Cape Fear、in JAPAN

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『Cape Fear』…恐怖の岬、の意。

怒れる牡牛の物語

2013-06-10 02:00:00 | コラム
第16部「デヴィッド・クローネンバーグの物語」~第2章~

前回までのあらすじ


「映画学校に通っていた2004年にインフルエンザにかかって、うなされるぐらいの高熱を出したときに、病気の物理的な性質に夢中になってしまったんだ。いま、自分の体で暴れているウイルスは、ほかのひとの体で生まれたかもしれないと思うと、妙に親密に感じられた。そういった種類の親密さを感じるキャラクターってなんだろうと考えたとき、大好きなひとと物理的なつながりを持つために病気を移されてもいいと思えるくらい、セレブに妄執を傾けるファンなんじゃないかと思いついたんだ」(ブランドン・クローネンバーグ)

「才能は遺伝する」(映画『アンチヴァイラル』宣伝コピー)

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まったくの「たまたま」であったが、タイミングよくクローネンバーグの新作『コズモポリス』が公開され、
そして、長男ブランドンによる長編デビュー作『アンチヴァイラル』まで公開された。

日本はクローネンバーグ映画にも優しい? 様々な文化に理解を示す国だとは思うが、今年の上半期は特別で、まるでクローネンバーグ祭りみたいじゃないかと。

さて。
そんなブランドンの映画はどうだったのかというと、悔しいといったら妙だが「才能は遺伝する」といった煽りに偽りはなく、
例えていえば、デヴィッド・リンチの娘による映画にはガッカリしたが、デヴィッド・ボウイの息子による映画には歓喜した、
今回は後者のほうである―と、わざわざ「デヴィッド」つながりでまとめてみたが、どうだろうか。

セレブリティのウィルスが闇マーケットで取り引きされている・・・という「世も末」な物語を、カナダ特有の寒々しい? 映像感覚と、もはや「時代遅れのはずなのに格好いい」サイバーパンクっぽい演出で見せる・魅せる。

これをもう少しクドく描こうとすると父親の映画になるはずで、踏み止まったのはブランドンの若さゆえか、あるいは、元々が淡白なのか。
いずれにしろ、楽しみな人材である。




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文化に造詣の深い両親に育てられたデヴィッドは、ナボコフやウィリアム・バロウズを敬愛する文学青年だった。
学生時代には賞を受賞したりもしたが、先輩作家のイキザマや作風を知れば知るほど「自身の作家的資質のなさ」に気づいて嘆き、そんな風にして作家の夢を諦めたのだそうだ。
このエピソードだけでも、デヴィッドの気難しさ繊細さが分かる。
「賞だって取れたんだから、とりあえずやってみればいいんじゃね?」という“軽さ”が、たぶん苦手なのだ。

しかしアーティストとしてのセンスを、映画界は見逃さなかった。
カナダ議会は実験映画などを発表していたデヴィッドに目をつけ、補助金を交付。そのおかげで予算のことを気にせず、じつにのびのびと、真にオリジナルな表現を目指して制作に打ち込むことが出来たのである。

75年、『シーバーズ』で劇場映画の監督としてデビューする。
のちにヒットメイカーとなるアイバン・ライトマンが制作を担当しているのも意外だが、やはり処女作にはそのひとのすべてが出るというか、「寄生虫」が実質的な主人公であるという「冷たい」ホラー映画だった。

81年の『スキャナーズ』で名前が知れ渡る前のクローネンバーグ映画でひとつ選べ―といわれたら、『ラビッド』(77…トップ画像)と即答する。

交通事故に遭い手術を受けたヒロインの体内が変態化し、脇の下からペニスにしかみえない突起物が生えてくる・・・というトンデモホラーである。

トンデモではあるが、クローネンバーグはこの物語をリアリズムで撮っている。
それがこのひとの映画の一大特徴であり、基本的には「あり得ない話を、現実のように描く」という、ことばにしてみると意外とマトモな監督だったりする。
だったりするのだが、ときとしてその「あり得なさ」が向こう側にまで到達することがあり、ゆえにホラー作家と捉えられがちだが、彼の映画がひとを怖がらせることを目的として創られていないことは誰でも理解出来ることなんじゃないか。

それにしても「脇の下から、ペニス」という設定は斬新だし過激である。
特殊効果がどういう造形物を創りだすのか―という興味のほかに、これを、どの女優の脇の下にくっつけるのか・・・という「難題」が生じるわけで。

クローネンバーグが選んだのは、ポルノの世界では有名だったマリリン・チェンバースだった。

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80年代は、クローネンバーグの第一次隆盛期といえる。
このひとの凄さは90年代にいちど落ち込み、現在再び浮上し第二次隆盛期を迎えたところにあるのだが、まずは80年代の快作を並べてみよう。

超能力者たちの戦争を描いた『スキャナーズ』(81)、
テクノロジーと身体の関係性をグロテスクな映像で哲学する『ヴィデオドローム』(82)、
ひとの未来が見える孤独な超能力者が「ある行動」を起こすまでを描く『デッドゾーン』(83)、
科学者がハエと同化する『ザ・フライ』(86)、
双子の医師の危ない関係を見つめる『戦慄の絆』(88)。

代表作ではなく「キャリアのすべて」を記してみたが、失敗作と呼べるものなし、「出せば当たる」の、まさに黄金期なのである。

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つづく。

次回は、7月上旬を予定。

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本シリーズでは、スコセッシのほか、デヴィッド・リンチ、スタンリー・キューブリック、ブライアン・デ・パルマ、塚本晋也など「怒りを原動力にして」映画表現を展開する格闘系映画監督の評伝をお送りします。
月1度の更新ですが、末永くお付き合いください。
参考文献は、監督の交代時にまとめて掲載します。

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本館『「はったり」で、いこうぜ!!』

前ブログのコラムを完全保存『macky’s hole』

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明日のコラムは・・・

『誰かを守る勇気、あるかな』

コメント (1)
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