51年2月1日生まれ、63歳。
宮城出身。
公式サイト
長身でさ~、
若いときも現在も格好いいままで、
そこそこ頭もよくって、
歌も楽器も出来て、
奥さん(五十嵐淳子)までキレイときたもんだ。
・・・と、中村雅俊(なかむら・まさとし)さんのことを十数年も羨ましがっている友人が居るのですけれど、まぁそれも分かります。
ただ、いってしまえば。
自身と比べるほうがどうかしているっていうか。
でもね。
彼の羨ましがりは中途半端なものではなく、
たとえばカラオケで、自分の番が回ってくると、その日が2度目3度目であっても、彼は『恋人も濡れる街角』しか歌わないんです。
このくらい徹底していれば、いいのかもしれません許してあげても笑
実際、よい曲ですし。
だから彼が何度歌おうとも、やっぱり聞き入ってしまうのですよ。
歌唱力があるのではなく、単に曲がいいから、、、なのだと思います。
※テーマ曲の印象が強過ぎるので、『蒲田行進曲』(82)の主題歌であったことは忘れられがち
<経歴>
俳優・歌手であり、エム・ジェイ・エンタープライズの代表取締役社長でもある・・・って、非の打ちどころがないですね。
慶應義塾大学卒業。
大学卒業後に文学座に入団、通常、ここで何年間かは下積み時代を送るわけですが、雅俊さんはツキもありました。
入団したその年に、テレビドラマ『われら青春!』(74・日本テレビ)の主役に抜擢され、瞬く間に人気者に。
高視聴率を維持したほか、雅俊さん自身が歌う挿入歌『ふれあい』も大ヒットを記録した・・・って、知ったかぶりましたが、このドラマは自分が生まれた74年に放送されたもの。
再放送で観た気もしますが、はっきりとは覚えていませんねぇ。
翌年の75年、『俺たちの勲章』(日本テレビ)で五十嵐淳子と共演、これが縁でふたりは結婚します。
ここからは、映画のキャリアのみで。
映画俳優デビュー作は、74年の『ふれあい』。
『われら青春!』の挿入歌と同名ですし、ちょっとゴッチャになってしまう―というより、映画のほうの『ふれあい』をすぐに浮かべるひとは滅多に居ないと思います。
そう、スクリーンでも映えるひとのような気がしますが、テレビドラマと比べると、映画のキャリアは弱い。
『想い出のかたすみに』(75)、やはりテレビドラマを想起させる『俺たちの時』(76)、
イメージと結びつきづらい『坊っちゃん』(77)で「坊っちゃん」を「それでも」熱演、
『悪魔が来りて笛を吹く』(79)、
『次郎長青春篇 つっぱり清水港』(82)、『この愛の物語』(87)。
ねぇ、なんかピンとこないでしょう。
たぶん最も知られた映画作品が、92年から制作された3部作、『夜逃げ屋本舗』(92~95)なのではないでしょうか。
ライトコメディを嬉々として演じる雅俊さんは、たしかに新鮮でしたねぇ。
『ビートキッズ』(2005)、
制作会社のトラブルにより完成そのものも危ぶまれたものの、なんとか陽の目を見ることが出来た『ふうけもん』(2009)、
『60歳のラブレター』(2009)、『武士の家計簿』(2010)、
近衛文麿を演じた『終戦のエンペラー』(2012)、そして最新作は『謎解きはディナーのあとで』(2013)。
前世紀に比べると、映画にかぎっていえば現在のほうが好調ですね。
3.11以後―。
福島出身として、積極的にチャリティなどをおこなう。
それは、現在でもつづけているようです。
…………………………………………
本館『「はったり」で、いこうぜ!!』
…………………………………………
明日のコラムは・・・
『にっぽん男優列伝(262)名古屋章』
宮城出身。
公式サイト
長身でさ~、
若いときも現在も格好いいままで、
そこそこ頭もよくって、
歌も楽器も出来て、
奥さん(五十嵐淳子)までキレイときたもんだ。
・・・と、中村雅俊(なかむら・まさとし)さんのことを十数年も羨ましがっている友人が居るのですけれど、まぁそれも分かります。
ただ、いってしまえば。
自身と比べるほうがどうかしているっていうか。
でもね。
彼の羨ましがりは中途半端なものではなく、
たとえばカラオケで、自分の番が回ってくると、その日が2度目3度目であっても、彼は『恋人も濡れる街角』しか歌わないんです。
このくらい徹底していれば、いいのかもしれません許してあげても笑
実際、よい曲ですし。
だから彼が何度歌おうとも、やっぱり聞き入ってしまうのですよ。
歌唱力があるのではなく、単に曲がいいから、、、なのだと思います。
※テーマ曲の印象が強過ぎるので、『蒲田行進曲』(82)の主題歌であったことは忘れられがち
<経歴>
俳優・歌手であり、エム・ジェイ・エンタープライズの代表取締役社長でもある・・・って、非の打ちどころがないですね。
慶應義塾大学卒業。
大学卒業後に文学座に入団、通常、ここで何年間かは下積み時代を送るわけですが、雅俊さんはツキもありました。
入団したその年に、テレビドラマ『われら青春!』(74・日本テレビ)の主役に抜擢され、瞬く間に人気者に。
高視聴率を維持したほか、雅俊さん自身が歌う挿入歌『ふれあい』も大ヒットを記録した・・・って、知ったかぶりましたが、このドラマは自分が生まれた74年に放送されたもの。
再放送で観た気もしますが、はっきりとは覚えていませんねぇ。
翌年の75年、『俺たちの勲章』(日本テレビ)で五十嵐淳子と共演、これが縁でふたりは結婚します。
ここからは、映画のキャリアのみで。
映画俳優デビュー作は、74年の『ふれあい』。
『われら青春!』の挿入歌と同名ですし、ちょっとゴッチャになってしまう―というより、映画のほうの『ふれあい』をすぐに浮かべるひとは滅多に居ないと思います。
そう、スクリーンでも映えるひとのような気がしますが、テレビドラマと比べると、映画のキャリアは弱い。
『想い出のかたすみに』(75)、やはりテレビドラマを想起させる『俺たちの時』(76)、
イメージと結びつきづらい『坊っちゃん』(77)で「坊っちゃん」を「それでも」熱演、
『悪魔が来りて笛を吹く』(79)、
『次郎長青春篇 つっぱり清水港』(82)、『この愛の物語』(87)。
ねぇ、なんかピンとこないでしょう。
たぶん最も知られた映画作品が、92年から制作された3部作、『夜逃げ屋本舗』(92~95)なのではないでしょうか。
ライトコメディを嬉々として演じる雅俊さんは、たしかに新鮮でしたねぇ。
『ビートキッズ』(2005)、
制作会社のトラブルにより完成そのものも危ぶまれたものの、なんとか陽の目を見ることが出来た『ふうけもん』(2009)、
『60歳のラブレター』(2009)、『武士の家計簿』(2010)、
近衛文麿を演じた『終戦のエンペラー』(2012)、そして最新作は『謎解きはディナーのあとで』(2013)。
前世紀に比べると、映画にかぎっていえば現在のほうが好調ですね。
3.11以後―。
福島出身として、積極的にチャリティなどをおこなう。
それは、現在でもつづけているようです。
…………………………………………
本館『「はったり」で、いこうぜ!!』
…………………………………………
明日のコラムは・・・
『にっぽん男優列伝(262)名古屋章』