ゴルフィーライフ(New) ~ 龍と共にあれ

目指すはスクラップ・ブックか、はたまたビジョン・ボードか。
隠れ家CLUBゴルフィーにようこそ♪

" 残心 "のゴルフ

2011年02月06日 | ゴルフィーライフ<気づきとアイデア>

残心(ざんしん)のゴルフ。

風の大地、刊行からずいぶんと遅れて読み始めました。

今年のファースト・ラウンドも、遅れてて、間もなく迎えます。

そして今年は主人公の沖田圭介より、さらに20年遅れてきたゴルファーとして再スタートです。(この謙虚さが大切だ。)

 合言葉は、『残心』。

残心というのは、本来、武士が敵を斬った後、まだ相手が懸かってこないかと油断のない意識でいること。

『右、肩、ロック』とか『右、腕、返し』とか、3拍子でドライバーを打っていましたが、
足を踏みながら腰をキメたら、
『ザン、シーン』と2拍子でスッと打っていく。( パッティングもこのリズムが良いみたい。)(*^_^*)

心(気持ち)の跡を残すように、くっつけるようにして、打つ。

( ↓ ) こんなイメージで振りたい。右に頭が残り、右の動きが止まることで生まれてくる大きな力。

    右腕返しのタイミングをキープしながら、リズムよく打っていけた。

    左サイドが管理されていれば、引っかけもない。
    結果としてのドローはOKだけど、右曲がりでよし位の気持ちの方がこわごわスイングがなくなる。

    スタンス幅を小さくとって、無駄な動きを排し、球筋を確認しながらスタートする。    

「大切なのは、まず身体を割ることなのだ。」で紹介した、内田樹先生も尊敬すると言う武術家の甲野善紀氏。

>武道では、囚われない融通無碍(ゆうずうむげ)の動きとして、また圧倒的な勁(けい)のエネルギーとして顕現する。
>哲学も舞楽も武道も、その帰するところはおそらく一つである。
>こういうことは誰の本にも書いてない。だから、自分の身体が習い覚えたことを、自分の言葉で語ってゆくほかないのである。

右を「残す」ことで、圧倒的な「勁(けい)のエネルギー」が生まれるのである。

甲野氏は、武術で言う、「残心」による簡便な動きに隠された速さと威力を2つの要素で説明しています。

1.  動きにロックをかけるという急激な停止による発力機構

中国武術や伝統空手の世界で、ブレーキの力とか、交通事故の際の衝撃に譬えられるもの。
いかに急激に動きを止めるかによって、そこに生まれてくる力が大きく変わるということです。
ロックをかけるというのは、物を飛ばしたり技をかけたりするときに身体のイレモノである外側だけを止めて、
内側のエネルギーを一気に出す感覚。

2. 井桁(いげた)術理

元ジャイアンツの桑田投手が右ひじ靭帯を切断による手術後の2002年に、防御率1位という実績を残したのは、
甲野氏のこの身体捌きにヒントを得たらしいです。
身体を捻じらない向き変わりで、タメやうねりを少なくして、ボールを放すタイミングをコントロールできるようになったといいます。
井桁術理というのは、簡単に言うと、体を回すのではなく、
平行四辺形が変形していくように身体を使うということ。

武術の創造力―技と術理から道具まで
甲野 善紀,多田 容子
PHP研究所

さて、この男、今年はどのような物語になるのやら。

自分の身体が習い覚えたことを、自分の言葉で語ってゆきます。

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境界線上の風景 ~ Sunshine sometime

2011年02月05日 | お気に入り♪(ビートリー_見つけもの)

気宇壮大に傾きすぎた不意をつくような幸せの断片の温かみ。

未発表の小品ですが、1分過ぎにようやく歌い出すその表情は子守唄のよう。

Paul McCartney Sunshine sometime

日常の営みを大事にしている人間が、一日のなかで、
ふと空を見上げる時に感じるような透き通った気持ちが中景という境界線上の風景を引き寄せる。
いわば、日常生活のなかから一瞬、こぼれ落ちた時に、目の前に現れる風景。

作品のどこかでこの境界線上の風景が描かれているものが好きだ。
人間ばかり、現実ばかりの作品は息が詰まる。
といって、はじめから遠い宇宙の果てや空想の異界を舞台にした極彩色のファンタジーにも心が動かない。

現実と非現実、こちらと向こう、
人間の手が加えられた風景と加えられていない風景のあいだの中間の風景。
社会生活を送りながらも、どこかに、遠くを見る視線、向こうを見る視線を持っている。

(「言葉のなかに風景が立ち上がる」より。) 

言葉のなかに風景が立ち上がる
川本 三郎
新潮社
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裏返しの宇宙 ~この世の空間構造

2011年02月05日 | 人間と宇宙~哲学を科学する

タイムマシンの可能性を指摘するワームホールの考え方。

時空が平坦でなく極端に歪んでいた場合には、
宇宙船がぐるりと廻って出発した時点より以前の時空に戻ってくることも
可能性としてはありうるということになってしまいます。

( ↓ ) (「ホーキング、未来を語る」より。)

時空が極端に歪んだ場合には、
時空の異なる領域間を結びつけるチューブのようなもの、ワームホールが存在することになるのでしょうか。

アインシュタインの相対論によれば、光速度は不変かつ超えられない速度でしたが、
光速より遅い宇宙船が、時空上の時間的経路にしたがって移動しているにもかかわらず、
出発した時間より前の時間に戻ってくることがあり得るというのでしょうか。

時空は閉じた時間的曲線、つまり何度も始めの点に戻ってしまう曲線を認めるのでしょうか。

さて、コンノ ケンイチ氏の指摘する「現代物理の死角」、

私にとって目からウロコ、だったのは、「同化作用」による空間構造の考え方

我々の意識は歪んだ時空に「同化」してしまっている、のだという。 

宇宙論の超トリック 暗黒物質の正体 『現代物理の死角』復刻補強版 (超☆わくわく)
コンノケンイチ
ヒカルランド

( ↓ ) 丸い球体宇宙を真っ二つに切断して、自分が F 点にいるとします。

    実際はF の等高線を直進すると同じところに戻ってくるのだが、
    私たちは宇宙空間に同化しているが故に曲がりを認知できず、
    自分達の居る空間を直線として認知し、周りの空間が曲がっているのだと観測する。

    地球の裏側の国の人間は、地球外の客観的な視座からみると逆さまに立っているのだが、
    地続きだと認知している限りにおいては、そんな風に考えることはできないのと同じこと。
    地動説以前の人間にも似たような人間中心的な考え方や視座から完全に離れることは難しい。

    この図だけで気づきを与えてくれる。

自分の存在点を中心に見た場合に認知される空間は、
一見客観的であるようでいて、視座を変えると客観的ではなくなっている。

自分の存在点の「前後」方向だけを考えて、
平面ではなく、3次元空間に引き直すと、下図のように、空間はラッパ状の構造となり、
宇宙的に距離が増大するにつれて、ラッパの曲がりが大きくなっていく。

これが我々が認知している「前後」方向の空間の姿。


 

さらに、「前後」方向だけでなく、「左右」、「上下」、360°方向へこの空間構造を引き直していくと、
私たちが認知する宇宙空間はこのように見えていることになる。

「同化」作用が生み出す空間構造である。

 

私たちの観測する時空というのは、このように主観的な空間構造なのかもしれません。

コンノ氏は言います。

地球から観測できる宇宙は、海面にたとえれば水平線の範囲でしかない。
観測機器の発達によって、宇宙はある範囲から突然、銀河一つ観測されなくなるだろう。
そのときビッグバン論者は「やっと宇宙誕生の瞬間をとらえた」と言うかもしれない。
そうではない。どんな高性能な望遠鏡でも水平線の向こう側は見ることができないのである。

タイムマシンの可能性、ホーキングが言った "閉じた時空曲線 " というのは、人間の認識の錯覚によるものなのでしょうか。

もうひとつ、哲学的、宗教的な視座へのヒントを与えてくれるような論理展開に驚いた箇所があります。

 " 我々は時空の果てに居ながらにして、時空の中心にいる。"

コンノ氏はビッグバン宇宙論は否定していますが、
球体としての宇宙の中にいる我々が認識する世界を、下の図ひとつで見事に説明しています。
空間構造の顕れ方に対するアイデア。

宇宙は膨張しているとか、宇宙をまるで風船を見ているかのように言いますが、
実際に宇宙の中にいる私たちの認識する宇宙は、
人間を中心に考えると下図のように、球体の裏表が逆になる
のです。
風船の中からしか宇宙は見えないのです。

人間は神様のように遠く、外から俯瞰的に宇宙を観測しているわけではない。
風船の中に入った小さな小さな地球にいる、さらにもっと小さな粒の気持ちになってみると、、

 

イメージが湧いてくるでしょう。
私たちが見る宇宙は、決して外側から見た膨らんでいる風船ではなくて、
風船の内側から見た宇宙であって、空間構造も内側から見たものになる。
ちょうど、内側を外側と逆転させた上図のような宇宙球体の表面にいるのが私たち。

地球の海面上をどんなに速く移動しても常に海面(水平面)の中心に存在し、
同時に海面という球体の境界面に存在しているのと同じように、
風船の中に居ながらにして、
風船の裏表が逆転しているように見える空間においては
" 私たちは常に宇宙の中心に存在すると同時に宇宙の果てにも存在するのである。"

この裏表が逆になった空間構造は、著者の想いとは異なるかもしれませんが、
ビッグバン宇宙論が説明する、宇宙の果ての特異点についての考察の中でホーキングが述べた言葉につながるように思えます。

" 宇宙は完全に自己完結した存在なのです。"

" 地球の表面(球面)にどんな境界も端も存在しないのと同じように、果てがないのが宇宙の境界条件だ"

宇宙には時空の境界面は存在しないのだとすると、
人間が認識できる内側からでなく、
純粋に外側から見た風船の表側の境界面は一体どう取り扱えばよいのでしょう?
そこは神の視座から見える、我々の理解の及ばない宇宙なのでしょうか?
それとも、リサ ランドール博士などが提唱する膜(ブレーン)宇宙のように膜のようにへばりついた次元として説明されるのでしょうか? 
もはや、空間構造さえも、意識や思考の産物なのかもしれません。

この発想の凄いところは、もうひとつ、
マクロの世界(私たちの現実世界とその外側に在る大宇宙)と、ミクロの世界(量子や私たちの意識の粒のような微小な世界)さえも
このように裏返しになりうるとしているところ。
裏側の世界から見ると、表側の世界、風船の表面で展開される現実の世界が裏側になる。
ミクロの世界から見ると、マクロの世界(宇宙)は裏返されて、
風船の内側の世界、中心へと閉じ込められてしまう。

これが無限宇宙の正体であり、
古代からの叡知 - 大宇宙を表現するウロボロス
の蛇など - はこのミクロとマクロの逆転現象に気づいていたといいます。
空海は性霊集の中で" 一滴の露の中に万象が含まれている"と教え、
般若心経は「是諸法空相(ぜしょほうくうそう)、是故空中(ぜこくうちゅう)、遠離一切顛倒夢想(おんりいっさいてんどうむそう)」と教えた。

このマクロとミクロが逆転しているという宇宙構造の真理を視覚化したのが、
「金剛界(宇宙)曼荼羅」と「胎蔵界曼荼羅」とのこと。

空間構造の見方を変えるだけでマクロの世界(宇宙)は風船の内側になってしまう、
意識や存在の根源を問うようなところのある量子論の建て付けを、
ミクロの現象面からでなく、大局的な仮説によって説明されていて興味深い。

 

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時の落し子 再び

2011年02月05日 | お気に入り♪(フォト×音楽)

まえがき(お詫び) ~ テン子さんが指摘してくださるまで数日間、動画設定の誤りにより、せっかくの動画が見れない状態になっておりました。少し近況を書き加えて2/5牛の刻になって再投稿いたしました。<(_ _)>
ぜひ聴いてやってくださいね、ヘイスの有名な「冬の星空」に劣らぬくらいいい曲なので。

冷たくきりっとした透明な空気の中で輝く冬の星空。

近頃 空が夜でも明るいせいかご無沙汰していますが、

肉眼でもそれとわかる冬の夜空に輝く星の固まり、昴(スバル)。 おうし座にあるプレアデス星団。

学校の屋上で毛布やあたたかい飲み物や夜食を用意して、
先生を巻き込んで、夜通し冬の星空を観察したことがあります。

寝袋にくるまって、夜空を仰ぎながらヒソヒソ話をしていると、流れ星が視界を横切っていったり。

時の落とし子 (Millions of years)

これもゴダイゴの曲のなかで、フェイバリットのひとつ。

冬の凛とした夜空の美しさが、しんしんとした寒い空気ごと伝わってくるような名曲だと思う。

" たとえば暗闇の中、あるいは深い水の底にたった独りでいたらどうなるか、そんな逃げ場のない、行き止まりのような場所に独り居て、そのとき自分に聞こえてくる音、それはどんな音だろう、どんな音楽になるのだろう、それを探りあててみたい"といのがアルバム「デッド エンド」のコンセプト。

以前にYouTubeで見つけたタイトル曲の「デッド エンド」を採り上げましたが、あれれ、削除されていますね。

この「時の落とし子」、永らくYouTubeで見つけられずにいたので、
前回の「Yes、I thank you」に続いて、フォト蔵にあった"もちさん"って方の美しい昴の写真とコラボさせて頂いて歌詞をつけてアップしました。

これも殆ど知られていないような曲ですが、この季節にピッタリだし、気に入っていただけると嬉しいです。

ヒソヒソ話も歓迎。(なんだか隠れ家とか秘密基地とか、そういうの好きね。)

せっかくだから、雰囲気合わせて、ブログデザインも期間限定で星空バージョンにしておきます。

追伸.

コメントにお応えして。

今夜も隠れ家、いわゆる秘密基地で、秘密結社のメンバーたちと酒を酌み交わしておりました。

 隠れ家好きです。 隠れ家へと続く階段。

 

 

 

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