自分に似合わないもの、こと。
たとえば長ズボンを穿いている自分。
ズボンといえば長ズボンを指すのが一般的だから、改めて長ズボンと表記するのは違和感ありあり。
基本がハーフパンツなので、人気アイテムのジーンズも1本しか持っていない。
しかもほとんど穿かないから、いつまで経っても馴染んだ感覚にはならない。居心地が悪くってしかたない。
たとえば自分を「僕」ということ。
自分は自分のことを「自分」というので、「軍人か!」と突っ込まれることがある。
「僕」といっていたのは、たぶん中学生までで、高校のころが「俺」、上京後に「自分」となった。
突然、自発的に―というのは考え難いので「なにかの影響」だとは思うが、それがなんだったのかは分からない。
たとえばロン毛。
かつてはこうだったし、
高校時代は「なんと」オールバックにしていた。
しかし20代後半からは、ずっと短髪。
「し始め」のころは、いわゆるGIヘアだったが、現在は単なる坊主である。
小僧には、坊主スタイルこそ相応しい。
たとえば自動車。
運転している自分を想像出来ない。
そもそも免許を持っておらず、地元の群馬に帰還するのであれば自動車は必要かもしれないが、
東京に住んでいる以上、チャリさえあれば大丈夫だと思っている。
たとえばタトゥー。
格闘技をやっていると、対戦相手の身体に「なにか彫られている」ことが多く、若ければ若いほどその傾向は強くなる。
KIDなんかこんなだし、
本サイトのタイトル『ケープ・フィアー』(91)のデ・ニーロにいたっては、トップ画像のとおりだ。
彫ることに対して抵抗感はないが、単に似合わないと思っているからやらないだけ。
たとえば電車で座る自分。
つり革なしで立ち続けていられるかという自身への挑戦と、譲ることの煩わしさを理由として、20代のころから座ることをしなくなった。
だから定位置はドア付近と決まっているのだが、ただいちどだけ、体調不良で座ったことがある。
「そんなことで?」と思うかもしれないが、ショックだったなぁ。
つまり、なにが似合うのかというと、その逆、
ハーフパンツを穿き、
「自分」と名乗り、
短髪で、
チャリに乗っている―それこそが、自分であると。
もうひとつ、似合わないこと。
「真面目な顔」
蛭子能収タイプ? である自分、とにかくヘラヘラが止まらない。
「ヘラヘラ顔が地顔」なのだから止まるもなにもないのだが、無駄に反感を買うこと多し。
もう少し若いころは、街を歩くだけで「なに笑ってんだよ」と真性キチガイにからまれたものだった。
現在は「坊主でアゴヒゲ」しかも冬でも「ハーフパンツ」野郎なわけで、そんなヤツがヘラヘラしていると「コイツ、危ないのかも」と思われるようで、なんとなく道を開けられる? ことが多くなった。
これはこれでどうかと思うが、喧嘩に発展する面倒を考えれば「よい流れ」なのだろう。
というわけで、次回は地顔の「スマイル」について。
素の顔、地顔がヘラヘラだから「素」まいる、、、というわけだ。
つづく。
…………………………………………
本館『「はったり」で、いこうぜ!!』
前ブログのコラムを完全保存『macky’s hole』
…………………………………………
明日のコラムは・・・
『「素」まいる→Tシャツで自己表現 ~自分を構成する「あらゆるヒト・モノ・コト」vol.22~』
たとえば長ズボンを穿いている自分。
ズボンといえば長ズボンを指すのが一般的だから、改めて長ズボンと表記するのは違和感ありあり。
基本がハーフパンツなので、人気アイテムのジーンズも1本しか持っていない。
しかもほとんど穿かないから、いつまで経っても馴染んだ感覚にはならない。居心地が悪くってしかたない。
たとえば自分を「僕」ということ。
自分は自分のことを「自分」というので、「軍人か!」と突っ込まれることがある。
「僕」といっていたのは、たぶん中学生までで、高校のころが「俺」、上京後に「自分」となった。
突然、自発的に―というのは考え難いので「なにかの影響」だとは思うが、それがなんだったのかは分からない。
たとえばロン毛。
かつてはこうだったし、
高校時代は「なんと」オールバックにしていた。
しかし20代後半からは、ずっと短髪。
「し始め」のころは、いわゆるGIヘアだったが、現在は単なる坊主である。
小僧には、坊主スタイルこそ相応しい。
たとえば自動車。
運転している自分を想像出来ない。
そもそも免許を持っておらず、地元の群馬に帰還するのであれば自動車は必要かもしれないが、
東京に住んでいる以上、チャリさえあれば大丈夫だと思っている。
たとえばタトゥー。
格闘技をやっていると、対戦相手の身体に「なにか彫られている」ことが多く、若ければ若いほどその傾向は強くなる。
KIDなんかこんなだし、
本サイトのタイトル『ケープ・フィアー』(91)のデ・ニーロにいたっては、トップ画像のとおりだ。
彫ることに対して抵抗感はないが、単に似合わないと思っているからやらないだけ。
たとえば電車で座る自分。
つり革なしで立ち続けていられるかという自身への挑戦と、譲ることの煩わしさを理由として、20代のころから座ることをしなくなった。
だから定位置はドア付近と決まっているのだが、ただいちどだけ、体調不良で座ったことがある。
「そんなことで?」と思うかもしれないが、ショックだったなぁ。
つまり、なにが似合うのかというと、その逆、
ハーフパンツを穿き、
「自分」と名乗り、
短髪で、
チャリに乗っている―それこそが、自分であると。
もうひとつ、似合わないこと。
「真面目な顔」
蛭子能収タイプ? である自分、とにかくヘラヘラが止まらない。
「ヘラヘラ顔が地顔」なのだから止まるもなにもないのだが、無駄に反感を買うこと多し。
もう少し若いころは、街を歩くだけで「なに笑ってんだよ」と真性キチガイにからまれたものだった。
現在は「坊主でアゴヒゲ」しかも冬でも「ハーフパンツ」野郎なわけで、そんなヤツがヘラヘラしていると「コイツ、危ないのかも」と思われるようで、なんとなく道を開けられる? ことが多くなった。
これはこれでどうかと思うが、喧嘩に発展する面倒を考えれば「よい流れ」なのだろう。
というわけで、次回は地顔の「スマイル」について。
素の顔、地顔がヘラヘラだから「素」まいる、、、というわけだ。
つづく。
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明日のコラムは・・・
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