Cape Fear、in JAPAN

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『Cape Fear』…恐怖の岬、の意。

怒れる牡牛の物語

2013-02-11 00:15:00 | コラム
第15部「原一男の物語」~第3章~

前回までのあらすじ


「若い女性が大勢見に行ったという事実に、まず驚いた。天皇制云々より、ブラックユーモアとかコメディとして見た方が面白い。戦争が背景にあるから、大状況においては天皇制問題とは言えるけど、課長と部長の物語、たとえば地方の営業所に単身赴任した末端セールスマンの物語として考えると、非常に面白いと思うな」(猪瀬直樹、『ゆきゆきて、神軍』を評す)

「われわれ日本人の健忘症に下された、巨大なドストエフスキイ的鉄槌」(井上ひさし、『ゆきゆきて、神軍』を評す)

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今年の初めに、たいへん興味深い米産のドキュメンタリー映画を観た。

デジタル技術隆盛の時代にあって、フィルムはどうなるのか―という問題に迫った『サイド・バイ・サイド』である。

ホスト役は俳優のキアヌ・リーヴス。
彼が若手監督(クリストファー・ノーランなど)や巨匠(スコセッシやリンチ、ルーカスなど)にインタビューする形で構成されていて、筆者はもちろんスコセッシ目当てで劇場に走ったのであるが、最も興味深かったのは「断固、フィルム派」を自称するノーランだった。

イメージで勝手に「デジタル派の申し子」と捉えていただけに、新鮮な驚きというか感動があった。

彼を代表とする「フィルム派」は、「デジタルであることを強制されている」と嘆く。
確かに「それが当たり前」とされている世の中で、当たり前でないことを貫くのは勇気も根気も要る。
しかし嘆きながらもフィルムの力を信じる彼ら彼女らのことばを聞いて、なんだか心強く思ったのであった。

さてこの『サイド・バイ・サイド』が好例だと思うが、
知的好奇心を満たすために、ひとはドキュメンタリー映画を観る傾向にある。

興味はあるけれど、知らない世界。そのことについて描いているから、これを観てみようとか。
知っているけれど、その世界について「より詳しくなりたい」から、これを観てみようとか。

筆者も「基本的には」その基準で観るべきドキュメンタリーを選ぶ。
それが「ふつうのありかた」だと思うが、原一男の映画に「それ」はまったく通用しない。

その世界について詳しく描くことを目的としていないからである。
つまり観たところで、知的好奇心が満たされることはないのである。

では「からっぽ」の状態で劇場をあとにすることになるのか―というと、もちろんそんなことはない。

「知」の代わりに受け手に与えられるものは、コップ一杯では収まり切らない「ありったけの毒」なのだった。

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『全身小説家』(94)が公開されたとき、渋谷ユーロスペースでは原の特集が企画された。

全作品を網羅出来るというので筆者も毎日のように通ったが、驚いたのは入場者の年齢である。
冒頭で引用した猪瀬現都知事がいうように、男子も女子も若いのだ。

突出した存在といえる『ゆきゆきて、神軍』(87…トップ画像)だけではない、
障害者に迫った『さようならCP』(72)も、元同棲相手の出産を捉えた『極私的エロス 恋歌1974』(74)も、劇場を埋めるのは若い世代だった。

筆者だって20代前半だったわけだが、自身のことは置いておいて、「なぜ君たちは原映画を観るのか」と疑問に思ったものだった。
知的好奇心が満たされるわけでもないのに。

毒にまみれることになる、、、というのに。

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タイトルに偽りなしの『極私的エロス 恋歌1974』は、原がかつて愛した女に頼まれて、彼女の出産を撮ろうとする物語。
いや形としては「依頼されたフィルム」といえるが、土足でカメラを持ち込んでモノゴトを動かそうとする「アクション・ドキュメンタリー作家」を自称するひとである、どこまで受け身だったかという疑問は残る。

かつて愛を育んでいたパートナーが主人公ということで、原自身も映像のなかに登場する。
この原が、滑稽なほどに甲斐性がなくダメダメな男で、一気に引き込まれる。

女と口論し、しかもその戦いに敗北、泣いてまでいるのだから。

翻って登場する女子たちの、強いこと強いこと。
ウーマンリブの活動家だったという武田美由紀―つまり主人公―が強いのは分かる、しかし原の新たなパートナーとなった小林佐智子も武田に負けぬ強さで、結局、原はこの映画で撮影者という重要な役割を担っているものの、それを除いてしまえば、口喧嘩に負け続け、女子たちの確執にアワアワしているだけなのである。

その「しょーもなさ」は笑えるが、それと対比するかのように描写される出産シーンの迫力には戦慄を禁じ得ない。
誰かが「映像史上で最もグロテスクで美しい」と評したようだが、まさにそうで、個人のどうでもいい色恋沙汰に付き合わされたと思っていたのに、意外と効くフックを喰らったというか。

原映画と対峙するには勇気が要るが、あるものには癖になる。

きっとあの若者たちは、毒されたくて敢えて劇場にやってきた中毒者なのだ。

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※『サイド・バイ・サイド』予告編

映画を学ぶものは、避けては通れないマストな作品。ぜひ。




つづく。

次回は、3月上旬を予定。

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本シリーズでは、スコセッシのほか、デヴィッド・リンチ、スタンリー・キューブリック、ブライアン・デ・パルマ、塚本晋也など「怒りを原動力にして」映画表現を展開する格闘系映画監督の評伝をお送りします。
月1度の更新ですが、末永くお付き合いください。
参考文献は、監督の交代時にまとめて掲載します。

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本館『「はったり」で、いこうぜ!!』

前ブログのコラムを完全保存『macky’s hole』

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明日のコラムは・・・

『インターミッション』

コメント (2)
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