Cape Fear、in JAPAN

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『Cape Fear』…恐怖の岬、の意。

脚本至上主義→クールな俳優たち ~自分を構成する「あらゆるヒト・モノ・コト」vol.9~

2012-03-09 02:00:00 | コラム
新作の脚本を書き上げると、必ずやる4つのこと。

ちょっと高めのシャンパンを買い、自分に乾杯しながら黒澤映画のDVDを鑑賞する。
最も信頼する師匠に読んでもらう。
コンクールに出品する。

そして、持ち込み原稿をする。

(脚本にかぎらず)原稿の持ち込みは好きなほうで積極的におこなうが、細心の注意を払わねばならない。
相手の時間を割くわけだから、基本的には恐縮の姿勢を崩してはいけない。
崩さないが、恐縮「しまくる」というのも問題で、これは自信作、時間を割いて読んだことを後悔させない―ということを、イヤミさを殺して伝える必要がある。

軽く挑発しつつ、丁寧・・・これは、なかなかに難しい。

いままでに、持ち込み原稿を仕掛けた相手は・・・

大島渚に脚本、
田山力哉に映画批評、
内海陽子に映画批評、
奥山和由に脚本、
キネマ旬報社に映画批評、
松竹映画事業部に脚本、
東映映画事業部に脚本、
中瀬ゆかりにコラム、、、

くらいか。(持ち込み順。敬称略)

幸運なことに、オオシマ以外からは感想を得られた。
どの程度に幸運であるかは、中瀬ゆかりからの「こういう持ち込みは多いので無視することが常ですが、あなたの文章があまりにも丁寧だったものだから、、、」というメールで理解してもらえるかと。

感想の大半はダメ出しで、褒められることはあまりない。
褒めてもらうために持ち込んでいるわけではないので、それでOK。
なのだが、あまりにボロカスいわれると、それはそれで書く気が失せてしまうのだった。

17歳で初めて脚本を書き、
現時点までに35本の長編を書いてきた。
そのなかで最も評価を得られた作品は、29歳のころに書いたものである。
(コンクールの)最終選考には残らなかったものの、審査員のひとりが直接コンタクトを取ってきたのには驚いた。腐らずに書き続けていられるのは、こういう経験のおかげだと思う。

しかしその年、別のコンクールで後輩の女子が佳作入選を果たす。
ふだんエラソーに「脚本の重要性」について彼女に説いていたものだから、けっこう恥ずかしい思いをした。

「キャラクターね、キャラクター。話の筋よりも、キャラクターが大事。ここをクリアしていれば、文章の完成度が低かったり、台詞が幼かったりしても大丈夫。脚本で最も大事なのはキャラクター。そして、映画で最も大事なのは脚本」

そんな風に説いていたのである。

そこまでいっていたら、まずは自分が取らなきゃね。評価されなきゃね。


そんな自分が手本とする映画の脚本は、まぁ30本くらいあるが、その上位5本を挙げると・・・

『悪い奴ほどよく眠る』(60)…小国英雄、久板栄二郎、黒澤明、菊島隆三、橋本忍
『切腹』(62)…橋本忍
『砂の器』(74)…橋本忍、山田洋次
『クライング・ゲーム』(92)…ニール・ジョーダン
『ユージュアル・サスペクツ』(95)…クリストファー・マッカリー

となるか。
うち3本に橋本忍の名があるが、このひとは脚本の世界の神といっていい。
黒澤との共作でも結果を残す職人でありながら、『砂の器』の映画化を実現するために10年ちかく走り回る―というようなアーティスト気質もそなえている。


話の筋が面白いからキャラクターが魅力的に映るのではなく、
キャラクターが魅力的だから話の筋が面白くなる―というのが、持論。

しかしそんなキャラクターも、演じる俳優が居なければ文字の世界の住人のままである。

というわけで次回は、自分が惚れたクールな俳優たちについて。






つづく。

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本館『「はったり」で、いこうぜ!!』

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明日のコラムは・・・

『クールな俳優たち→「疼かせる」女人たち ~自分を構成する「あらゆるヒト・モノ・コト」vol.10~』


コメント (2)
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