Cape Fear、in JAPAN

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にっぽん男優列伝(262)名古屋章

2015-01-22 00:10:00 | コラム
30年12月8日生まれ、2003年6月24日死去。享年72歳。
東京出身。

基本的に映画作品を取り上げる―この列伝のルールですが、自分の世代にとって名古屋章(なごや・あきら)さんといえば、やっぱり『スクール☆ウォーズ』(84~85、大映テレビ×TBS)になるのだと思います。

「・」ではなく「☆」にするところが時代ですよね。
いまじゃ、ゼッタイに「☆」にはしないと思います。

名古屋さん―苗字だけだと、なんだか妙ですね―は、第一も第二も学問、スポーツなんか知ったことではないというイヤミな校長先生を好演していました。

自分はこのドラマで初めて名古屋さんの存在を知ったものですから、ほんとうにイヤな野郎だとキャラクターではなく、名古屋さん本人を嫌ったものです。

ごめんなさい。

※マジックを引くヤンキー女子がかわいいんだ。
当時、軽くファンになったなぁ。




その後―映画少年となり、黒澤に出会います。

自分が黒澤の最高傑作と疑わない『天国と地獄』(63)で、名古屋さんが実直そうな刑事を演じているのを発見したときは、かなり驚きましたね。
『用心棒』(61)でジャイアント馬場のような巨人が出てきて、そのひとの名が「羅生門綱五郎」であることを知ったとき以上の驚きでした。

<経歴>

旧制中学を卒業後、NHK東京放送劇団養成所に入所。
のちにナレーションを多く担当することになりますが、最初から「声」で勝負するつもりだったのですね。

そういえば、『帰ってきたウルトラマン』(71~72、TBS)のナレーターって名古屋さんだったものなぁ。

おそらく、子どものころから「いい声だねぇ」と評されることが多かったのでしょう、
自分の友人にも3人ほど声優やナレーターが居ますが、彼ら彼女らは、みんな子どものころから特徴的な声を評価され、そのことに自覚的になっていたといっていましたもの。

50年代前半にラジオドラマに出演を果たし、声優としてのキャリアをスタートさせる。

映画俳優デビュー作は、55年の『ノンちゃん雲に乗る』。

どちらかというとメインは声優業と舞台のほうでしたが、数多くのテレビドラマで名脇役として活躍、
映画でも大作から小品までこなし、その器用さで多くの監督たちから大いなる信頼を得ていたようです。

『松川事件』(61)では山本薩夫、『放浪記』(62)では成瀬、『秋津温泉』(62)では吉田喜重、
そして黒澤に・・・と、役の大小はともかく、巨匠名匠に好んで起用されていたことが分かりますねぇ。

『男の紋章』(63)、『太陽は呼んでいる』(63)、『泣かせるぜ』(65)、『日本一の裏切り男』(68)、
『紙芝居昭和史 黄金バットがやって来る』(72)、『人間革命』(73)、『日本沈没』(73)、
『駅 STATION』(81)、『疑惑』(82)、『麻雀放浪記』(84)、『青春かけおち篇』(87)、『いとしのエリー』(87)、『快盗ルビイ』(88)、『釣りバカ日誌』(89)、『マルタイの女』(97)。

あれ、出ていたっけな? という作品もありますが、まぁ基本、主演することはなく、脇でアレヤコレヤをやって「ときどき」場をさらうひとですから。
それは、しつこいですけど、『スクール☆ウォーズ』を観れば分かるはずです。

2003年、3月。
脳腫瘍のために手術を受け、リハビリを始める―も、同年6月24日に肺炎のため鬼籍に入る。

享年72歳。

映画の遺作は、2001年の『世界の終わりという名の雑貨店』でした。

『仁義なき戦い』シリーズ(73~74)の金子信雄に代わるひとは居ない―と思っていましたが、名古屋さんなら、同じような味わいを出せたような気もします。


次回のにっぽん男優列伝は、夏八木勲さんから。

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本館『「はったり」で、いこうぜ!!』

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明日のコラムは・・・

『トシを取ったのか、それとも単なる呑み過ぎか』

コメント (2)
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