世界の映画祭を、トラブルの視点で捉えてみよう。
<東京>
2010年の第23回東京国際映画祭において、パンフレットに「台湾」と表記されていることに中国の江平監督が抗議、
「中国台湾」あるいは「中華台北」と改めなければボイコットすると宣言する。
背景に尖閣諸島の問題があるとされているが、いろんな意味で不愉快だなぁと感じたものだった。
<カンヌ>
世界の映画祭のなかで最大の事件といわれているのが、第21回カンヌ国際映画祭の「中止」。
68年5月19日―トリュフォーやゴダール、クロード・ルルーシュ、ロマン・ポランスキーなどの著名監督が会場に乗り込み、映画の上映と審査の中止を要求、実際にそのとおりになる・・・というか、これだけの実力者が結束したら映画祭を続行することは不可能だったにちがいない。
ほとんどクーデターのような状態だが、この直後に起こるのが五月革命で、つまり映画人たちは、映画人であるにも関わらず、、、いや、映画人だからこそ、わが国は映画「祭」なんかやっている場合じゃない―と思っていたのだろう。
もし、もし、だよ。
もし7年経っても福島原発がおとなしくなっていなかったとしたら、似たようなことだってあり得るんじゃないか・・・などと想像してしまった。
<米オスカー>
「祭」の名は冠されていないが、映画の祭典であることに変わりはないので、世界で最も有名な映画賞のトラブルについて、ひとつ。
マーロン・ブランドのオスカー受賞拒否「事件」。
『ゴッドファーザー』(72)のヴィトー・コルレオーネ役が絶賛され授賞式では彼の名が呼ばれるが、
壇上に上がったのはネイティブ・アメリカンの格好をした女性だった。
サシーン・リトルフェザーと名乗るその女性はブランドの代理だといい、
「彼は名誉あるこの賞を辞退します。その理由は、ハリウッドが先住民族を迫害した過去があるからです」
とスピーチ、会場はブーイングで包まれた―というもの。
じつはこれには、悲惨な後日談がある。
サシーン・リトルフェザーは偽名、しかも彼女はネイティブ・アメリカンとは無関係で、単なるブランドの知人だった。
素性をあきらかにされた彼女はメディアからの総攻撃を受けて雲隠れ・・・するも、一連のこの行為が原因かどうかは分からないが、数週間後に殺害されてしまうのだった。
日本の例もフランスの例も米国の例も、映画が「社会とは無関係ではいられない」ということを教えてくれる。
それがビッグバジェットのSFであれ、作家主義濃厚な個人的アートであれ。
もちろん深刻な問題ばかりがついてまわるわけじゃない、
基本的に映画祭は「祭り」なんだから、楽しいことのほうが多い。
自分の映画祭初体験は、92年の秋。
渋谷で開催された「東京国際ファンタスティック映画祭」(以下、東京ファンタ)であった。
東京ファンタは「東京国際映画祭」の協賛を受けて生まれたサブイベントであり、
乱暴にいえば、本家には「通常の」バランス感覚を持った映画ファンや批評家が集い、いわゆるオタクが東京ファンタに殺到した。
自分の目当ては、傑作『ブレードランナー』(82…トップ画像)のディレクターズ・カット版の上映。
その年、最大の目玉であり、ほとんどの映画小僧がこれ目当てで渋谷駅を降りたにちがいない。
感想?
もちろん素晴らしい出来だったが、映画祭の雰囲気、観客の熱気に圧倒され、はっきりいってしまえば、しっかり作品と対峙することが出来なかった。
だが、こういう映画体験も「あり」だなと思った。
来年も、きっと来よう―そう思った。
劇場が空いている状態で、のんびり観る―そういう風に映画を楽しみたいひとも多いだろう。
どう楽しむかはもちろん自由だけれど、映画祭は通常の満席状態でも味わえない独特の熱気があって、
映画が好きというのであれば、いちどは体感してほしいイベントなのだ。
どう?
映画祭は、始まったばかりだよ。
この週末、六本木に来てみない?
YOU、来ちゃいなよ!!
※これは一級の映像資料だと思う、東京ファンタの予告編を集めた動画。
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本館『「はったり」で、いこうぜ!!』
前ブログのコラムを完全保存『macky’s hole』
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明日のコラムは・・・
『美女はCMで発見することが多い』
<東京>
2010年の第23回東京国際映画祭において、パンフレットに「台湾」と表記されていることに中国の江平監督が抗議、
「中国台湾」あるいは「中華台北」と改めなければボイコットすると宣言する。
背景に尖閣諸島の問題があるとされているが、いろんな意味で不愉快だなぁと感じたものだった。
<カンヌ>
世界の映画祭のなかで最大の事件といわれているのが、第21回カンヌ国際映画祭の「中止」。
68年5月19日―トリュフォーやゴダール、クロード・ルルーシュ、ロマン・ポランスキーなどの著名監督が会場に乗り込み、映画の上映と審査の中止を要求、実際にそのとおりになる・・・というか、これだけの実力者が結束したら映画祭を続行することは不可能だったにちがいない。
ほとんどクーデターのような状態だが、この直後に起こるのが五月革命で、つまり映画人たちは、映画人であるにも関わらず、、、いや、映画人だからこそ、わが国は映画「祭」なんかやっている場合じゃない―と思っていたのだろう。
もし、もし、だよ。
もし7年経っても福島原発がおとなしくなっていなかったとしたら、似たようなことだってあり得るんじゃないか・・・などと想像してしまった。
<米オスカー>
「祭」の名は冠されていないが、映画の祭典であることに変わりはないので、世界で最も有名な映画賞のトラブルについて、ひとつ。
マーロン・ブランドのオスカー受賞拒否「事件」。
『ゴッドファーザー』(72)のヴィトー・コルレオーネ役が絶賛され授賞式では彼の名が呼ばれるが、
壇上に上がったのはネイティブ・アメリカンの格好をした女性だった。
サシーン・リトルフェザーと名乗るその女性はブランドの代理だといい、
「彼は名誉あるこの賞を辞退します。その理由は、ハリウッドが先住民族を迫害した過去があるからです」
とスピーチ、会場はブーイングで包まれた―というもの。
じつはこれには、悲惨な後日談がある。
サシーン・リトルフェザーは偽名、しかも彼女はネイティブ・アメリカンとは無関係で、単なるブランドの知人だった。
素性をあきらかにされた彼女はメディアからの総攻撃を受けて雲隠れ・・・するも、一連のこの行為が原因かどうかは分からないが、数週間後に殺害されてしまうのだった。
日本の例もフランスの例も米国の例も、映画が「社会とは無関係ではいられない」ということを教えてくれる。
それがビッグバジェットのSFであれ、作家主義濃厚な個人的アートであれ。
もちろん深刻な問題ばかりがついてまわるわけじゃない、
基本的に映画祭は「祭り」なんだから、楽しいことのほうが多い。
自分の映画祭初体験は、92年の秋。
渋谷で開催された「東京国際ファンタスティック映画祭」(以下、東京ファンタ)であった。
東京ファンタは「東京国際映画祭」の協賛を受けて生まれたサブイベントであり、
乱暴にいえば、本家には「通常の」バランス感覚を持った映画ファンや批評家が集い、いわゆるオタクが東京ファンタに殺到した。
自分の目当ては、傑作『ブレードランナー』(82…トップ画像)のディレクターズ・カット版の上映。
その年、最大の目玉であり、ほとんどの映画小僧がこれ目当てで渋谷駅を降りたにちがいない。
感想?
もちろん素晴らしい出来だったが、映画祭の雰囲気、観客の熱気に圧倒され、はっきりいってしまえば、しっかり作品と対峙することが出来なかった。
だが、こういう映画体験も「あり」だなと思った。
来年も、きっと来よう―そう思った。
劇場が空いている状態で、のんびり観る―そういう風に映画を楽しみたいひとも多いだろう。
どう楽しむかはもちろん自由だけれど、映画祭は通常の満席状態でも味わえない独特の熱気があって、
映画が好きというのであれば、いちどは体感してほしいイベントなのだ。
どう?
映画祭は、始まったばかりだよ。
この週末、六本木に来てみない?
YOU、来ちゃいなよ!!
※これは一級の映像資料だと思う、東京ファンタの予告編を集めた動画。
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本館『「はったり」で、いこうぜ!!』
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明日のコラムは・・・
『美女はCMで発見することが多い』