知り合いでもなんでもない、
単に好きであるという理由から墓参りをしてみた著名人は、4人。
漱石、
漫画家の山田花子、
批評家の田山力哉、
そして、黒澤である。
墓前に立つだけで、なんとなくパワーをもらえる。
「ここに来る暇があったら、ひとつでも多くの映画を観て、ひとつでも多くの文章を書けばいいじゃないか」と、いわれているような気がする。
だから花を供え、手を合わせ「ごめんなさい」と呟き、さっさと帰る。
それでもときどき黒澤に逢いたくなって、鎌倉に向かう。
結局、3度も墓参りをしており、これは成人後でいうと「かーちゃんの墓参り」に次ぐ多さである。
自分が映画小僧を自覚し始めたころ―ビデオデッキの普及により、レンタルビデオという新しい商売が生まれた。
一泊650円と高めではあるが、これは有難い。アルバイト(映写技師)の稼ぎはすべてレンタル代に消え、
学校をズル休みしてはビデオ鑑賞に耽っていたのだった。
高校時代、そんな風にして『タクシードライバー』(76)と『天国と地獄』(63)を10回くらい観た。
このくらい観ていると、シーンごとのカメラ割りや台詞を覚えるもので、その作品について「すべて知っている」と思うようになる。
上京後―『タクシードライバー』やキューブリック、そして黒澤映画は、比較的「リバイバルに恵まれた」作品であり、名画座や映画祭などでフィルム版に触れることが出来た。
そうして、立ち直れないほどのショックを受ける。
ビデオテープ(というか、ブラウン管)で触れた印象と、まったくちがうからである。
自分は、なにを観ていたのか。
喧騒とひかり―夜のニューヨークを捉えた『タクシードライバー』のリアリズムは、テレビでは再現し切れない。
『2001年宇宙の旅』(68)、モノリスの表面になにか記されている―ということは、大画面のテレビであっても気づかない。
広角レンズやズームに「こだわりまくった」黒澤の演出―これをきちんと理解するためには、フィルムに触れる必要がある。
フィルムで観ないと、黒澤が最も評価されていたダイナミズムというものを体感出来ない、、、ということに気づいた18歳の夏。
映画小僧であることを自称し始めた自分は、ひどく落ち込んだ。
ごめんなさい、黒澤・・・そんな風に反省を始めたころ、黒澤が死んだ。
ダイナミズム【dynamism】…大辞泉より
①そのものがもつ力強さ。迫力。
②機械や人間などの力強い動きを表現しようとする芸術上の主義。未来派によって主張された。
『野良犬』(49)の、泥まみれの対決、
『羅生門』(50)の雨、
『用心棒』(61)の斬り合い、
そして『天国と地獄』の、特急こだまのシーン。
フィルム版に触れて、いままでなにも観ていなかったことに「気づいてしまい」落ち込む、
さらに、
そのダイナミズムの凄まじさに落ち込む。
叱咤されたくて、墓前に立つ・・・その繰り返しなのだった。
そうして、
少しでも黒澤に近づくために―と思ったからか、黒澤映画の脚本を手に取り、何度も読み込み、ノートに書き写すことを始めた。
なにはなくとも脚本、映画は脚本。
映画監督がペケでも脚本が良質であれば、「そこそこ」の映画が出来上がる。
しかしその逆、
脚本がペケだと、いくら世界で屈指の映画監督であっても、「そこそこ」の映画は出来上がらないのだ。
つづく。
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本館『「はったり」で、いこうぜ!!』
前ブログのコラムを完全保存『macky’s hole』
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明日のコラムは・・・
『脚本至上主義→クールな俳優たち ~自分を構成する「あらゆるヒト・モノ・コト」vol.9~』
単に好きであるという理由から墓参りをしてみた著名人は、4人。
漱石、
漫画家の山田花子、
批評家の田山力哉、
そして、黒澤である。
墓前に立つだけで、なんとなくパワーをもらえる。
「ここに来る暇があったら、ひとつでも多くの映画を観て、ひとつでも多くの文章を書けばいいじゃないか」と、いわれているような気がする。
だから花を供え、手を合わせ「ごめんなさい」と呟き、さっさと帰る。
それでもときどき黒澤に逢いたくなって、鎌倉に向かう。
結局、3度も墓参りをしており、これは成人後でいうと「かーちゃんの墓参り」に次ぐ多さである。
自分が映画小僧を自覚し始めたころ―ビデオデッキの普及により、レンタルビデオという新しい商売が生まれた。
一泊650円と高めではあるが、これは有難い。アルバイト(映写技師)の稼ぎはすべてレンタル代に消え、
学校をズル休みしてはビデオ鑑賞に耽っていたのだった。
高校時代、そんな風にして『タクシードライバー』(76)と『天国と地獄』(63)を10回くらい観た。
このくらい観ていると、シーンごとのカメラ割りや台詞を覚えるもので、その作品について「すべて知っている」と思うようになる。
上京後―『タクシードライバー』やキューブリック、そして黒澤映画は、比較的「リバイバルに恵まれた」作品であり、名画座や映画祭などでフィルム版に触れることが出来た。
そうして、立ち直れないほどのショックを受ける。
ビデオテープ(というか、ブラウン管)で触れた印象と、まったくちがうからである。
自分は、なにを観ていたのか。
喧騒とひかり―夜のニューヨークを捉えた『タクシードライバー』のリアリズムは、テレビでは再現し切れない。
『2001年宇宙の旅』(68)、モノリスの表面になにか記されている―ということは、大画面のテレビであっても気づかない。
広角レンズやズームに「こだわりまくった」黒澤の演出―これをきちんと理解するためには、フィルムに触れる必要がある。
フィルムで観ないと、黒澤が最も評価されていたダイナミズムというものを体感出来ない、、、ということに気づいた18歳の夏。
映画小僧であることを自称し始めた自分は、ひどく落ち込んだ。
ごめんなさい、黒澤・・・そんな風に反省を始めたころ、黒澤が死んだ。
ダイナミズム【dynamism】…大辞泉より
①そのものがもつ力強さ。迫力。
②機械や人間などの力強い動きを表現しようとする芸術上の主義。未来派によって主張された。
『野良犬』(49)の、泥まみれの対決、
『羅生門』(50)の雨、
『用心棒』(61)の斬り合い、
そして『天国と地獄』の、特急こだまのシーン。
フィルム版に触れて、いままでなにも観ていなかったことに「気づいてしまい」落ち込む、
さらに、
そのダイナミズムの凄まじさに落ち込む。
叱咤されたくて、墓前に立つ・・・その繰り返しなのだった。
そうして、
少しでも黒澤に近づくために―と思ったからか、黒澤映画の脚本を手に取り、何度も読み込み、ノートに書き写すことを始めた。
なにはなくとも脚本、映画は脚本。
映画監督がペケでも脚本が良質であれば、「そこそこ」の映画が出来上がる。
しかしその逆、
脚本がペケだと、いくら世界で屈指の映画監督であっても、「そこそこ」の映画は出来上がらないのだ。
つづく。
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明日のコラムは・・・
『脚本至上主義→クールな俳優たち ~自分を構成する「あらゆるヒト・モノ・コト」vol.9~』