ABCマートのCMでコンバースを履く美女が気になって検索したら、吉田栄作夫人の平子理沙だったことに驚いた。
あれ、こんなにキレイなひとだったかな、、と。
いまは時間が取れないのでそんなことはしていないが、昔、CM美女ばかりを集めた映像をつなげただけの自家製DVDなんかを作っていた。
酒呑みながらニヤニヤしてそれを眺め続ける、、、と。
キモチワリーナ、お前。
でもね、15秒の映像を2時間つなげるという作業のたいへんさくらいは理解してほしい。
モノスゴ時間を要したのだから!
とりあえず、美女は置いておいて・・・。
CMや映画予告編を制作する友人が居るし、また、自分も学校の実習でそういうものを作っていたことがあるから、映画ほどではないけれど先鋭的なCMはなるべくチェックするようにしている。
10年くらい前か、中山美穂がビールのCMで見せた指の動きが「巧い」と評判になって、そのシリーズではしばらく指の動きが強調されるものが続いた。
まだ、このあたりまでは自然だったのだが、
なんか段々とわざとらしくなってきて、
ついには飽きられ、なんとなく批判までされるようになり、いつの間にか「ふつうの演出」に戻っていた。
まだまだ観たいな―と思われているうちにやめてしまう、、、というのが、ひょっとしたらベストのタイミングなのかもしれないよね、なんて思う。
で、コロッセオのなかで動物と戦うカップヌードルのCM。
その前は英語が不得意な日本のサラリーマンが外国人の上司に戦いを挑む戦記モノみたいな創りだったが、
挑戦はしているとは思うけれど、
あれとか好評なのだろうか? と、ちょっと疑問に思う。
「hungry?」で世界的な評価を受けた日清の「もういちど、、、」みたいな野心は分かるが、なんかちがうんだよな、面白くないし・・・と、呑み会で意見してみたら、
「まっき~、それだけふつうのCMに対する評価厳しいのに、美女が出てるだけで評価が高くなるっていうね、そういう矛盾はどうなのさ」
と、突っ込まれた。
おぉ痛いとこ突くねぇ、、、みたいな。
「矛盾は認めるよ。認めたうえで、矛盾は矛盾のままにしておこうかと思う」
「開き直り?」
「まぁそうかなー。でも菜々緒が出ていても消費者金融の“いま現在の”CMは好きじゃないし、石原さとみが出ていてもLINEゲームのCMは好きじゃなかった」
「あぁ、自分なりの許せる/許せない基準はあるわけだね」
「明確じゃないけど、一応はね」
正直な話、映画の予告編で「あ、これ観たい!」と思ったことは何遍もあるが、
テレビCMを観て「あ、これ欲しい!」と思ったことは「ほとんど」ない。
ここ10年で捉えてみたら、いちどもないことに気づく。
スーパードライもユニクロもスマホもNIKEもCMを観て欲しいと思ったわけではなく、店頭で手に取って初めて「いいな」と思ったのである。
映像に仕掛けられたサブリミナルによって・・・とかいわれたら、そりゃあそうかもしれないし、まったく効果がないとは思わないけれど。
でも、それよか、自分のCMの観かたはあくまでも「あ、この子が出てる!」とか「この子、誰だ?」みたいな美女カタログの要素が強く、そういう意味で大事な大事なメディアのひとつなのだった。
「ながら見」していたとしても、その子が画面に登場するあいだだけテレビを「ガン見」してしまう。
そのことによって自然と、CMの商品まで覚えてしまう。
順序が逆のような気もするが、制作者にとっても結果オーライなのではないか。
そういうわけ? だから、これからも日課としてのCM美女チェックは怠ることが出来ない。
あれもこれもと、じつにたいへんな世の中である。
勝手にやってろ、馬鹿?
うん、勝手にやることにする。
…………………………………………
本館『「はったり」で、いこうぜ!!』
前ブログのコラムを完全保存『macky’s hole』
…………………………………………
明日のコラムは・・・
『縛る、絞める』
あれ、こんなにキレイなひとだったかな、、と。
いまは時間が取れないのでそんなことはしていないが、昔、CM美女ばかりを集めた映像をつなげただけの自家製DVDなんかを作っていた。
酒呑みながらニヤニヤしてそれを眺め続ける、、、と。
キモチワリーナ、お前。
でもね、15秒の映像を2時間つなげるという作業のたいへんさくらいは理解してほしい。
モノスゴ時間を要したのだから!
とりあえず、美女は置いておいて・・・。
CMや映画予告編を制作する友人が居るし、また、自分も学校の実習でそういうものを作っていたことがあるから、映画ほどではないけれど先鋭的なCMはなるべくチェックするようにしている。
10年くらい前か、中山美穂がビールのCMで見せた指の動きが「巧い」と評判になって、そのシリーズではしばらく指の動きが強調されるものが続いた。
まだ、このあたりまでは自然だったのだが、
なんか段々とわざとらしくなってきて、
ついには飽きられ、なんとなく批判までされるようになり、いつの間にか「ふつうの演出」に戻っていた。
まだまだ観たいな―と思われているうちにやめてしまう、、、というのが、ひょっとしたらベストのタイミングなのかもしれないよね、なんて思う。
で、コロッセオのなかで動物と戦うカップヌードルのCM。
その前は英語が不得意な日本のサラリーマンが外国人の上司に戦いを挑む戦記モノみたいな創りだったが、
挑戦はしているとは思うけれど、
あれとか好評なのだろうか? と、ちょっと疑問に思う。
「hungry?」で世界的な評価を受けた日清の「もういちど、、、」みたいな野心は分かるが、なんかちがうんだよな、面白くないし・・・と、呑み会で意見してみたら、
「まっき~、それだけふつうのCMに対する評価厳しいのに、美女が出てるだけで評価が高くなるっていうね、そういう矛盾はどうなのさ」
と、突っ込まれた。
おぉ痛いとこ突くねぇ、、、みたいな。
「矛盾は認めるよ。認めたうえで、矛盾は矛盾のままにしておこうかと思う」
「開き直り?」
「まぁそうかなー。でも菜々緒が出ていても消費者金融の“いま現在の”CMは好きじゃないし、石原さとみが出ていてもLINEゲームのCMは好きじゃなかった」
「あぁ、自分なりの許せる/許せない基準はあるわけだね」
「明確じゃないけど、一応はね」
正直な話、映画の予告編で「あ、これ観たい!」と思ったことは何遍もあるが、
テレビCMを観て「あ、これ欲しい!」と思ったことは「ほとんど」ない。
ここ10年で捉えてみたら、いちどもないことに気づく。
スーパードライもユニクロもスマホもNIKEもCMを観て欲しいと思ったわけではなく、店頭で手に取って初めて「いいな」と思ったのである。
映像に仕掛けられたサブリミナルによって・・・とかいわれたら、そりゃあそうかもしれないし、まったく効果がないとは思わないけれど。
でも、それよか、自分のCMの観かたはあくまでも「あ、この子が出てる!」とか「この子、誰だ?」みたいな美女カタログの要素が強く、そういう意味で大事な大事なメディアのひとつなのだった。
「ながら見」していたとしても、その子が画面に登場するあいだだけテレビを「ガン見」してしまう。
そのことによって自然と、CMの商品まで覚えてしまう。
順序が逆のような気もするが、制作者にとっても結果オーライなのではないか。
そういうわけ? だから、これからも日課としてのCM美女チェックは怠ることが出来ない。
あれもこれもと、じつにたいへんな世の中である。
勝手にやってろ、馬鹿?
うん、勝手にやることにする。
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本館『「はったり」で、いこうぜ!!』
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明日のコラムは・・・
『縛る、絞める』