ほとんどのひとが身体の「どこか」にコンプレックスを抱くものだとは思うが、
肥満児だったという過去があるからか、身体に対する他者からの評価を「異常に気にする」という傾向が、自分にはある。
現在でもときどき、悪夢―昔の体型に戻っている―を見て汗びっしょりになるときがあるくらい。
肥満児だったころのあれこれは、明日のコラムに譲るとして・・・
無駄に中途半端に鍛えている自分がよくいわれるのは、胸囲と脚の太さである。
「すごいよね」と、ただヒトコト。
悪い気はしない。
というか、すげーうれしい。
胸囲は生まれつき、らしい。
産婦人科の先生が、かーちゃんに「胸の“たいへん”厚い子です。太り易い体質かもしれません」と、予言めいたことをいったくらい、なのだもの。
先生の所為で? きっちり肥満児となり、ヤバイヤバイと阿呆な減量を試みた。
痩せても胸の厚さはそのままで、だからいろんなところで初対面のひとに「なにか、されているんですか」と聞かれる日常が続く。
脚は自転車好きで、関東圏内であればチャリOK―というスタイルにより太くなった。ジョギングも続けているので、細くなることはないだろう。
右脚に、0歳のころに負った火傷の傷が残る。
左脚の膝は、半月板が「ちょこっと」しか残っておらず、靭帯のひとつは死んでしまった。
なんだか怪我自慢みたいだが、まぁそのとおりだ。
そんな傷だらけの自分の脚が大好きで、スーツと柔道着以外のズボンを穿く際は、必ずハーフパンツというスタイルを通している。
脚美人が冬でも我慢してナマアシ&ミニスカで居るのと同じこと、傷だらけの逞しい脚を皆に見せたくて、ハーフパンツを穿き続けているのであった。
そんな自分、女子の身体のパーツで最も好きなところも、当然のように脚となる。
フェティッシュということばは世に浸透する前から使用していたが、フェチと略され軽いことばになってからは自称しなくなった。
自分はビョーキだよ、膝小僧で射精出来るんだもの、そこまでイク、、、じゃない、いくひとこそフェティッシュだったのに・・・と思っている自分は、以降、脚キチガイと自称するようになる。
ミニスカを穿くか穿かないかで、(ハニーと)別れる別れないの話まで展開する喧嘩をしたことも、一度や二度ではない。
つまり街を歩くだけで、軽く4~5回は脳内射精している。
なんてシアワセでゴキゲンなヤツなのだろう。
著名人の同志といえば、文豪・谷崎と映画監督・トリュフォー、そして映画小僧QTことタランティーノか。
しかし谷崎とQTは、どちらかというと「足指あたり」を偏愛しているらしく、
ふくらはぎから内腿にかけてを愛する自分とこころを通わせられる? のは、どうやらトリュフォーひとり、、、のようである。
というわけで。
ブログなどで散々こういうことを恥ずかしげもなく書いている自分と
「どうしても会って話す用件のある」、
けれども恋愛対象「ではない」とする女子は、ジーンズにブーツという完全防備でやってくるのだ。
哀しい現実、
こういう日の帰宅してからの自慰は、悔しくて悔しくて「二度ほど」頑張ってみるのだった。
最後に。
身体的なコンプレックスをテーマにした読み物で、最も「お!」というか「へぇ」と思ったのは、整形や豊胸手術を繰り返した中村うさぎによるもの。
若い男子とねんごろになったとき、彼が「後背位」でしか「それ」を了承しなかった―という内容だった。
決して対面しようとはしない、つまり顔は見なくていいというか、顔を見ないようにしていた、、、と。
これも哀しいし、辛い。
そうして彼女は、整形を決意したのだと。
ただ、これをいっては彼女の努力と決意にケチをつけることになってしまうのだが・・・
整形前の、柔らかな印象を抱かせるうさぎのほうが、個人的には好きだった、、、のだけれども。
理想の脚は、かしゆかです。
つづく。
…………………………………………
本館『「はったり」で、いこうぜ!!』
前ブログのコラムを完全保存『macky’s hole』
…………………………………………
明日のコラムは・・・
『小錦かドラえもんか→むかし盗人、いまは… ~自分を構成する「あらゆるヒト・モノ・コト」vol.18~』
肥満児だったという過去があるからか、身体に対する他者からの評価を「異常に気にする」という傾向が、自分にはある。
現在でもときどき、悪夢―昔の体型に戻っている―を見て汗びっしょりになるときがあるくらい。
肥満児だったころのあれこれは、明日のコラムに譲るとして・・・
無駄に中途半端に鍛えている自分がよくいわれるのは、胸囲と脚の太さである。
「すごいよね」と、ただヒトコト。
悪い気はしない。
というか、すげーうれしい。
胸囲は生まれつき、らしい。
産婦人科の先生が、かーちゃんに「胸の“たいへん”厚い子です。太り易い体質かもしれません」と、予言めいたことをいったくらい、なのだもの。
先生の所為で? きっちり肥満児となり、ヤバイヤバイと阿呆な減量を試みた。
痩せても胸の厚さはそのままで、だからいろんなところで初対面のひとに「なにか、されているんですか」と聞かれる日常が続く。
脚は自転車好きで、関東圏内であればチャリOK―というスタイルにより太くなった。ジョギングも続けているので、細くなることはないだろう。
右脚に、0歳のころに負った火傷の傷が残る。
左脚の膝は、半月板が「ちょこっと」しか残っておらず、靭帯のひとつは死んでしまった。
なんだか怪我自慢みたいだが、まぁそのとおりだ。
そんな傷だらけの自分の脚が大好きで、スーツと柔道着以外のズボンを穿く際は、必ずハーフパンツというスタイルを通している。
脚美人が冬でも我慢してナマアシ&ミニスカで居るのと同じこと、傷だらけの逞しい脚を皆に見せたくて、ハーフパンツを穿き続けているのであった。
そんな自分、女子の身体のパーツで最も好きなところも、当然のように脚となる。
フェティッシュということばは世に浸透する前から使用していたが、フェチと略され軽いことばになってからは自称しなくなった。
自分はビョーキだよ、膝小僧で射精出来るんだもの、そこまでイク、、、じゃない、いくひとこそフェティッシュだったのに・・・と思っている自分は、以降、脚キチガイと自称するようになる。
ミニスカを穿くか穿かないかで、(ハニーと)別れる別れないの話まで展開する喧嘩をしたことも、一度や二度ではない。
つまり街を歩くだけで、軽く4~5回は脳内射精している。
なんてシアワセでゴキゲンなヤツなのだろう。
著名人の同志といえば、文豪・谷崎と映画監督・トリュフォー、そして映画小僧QTことタランティーノか。
しかし谷崎とQTは、どちらかというと「足指あたり」を偏愛しているらしく、
ふくらはぎから内腿にかけてを愛する自分とこころを通わせられる? のは、どうやらトリュフォーひとり、、、のようである。
というわけで。
ブログなどで散々こういうことを恥ずかしげもなく書いている自分と
「どうしても会って話す用件のある」、
けれども恋愛対象「ではない」とする女子は、ジーンズにブーツという完全防備でやってくるのだ。
哀しい現実、
こういう日の帰宅してからの自慰は、悔しくて悔しくて「二度ほど」頑張ってみるのだった。
最後に。
身体的なコンプレックスをテーマにした読み物で、最も「お!」というか「へぇ」と思ったのは、整形や豊胸手術を繰り返した中村うさぎによるもの。
若い男子とねんごろになったとき、彼が「後背位」でしか「それ」を了承しなかった―という内容だった。
決して対面しようとはしない、つまり顔は見なくていいというか、顔を見ないようにしていた、、、と。
これも哀しいし、辛い。
そうして彼女は、整形を決意したのだと。
ただ、これをいっては彼女の努力と決意にケチをつけることになってしまうのだが・・・
整形前の、柔らかな印象を抱かせるうさぎのほうが、個人的には好きだった、、、のだけれども。
理想の脚は、かしゆかです。
つづく。
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明日のコラムは・・・
『小錦かドラえもんか→むかし盗人、いまは… ~自分を構成する「あらゆるヒト・モノ・コト」vol.18~』