつまびきながら、紡ぎだす
美しい、という言葉では言い表せないような、ジョージの言霊(ことだま)。

Beautiful feeling in my soul …ってところにすごく惹かれます。

やり過ごせば、何てことない歌のように思えますが、
誰の心にもある、目を向けるかどうかだけのフィーリングへの気づき、
心にフックを喰らわせる真摯な何かを感じます。

*2009年秋に鶴ヶ城から撮影した磐梯山の優美な姿を添えて

George Harrison - "Mystical One" Demo Version
They say I'm not what I used to be、All the same
人は かつての僕ではなくなった、という 、、全然変ってなんかないのに
 I'm happier than a willow tree、Shine or rain sitting here by a stream
僕はしなやかな柳の木以上に幸福だ、  晴れようが 雨が降ろうが 小川のせせらぎの傍に座っている
(Mmm) There's nothing I'd rather feel In this world
この世界でこれ以上のものがあるだろうか
You and your sweet serenity Rocking me Melting my heart away
貴方の穏やかさが 僕を揺り動かし 心を溶かしてくれる
I know something so dear to me Beyond words

言葉にならないほど 愛おしいもの 
Beautiful feeling in my soul , Sounds I've heard Like humming birds in a dream
魂の中にある美しいフィーリング、、
夢の中の鳥たちのさえずりの如く 響くのが聴こえる

 

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天使の歌声 ~ アート ガーファンクル

2010年03月02日 | お気に入り♪(マイナーなラジオ局編)
今日はさらっと。

クロスビー スティルス&ナッシュとか、久しぶりに聴いたら、
爽やかなやつが聴きたくなりました。

天使の歌声、アート ガーファンクルのソロからフェイバリット2曲。

(↓)まだ肌寒い早春の朝の空気のような歌。

Art Garfunkel - Bright Eyes


(↓)初夏の夕暮れの浜辺でビールでも飲みたくなるような、
   あまり知られた曲ではないけど、穏やかないい曲です。
   
Art Garfunkel - Someone Else
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ほっとけ。

2010年03月01日 | 心の筋力トレーニングを続けよう

ポールのPut it there、面白いミックスを見つけました。
オリジナルはもっと爽やかにアコースティックですが、こちらは、ヴォーカルもサウンドもエッジが効いてて、いいバージョンです。

PUT IT THERE (Paul McCartney) THE BEATLES SOUND MIX

"Put it there, if it weighs a ton. That's what a father said to his young son."
(もし1トンもの重さがあるのなら、放っておきなさい。これが父が幼い息子に言ったこと。)

ポールの父ジェームスが、よく語って聞かせたというこの言葉、
昔 これ聞いた時は なんか投げやりで無責任なメッセージに思えて、こんなんでいいのかよ、ってとこがありました。
でも、言葉の意味はそう単純でもないようです。

「力の及ばないもにに対してじたばたしてもしょうがない」というプロテスタント的意味に取れなくもありませんが、

"I don't care, if it weighs a ton. As long as you and I are here."
(もし1トンもあったって気にならないね。君と僕がここにいる限りはね。)

には、君と僕がここにいて、
「やるだけやってみろよ。でも1トンもあったんじゃどうしようもない。
 そうなったら、放っておいてもばちは当たらないだろうよ」っていう、カトリック教的なニュアンスがあるというのです。

敬虔なカトリック教徒の母と、カトリックではないもののカトリック的伝統を持った父、そして、カトリックの洗礼を受けたポール。

有名な「Let it be」にも、同じような一節があります。

When I find myself in times of trouble,
Mother Mary comes to me,
Speaking words of wisdom, "Let it be."

"苦しみ悩んでいるときには聖母マリアが現れて、尊い言葉をかけてくださる「なすがままに」"

このMaryが聖母マリアっていう一般的な解釈だけではなく、
ポールの母、メアリーをも指しているというのは知られていることですが、
「Let it be」、「なすがままに、あるがままに」という言葉にも、
カトリック的な
「できる限り精一杯の善行を積もう、何事にもベストを尽くそう。
しかし、その結果を判断するのは神であるが故に、人間が口をさしはさむことはできない。
マリア様の慈悲の心にすがり、救われることを信じて、今はじたばたせずに結果を待とう」
ニュアンスが含まれているとの説を見つけました。

決して、「どうせ何をやっても無駄だから、あとは神頼み、運を天に任せよう。」
っていう運命論的な(プロテスタント的な)解釈にはならないのでは、という説です。

なかなか深い話です。

本でも、同じような文脈(テクスト)を持ったメッセージに出会います。
整理してみました。

<曽野綾子さん> いい人をやめると楽になる/曽野綾子
 ~ 自分に愛想をつかすと少し楽にならない?
   原因は、ただただその人が勝手に持つことにした向上心のせいなのである。
   疲れて人間を失うのは当たり前である。
    嫌われたら嫌われていればいいのだ。無能だと判断されたら、無能な顔をしてればいいのだ。


<ひろさちやさん> 狂いのすすめ/世逃げのすすめ
 ~ 世間はおかしな物差しで価値を測ります。あるいは歪んだ物差し、狂った物差しと言うべきでしょうか。
   でも、それを非難したって、意味はありません。世間はその物差しで運営されているのですから。
   世間に、そんな歪んだ物差し、狂った物差しを捨てよ! と命じても、世間はそれを捨てられない。 
   捨ててしまえば、世間はいっさいの価値判断ができなくなります。
   だとすれば、わたしたちが世間から逃げ出すよりほかありません。
   逃げてどこへ行くのか……? それは、あとから考えましょう。
    まずは、なにはともあれ、われわれがすたこらさっさと世間から逃げ出しましょう。

<内田 樹(たつる)さん> (「邪悪なものの鎮め方」より)
 ~ 私はものが「収まるところに収まる」というのがベストのソリューションだとは考えていない
   「収まりの悪いもの」がそのへんにごろごろしていても、私は別に気にならない。

 ~ 健全な想念は適度に揺らいで、あちこちにふらふらするが、病的な想念は一点に固着して動かない。
    病とはある状態に「居着く」こと。
   「こだわる」というのは、文字通り「居着く」ことである。
   「プライドを持つ」というのも 「理想我」に居着くことである。
   「被害者意識を持つ」というのは「弱者である私」に居着くことである。


   「強大な何か」によって私は自由を失い、
   可能性の開花を阻まれ、「自分らしくあること」を許されていない、という文型で
   自分の現状を一度説明してしまった人間は、その説明に「居着く」ことになる。

   「被害者である私」という名乗りを一度行った人は、
   その名乗りの正しさを証明するために、
   失ったものを回復できないほどに傷つき、損なわれたことを繰り返し証明する義務を負うことになる。
   「自分自身にかけた呪い」の強さを人々はあまりに軽んじている。

 

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