ゆー「つー」→「つー」でぃ(2D)
5~6年くらい前から3D映画が米国から続々と上陸し、そのころと比べれば本数は減っているけれど、本年も何本かの3D映画の公開をひかえている。
結論からいえば・・・
以前の「打ち上げ花火」のようなブームではなく、今回は長続きするであろう、、、と。
なぜそういえるのか。
デジタル技術が「著しく」進化したから。
この「著しく」がポイント。
80年代の「3Dブーム」は、悪くいえば雑誌の付録についていた「色つき眼鏡」で楽しむ「ちょっとした遊び」のようで、創り手のほうも「遊び心」優先だった、、、ような気がする。
しかし、いまは本気印100。
「もう」というより「やっと」追いついたテクノロジー。
ビートたけしが3DプリンターのCMで「ようやく時代が追いついてきたぞ」といっているが、まさにそうで、受け手ではなく創り手のほうがワクワクしている感がある。
空間の広がりを表現するD(dimension)は、日本語で「次元」と呼ばれる。
映像や絵画、地図などは2次元とされてきたが、テクノロジーの進化によって3次元表現が可能となってきた。
まだ「なってきた」の状態だが、
たとえば公開中の『ゼロ・グラビティ』を2D/3Dの両方を鑑賞して比較すると、「なった」と表現してもいいかな、、、というレベルにまで到達している。
ちなみにこの映画、批評家と観客の双方に愛されているという点で、ひじょーに稀な映画だと思う。
自分?
大満足!! ですわ。
すでに4回観ているし。
(まぁ『ウルフ・オブ・ウォールストリート』なんて、6回観ちゃっているわけだが)
3D映像に対し「想像したほど、飛び出してこなかった」と感想を漏らすひとが居るが、
「浮き出る」「飛び出す」ではなく、
「奥行きがある」ことを3D映像と解釈したほうがいい。
そういう視点で臨めば、もう少し構えずに? 3D映画を楽しめるのではないか。
・・・と強調しておきたいのは、なんとなく日本の観客が「乗れていない」から。
じつは自分も「通常の2Dの状態で、おとなしく映画に触れたい」と思うタイプ。
でも、3Dは3Dとして楽しみたい。
お祭りみたいなものだし、新しいものに触れるのはひじょーに刺激的だから。
ただ、もうひとつだけ付け加えておくと・・・
「乗れていない」のは日本の観客だけでなく、日本の創り手も同様。
なんというか、3D表現は大作主義と同意みたいなところがあり、大手はともかくインディーズとは無縁という印象が強い。
それはたしかにそうなのだけれど、『フラッシュバックメモリーズ 3D』(2013)のような野心溢れるドキュメンタリーもあるわけだし、今後は(3D技術と)どう向き合っていくのかが、日本の創り手たちの課題といえるのかもしれない。
観ておいて損はない、
訂正、
「映画館で」「3Dで」観ておいて損はない、3D映画たち。
※あいうえお順
『アバター』(2009)
『カールじいさんの空飛ぶ家』(2009)
『ゼロ・グラビティ』(2013)
『トイ・ストーリー3』(2012)
『パシフィック・リム』(2013)
『ヒューゴの不思議な発明』(2011)
技術がどうだかは、自分もよく分からないので、ここでエラソーには語らない。
ただ「新しいものが大好き」なジェームズ・キャメロンはこういっている。
「フィルムでは3Dを表現出来ない。デジタルこそ、それを可能にする」
時代がおおきく変わろうとしている。
(なんか・・・2Dではなく、3Dメインの話になっちゃった)
※そしてこれだけは断言出来る、オスカーの監督賞を取るのはキュアロンだ
あすのしりとりは・・・
つー「でぃ」→「でぃ」ずにーえいが。
…………………………………………
本館『「はったり」で、いこうぜ!!』
前ブログのコラムを完全保存『macky’s hole』
…………………………………………
明日のコラムは・・・
『シネマしりとり「薀蓄篇」(66)』
5~6年くらい前から3D映画が米国から続々と上陸し、そのころと比べれば本数は減っているけれど、本年も何本かの3D映画の公開をひかえている。
結論からいえば・・・
以前の「打ち上げ花火」のようなブームではなく、今回は長続きするであろう、、、と。
なぜそういえるのか。
デジタル技術が「著しく」進化したから。
この「著しく」がポイント。
80年代の「3Dブーム」は、悪くいえば雑誌の付録についていた「色つき眼鏡」で楽しむ「ちょっとした遊び」のようで、創り手のほうも「遊び心」優先だった、、、ような気がする。
しかし、いまは本気印100。
「もう」というより「やっと」追いついたテクノロジー。
ビートたけしが3DプリンターのCMで「ようやく時代が追いついてきたぞ」といっているが、まさにそうで、受け手ではなく創り手のほうがワクワクしている感がある。
空間の広がりを表現するD(dimension)は、日本語で「次元」と呼ばれる。
映像や絵画、地図などは2次元とされてきたが、テクノロジーの進化によって3次元表現が可能となってきた。
まだ「なってきた」の状態だが、
たとえば公開中の『ゼロ・グラビティ』を2D/3Dの両方を鑑賞して比較すると、「なった」と表現してもいいかな、、、というレベルにまで到達している。
ちなみにこの映画、批評家と観客の双方に愛されているという点で、ひじょーに稀な映画だと思う。
自分?
大満足!! ですわ。
すでに4回観ているし。
(まぁ『ウルフ・オブ・ウォールストリート』なんて、6回観ちゃっているわけだが)
3D映像に対し「想像したほど、飛び出してこなかった」と感想を漏らすひとが居るが、
「浮き出る」「飛び出す」ではなく、
「奥行きがある」ことを3D映像と解釈したほうがいい。
そういう視点で臨めば、もう少し構えずに? 3D映画を楽しめるのではないか。
・・・と強調しておきたいのは、なんとなく日本の観客が「乗れていない」から。
じつは自分も「通常の2Dの状態で、おとなしく映画に触れたい」と思うタイプ。
でも、3Dは3Dとして楽しみたい。
お祭りみたいなものだし、新しいものに触れるのはひじょーに刺激的だから。
ただ、もうひとつだけ付け加えておくと・・・
「乗れていない」のは日本の観客だけでなく、日本の創り手も同様。
なんというか、3D表現は大作主義と同意みたいなところがあり、大手はともかくインディーズとは無縁という印象が強い。
それはたしかにそうなのだけれど、『フラッシュバックメモリーズ 3D』(2013)のような野心溢れるドキュメンタリーもあるわけだし、今後は(3D技術と)どう向き合っていくのかが、日本の創り手たちの課題といえるのかもしれない。
観ておいて損はない、
訂正、
「映画館で」「3Dで」観ておいて損はない、3D映画たち。
※あいうえお順
『アバター』(2009)
『カールじいさんの空飛ぶ家』(2009)
『ゼロ・グラビティ』(2013)
『トイ・ストーリー3』(2012)
『パシフィック・リム』(2013)
『ヒューゴの不思議な発明』(2011)
技術がどうだかは、自分もよく分からないので、ここでエラソーには語らない。
ただ「新しいものが大好き」なジェームズ・キャメロンはこういっている。
「フィルムでは3Dを表現出来ない。デジタルこそ、それを可能にする」
時代がおおきく変わろうとしている。
(なんか・・・2Dではなく、3Dメインの話になっちゃった)
※そしてこれだけは断言出来る、オスカーの監督賞を取るのはキュアロンだ
あすのしりとりは・・・
つー「でぃ」→「でぃ」ずにーえいが。
…………………………………………
本館『「はったり」で、いこうぜ!!』
前ブログのコラムを完全保存『macky’s hole』
…………………………………………
明日のコラムは・・・
『シネマしりとり「薀蓄篇」(66)』