先日放送されたバラエティ番組『アメトーク』(テレビ朝日)の特番で「顔で損してる芸人」というのがあったが、
そのなかで、芸人たんぽぽ・川村エミコ(トップ画像は、彼女がダイエットに挑戦したときのもの)の子どものころの写真が写されていて、そのときの彼女が首からストップウォッチを提げていたことを共演者から突っ込まれる場面があった。
「あたし、一時期、ストップウォッチにはまっていて―」
「はまる? はまることなんて、ある?」
「なんでも計っていたんです。たとえばチャイムが鳴ってから先生が教室に入ってくるまでの時間とか」
番組全体が「そんなことに、はまらない」という空気であったが、あぁ分かる分かる、自分もはまったよと。
速度や時間に対して深い興味を抱いたわけではない、
そうではなく、まだ「アナログ」だった時代、あれだけは、少し頑張れば小学生でも手に入れられる「デジタル」アイテムだったというか、
なんとなく未来な感じがして、強く憧れたのだった。
いまではちょっと、通じない感覚だとは思うけれど。
スマホで、ストップウォッチアプリもあるからね。
ともかく。
小学校高学年~中学生のころの自分は、(お年玉を使って)毎年のように最新のストップウォッチを購入していた。
アスリートやそのコーチが持っているような、格好いいスポーツタイプのものをね。
なにを計っていたのかというと、これがなにも計らない。
持っていることに意義を見出していたので、それだけで満足だったのだ。
って、それじゃあ川村エミコのほうがマシというか、役に立つ使いかたをしているねと。
ストップウォッチから話を広げて、時間の感覚について。
「時間どろぼう」と少女の対決を描くエンデの名作小説『モモ』が好きで、10代のころ繰り返し読んでいた。
読んでいたことが原因ではないと思うが、自分はとにかく「せっかち」だ。
この世で無数に交わされる約束の半分くらいは、時間に関するものだろう。
「どこそこで、“いつ”会おう」というように。
その約束の「いい出しっぺ」であろうがなかろうが、それを1分でも破ることが許せない。
強調しておきたいのは、他者が破ることに怒りは感じない。
自分が破ってしまった場合にのみ、怒りが生まれる。
そんなことが過去に1度だけあって、その日は荒れたもんだ。
馬鹿馬鹿馬鹿、自分の馬鹿!! みたいな。
であるからして、約束の場にいちばん最初に到着していることが多い。
多いというか、ほとんどがそうである。
それが分かっている友人たちは、「どこそこを目指すより、その周辺に立っているはずのヒゲ坊主ハーフパンツ野郎を探してみて」なんていうメールを参加者に一括送信したりする。
自分、それを見てニンマリ。
期待に応えなきゃと、必要以上に早く集合場所に着く場合だってある。
それはそれで考えものなんじゃないか―そんな風に友人からいわれたこともある。
きっちりし過ぎていて、こころに余裕がないぜと。
まぁそうかもしれんが、そうすることでこころに余裕が生まれるのだから、変えようがない気もする。
これが他者への攻撃につながるのであれば反省もするが、相手が30分遅れようが60分遅れようが、割と寛大な態度が取れたりする―ぜんぜん怒らないということはないけれど―のでね、無問題でしょうと。
ただ自分だって若いつもりだが、もう充分にチューネンでね。
自分より若い取材スタッフと組むケースも増え、彼らはメンバーのなかに自分が居ることを確認すると、ちょっと緊張するらしい。
遅刻が出来ないのは当然として、まっき~さんより遅く着くというのはどうか、
でもあのひとは場合によっては約束の30分前に準備完了! しているので、
自分たちは40分前、50分前に到着しなきゃ! なんてビビッているというのだ。
「なんで? だからいっているとおり、俺は他者に対しては厳しくないっていってるじゃん」
「分かってますけど、そういうのとはちがうんですよ。礼儀として、、、というか」
「(苦笑)そうかなぁ」
「あとこれは、怒らないでほしいんですけれど、」
「うん?」
「まっき~さんの顔がニコニコしていればいるほど、逆に怖いっていうか」
「(苦笑)」
「A先輩がいってました、あんなにニコニコしているけど、ああいうの怒らせるといちばん怖いって」
「(苦笑)」
Aのヤツ・・・・・。
う~ん。
ある意味では友人がいうように「それはそれで考えものなんじゃないか」って気がしてきたし、
やや強引に冒頭と繋げてみると、自分のようなヘラヘラ顔も「顔で損してる芸人」なのかもな・・・って。
あぁ、芸人じゃなかったんだ自分、、、笑
※ストップウォッチのストップから、この曲のこんなバージョンを
…………………………………………
本館『「はったり」で、いこうぜ!!』
前ブログのコラムを完全保存『macky’s hole』
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明日のコラムは・・・
『き、ら、き、ら、』
そのなかで、芸人たんぽぽ・川村エミコ(トップ画像は、彼女がダイエットに挑戦したときのもの)の子どものころの写真が写されていて、そのときの彼女が首からストップウォッチを提げていたことを共演者から突っ込まれる場面があった。
「あたし、一時期、ストップウォッチにはまっていて―」
「はまる? はまることなんて、ある?」
「なんでも計っていたんです。たとえばチャイムが鳴ってから先生が教室に入ってくるまでの時間とか」
番組全体が「そんなことに、はまらない」という空気であったが、あぁ分かる分かる、自分もはまったよと。
速度や時間に対して深い興味を抱いたわけではない、
そうではなく、まだ「アナログ」だった時代、あれだけは、少し頑張れば小学生でも手に入れられる「デジタル」アイテムだったというか、
なんとなく未来な感じがして、強く憧れたのだった。
いまではちょっと、通じない感覚だとは思うけれど。
スマホで、ストップウォッチアプリもあるからね。
ともかく。
小学校高学年~中学生のころの自分は、(お年玉を使って)毎年のように最新のストップウォッチを購入していた。
アスリートやそのコーチが持っているような、格好いいスポーツタイプのものをね。
なにを計っていたのかというと、これがなにも計らない。
持っていることに意義を見出していたので、それだけで満足だったのだ。
って、それじゃあ川村エミコのほうがマシというか、役に立つ使いかたをしているねと。
ストップウォッチから話を広げて、時間の感覚について。
「時間どろぼう」と少女の対決を描くエンデの名作小説『モモ』が好きで、10代のころ繰り返し読んでいた。
読んでいたことが原因ではないと思うが、自分はとにかく「せっかち」だ。
この世で無数に交わされる約束の半分くらいは、時間に関するものだろう。
「どこそこで、“いつ”会おう」というように。
その約束の「いい出しっぺ」であろうがなかろうが、それを1分でも破ることが許せない。
強調しておきたいのは、他者が破ることに怒りは感じない。
自分が破ってしまった場合にのみ、怒りが生まれる。
そんなことが過去に1度だけあって、その日は荒れたもんだ。
馬鹿馬鹿馬鹿、自分の馬鹿!! みたいな。
であるからして、約束の場にいちばん最初に到着していることが多い。
多いというか、ほとんどがそうである。
それが分かっている友人たちは、「どこそこを目指すより、その周辺に立っているはずのヒゲ坊主ハーフパンツ野郎を探してみて」なんていうメールを参加者に一括送信したりする。
自分、それを見てニンマリ。
期待に応えなきゃと、必要以上に早く集合場所に着く場合だってある。
それはそれで考えものなんじゃないか―そんな風に友人からいわれたこともある。
きっちりし過ぎていて、こころに余裕がないぜと。
まぁそうかもしれんが、そうすることでこころに余裕が生まれるのだから、変えようがない気もする。
これが他者への攻撃につながるのであれば反省もするが、相手が30分遅れようが60分遅れようが、割と寛大な態度が取れたりする―ぜんぜん怒らないということはないけれど―のでね、無問題でしょうと。
ただ自分だって若いつもりだが、もう充分にチューネンでね。
自分より若い取材スタッフと組むケースも増え、彼らはメンバーのなかに自分が居ることを確認すると、ちょっと緊張するらしい。
遅刻が出来ないのは当然として、まっき~さんより遅く着くというのはどうか、
でもあのひとは場合によっては約束の30分前に準備完了! しているので、
自分たちは40分前、50分前に到着しなきゃ! なんてビビッているというのだ。
「なんで? だからいっているとおり、俺は他者に対しては厳しくないっていってるじゃん」
「分かってますけど、そういうのとはちがうんですよ。礼儀として、、、というか」
「(苦笑)そうかなぁ」
「あとこれは、怒らないでほしいんですけれど、」
「うん?」
「まっき~さんの顔がニコニコしていればいるほど、逆に怖いっていうか」
「(苦笑)」
「A先輩がいってました、あんなにニコニコしているけど、ああいうの怒らせるといちばん怖いって」
「(苦笑)」
Aのヤツ・・・・・。
う~ん。
ある意味では友人がいうように「それはそれで考えものなんじゃないか」って気がしてきたし、
やや強引に冒頭と繋げてみると、自分のようなヘラヘラ顔も「顔で損してる芸人」なのかもな・・・って。
あぁ、芸人じゃなかったんだ自分、、、笑
※ストップウォッチのストップから、この曲のこんなバージョンを
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『き、ら、き、ら、』