皆さんそうだろうが、仕事柄、とくに自己紹介する機会が多い。
ほぼ毎日、、、といっていい。
フリーライターと入れた名刺も持っているけれど、あまり使わない。
とりあえず顔と声、それから握手した際の手の感覚を覚えてくださいね、、、みたいな感じであいさつをする。
自己紹介が得意かというと、それはない。
苦手?
ということも、ない。
ナニゴトも経験というが、とりあえず数をこなしているというだけで、上手くなっているという実感なんか「ぜんぜん」ないけれど。
ただ、あぁ、こういうことを発すると完全にすべるのだな、とか、こういうジョークは笑ってくれるのだな、とか、空気の作りかたはなんとなく分かるようになってくる。
くるが、だからといって慣れることはない。
やっぱり緊張する―という意味で、葬儀のマナーと似ているかもしれない。
(先日のテレビ朝日バラエティ『格付けSP』で、「この度はご愁傷様です」の後半は「はっきり」発せず「消え入るかのように」が正しいということを解説していて、あらためて難しいなと思った)
自己紹介のあとは、その流れで互いのキャラクター性についての「探りあい的会話」が展開されることが多いと思うが、
自分、この会話のなかで、よく「っぽい」と評される。
○○っぽい。
「スポーツはなにか?」
「格闘技を、少々」
「あぁ! っぽい!」
「(笑う)そうですか」
「胸の厚みとか、なんとなく」
「よくいわれます」
「好きな映画は?」
「なんでも観ますけど、『タクシードライバー』とか、とくに70年代の映画が好きです」
「あぁ! それっぽい!!」
「(笑う)顔に出てますかね」
「昔、モヒカンとかしてたんじゃないですか?」
「なんで分かるんですかね」
「やっぱり」
「好きな異性のタイプは?」
「とことん色白で」
「とことん(笑う)」
「それから、可憐とか、けなげとか似合う感じの子が好きです」
「あぁ! いかにも好きっぽい」
「(笑う)でしょう?」
まぁ、だいたいこんな感じ。
何度も書いてきたことだが、自分ではヘラヘラした地顔と思っているものの、相手はニコニコと解釈してくれるらしく、第一印象の段階では悪くない。
つまり長期取材では(のちのち)ボロが出て本性は単なるキチガイだと気づかれるが、その日かぎりのインタビューだと「いいひと」のままで終わることのほうが多い。
自分の場合は長期が滅多にないので、そういう意味では「ありがたい見た目」なのかもしれない。
見抜くひとは、見抜くけれどね。
「きみ、ほんとうは笑ってないでしょ」なんて突っ込まれたことあったし。
「分かります?」
と答えたいところだが、実際にそう答える勇気はない。
仕事での会話だからね、これが酒の席だったら、そういっちゃうかもしれないけれど。
映画のなかの自己紹介といえば、ニュージーランド産の『乙女の祈り』(94…トップ画像)における、ケイト・ウィンスレットを想起する。
映画の内容も強烈だったが、映像も、彼女が演じるキャラクターもインパクト大だったなぁ。
それから『アメリカン・サイコ』(2000)における、クリスチャン・ベールの名刺のこだわり。
どんな紙に印刷されているかでひとの価値が決まる・・・なんて、嫌な世界だねぇ。
「ボンド、ジェームズ・ボンド」と発するだけのボンドのように、クールにスマートにいきたいところだけれど、
まぁこんなヤツだから、コッテコテの自己紹介が性にあっているのだと思う。
これからも精進を続けます。
※自己紹介といえば、やっぱりこの歌でしょう。
おニャン子による『会員番号の歌』。AKBもやればいいのに。
…………………………………………
本館『「はったり」で、いこうぜ!!』
前ブログのコラムを完全保存『macky’s hole』
…………………………………………
明日のコラムは・・・
『初体験 リッジモント・ハイ(55)』
ほぼ毎日、、、といっていい。
フリーライターと入れた名刺も持っているけれど、あまり使わない。
とりあえず顔と声、それから握手した際の手の感覚を覚えてくださいね、、、みたいな感じであいさつをする。
自己紹介が得意かというと、それはない。
苦手?
ということも、ない。
ナニゴトも経験というが、とりあえず数をこなしているというだけで、上手くなっているという実感なんか「ぜんぜん」ないけれど。
ただ、あぁ、こういうことを発すると完全にすべるのだな、とか、こういうジョークは笑ってくれるのだな、とか、空気の作りかたはなんとなく分かるようになってくる。
くるが、だからといって慣れることはない。
やっぱり緊張する―という意味で、葬儀のマナーと似ているかもしれない。
(先日のテレビ朝日バラエティ『格付けSP』で、「この度はご愁傷様です」の後半は「はっきり」発せず「消え入るかのように」が正しいということを解説していて、あらためて難しいなと思った)
自己紹介のあとは、その流れで互いのキャラクター性についての「探りあい的会話」が展開されることが多いと思うが、
自分、この会話のなかで、よく「っぽい」と評される。
○○っぽい。
「スポーツはなにか?」
「格闘技を、少々」
「あぁ! っぽい!」
「(笑う)そうですか」
「胸の厚みとか、なんとなく」
「よくいわれます」
「好きな映画は?」
「なんでも観ますけど、『タクシードライバー』とか、とくに70年代の映画が好きです」
「あぁ! それっぽい!!」
「(笑う)顔に出てますかね」
「昔、モヒカンとかしてたんじゃないですか?」
「なんで分かるんですかね」
「やっぱり」
「好きな異性のタイプは?」
「とことん色白で」
「とことん(笑う)」
「それから、可憐とか、けなげとか似合う感じの子が好きです」
「あぁ! いかにも好きっぽい」
「(笑う)でしょう?」
まぁ、だいたいこんな感じ。
何度も書いてきたことだが、自分ではヘラヘラした地顔と思っているものの、相手はニコニコと解釈してくれるらしく、第一印象の段階では悪くない。
つまり長期取材では(のちのち)ボロが出て本性は単なるキチガイだと気づかれるが、その日かぎりのインタビューだと「いいひと」のままで終わることのほうが多い。
自分の場合は長期が滅多にないので、そういう意味では「ありがたい見た目」なのかもしれない。
見抜くひとは、見抜くけれどね。
「きみ、ほんとうは笑ってないでしょ」なんて突っ込まれたことあったし。
「分かります?」
と答えたいところだが、実際にそう答える勇気はない。
仕事での会話だからね、これが酒の席だったら、そういっちゃうかもしれないけれど。
映画のなかの自己紹介といえば、ニュージーランド産の『乙女の祈り』(94…トップ画像)における、ケイト・ウィンスレットを想起する。
映画の内容も強烈だったが、映像も、彼女が演じるキャラクターもインパクト大だったなぁ。
それから『アメリカン・サイコ』(2000)における、クリスチャン・ベールの名刺のこだわり。
どんな紙に印刷されているかでひとの価値が決まる・・・なんて、嫌な世界だねぇ。
「ボンド、ジェームズ・ボンド」と発するだけのボンドのように、クールにスマートにいきたいところだけれど、
まぁこんなヤツだから、コッテコテの自己紹介が性にあっているのだと思う。
これからも精進を続けます。
※自己紹介といえば、やっぱりこの歌でしょう。
おニャン子による『会員番号の歌』。AKBもやればいいのに。
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明日のコラムは・・・
『初体験 リッジモント・ハイ(55)』