Cape Fear、in JAPAN

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『Cape Fear』…恐怖の岬、の意。

シネマしりとり「薀蓄篇」(126)

2015-06-17 05:51:14 | コラム
ぐろーいんぐあっ「ぷ」→「ぷ」ろでゅーさー(プロデューサー)

よく、映画における監督とプロデューサーのちがいは? と問われるのだけれども、モノスゴ大雑把にいえば・・・

監督は現場の責任者で、
プロデューサーは「総」責任者。

立場的には後者のほうが上で、だからオスカーの作品賞は監督ではなくプロデューサーに贈られる。

一概にはいえないけれど・・・

監督とプロデューサーを兼ねているひとは、兼ねていないひとより「器用」かつ「ワンマンな傾向にある」っていうのは、なんとなく分かってもらえるかと。


そこできょうは、映画小僧のあいだでは有名な「名物プロデューサーの10傑」を展開してみたい。

この10人を知っていれば、映画をもっともっと楽しめるはず。

(1)ロジャー・コーマン



スコセッシ、コッポラ、ジャック・ニコルソンやデ・ニーロ、ジョナサン・デミなどを輩出した「映画学校のようなひと」。

徹底した低予算で創られた映画たちは興行面で大健闘し、結果的に1セントも損をしなかったと本人はいう。

(2)鈴木敏夫…トップ画像

ジブリの二枚看板、宮崎爺と高畑爺をコントロールする才人。

彼らのワガママを聞きつつケツを叩くというのは、なかなかに難儀なのではないかと。

(3)マイケル・ダグラス

俳優としても有名だが、じつは名プロデューサーでもある。

『カッコーの巣の上で』(75)や『フェイス/オフ』(97)をプロデュース、俳優が制作業に参加するという流れを作った。

(4)ディノ・デ・ラウレンティス

フェリーニなどを世に送り出したイタリア時代は堅実派? であったが、ハリウッドへ渡って以降は「賭けに出て惨敗」するケースが目立つようになる、、、も、なんだか憎めないオッサンだった。

代表作は『道』(54)、『バーバレラ』(68)、『ハンニバル』(2001)など。

(5)角川春樹

映画監督としての能力はゼロ、、、かもしれないが、プロデューサーとしては満点「プラス」なのかもしれない。

メディアミックスということばは、このひとが生んだようなものである。

(6)今村昌平

自身の映画制作でさえ苦労していたにも関わらず、きちんと後進を育てようとした映画馬鹿。

長谷川和彦や原一男が映画を撮れたのも、このひとのおかげだったんだ。

(7)奥山和由

90年代の松竹に揺さぶりをかけた「やり手」。

小賢しいと批判する向きも多かったが、北野武と喧嘩するくらいの度胸はあった。
当時、武に味方するひとばかりであったものの、「『ダイハード』みたいな映画を創ろう」と話し合ったのに、出来上がったのが『ソナチネ』(93)であったら、そりゃあプロデューサーとしては怒ると思う。



まぁ、傑作だったんだけど。

(8)ジョージ・ルーカス

(『アメリカン・グラフティ』(73)を観るかぎり)監督としての能力もたしかだが、本人はビジネスが好きらしく、やってみたら、そっち方面の能力も抜群だった・・・という器用なひと。

(9)橋本忍

脚本家だが、『砂の器』(74)映画化のため東走西奔、約10年をかけて完成に漕ぎ着けた。

「これは成功する!」と思ったら、すべてを投げ打つ勇気も必要―それがプロデューサーという職業なのだろう。

(10)永田雅一

大映のドンとして君臨。
このひとに嫌われたら、映画監督や俳優をやっていけない・・・そんな時代もあったらしい。





次回のしりとりは・・・
ぷろでゅー「さー」→「さー」ふぃん。

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本館『「はったり」で、いこうぜ!!』

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明日のコラムは・・・

『「ベム」「ベラ」「ベロ」ソーン』

コメント (2)
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