雑誌やテレビの企画「あのひとは、いま…」みたいなのが嫌いだ。
気になるひとが居ないといえば、嘘になる。
そのなかのひとり、愛人殺しの歌手・克美しげるがじつは死んでいた・・・というニュースには軽いショックを受けたが、
趣味がいい企画とはいえない。
だが、取材を受けるほうは受けるほうで「これも仕事のひとつ、そこそこのギャラがもらえるし」と開き直っている場合が多い。
というか、そういうひとがほとんどだろう。
復活した有吉ちゃんもいっていたし、プライドなんかクソ喰らえ、とにかく俺は金がほしいんだ、だから取材を受けると。
つまり取材する側とされる側の利害が一致している、
受け手も(自分のように)ナンダカンダいいつつ、かつて「きらきら」していたひとが現在どうなっているのか気になる、
出来れば「きらきら」とは正反対の生活をしていてほしい、どん底に居てもがいていてほしい・・・なんて思っているようで、不幸な内容ほど番組は高視聴率、雑誌は売れるらしい。
き、ら、き、ら
・・・で居ること、居続けることの難しさ。
それでも、芸能界はやめられない。
かつて松尾スズキは「彼らの輝きたい願望は、電球以上である」という名言を放っている。
そのとおり。
そんな雑誌企画のひとつを自分が担当することになり、
かつてランキング1位を獲得したAV女優ふたりをたずねた。
受け手の願望に反し? ふたりは「そこそこ」幸福な生活を送っていた。
あのころのような、けばけばしいまでの「きらきら」ではなかったが、無理のない、ゴテゴテに装飾されていない、自然な、とても自然な「きらきら」であった。
最初は乗る気でなかったが、取材してよかったと思った。
今宵は、映画の世界で無数に存在する「かつて、きらきらしていたひと」を10人選出してみたい。
嫌いだといったはずだが、敢えてやってみよう。
※あくまでも個人的ランキングなので・・・
現在も地道にキャリアを築くひと、逆に、鬼籍に入ったひとも含まれている。
「ほぼ女子」なのは、・・・まぁ自分は結局、男子ですから。
(1)ソーラ・バーチ
子役から出発、多感な少女期に「性と死」のカオリが濃厚な雰囲気をまとい、
『アメリカン・ビューティー』(99…トップ画像)、『穴』(2001)、『ゴーストワールド』(2001)などのインディーズに出演して映画小僧を歓喜させる。
「いま、ここ」に居ないのが不条理と感じるほどの逸材だった、、、はず。
(2)ジュリエット・ルイス
90年代の青春映画で、「少しアブナイ少女」といえば彼女が演じていた。
『ケープ・フィアー』(91)でスコセッシが、『夫たち、妻たち』(92)でウディ・アレンが起用していたところなんか、野心的な監督からオファーが殺到した(デビュー当時の)宮崎あおいに似ている。
『ナチュラル・ボーン・キラーズ』(94)のダンスシーンにしびれた男子は多かったが、現在も映画出演は続くものの、あのころのようなドキッとする演技を披露することはない。
関係ないが、自分と同年ということに驚いた。
(3)松田暎子
『愛のコリーダ』(76)で阿部定を鮮烈に演じ、ビッグインパクトを残す。
「本番をやってのけた女優」という印象が邪魔をして、結局、この映画を超えるものに出会えなかった・・・が、これ一本で充分だろ、たいへんな仕事をやってのけたじゃないか―と称えたい。
(4)リチャード・E・グラント
英国出身の、正統派?俳優。
90年代前半に頭角を現し、アルトマンの『ザ・プレイヤー』(92)、コッポラの『ドラキュラ』(92)、スコセッシの『エイジ・オブ・イノセンス』(93)などで印象的なキャラクターを好演する。
こういうひとは「アンパイ」と捉えられがちだが、現役ではあるものの、最近はパッとしない。
(5)エリザ・ドゥシュク
ジェームズ・キャメロンが監督した世紀の駄作『トゥルーライズ』(94)でシュワ氏の娘を演じる。
このときはなんとも思わなかったが、『チアーズ!』(2000)でバク転の出来る女子高生をワイルドに演じて惚れた。
2003年、テレビシリーズ『トゥルー・コーリング』のヒロインに抜擢され、他者の死期を予期出来るヒロインを熱演。
だが番組終了と同時に、彼女の出演作が日本で触れられる機会が「極端に」少なくなった。
(6)ドミニク・スウェイン
97年、エイドリアン・ライン版の『ロリータ』でタイトルロールを演じる。
撮影当時15歳で、これは本人というより、この映画への出演を許可した両親を褒めるべきかもしれない。
『フェイス/オフ』(97)では父親(トラボルタ)に反抗するパンク少女を演じて将来を期待された・・・はずなのだが、そのあとが続かなかった。
(7)芳賀優里亜
塩田明彦の大傑作『どこまでもいこう』(99)でヒロインの珠代を演じる。
ラストシーンの「あげる♪」にキュンときた男子は多かったはずだが、『害虫』(2002)のころには、すでに映画ファンの興味は主演の宮崎あおいのほうに注がれていたのだった。
(8)ウィノナ・ライダー
ここに挙げた10人のなかで最も「将来を約束されたひと」だったはずで、ここに挙げなければならない現状が残念でならない。
ティム・バートンに見出され、コッポラやスコセッシなど巨匠に愛された。
いっぽうでカルト映画『ヘザーズ』(89)でヒロインを鮮烈に演じ、可憐な容姿と抜群の演技力により、観客と批評家双方から絶大なる支持を得る。
ジョニー・デップやダニエル・デイ=ルイスとの交際でさえ好意的に受け止められたが、2001年に窃盗騒ぎを起こし、そこからキャリアが崩れ始めた。
敢えていうが、現在の映画出演は「リハビリ」みたいなもので、これは受け手の問題なのかもしれないが、以前のように純粋に彼女の演技力を堪能することが出来なくなっている。
妙といえば妙なのだがね、ドラッグ騒動を起こしたダウニーの演技には賛辞を惜しまない自分らなのに。。。
(9)羅生門綱五郎
黒澤の傑作『用心棒』(61)で、丑寅の用心棒「かんぬき」を演じたジャイアント馬場みたいなひと。
「でかいなぁ!」と思ったら、元プロレスラーだった。
(10)モイラ・ケリー
リンチに起用され、『ツイン・ピークス』映画版(92)で、いきなりヌードを披露する。
顔も身体も(ちょっと)どんくさい感じも好みだったが、この映画のインパクトを超えるキャリアを築けなかった。
※『トゥルー・コーリング』より、主題歌を。
たしか日本版では、土屋アンナが歌っていたような。
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本館『「はったり」で、いこうぜ!!』
前ブログのコラムを完全保存『macky’s hole』
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明日のコラムは・・・
『怒れる牡牛の物語』
気になるひとが居ないといえば、嘘になる。
そのなかのひとり、愛人殺しの歌手・克美しげるがじつは死んでいた・・・というニュースには軽いショックを受けたが、
趣味がいい企画とはいえない。
だが、取材を受けるほうは受けるほうで「これも仕事のひとつ、そこそこのギャラがもらえるし」と開き直っている場合が多い。
というか、そういうひとがほとんどだろう。
復活した有吉ちゃんもいっていたし、プライドなんかクソ喰らえ、とにかく俺は金がほしいんだ、だから取材を受けると。
つまり取材する側とされる側の利害が一致している、
受け手も(自分のように)ナンダカンダいいつつ、かつて「きらきら」していたひとが現在どうなっているのか気になる、
出来れば「きらきら」とは正反対の生活をしていてほしい、どん底に居てもがいていてほしい・・・なんて思っているようで、不幸な内容ほど番組は高視聴率、雑誌は売れるらしい。
き、ら、き、ら
・・・で居ること、居続けることの難しさ。
それでも、芸能界はやめられない。
かつて松尾スズキは「彼らの輝きたい願望は、電球以上である」という名言を放っている。
そのとおり。
そんな雑誌企画のひとつを自分が担当することになり、
かつてランキング1位を獲得したAV女優ふたりをたずねた。
受け手の願望に反し? ふたりは「そこそこ」幸福な生活を送っていた。
あのころのような、けばけばしいまでの「きらきら」ではなかったが、無理のない、ゴテゴテに装飾されていない、自然な、とても自然な「きらきら」であった。
最初は乗る気でなかったが、取材してよかったと思った。
今宵は、映画の世界で無数に存在する「かつて、きらきらしていたひと」を10人選出してみたい。
嫌いだといったはずだが、敢えてやってみよう。
※あくまでも個人的ランキングなので・・・
現在も地道にキャリアを築くひと、逆に、鬼籍に入ったひとも含まれている。
「ほぼ女子」なのは、・・・まぁ自分は結局、男子ですから。
(1)ソーラ・バーチ
子役から出発、多感な少女期に「性と死」のカオリが濃厚な雰囲気をまとい、
『アメリカン・ビューティー』(99…トップ画像)、『穴』(2001)、『ゴーストワールド』(2001)などのインディーズに出演して映画小僧を歓喜させる。
「いま、ここ」に居ないのが不条理と感じるほどの逸材だった、、、はず。
(2)ジュリエット・ルイス
90年代の青春映画で、「少しアブナイ少女」といえば彼女が演じていた。
『ケープ・フィアー』(91)でスコセッシが、『夫たち、妻たち』(92)でウディ・アレンが起用していたところなんか、野心的な監督からオファーが殺到した(デビュー当時の)宮崎あおいに似ている。
『ナチュラル・ボーン・キラーズ』(94)のダンスシーンにしびれた男子は多かったが、現在も映画出演は続くものの、あのころのようなドキッとする演技を披露することはない。
関係ないが、自分と同年ということに驚いた。
(3)松田暎子
『愛のコリーダ』(76)で阿部定を鮮烈に演じ、ビッグインパクトを残す。
「本番をやってのけた女優」という印象が邪魔をして、結局、この映画を超えるものに出会えなかった・・・が、これ一本で充分だろ、たいへんな仕事をやってのけたじゃないか―と称えたい。
(4)リチャード・E・グラント
英国出身の、正統派?俳優。
90年代前半に頭角を現し、アルトマンの『ザ・プレイヤー』(92)、コッポラの『ドラキュラ』(92)、スコセッシの『エイジ・オブ・イノセンス』(93)などで印象的なキャラクターを好演する。
こういうひとは「アンパイ」と捉えられがちだが、現役ではあるものの、最近はパッとしない。
(5)エリザ・ドゥシュク
ジェームズ・キャメロンが監督した世紀の駄作『トゥルーライズ』(94)でシュワ氏の娘を演じる。
このときはなんとも思わなかったが、『チアーズ!』(2000)でバク転の出来る女子高生をワイルドに演じて惚れた。
2003年、テレビシリーズ『トゥルー・コーリング』のヒロインに抜擢され、他者の死期を予期出来るヒロインを熱演。
だが番組終了と同時に、彼女の出演作が日本で触れられる機会が「極端に」少なくなった。
(6)ドミニク・スウェイン
97年、エイドリアン・ライン版の『ロリータ』でタイトルロールを演じる。
撮影当時15歳で、これは本人というより、この映画への出演を許可した両親を褒めるべきかもしれない。
『フェイス/オフ』(97)では父親(トラボルタ)に反抗するパンク少女を演じて将来を期待された・・・はずなのだが、そのあとが続かなかった。
(7)芳賀優里亜
塩田明彦の大傑作『どこまでもいこう』(99)でヒロインの珠代を演じる。
ラストシーンの「あげる♪」にキュンときた男子は多かったはずだが、『害虫』(2002)のころには、すでに映画ファンの興味は主演の宮崎あおいのほうに注がれていたのだった。
(8)ウィノナ・ライダー
ここに挙げた10人のなかで最も「将来を約束されたひと」だったはずで、ここに挙げなければならない現状が残念でならない。
ティム・バートンに見出され、コッポラやスコセッシなど巨匠に愛された。
いっぽうでカルト映画『ヘザーズ』(89)でヒロインを鮮烈に演じ、可憐な容姿と抜群の演技力により、観客と批評家双方から絶大なる支持を得る。
ジョニー・デップやダニエル・デイ=ルイスとの交際でさえ好意的に受け止められたが、2001年に窃盗騒ぎを起こし、そこからキャリアが崩れ始めた。
敢えていうが、現在の映画出演は「リハビリ」みたいなもので、これは受け手の問題なのかもしれないが、以前のように純粋に彼女の演技力を堪能することが出来なくなっている。
妙といえば妙なのだがね、ドラッグ騒動を起こしたダウニーの演技には賛辞を惜しまない自分らなのに。。。
(9)羅生門綱五郎
黒澤の傑作『用心棒』(61)で、丑寅の用心棒「かんぬき」を演じたジャイアント馬場みたいなひと。
「でかいなぁ!」と思ったら、元プロレスラーだった。
(10)モイラ・ケリー
リンチに起用され、『ツイン・ピークス』映画版(92)で、いきなりヌードを披露する。
顔も身体も(ちょっと)どんくさい感じも好みだったが、この映画のインパクトを超えるキャリアを築けなかった。
※『トゥルー・コーリング』より、主題歌を。
たしか日本版では、土屋アンナが歌っていたような。
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『怒れる牡牛の物語』