6月12日は、とーちゃんの誕生日。
今年は古希にあたり、先日の帰省時に一足早く贈り物をした。
自分も使っている、レノボのデスクトップ一体型パソコン。
ほんとうはタブレットにしてもよかったのだろうが、スマホで一苦労しているようである、これ以上、画面にタッチで頭を悩ませるのもどうかと。
去年はハイボールのセットを贈り、その前はDVDのレコーダーだったかな。
そこそこ稼げるようになったので頑張ってはいるが、20代のころはそうもいかず、映画のセルビデオを3本セットにして贈ったりしていた。
とーちゃんの趣味にあわせることも出来たはずだが、敢えて積極的には観ようとしないであろう作品を選んだ。
そのなかの一本に、というか、筆頭として『タクシードライバー』があったのである。
(3)負のパワー炸裂の76年
少し「こじつけ」になることを承知でいうと、76年は映画界にとって革命的な年だった。
スコセッシの友人、ブライアン・デ・パルマが『キャリー』を発表する。
超能力少女が、その「才能」を最大限に発揮し「大殺戮」を展開する切ないホラー映画である。
売れない俳優スタローンは『ロッキー』の脚本を3日間で仕上げ、映画はヒットしオスカーにも輝いた。
吉蔵と定による猟奇的事件を愛の神話として描くため、オオシマは『愛のコリーダ』という本番撮影ありのハードコアポルノを放つ。
キャリーの才能は「怒り」によって開花するもので、けっして前向きなものではなかった。
ロッキーもそうで、彼は「アポロに勝つこと」ではなく、「最終ラウンドまで立っていること」を目標にして戦う。
吉蔵と定が出した結論そのものは前向きだったのかもしれないが、世の中のすべてに対して背を向ける日常は、後ろ向きといえば後ろ向きだったろう。
負のパワー、炸裂。
トラビスもそうで、彼は世の中を変えるといった建設的な狙いがあったわけではなく、ものすごく乱暴ないいかたをすれば、個人的な怨念だけでコトを起こしたのだった。
少女による大殺戮というスペクタクル映像が、気持ちよかった。
ゴロツキを自称する三流ボクサーと地味な女の恋が、胸に刺さった。
吉蔵と定の最後に、嫉妬心を抱いた。
そしてベッツィの誘いを断ってみせるトラビスに、拍手喝采を送った。
負のパワーが物語の原動力になることもあるんだ、ひとを感動させることが出来るんだ―ということを知った自分は、70年代症候群を自称するヘンクツな映画小僧となっていた。
(4)恵まれていて、また、必要ともされている
権利の関係を容易にクリア出来ているのだろう、
『タクシードライバー』は、ほかの70年代名作群に比べて再上映の機会に恵まれており、しょっちゅう名画座などで上映されている。
74年生まれの自分は、もちろん上映時の反響などを知ることは出来ないがスクリーンで拝むことは出来る、これはじつにありがたいことで。
そんなわけで自分は、この映画と7回ほどスクリーンで対峙している。
ビデオ・DVDでは40回以上、計50回は観ているが、触れる度に新しい発見があるのもうれしい。
劇場で対峙する『タクシードライバー』は、家のテレビで観たときと異なる表情を見せる。
ニューヨークの夜の街並み、その光が眩いのだ。
最初の出会いがビデオだったものだから、自分はなにを観ていたのだ! と、若干の自己嫌悪に陥るほどだった。
さて権利関係がクリアし易いからといって、必ずしも何度もスクリーン上映されるものでもない。
需要がなければ、興行主はNGを出すはずで。
実際、入りはどうなのか。
満席状態で『タクシードライバー』を観たことは、いちどもない。
だからといって、ガラガラの劇場でこの映画を観たという記憶もない。
いつも、4~5割程度の入り。
この、ちょうどいい感じ。
いや「心地よく劇場で過ごせる入り」という意味ではなく、この映画を必要としている人数が「いつの時代でも、だいたい同じ」という意味。
劇場に灯りが戻ったら、とりあえず周囲を見回してみる。
圧倒的に、男子が多い。
年齢にはバラツキがあるものの、ほとんどが「ひとり」。
陽気そうなヤツも居れば、ちょっと陰気っぽいヤツも。
ただなんとなく、なんとなくだが、みんなと仲良くなれそうな気がする。
もう30年以上も前の映画である。
いまは、21世紀なのである。
『タクシードライバー』より衝撃的な展開をみせる映画だってあったはず。
『タクシードライバー』を目指し、もがき、それに近づこうとした野心的な映画作家による傑作にも触れてきた。
それでも、この映画に戻ってきてしまう、、、というか、そもそも浮気なんかしていないし。
観た年齢もよかったのかな―と思うときがある。
多感な10代真ん中だったし・・・と。
ただいっぽうで、いや、何歳のときに観たとしても、自分の宝物はこれしかなかったはずだ、、、とも思うわけで。
スコ爺さん、でにろうさん、いとしのジョディよ。
こんな自分、ちょっと重いですか?笑
※銃を購入するシーン。いろいろ売りつけようとする男が胡散臭くて抜群だ。
…………………………………………
本館『「はったり」で、いこうぜ!!』
前ブログのコラムを完全保存『macky’s hole』
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明日のコラムは・・・
『Green、Green』
今年は古希にあたり、先日の帰省時に一足早く贈り物をした。
自分も使っている、レノボのデスクトップ一体型パソコン。
ほんとうはタブレットにしてもよかったのだろうが、スマホで一苦労しているようである、これ以上、画面にタッチで頭を悩ませるのもどうかと。
去年はハイボールのセットを贈り、その前はDVDのレコーダーだったかな。
そこそこ稼げるようになったので頑張ってはいるが、20代のころはそうもいかず、映画のセルビデオを3本セットにして贈ったりしていた。
とーちゃんの趣味にあわせることも出来たはずだが、敢えて積極的には観ようとしないであろう作品を選んだ。
そのなかの一本に、というか、筆頭として『タクシードライバー』があったのである。
(3)負のパワー炸裂の76年
少し「こじつけ」になることを承知でいうと、76年は映画界にとって革命的な年だった。
スコセッシの友人、ブライアン・デ・パルマが『キャリー』を発表する。
超能力少女が、その「才能」を最大限に発揮し「大殺戮」を展開する切ないホラー映画である。
売れない俳優スタローンは『ロッキー』の脚本を3日間で仕上げ、映画はヒットしオスカーにも輝いた。
吉蔵と定による猟奇的事件を愛の神話として描くため、オオシマは『愛のコリーダ』という本番撮影ありのハードコアポルノを放つ。
キャリーの才能は「怒り」によって開花するもので、けっして前向きなものではなかった。
ロッキーもそうで、彼は「アポロに勝つこと」ではなく、「最終ラウンドまで立っていること」を目標にして戦う。
吉蔵と定が出した結論そのものは前向きだったのかもしれないが、世の中のすべてに対して背を向ける日常は、後ろ向きといえば後ろ向きだったろう。
負のパワー、炸裂。
トラビスもそうで、彼は世の中を変えるといった建設的な狙いがあったわけではなく、ものすごく乱暴ないいかたをすれば、個人的な怨念だけでコトを起こしたのだった。
少女による大殺戮というスペクタクル映像が、気持ちよかった。
ゴロツキを自称する三流ボクサーと地味な女の恋が、胸に刺さった。
吉蔵と定の最後に、嫉妬心を抱いた。
そしてベッツィの誘いを断ってみせるトラビスに、拍手喝采を送った。
負のパワーが物語の原動力になることもあるんだ、ひとを感動させることが出来るんだ―ということを知った自分は、70年代症候群を自称するヘンクツな映画小僧となっていた。
(4)恵まれていて、また、必要ともされている
権利の関係を容易にクリア出来ているのだろう、
『タクシードライバー』は、ほかの70年代名作群に比べて再上映の機会に恵まれており、しょっちゅう名画座などで上映されている。
74年生まれの自分は、もちろん上映時の反響などを知ることは出来ないがスクリーンで拝むことは出来る、これはじつにありがたいことで。
そんなわけで自分は、この映画と7回ほどスクリーンで対峙している。
ビデオ・DVDでは40回以上、計50回は観ているが、触れる度に新しい発見があるのもうれしい。
劇場で対峙する『タクシードライバー』は、家のテレビで観たときと異なる表情を見せる。
ニューヨークの夜の街並み、その光が眩いのだ。
最初の出会いがビデオだったものだから、自分はなにを観ていたのだ! と、若干の自己嫌悪に陥るほどだった。
さて権利関係がクリアし易いからといって、必ずしも何度もスクリーン上映されるものでもない。
需要がなければ、興行主はNGを出すはずで。
実際、入りはどうなのか。
満席状態で『タクシードライバー』を観たことは、いちどもない。
だからといって、ガラガラの劇場でこの映画を観たという記憶もない。
いつも、4~5割程度の入り。
この、ちょうどいい感じ。
いや「心地よく劇場で過ごせる入り」という意味ではなく、この映画を必要としている人数が「いつの時代でも、だいたい同じ」という意味。
劇場に灯りが戻ったら、とりあえず周囲を見回してみる。
圧倒的に、男子が多い。
年齢にはバラツキがあるものの、ほとんどが「ひとり」。
陽気そうなヤツも居れば、ちょっと陰気っぽいヤツも。
ただなんとなく、なんとなくだが、みんなと仲良くなれそうな気がする。
もう30年以上も前の映画である。
いまは、21世紀なのである。
『タクシードライバー』より衝撃的な展開をみせる映画だってあったはず。
『タクシードライバー』を目指し、もがき、それに近づこうとした野心的な映画作家による傑作にも触れてきた。
それでも、この映画に戻ってきてしまう、、、というか、そもそも浮気なんかしていないし。
観た年齢もよかったのかな―と思うときがある。
多感な10代真ん中だったし・・・と。
ただいっぽうで、いや、何歳のときに観たとしても、自分の宝物はこれしかなかったはずだ、、、とも思うわけで。
スコ爺さん、でにろうさん、いとしのジョディよ。
こんな自分、ちょっと重いですか?笑
※銃を購入するシーン。いろいろ売りつけようとする男が胡散臭くて抜群だ。
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『Green、Green』