柄にもなく? 時事の話から始めるが・・・
あぁ、プーチンも泣くのか―と思った。
ロシア大統領選における、勝利が決まった瞬間のヒトコマである。
軽く、ショック。
現時点で、、、というより、個人的には「人類史上で」最も好きな政治家がプーチンなのだ。
北方領土とかいろいろと問題はあるが、「あの面構え」が好き。
血が通っていなさそうなところもクールだし、
柔道家でもあり、なおかつ元スパイなわけで、こんなイケてる政治家、ほかに居ないでしょうよ。
だから泣いてほしくなかった・・・というのが本音である。
ともかく。
あの面構えだけで、プーチンに投票する―そういうロシア国民、けっこう多いのではないか。
顔で選んでいいのか。
そう問いかけてくる真面目なひとも居るだろうが、自分だってふざけているわけじゃない。
実際、いままでに投票してきたひとは「みんな」顔で選んできた。
政治的主張・信条よりも、まずは顔。
もちろん美醜ではない。顔がちゃんとして? いれば、マトモな政治をやってくれるはずだ―そういう思いを込めての投票である。(裏切られてばかりだけどね!!)
おそらくケネディも、そういう考えを持つ大勢の国民の支持を受け、大統領になった、、、のだろう。
ケネディ暗殺は、リー・ハーベイ・オズワルドの単独犯行によるものだと「されている」。
しかし。
真相をいい当てられるひとは「当事者たち」以外に居ないのだろうが・・・
オズワルド単独説を信じる米国民が「皆無にちかい」というのも、また事実なのだった。
この「オズワルド“だけ”ではない」ということを180分かけて主張する映画が、オリバー・ストーンによる社会派映画『JFK』(91)である。
ひとの死を扱って面白いという感想もないかもしれないが、抜群に面白い映画。
ただ上映時間が長いうえに、情報量も並じゃない。一度の鑑賞ですべてを理解出来るものが居たとしたら、そーとーなIQの持ち主、ということになるのだろう。
という自分は、既に10度は観ているが、まだまだ観足りないと思っている。
映像が暴力的なまでにめまぐるしい。
そのうえ台詞も多く、この分野? のプロフェッショナルといえるスコセッシでさえ、呆気に取られるほどなのだった。
さらにいえば。
クライマックス、ケビン・コスナー演じるジム・ギャリソン検事の大演説―で充分過ぎるほどに政治的主張を展開したにも関わらず、
それでもストーンはいい足りなかったのか、エンド・クレジットの前に大量のテロップを流し、さらに観客を「扇動」するのである。
クレジット前の「ちょっとした」テロップは、その「そっけなさ」ゆえに、深い余韻を残す効果が得られる。
『アメリカン・グラフティ』(73)では、キャラクターのひとりがベトナムで散ったことをテロップで語る。
『スタンド・バイ・ミー』(86)では、リヴァー・フェニックス演じるクリスが喧嘩の仲裁で死んでしまったことをテロップで語る。
そっけないがゆえの、深い余韻。
しかしストーンは、そういう繊細な映画話法を好まない。
徹底的に、扇動するのだ。アジるのだ。
この自己主張の強さに、ウンザリする向きも居るだろう。
しかし。
戦死者数や軍事費などを克明に記したテロップのあと、最後に、
「この作品を、真実を探求する若者に捧げる」
というテロップを出す。
ここで、やられた。
政治家になったほうがいいとか、社会派を商業ベースに乗せる姿勢が気に入らないとか、世間はいろいろいってくる。
しかしこのテロップにえらく感動した自分は、そうだストーン、もっと徹底的にやってくれ! 俺はいつだって味方だ!! と、スクリーンに拍手喝采したのだった。
ところで。
自分は政治に詳しい人間なのかというと、そんなこともない。
興味は常に持っているが、知識はない。
日本の歴史よりも、近代米国史のほうが強かったりする。
大東亜戦争ではなく、ベトナム戦争。
学園紛争ではなく、キング・マルコムX・ケネディ暗殺。
それもこれも、60~70年代の米映画に影響を受けたからである。
ストーンは「60年代症候群」と揶揄されるが、自分もまた「60・70年代症候群」なのだった。
※字幕なしでも理解出来る、「魔法の銃弾」の解説。
一発の銃弾がこういう経過を辿らない―そう思えるひとであれば、オズワルドの単独犯行説が嘘だと見抜ける。
つまり、誰だって見抜ける。
つづく。
…………………………………………
本館『「はったり」で、いこうぜ!!』
前ブログのコラムを完全保存『macky’s hole』
…………………………………………
明日のコラムは・・・
『60・70年代症候群→黒澤ダイナミズム ~自分を構成する「あらゆるヒト・モノ・コト」vol.7~』
あぁ、プーチンも泣くのか―と思った。
ロシア大統領選における、勝利が決まった瞬間のヒトコマである。
軽く、ショック。
現時点で、、、というより、個人的には「人類史上で」最も好きな政治家がプーチンなのだ。
北方領土とかいろいろと問題はあるが、「あの面構え」が好き。
血が通っていなさそうなところもクールだし、
柔道家でもあり、なおかつ元スパイなわけで、こんなイケてる政治家、ほかに居ないでしょうよ。
だから泣いてほしくなかった・・・というのが本音である。
ともかく。
あの面構えだけで、プーチンに投票する―そういうロシア国民、けっこう多いのではないか。
顔で選んでいいのか。
そう問いかけてくる真面目なひとも居るだろうが、自分だってふざけているわけじゃない。
実際、いままでに投票してきたひとは「みんな」顔で選んできた。
政治的主張・信条よりも、まずは顔。
もちろん美醜ではない。顔がちゃんとして? いれば、マトモな政治をやってくれるはずだ―そういう思いを込めての投票である。(裏切られてばかりだけどね!!)
おそらくケネディも、そういう考えを持つ大勢の国民の支持を受け、大統領になった、、、のだろう。
ケネディ暗殺は、リー・ハーベイ・オズワルドの単独犯行によるものだと「されている」。
しかし。
真相をいい当てられるひとは「当事者たち」以外に居ないのだろうが・・・
オズワルド単独説を信じる米国民が「皆無にちかい」というのも、また事実なのだった。
この「オズワルド“だけ”ではない」ということを180分かけて主張する映画が、オリバー・ストーンによる社会派映画『JFK』(91)である。
ひとの死を扱って面白いという感想もないかもしれないが、抜群に面白い映画。
ただ上映時間が長いうえに、情報量も並じゃない。一度の鑑賞ですべてを理解出来るものが居たとしたら、そーとーなIQの持ち主、ということになるのだろう。
という自分は、既に10度は観ているが、まだまだ観足りないと思っている。
映像が暴力的なまでにめまぐるしい。
そのうえ台詞も多く、この分野? のプロフェッショナルといえるスコセッシでさえ、呆気に取られるほどなのだった。
さらにいえば。
クライマックス、ケビン・コスナー演じるジム・ギャリソン検事の大演説―で充分過ぎるほどに政治的主張を展開したにも関わらず、
それでもストーンはいい足りなかったのか、エンド・クレジットの前に大量のテロップを流し、さらに観客を「扇動」するのである。
クレジット前の「ちょっとした」テロップは、その「そっけなさ」ゆえに、深い余韻を残す効果が得られる。
『アメリカン・グラフティ』(73)では、キャラクターのひとりがベトナムで散ったことをテロップで語る。
『スタンド・バイ・ミー』(86)では、リヴァー・フェニックス演じるクリスが喧嘩の仲裁で死んでしまったことをテロップで語る。
そっけないがゆえの、深い余韻。
しかしストーンは、そういう繊細な映画話法を好まない。
徹底的に、扇動するのだ。アジるのだ。
この自己主張の強さに、ウンザリする向きも居るだろう。
しかし。
戦死者数や軍事費などを克明に記したテロップのあと、最後に、
「この作品を、真実を探求する若者に捧げる」
というテロップを出す。
ここで、やられた。
政治家になったほうがいいとか、社会派を商業ベースに乗せる姿勢が気に入らないとか、世間はいろいろいってくる。
しかしこのテロップにえらく感動した自分は、そうだストーン、もっと徹底的にやってくれ! 俺はいつだって味方だ!! と、スクリーンに拍手喝采したのだった。
ところで。
自分は政治に詳しい人間なのかというと、そんなこともない。
興味は常に持っているが、知識はない。
日本の歴史よりも、近代米国史のほうが強かったりする。
大東亜戦争ではなく、ベトナム戦争。
学園紛争ではなく、キング・マルコムX・ケネディ暗殺。
それもこれも、60~70年代の米映画に影響を受けたからである。
ストーンは「60年代症候群」と揶揄されるが、自分もまた「60・70年代症候群」なのだった。
※字幕なしでも理解出来る、「魔法の銃弾」の解説。
一発の銃弾がこういう経過を辿らない―そう思えるひとであれば、オズワルドの単独犯行説が嘘だと見抜ける。
つまり、誰だって見抜ける。
つづく。
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