自分の記憶が確かならば・・・
初めて劇場で観た映画は、ミュージカルの『アニー』(82…文末動画参照)。
自分の意思で観に行ったというより、3つ上の姉に連れられ「映画がどういうものであるか」をよく知らぬまま座席に着いた、、、という感じだった。
以降、しばらくは姉の趣味に沿った・・・いやちがうな、ほぼ毎月のように通ったわけだから、場末の劇場『清流』で上映される「基本、二本立て」の映画をふたりで観に行くというのが「月の恒例行事」となっていた。
成龍のアクションと早見優のアイドル映画―という、しびれる二本立てとか。
伊丹十三の長編デビュー作とカラテキッドの物語―なんていう、センスあり過ぎて意味が分からない組み合わせも楽しかった。
基本は二本立てだが、ときどき一本勝負の映画がやってくる。
上映時間とは無関係にプログラムされたもので、それはハリウッドのビッグバジェットだった。
『ゴーストバスターズ』(84)や『グレムリン』(84)はおそらく、全国どこでも「一本勝負」だったと思われる。
友人と最初に観に行った―つまり家族以外のものと初めて観に行った映画は?
『コマンドー』(85)と『バタリアン』(85)。
どちらの映画にもハダカが出てきて、友人のひとりが恥ずかしがって騒いだのを覚えている。
自分たちがおとなしくしていたものだから「あぁ、騒がなくてもいいんだ」と、理解したようだった。
家庭の風景まで想像出来て、なんだかそういうことも楽しかった。
ちなみに。
最初に女子とふたりきりで観た映画は、『フィールド・オブ・ドリームス』(89)だった。
いまとはちがい、純粋で汚れを知らない自分は、手をつなぐことさえ出来なかったっけ。
こう並べていくと、自分が青春を過ごした80年代は完全に「米国のひとり勝ち」だったことが分かる。
日本映画は「からっぽ」と評されていた時代。
いやモリタが踏ん張っていたし、原一男も相米慎二も居たけれど・・・。
90年代だって現代だって米国産が強いことに変わりはないが、日本映画を好んで観るひとの割合が異常に少なかったというのは確かだと思う。
いまは米国と張っているというか、ときとして、それを上回るのに。
というわけで、今回の初体験シリーズは「初めて、おひとりさまで観た映画」。
子どもにとって「ひとりで観に行く」というのは「よっぽど」のこと、、、なんじゃないかと。
その、最初の一歩を思い出してみよう。
・・・と、そんな風に書いてみたが、思い出すもなにも、物心ついたときから観た映画のすべてを記録していた映画小僧である、ボロボロになった大学ノートをめくってみたらば、疑問? は、すぐに解明した。
86年8月23日―。
地元の映画館『清流』の劇場Aでは『おニャン子ザ・ムービー 危機イッパツ』と『そろばんずく』の二本立て、
劇場Bではスタローン主演のアクション『コブラ』(86…トップ画像)が初日を迎えていた。
中学に入学したばかりの12歳である。
性的に悶々としていたことは確かだが、その煩悩を振り払い、男くさいスタローンに一票を投じてみた。
結果からいうと、惨敗。
ぜんっぜん、面白くなかったから。
しかし。
数週間後に劇場Aでかかっていた二本立てを観てみると、『コブラ』にも増してつまらなかったので、ぎりぎりドローに持ちこめた? のかもしれない。
このあたりのアレコレを、もう少し詳しく記してみようか。
つづく。
※『アニー』より、『トゥモロー』を歌うシーン
…………………………………………
本館『「はったり」で、いこうぜ!!』
前ブログのコラムを完全保存『macky’s hole』
…………………………………………
明日のコラムは・・・
『初体験 リッジモント・ハイ(44)』
初めて劇場で観た映画は、ミュージカルの『アニー』(82…文末動画参照)。
自分の意思で観に行ったというより、3つ上の姉に連れられ「映画がどういうものであるか」をよく知らぬまま座席に着いた、、、という感じだった。
以降、しばらくは姉の趣味に沿った・・・いやちがうな、ほぼ毎月のように通ったわけだから、場末の劇場『清流』で上映される「基本、二本立て」の映画をふたりで観に行くというのが「月の恒例行事」となっていた。
成龍のアクションと早見優のアイドル映画―という、しびれる二本立てとか。
伊丹十三の長編デビュー作とカラテキッドの物語―なんていう、センスあり過ぎて意味が分からない組み合わせも楽しかった。
基本は二本立てだが、ときどき一本勝負の映画がやってくる。
上映時間とは無関係にプログラムされたもので、それはハリウッドのビッグバジェットだった。
『ゴーストバスターズ』(84)や『グレムリン』(84)はおそらく、全国どこでも「一本勝負」だったと思われる。
友人と最初に観に行った―つまり家族以外のものと初めて観に行った映画は?
『コマンドー』(85)と『バタリアン』(85)。
どちらの映画にもハダカが出てきて、友人のひとりが恥ずかしがって騒いだのを覚えている。
自分たちがおとなしくしていたものだから「あぁ、騒がなくてもいいんだ」と、理解したようだった。
家庭の風景まで想像出来て、なんだかそういうことも楽しかった。
ちなみに。
最初に女子とふたりきりで観た映画は、『フィールド・オブ・ドリームス』(89)だった。
いまとはちがい、純粋で汚れを知らない自分は、手をつなぐことさえ出来なかったっけ。
こう並べていくと、自分が青春を過ごした80年代は完全に「米国のひとり勝ち」だったことが分かる。
日本映画は「からっぽ」と評されていた時代。
いやモリタが踏ん張っていたし、原一男も相米慎二も居たけれど・・・。
90年代だって現代だって米国産が強いことに変わりはないが、日本映画を好んで観るひとの割合が異常に少なかったというのは確かだと思う。
いまは米国と張っているというか、ときとして、それを上回るのに。
というわけで、今回の初体験シリーズは「初めて、おひとりさまで観た映画」。
子どもにとって「ひとりで観に行く」というのは「よっぽど」のこと、、、なんじゃないかと。
その、最初の一歩を思い出してみよう。
・・・と、そんな風に書いてみたが、思い出すもなにも、物心ついたときから観た映画のすべてを記録していた映画小僧である、ボロボロになった大学ノートをめくってみたらば、疑問? は、すぐに解明した。
86年8月23日―。
地元の映画館『清流』の劇場Aでは『おニャン子ザ・ムービー 危機イッパツ』と『そろばんずく』の二本立て、
劇場Bではスタローン主演のアクション『コブラ』(86…トップ画像)が初日を迎えていた。
中学に入学したばかりの12歳である。
性的に悶々としていたことは確かだが、その煩悩を振り払い、男くさいスタローンに一票を投じてみた。
結果からいうと、惨敗。
ぜんっぜん、面白くなかったから。
しかし。
数週間後に劇場Aでかかっていた二本立てを観てみると、『コブラ』にも増してつまらなかったので、ぎりぎりドローに持ちこめた? のかもしれない。
このあたりのアレコレを、もう少し詳しく記してみようか。
つづく。
※『アニー』より、『トゥモロー』を歌うシーン
…………………………………………
本館『「はったり」で、いこうぜ!!』
前ブログのコラムを完全保存『macky’s hole』
…………………………………………
明日のコラムは・・・
『初体験 リッジモント・ハイ(44)』