Cape Fear、in JAPAN

ひとの襟首つかんで「読め!」という、映画偏愛家のサイト。

『Cape Fear』…恐怖の岬、の意。

インターミッション

2013-02-12 00:15:00 | コラム
4時間未満であれば、一気に観せてくれと思う。
そう思いつつ「これからインターミッションに入ります」などのテロップが映し出されると、それはそれで映画的であり、ワクワクしちゃったりもする。

簡単にいえば途中休憩という意味のインターミッションは、
ハリウッド黄金期に多用されたという印象が強く、プログラムピクチャー量産時代には「それぞれの映画が90分前後であったため」見かけることもなかった。

まぁ二本立ての「あいだ」もインターミッションといえばそうなのかもしれないが、
そこに継続性はなく、意味するところは大きく違ってくる。
一本の映画に「割って入る」インターミッションは、ゆえに「その休憩でさえ映画の一部」となるのだった。

2000年代以降、このインターミッションが復活の傾向にある。
120分超の映画が多く生まれるようになったから。

『愛のむきだし』(2008)や『沈まぬ太陽』(2009)などがそれにあたるのだが、チャンピオン? といえば、やはり『人間の條件』(59~61)になるのだろう。
3部作構成、しかもそれぞれにインターミッションが入るのだから。

そして今年、そのものをタイトルにした映画『インターミッション』が発表される。

ただ、その制作理由を知ると、ちょっと、、、どころか、かなーり切なくなる。

日本映画『インターミッション』は、銀座シネパトスを追悼する作品。

不入りや経営難を理由にして閉館する劇場のニュースっていうのは辛い。
辛いが、俯瞰すればそれも映画史の「大きなうねりのひとつ」として受け入れられなくもない。

しかし。
耐震基準に満たないから―という理由で取り壊されることが決定したシネパトスの場合、さすがに「これも映画史だから」と強引に割り切ることは出来ない。

そこで動いたのが、批評家の樋口尚文。
「いてもたっても」いられなかったのだろう、有志の俳優を募り、低予算でこの映画を創り上げたのである。






せ、せつねぇ。。。

せつねぇが、なんだかちょっと、あったかい気持ちにもなる。

森下くるみや、(久し振りに)佐伯日菜子が出ていることもいいのだが、ここに集ったものたちがみんな、映画に取り憑かれたものだと信じられるから、、、なのだと思う。

切ない気分になっている場合じゃない、そんな時間があるのなら一本創って気持ちよく葬ろうぜ―そんなところだろうか。

永遠の休憩に入る劇場に対し、夢を信じて「しばしの休憩」とする。

センチということばは好きではないが、ごくたまにであれば、そういうのもいいよね・・・そう思えてくる、素敵な映画に仕上がっていた。


シネパトス、いままでごくろうさまでした。


それはそうと。
よくビールや惣菜を買う最寄のスーパーが2店「ほぼ同時に」潰れた。
コンビニも潰れた。

なにか新しい店が開店するとは思うが、自分の周辺に限定すれば、生まれてくるものより死んでいくもののほうが圧倒的に多い。

少子化傾向にある日本を象徴するもの、、、なのだろうか。
アベノミクスがどんなものなのかよく分からないが、寂れていくのはやっぱり切ない。

死にゆくものへ祈りを捧げつつ、にっぽんの元気を祈りたい。
スポーツだけじゃなく、文化もゲージツも必要なんだからさ・・・と、たまにはマトモなことも呟いてみる。

…………………………………………

本館『「はったり」で、いこうぜ!!』

前ブログのコラムを完全保存『macky’s hole』

…………………………………………

明日のコラムは・・・

『シネマしりとり「薀蓄篇」(29)』

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする