知り合ったばかりの女子に、
「ヴィン・ディーゼルに似ている♪」といわれ、ちょっとうろたえた。
いや嘘ではない、「♪」は自分でつけたが、その前のことばはほんとうにいわれたんだって。
知らないひとのために・・・
ディーゼルは21世紀型の米製アクション俳優であり、こんな顔と図体をしている。
坊主が一緒なだけじゃん!
とは突っ込まないでほしい、いわれてうれしいのだから。
そういえば数年前、やはり女子から
「真木蔵人に似ている」といわれ、
「そうかなー」と思ったが、この写真を見ると「あぁ、ほんとうだ」と。
自分の顔は、こうね。
20代を過ぎるまで「ヒトに似ている」といわれたことがなく、
『セサミストリート』のバート君、あるいはモグラとばかりいわれた。
21歳のころ―バイト先で、自分にそっくりな女子が居た。
彼女の不幸? を思うが、いやしかし、なぜか彼女は可愛かった。
では自分は可愛い女子顔なのかというと、もちろんそんなことはない。そんなことはないのに、彼女は可愛い。可愛いが、自分に似ている。
ワケが分からん。
こういうチャーミングな? 現象が起こるから、人間ってやめられない。
なんの話だ?
やや強引な流れであることを自覚していえば・・・
いろいろ理屈っぽいことを書いてきたが、
スターに似ているといわれれば「やっぱり」うれしいし、
偏った映画の趣味ではあるが、
「あした映画を観たいんだけれど、なにかお薦めある?」と問われることに生きがいを感じるのであった。
映画の見巧者と自負しているゆえ、センスをも問われていると感じ、厄介だなぁ・・・とも思ってしまうものなのだけれども。
以前、あるひとに『カノン』(98)を薦めたら、
翌日、体調を崩してしまったらしく、「なんでこんな映画を?」みたいな顔をされたことがある。
万人受けする作品を、自分が薦めても意味がないだろう―と思っての「敢えて」のチョイスであったが、こういう失敗も多い。
多いがいっぽうで、『カノン』は10人に薦め7人は「のめりこんだ」という事実があり、「いい映画をありがとう」などといわれると、えっへん、これぞ自分の役目だ、、、と誇ってしまうのだ。その繰り返し。
いろんな映画があるのだから、当然のようにいろんな感想がある。
ただ自分は、可能なかぎり理解され難い映画を応援していきたい、
メジャーな映画が情報まで独占して、シネコンでかかる映画だけが映画だ―なんて認識で埋め尽くされたら、これほどつまらないことはない。
ネット時代に突入する「ほんの」少し前、
自分はワープロで映画批評集を作り、それをコンビニで大量コピーして製本し、出版社や批評家、友人などに読んでもらった。
「これからも映画の福音を伝える使徒であり続けてください」と感想を送ってくれた友人が居て、えらく感動したものだった。
自分だって超のつくメジャー大作で「こころ躍らせる」こともあるけれど、
自分はこれでいく! と決めたのは、この感想を読んだ直後のことだった。
こうして、ちょっとミーハー、けれども偏屈で理屈っぽい映画小僧は出来上がったのである。
つづく。
…………………………………………
本館『「はったり」で、いこうぜ!!』
前ブログのコラムを完全保存『macky’s hole』
…………………………………………
明日のコラムは・・・
『映画偏愛(4)→映画偏愛(5) ~自分を構成する「あらゆるヒト・モノ・コト」vol.29~』
「ヴィン・ディーゼルに似ている♪」といわれ、ちょっとうろたえた。
いや嘘ではない、「♪」は自分でつけたが、その前のことばはほんとうにいわれたんだって。
知らないひとのために・・・
ディーゼルは21世紀型の米製アクション俳優であり、こんな顔と図体をしている。
坊主が一緒なだけじゃん!
とは突っ込まないでほしい、いわれてうれしいのだから。
そういえば数年前、やはり女子から
「真木蔵人に似ている」といわれ、
「そうかなー」と思ったが、この写真を見ると「あぁ、ほんとうだ」と。
自分の顔は、こうね。
20代を過ぎるまで「ヒトに似ている」といわれたことがなく、
『セサミストリート』のバート君、あるいはモグラとばかりいわれた。
21歳のころ―バイト先で、自分にそっくりな女子が居た。
彼女の不幸? を思うが、いやしかし、なぜか彼女は可愛かった。
では自分は可愛い女子顔なのかというと、もちろんそんなことはない。そんなことはないのに、彼女は可愛い。可愛いが、自分に似ている。
ワケが分からん。
こういうチャーミングな? 現象が起こるから、人間ってやめられない。
なんの話だ?
やや強引な流れであることを自覚していえば・・・
いろいろ理屈っぽいことを書いてきたが、
スターに似ているといわれれば「やっぱり」うれしいし、
偏った映画の趣味ではあるが、
「あした映画を観たいんだけれど、なにかお薦めある?」と問われることに生きがいを感じるのであった。
映画の見巧者と自負しているゆえ、センスをも問われていると感じ、厄介だなぁ・・・とも思ってしまうものなのだけれども。
以前、あるひとに『カノン』(98)を薦めたら、
翌日、体調を崩してしまったらしく、「なんでこんな映画を?」みたいな顔をされたことがある。
万人受けする作品を、自分が薦めても意味がないだろう―と思っての「敢えて」のチョイスであったが、こういう失敗も多い。
多いがいっぽうで、『カノン』は10人に薦め7人は「のめりこんだ」という事実があり、「いい映画をありがとう」などといわれると、えっへん、これぞ自分の役目だ、、、と誇ってしまうのだ。その繰り返し。
いろんな映画があるのだから、当然のようにいろんな感想がある。
ただ自分は、可能なかぎり理解され難い映画を応援していきたい、
メジャーな映画が情報まで独占して、シネコンでかかる映画だけが映画だ―なんて認識で埋め尽くされたら、これほどつまらないことはない。
ネット時代に突入する「ほんの」少し前、
自分はワープロで映画批評集を作り、それをコンビニで大量コピーして製本し、出版社や批評家、友人などに読んでもらった。
「これからも映画の福音を伝える使徒であり続けてください」と感想を送ってくれた友人が居て、えらく感動したものだった。
自分だって超のつくメジャー大作で「こころ躍らせる」こともあるけれど、
自分はこれでいく! と決めたのは、この感想を読んだ直後のことだった。
こうして、ちょっとミーハー、けれども偏屈で理屈っぽい映画小僧は出来上がったのである。
つづく。
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明日のコラムは・・・
『映画偏愛(4)→映画偏愛(5) ~自分を構成する「あらゆるヒト・モノ・コト」vol.29~』