自宅にビデオデッキがやってきたのは、自分が中学1年のころ。
映画好きになったばかりの自分が、父親に「なんでもするから! 勉強もするから!! 家の手伝いもするから!!!」とねだり、随分と長い交渉の末に合意? を得ることが出来たんだ。
当時、まだ太っていないジョージ・ルーカスがパナソニックのイメージキャラクター? みたいな存在で、ビデオデッキなどのCMに出ていた。
これこれ!
ジョグがついているやつね。
しかし予算的にペケが出て、これよりふたつくらいランクが下のデッキを買ってもらった。
それでも上機嫌。
テレビの洋画劇場を録画し、それを繰り返し観た。
いちばん最初に録画したのは、サモ・ハン・キンポーの『燃えよデブゴン』(78)である。
(ひどい邦題だなぁ、、、と思ったが、原題だって『肥龍過江』なのだった。肥えた龍って!!)
サモ・ハンは好きでも嫌いでもないし、この映画自体だって「ぎりぎり及第点」くらいの出来。
いやいや、作品はこの際、なんでもよかったのだと思う。
時代がアベコベだが、自分が最も忌み嫌う『稲村ジェーン』(90)だって、このシチュエーションであれば録画して楽しんでいたはず。
そう、このころは録画そのものに興奮していたから、傑作だろうが駄作だろうが関係なかったのだ。
映画と名のつくものであればなんでも録画していたので、数ヶ月でビデオコレクションは50本を超えた。
それらを鑑賞する日々が、しばらくつづく。
繰り返しになるが、映画を観る喜び―というよりも、ビデオという機能に驚き、楽しんでいたというかね。
いつだったか、ある識者が「ビデオデッキの普及によって、映画の捉えかたそのものが変わった」といっていた。
「その昔、映画を観るときは、これは一期一会なんだ。これ1回きりなんだ。そんな意識で臨むから、ワンショットたりとも観逃さないようにした。しかし現在では、分からなかったところは、あとでビデオで確認すればいいや、、、と思うようになった。それ自体は悪いことじゃない。けれども、すべてのものがそうだとはいわないが、かくいう私だって、昔に比べたら映画への真剣度がちがう。こころのどこかに、一期一会でなくなったという意識が宿っているのかもしれない」(一字一句正確ではないが、こんな内容だった)
あぁ分かる分かる。
そんな、映画の捉えかたを変えてしまったビデオに初めて触れて、すごいなぁと感心していたわけ。
それから1年もしないうちに、館林にも大きなレンタルビデオショップが出来た。
すぐに会員に入り、その日に外国映画3本を借りる。
(隆盛期に入るちょっと前だから)まだ料金は高く、1本650円くらいしたと記憶する。
なぜ劇場で観た『コマンドー』(85)、『プロジェクトA』(83)、『ファースト・ミッション』(85)を借りたかというと、
もういちど観たかったというのは、たしかに理由のひとつとしてあった。
あったが、それよりも、観たいものが多過ぎて選べなかったという理由のほうが大きかった。
知識ばかりを詰めこみ、頭でっかちになっていたから。
まだ童貞のクセして? 「いつ」「なにを」観るかが大事だ―なんていっちゃって、そんなの関係なしに片っ端から観ていけばいいものを、「観る順番」にこだわっていたんだよね。
チャップリンや黒澤やビリー・ワイルダー、ヒッチコック、キューブリックを知ったばかり。
スコセッシには、まだ出会っていなかった。
この天才たちのキャリアの、どのあたりから攻めていけばいいのか・・・それに対する答えが見つけられなかったので、とりあえず安心して観ていられる作品を借りてきたと。
なかなかに面倒で、繊細なヤツだったのである。
おわり。
…………………………………………
本館『「はったり」で、いこうぜ!!』
…………………………………………
明日のコラムは・・・
『デジタルな目覚め』
映画好きになったばかりの自分が、父親に「なんでもするから! 勉強もするから!! 家の手伝いもするから!!!」とねだり、随分と長い交渉の末に合意? を得ることが出来たんだ。
当時、まだ太っていないジョージ・ルーカスがパナソニックのイメージキャラクター? みたいな存在で、ビデオデッキなどのCMに出ていた。
これこれ!
ジョグがついているやつね。
しかし予算的にペケが出て、これよりふたつくらいランクが下のデッキを買ってもらった。
それでも上機嫌。
テレビの洋画劇場を録画し、それを繰り返し観た。
いちばん最初に録画したのは、サモ・ハン・キンポーの『燃えよデブゴン』(78)である。
(ひどい邦題だなぁ、、、と思ったが、原題だって『肥龍過江』なのだった。肥えた龍って!!)
サモ・ハンは好きでも嫌いでもないし、この映画自体だって「ぎりぎり及第点」くらいの出来。
いやいや、作品はこの際、なんでもよかったのだと思う。
時代がアベコベだが、自分が最も忌み嫌う『稲村ジェーン』(90)だって、このシチュエーションであれば録画して楽しんでいたはず。
そう、このころは録画そのものに興奮していたから、傑作だろうが駄作だろうが関係なかったのだ。
映画と名のつくものであればなんでも録画していたので、数ヶ月でビデオコレクションは50本を超えた。
それらを鑑賞する日々が、しばらくつづく。
繰り返しになるが、映画を観る喜び―というよりも、ビデオという機能に驚き、楽しんでいたというかね。
いつだったか、ある識者が「ビデオデッキの普及によって、映画の捉えかたそのものが変わった」といっていた。
「その昔、映画を観るときは、これは一期一会なんだ。これ1回きりなんだ。そんな意識で臨むから、ワンショットたりとも観逃さないようにした。しかし現在では、分からなかったところは、あとでビデオで確認すればいいや、、、と思うようになった。それ自体は悪いことじゃない。けれども、すべてのものがそうだとはいわないが、かくいう私だって、昔に比べたら映画への真剣度がちがう。こころのどこかに、一期一会でなくなったという意識が宿っているのかもしれない」(一字一句正確ではないが、こんな内容だった)
あぁ分かる分かる。
そんな、映画の捉えかたを変えてしまったビデオに初めて触れて、すごいなぁと感心していたわけ。
それから1年もしないうちに、館林にも大きなレンタルビデオショップが出来た。
すぐに会員に入り、その日に外国映画3本を借りる。
(隆盛期に入るちょっと前だから)まだ料金は高く、1本650円くらいしたと記憶する。
なぜ劇場で観た『コマンドー』(85)、『プロジェクトA』(83)、『ファースト・ミッション』(85)を借りたかというと、
もういちど観たかったというのは、たしかに理由のひとつとしてあった。
あったが、それよりも、観たいものが多過ぎて選べなかったという理由のほうが大きかった。
知識ばかりを詰めこみ、頭でっかちになっていたから。
まだ童貞のクセして? 「いつ」「なにを」観るかが大事だ―なんていっちゃって、そんなの関係なしに片っ端から観ていけばいいものを、「観る順番」にこだわっていたんだよね。
チャップリンや黒澤やビリー・ワイルダー、ヒッチコック、キューブリックを知ったばかり。
スコセッシには、まだ出会っていなかった。
この天才たちのキャリアの、どのあたりから攻めていけばいいのか・・・それに対する答えが見つけられなかったので、とりあえず安心して観ていられる作品を借りてきたと。
なかなかに面倒で、繊細なヤツだったのである。
おわり。
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本館『「はったり」で、いこうぜ!!』
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明日のコラムは・・・
『デジタルな目覚め』