ぐろーいんぐあっ「ぷ」→「ぷ」ろでゅーさー(プロデューサー)
よく、映画における監督とプロデューサーのちがいは? と問われるのだけれども、モノスゴ大雑把にいえば・・・
監督は現場の責任者で、
プロデューサーは「総」責任者。
立場的には後者のほうが上で、だからオスカーの作品賞は監督ではなくプロデューサーに贈られる。
一概にはいえないけれど・・・
監督とプロデューサーを兼ねているひとは、兼ねていないひとより「器用」かつ「ワンマンな傾向にある」っていうのは、なんとなく分かってもらえるかと。
そこできょうは、映画小僧のあいだでは有名な「名物プロデューサーの10傑」を展開してみたい。
この10人を知っていれば、映画をもっともっと楽しめるはず。
(1)ロジャー・コーマン
スコセッシ、コッポラ、ジャック・ニコルソンやデ・ニーロ、ジョナサン・デミなどを輩出した「映画学校のようなひと」。
徹底した低予算で創られた映画たちは興行面で大健闘し、結果的に1セントも損をしなかったと本人はいう。
(2)鈴木敏夫…トップ画像
ジブリの二枚看板、宮崎爺と高畑爺をコントロールする才人。
彼らのワガママを聞きつつケツを叩くというのは、なかなかに難儀なのではないかと。
(3)マイケル・ダグラス
俳優としても有名だが、じつは名プロデューサーでもある。
『カッコーの巣の上で』(75)や『フェイス/オフ』(97)をプロデュース、俳優が制作業に参加するという流れを作った。
(4)ディノ・デ・ラウレンティス
フェリーニなどを世に送り出したイタリア時代は堅実派? であったが、ハリウッドへ渡って以降は「賭けに出て惨敗」するケースが目立つようになる、、、も、なんだか憎めないオッサンだった。
代表作は『道』(54)、『バーバレラ』(68)、『ハンニバル』(2001)など。
(5)角川春樹
映画監督としての能力はゼロ、、、かもしれないが、プロデューサーとしては満点「プラス」なのかもしれない。
メディアミックスということばは、このひとが生んだようなものである。
(6)今村昌平
自身の映画制作でさえ苦労していたにも関わらず、きちんと後進を育てようとした映画馬鹿。
長谷川和彦や原一男が映画を撮れたのも、このひとのおかげだったんだ。
(7)奥山和由
90年代の松竹に揺さぶりをかけた「やり手」。
小賢しいと批判する向きも多かったが、北野武と喧嘩するくらいの度胸はあった。
当時、武に味方するひとばかりであったものの、「『ダイハード』みたいな映画を創ろう」と話し合ったのに、出来上がったのが『ソナチネ』(93)であったら、そりゃあプロデューサーとしては怒ると思う。
まぁ、傑作だったんだけど。
(8)ジョージ・ルーカス
(『アメリカン・グラフティ』(73)を観るかぎり)監督としての能力もたしかだが、本人はビジネスが好きらしく、やってみたら、そっち方面の能力も抜群だった・・・という器用なひと。
(9)橋本忍
脚本家だが、『砂の器』(74)映画化のため東走西奔、約10年をかけて完成に漕ぎ着けた。
「これは成功する!」と思ったら、すべてを投げ打つ勇気も必要―それがプロデューサーという職業なのだろう。
(10)永田雅一
大映のドンとして君臨。
このひとに嫌われたら、映画監督や俳優をやっていけない・・・そんな時代もあったらしい。
次回のしりとりは・・・
ぷろでゅー「さー」→「さー」ふぃん。
…………………………………………
本館『「はったり」で、いこうぜ!!』
…………………………………………
明日のコラムは・・・
『「ベム」「ベラ」「ベロ」ソーン』
よく、映画における監督とプロデューサーのちがいは? と問われるのだけれども、モノスゴ大雑把にいえば・・・
監督は現場の責任者で、
プロデューサーは「総」責任者。
立場的には後者のほうが上で、だからオスカーの作品賞は監督ではなくプロデューサーに贈られる。
一概にはいえないけれど・・・
監督とプロデューサーを兼ねているひとは、兼ねていないひとより「器用」かつ「ワンマンな傾向にある」っていうのは、なんとなく分かってもらえるかと。
そこできょうは、映画小僧のあいだでは有名な「名物プロデューサーの10傑」を展開してみたい。
この10人を知っていれば、映画をもっともっと楽しめるはず。
(1)ロジャー・コーマン
スコセッシ、コッポラ、ジャック・ニコルソンやデ・ニーロ、ジョナサン・デミなどを輩出した「映画学校のようなひと」。
徹底した低予算で創られた映画たちは興行面で大健闘し、結果的に1セントも損をしなかったと本人はいう。
(2)鈴木敏夫…トップ画像
ジブリの二枚看板、宮崎爺と高畑爺をコントロールする才人。
彼らのワガママを聞きつつケツを叩くというのは、なかなかに難儀なのではないかと。
(3)マイケル・ダグラス
俳優としても有名だが、じつは名プロデューサーでもある。
『カッコーの巣の上で』(75)や『フェイス/オフ』(97)をプロデュース、俳優が制作業に参加するという流れを作った。
(4)ディノ・デ・ラウレンティス
フェリーニなどを世に送り出したイタリア時代は堅実派? であったが、ハリウッドへ渡って以降は「賭けに出て惨敗」するケースが目立つようになる、、、も、なんだか憎めないオッサンだった。
代表作は『道』(54)、『バーバレラ』(68)、『ハンニバル』(2001)など。
(5)角川春樹
映画監督としての能力はゼロ、、、かもしれないが、プロデューサーとしては満点「プラス」なのかもしれない。
メディアミックスということばは、このひとが生んだようなものである。
(6)今村昌平
自身の映画制作でさえ苦労していたにも関わらず、きちんと後進を育てようとした映画馬鹿。
長谷川和彦や原一男が映画を撮れたのも、このひとのおかげだったんだ。
(7)奥山和由
90年代の松竹に揺さぶりをかけた「やり手」。
小賢しいと批判する向きも多かったが、北野武と喧嘩するくらいの度胸はあった。
当時、武に味方するひとばかりであったものの、「『ダイハード』みたいな映画を創ろう」と話し合ったのに、出来上がったのが『ソナチネ』(93)であったら、そりゃあプロデューサーとしては怒ると思う。
まぁ、傑作だったんだけど。
(8)ジョージ・ルーカス
(『アメリカン・グラフティ』(73)を観るかぎり)監督としての能力もたしかだが、本人はビジネスが好きらしく、やってみたら、そっち方面の能力も抜群だった・・・という器用なひと。
(9)橋本忍
脚本家だが、『砂の器』(74)映画化のため東走西奔、約10年をかけて完成に漕ぎ着けた。
「これは成功する!」と思ったら、すべてを投げ打つ勇気も必要―それがプロデューサーという職業なのだろう。
(10)永田雅一
大映のドンとして君臨。
このひとに嫌われたら、映画監督や俳優をやっていけない・・・そんな時代もあったらしい。
次回のしりとりは・・・
ぷろでゅー「さー」→「さー」ふぃん。
…………………………………………
本館『「はったり」で、いこうぜ!!』
…………………………………………
明日のコラムは・・・
『「ベム」「ベラ」「ベロ」ソーン』