4時間未満であれば、一気に観せてくれと思う。
そう思いつつ「これからインターミッションに入ります」などのテロップが映し出されると、それはそれで映画的であり、ワクワクしちゃったりもする。
簡単にいえば途中休憩という意味のインターミッションは、
ハリウッド黄金期に多用されたという印象が強く、プログラムピクチャー量産時代には「それぞれの映画が90分前後であったため」見かけることもなかった。
まぁ二本立ての「あいだ」もインターミッションといえばそうなのかもしれないが、
そこに継続性はなく、意味するところは大きく違ってくる。
一本の映画に「割って入る」インターミッションは、ゆえに「その休憩でさえ映画の一部」となるのだった。
2000年代以降、このインターミッションが復活の傾向にある。
120分超の映画が多く生まれるようになったから。
『愛のむきだし』(2008)や『沈まぬ太陽』(2009)などがそれにあたるのだが、チャンピオン? といえば、やはり『人間の條件』(59~61)になるのだろう。
3部作構成、しかもそれぞれにインターミッションが入るのだから。
そして今年、そのものをタイトルにした映画『インターミッション』が発表される。
ただ、その制作理由を知ると、ちょっと、、、どころか、かなーり切なくなる。
日本映画『インターミッション』は、銀座シネパトスを追悼する作品。
不入りや経営難を理由にして閉館する劇場のニュースっていうのは辛い。
辛いが、俯瞰すればそれも映画史の「大きなうねりのひとつ」として受け入れられなくもない。
しかし。
耐震基準に満たないから―という理由で取り壊されることが決定したシネパトスの場合、さすがに「これも映画史だから」と強引に割り切ることは出来ない。
そこで動いたのが、批評家の樋口尚文。
「いてもたっても」いられなかったのだろう、有志の俳優を募り、低予算でこの映画を創り上げたのである。
せ、せつねぇ。。。
せつねぇが、なんだかちょっと、あったかい気持ちにもなる。
森下くるみや、(久し振りに)佐伯日菜子が出ていることもいいのだが、ここに集ったものたちがみんな、映画に取り憑かれたものだと信じられるから、、、なのだと思う。
切ない気分になっている場合じゃない、そんな時間があるのなら一本創って気持ちよく葬ろうぜ―そんなところだろうか。
永遠の休憩に入る劇場に対し、夢を信じて「しばしの休憩」とする。
センチということばは好きではないが、ごくたまにであれば、そういうのもいいよね・・・そう思えてくる、素敵な映画に仕上がっていた。
シネパトス、いままでごくろうさまでした。
それはそうと。
よくビールや惣菜を買う最寄のスーパーが2店「ほぼ同時に」潰れた。
コンビニも潰れた。
なにか新しい店が開店するとは思うが、自分の周辺に限定すれば、生まれてくるものより死んでいくもののほうが圧倒的に多い。
少子化傾向にある日本を象徴するもの、、、なのだろうか。
アベノミクスがどんなものなのかよく分からないが、寂れていくのはやっぱり切ない。
死にゆくものへ祈りを捧げつつ、にっぽんの元気を祈りたい。
スポーツだけじゃなく、文化もゲージツも必要なんだからさ・・・と、たまにはマトモなことも呟いてみる。
…………………………………………
本館『「はったり」で、いこうぜ!!』
前ブログのコラムを完全保存『macky’s hole』
…………………………………………
明日のコラムは・・・
『シネマしりとり「薀蓄篇」(29)』
そう思いつつ「これからインターミッションに入ります」などのテロップが映し出されると、それはそれで映画的であり、ワクワクしちゃったりもする。
簡単にいえば途中休憩という意味のインターミッションは、
ハリウッド黄金期に多用されたという印象が強く、プログラムピクチャー量産時代には「それぞれの映画が90分前後であったため」見かけることもなかった。
まぁ二本立ての「あいだ」もインターミッションといえばそうなのかもしれないが、
そこに継続性はなく、意味するところは大きく違ってくる。
一本の映画に「割って入る」インターミッションは、ゆえに「その休憩でさえ映画の一部」となるのだった。
2000年代以降、このインターミッションが復活の傾向にある。
120分超の映画が多く生まれるようになったから。
『愛のむきだし』(2008)や『沈まぬ太陽』(2009)などがそれにあたるのだが、チャンピオン? といえば、やはり『人間の條件』(59~61)になるのだろう。
3部作構成、しかもそれぞれにインターミッションが入るのだから。
そして今年、そのものをタイトルにした映画『インターミッション』が発表される。
ただ、その制作理由を知ると、ちょっと、、、どころか、かなーり切なくなる。
日本映画『インターミッション』は、銀座シネパトスを追悼する作品。
不入りや経営難を理由にして閉館する劇場のニュースっていうのは辛い。
辛いが、俯瞰すればそれも映画史の「大きなうねりのひとつ」として受け入れられなくもない。
しかし。
耐震基準に満たないから―という理由で取り壊されることが決定したシネパトスの場合、さすがに「これも映画史だから」と強引に割り切ることは出来ない。
そこで動いたのが、批評家の樋口尚文。
「いてもたっても」いられなかったのだろう、有志の俳優を募り、低予算でこの映画を創り上げたのである。
せ、せつねぇ。。。
せつねぇが、なんだかちょっと、あったかい気持ちにもなる。
森下くるみや、(久し振りに)佐伯日菜子が出ていることもいいのだが、ここに集ったものたちがみんな、映画に取り憑かれたものだと信じられるから、、、なのだと思う。
切ない気分になっている場合じゃない、そんな時間があるのなら一本創って気持ちよく葬ろうぜ―そんなところだろうか。
永遠の休憩に入る劇場に対し、夢を信じて「しばしの休憩」とする。
センチということばは好きではないが、ごくたまにであれば、そういうのもいいよね・・・そう思えてくる、素敵な映画に仕上がっていた。
シネパトス、いままでごくろうさまでした。
それはそうと。
よくビールや惣菜を買う最寄のスーパーが2店「ほぼ同時に」潰れた。
コンビニも潰れた。
なにか新しい店が開店するとは思うが、自分の周辺に限定すれば、生まれてくるものより死んでいくもののほうが圧倒的に多い。
少子化傾向にある日本を象徴するもの、、、なのだろうか。
アベノミクスがどんなものなのかよく分からないが、寂れていくのはやっぱり切ない。
死にゆくものへ祈りを捧げつつ、にっぽんの元気を祈りたい。
スポーツだけじゃなく、文化もゲージツも必要なんだからさ・・・と、たまにはマトモなことも呟いてみる。
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本館『「はったり」で、いこうぜ!!』
前ブログのコラムを完全保存『macky’s hole』
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明日のコラムは・・・
『シネマしりとり「薀蓄篇」(29)』