Cape Fear、in JAPAN

ひとの襟首つかんで「読め!」という、映画偏愛家のサイト。

『Cape Fear』…恐怖の岬、の意。

誰かを守る勇気、あるかな

2013-06-11 00:15:00 | コラム
先日の土曜日は、美女としゃぶしゃぶデートだった。

待ち合わせ場所は駅前。
自慢じゃないが自分、待ち合わせ時間に遅れたことがなく、ほぼ「待つ側」の人間である。

他者ではなく、自分が時間にルーズであることがたまらなくイヤなのだ。

一年を通してハーフパンツ、それ抜きだったとしても地味とはいえないファッションだから目立つようで「目印」として最適、つまり「その日の参加者」にとっても、自分が先に待ち合わせ場所に居ると「助かる」のだそうだ。

えがったえがった自分、ひとの役に立っている♪

この日も美女に「後ろ姿で分かった。目立ち過ぎます。レスラーにしか見えない」と褒められ? のぼせ上がってしまった。

この日のファッションは・・・
迷彩柄のハーフパンツに、靴はナイキのエアハラチ21世紀版。こだわりのTシャツは、映画『エレファント』(2003)をデザインした黄色メインのもの。トップ画像のやつね。
それと最近になって色気づき? 始め「敵を憎むな、判断が鈍る」(=ドン・コルレオーネの名言)と彫られたペンダントをつけた。

「恥ずかしくない? 大丈夫?」
「あたしですか? ぜんぜん」
「えがった。ひとによっては、なにかの関係者と思われるから、恥ずかしいんだって」
「そんな! 一緒に居たらゼッタイ守ってくれそうだから、すごく安心しますよ」

美女は、こころまで美しいのだった。


さて。
この顔でこの図体であるからして、よく「守ってもらえそう」「ボディガードっぽい」と評される。

うれしいのだが、実際はどうか。

スガシカオの歌じゃないけれど、

♪ 誰かを許せたり、大切な人を守れたり いまだ何一つ、サマになっていやしない ♪

ってことはないのか。

つまりハッタリ野郎は、いざというときどうなのかと。

そりゃあ、守りたい。

先日の『怒り新党』で有吉もいっていたが自分も同じで、「誰かを助けて死にたい」という願望がある。

ただ「そうしたい」と思うだけなら、痛みや恐怖を伴うものではないから誰だって出来ることだろう。

実際の現場で守る―という行為が「ひじょうに」難しいことだから、ほんとうにそうした・そう出来たひとはニュースになる。

いやべつに、ニュースに取り上げてもらいたいわけではないけれど。

ちゃんぽん馬鹿と思われるだろうが、人助け(たぶん・・・というか、ゼッタイに女子)をしたあとの台詞は考えてある。

その女子のご両親に向けてのヒトコトだと思う、
「いえいえ、女性のかすり傷と、自分の複雑骨折と。世間的に許されるのは後者のほうですから」というもの。

これをいってみたくてたまらないのだが、
生きていることを前提として想定しているところが甘いっていうか、本気度が疑われるっていうか。


やっぱり、根っからのハッタリ野郎ってことなのだろうか。

せめて有事のときくらいは、一歩を踏み出す勇気がほしいものだけれど。


※じゃあ、スガシカオを。
『プロフェッショナル』の主題歌として有名だけれど、ちゃんと歌詞を知っているひと、意外と少ないんだってね。




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明日のコラムは・・・

『初体験 リッジモント・ハイ(43)』

コメント (3)
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