世界で最も尊敬する柔道家は、やっぱりエメリヤーエンコ・ヒョードル。
強さどうこうではなく、その佇まいに憧れた。
ファイトスタイルが好きな柔道家は・・・
師匠の吉田秀彦、古賀稔彦、日下部基栄、中村美里かな。
いかにも年齢を感じさせるチョイスだが。
観ているぶんには、女子柔道のほうが面白い。
スピード感があるし、寝技の攻防も(男子より)逆転出来る可能性を抱かせるから。
ちなみにヤワラちゃんこと谷亮子がまだ「田村姓」だったころ―正確には帝京の大学生だったころ、自分は彼女と一戦を交えている。
隠語的な意味ではないよ、当然。
ふつうに乱取りの練習をやったんだ。
階級的にぜんぜん差があるはずなのに、もう小動物みたいに動きまくるから、完敗でしたよ完敗。
昔からかもしれないが、この世は女子のほうが強いし元気だ―と個人的に実感したのは、ヤワラちゃんが天下取ったあたりからであった。
総合格闘技MMAの最高峰「UFC」で最も強い女子ファイターとされているのは、ロンダ・ラウジー。
とってもキレイなひとだが、このひとのバックボーンもじつは柔道である。
打撃偏重主義にあるUFCにおいて、彼女はほとんどの勝利を寝技で掴んでいる。
そういう意味でも、応援したくなるファイターだ。
さて、自分の話―。
小学校高学年あたりから高校1年の夏まで、典型的な肥満児であった・・・という話は、何度も何度も書いている。
右手にはポテトチップスの「のりしお」、左手には瓶の三ツ矢サイダー。
それが必須アイテムであり、とにかく動くことが嫌いだった。
いま通知表で体育の成績を確認してみたら・・・
中1…2
中2…1
中3…2
※5段階評価
高1…3
高2…6
高3…7
※10段階評価
・・・と、なっていた。
「1」なんて、出席さえしていれば取らない成績だと思うけど!!
体育教師には、漏れなく嫌われていた。
やる気がなかったもんね、そりゃそうだ。
高校2年時から徐々に上がっていったが、これは減量に成功して動くことが「苦ではなくなった」から。
性格も180度の変化を見せたからね、早く痩せればよかったなぁ、、、といまでも思う。
中学入学時は、身長155cm・体重72kgだった。
これが3年時に100kgを超えるのだから、そりゃ制服のズボンも裂ける(!!)わなぁ。
そんな体型の新入生が歩いていれば、声をかけてくるのは柔道部くらいなものである。
「―君、入る部活、決めた?」
「いいえ、まだですけど」
「柔道に、興味ある?」
「・・・ないことは、ないですけど」
「どう? 入らない?」
で、即決。
このころと現在とで、変わらないところがひとつあって。
慎重に選んだり吟味したりしないし、出来ないということ。
外食時は10秒以内に食べるものを決め、恋する相手も「ほぼ」一目惚れだものね。
後悔したことはない―とまでいうと嘘になるが、まぁそれも経験だよねと。
ただ勧誘した先輩は、これほど動けないデブも珍しい、、、と思ったにちがいない。
単に太っているだけだから、筋力も根性もセンスもなかった。
受け身はヘタッピ、いっこうに技を覚えられず、何ヶ月経っても進級出来なかった。
2年時にはほとんどの同級生が茶帯になったのに、自分は白帯のまま。
それは恥ずべきことなのに、そんなことどうでもいいと思っていた。
部活動への所属が強制であったから、とりあえず籍を置いておく―これが3年の卒業時までつづいたのである。
あのとき真面目にやっていれば、19歳のあの日、街で絡まれても対応出来たのに・・・。
と思わないこともないが、いやいや、この不真面目な中学時代に虜になったのが映画であったのだから、これはこれでよかったのではないか―と、あくまでも自分に優しく解釈するダメ人間なのであった。
おわり。
…………………………………………
明日のコラムは・・・
『演奏演者10傑』
強さどうこうではなく、その佇まいに憧れた。
ファイトスタイルが好きな柔道家は・・・
師匠の吉田秀彦、古賀稔彦、日下部基栄、中村美里かな。
いかにも年齢を感じさせるチョイスだが。
観ているぶんには、女子柔道のほうが面白い。
スピード感があるし、寝技の攻防も(男子より)逆転出来る可能性を抱かせるから。
ちなみにヤワラちゃんこと谷亮子がまだ「田村姓」だったころ―正確には帝京の大学生だったころ、自分は彼女と一戦を交えている。
隠語的な意味ではないよ、当然。
ふつうに乱取りの練習をやったんだ。
階級的にぜんぜん差があるはずなのに、もう小動物みたいに動きまくるから、完敗でしたよ完敗。
昔からかもしれないが、この世は女子のほうが強いし元気だ―と個人的に実感したのは、ヤワラちゃんが天下取ったあたりからであった。
総合格闘技MMAの最高峰「UFC」で最も強い女子ファイターとされているのは、ロンダ・ラウジー。
とってもキレイなひとだが、このひとのバックボーンもじつは柔道である。
打撃偏重主義にあるUFCにおいて、彼女はほとんどの勝利を寝技で掴んでいる。
そういう意味でも、応援したくなるファイターだ。
さて、自分の話―。
小学校高学年あたりから高校1年の夏まで、典型的な肥満児であった・・・という話は、何度も何度も書いている。
右手にはポテトチップスの「のりしお」、左手には瓶の三ツ矢サイダー。
それが必須アイテムであり、とにかく動くことが嫌いだった。
いま通知表で体育の成績を確認してみたら・・・
中1…2
中2…1
中3…2
※5段階評価
高1…3
高2…6
高3…7
※10段階評価
・・・と、なっていた。
「1」なんて、出席さえしていれば取らない成績だと思うけど!!
体育教師には、漏れなく嫌われていた。
やる気がなかったもんね、そりゃそうだ。
高校2年時から徐々に上がっていったが、これは減量に成功して動くことが「苦ではなくなった」から。
性格も180度の変化を見せたからね、早く痩せればよかったなぁ、、、といまでも思う。
中学入学時は、身長155cm・体重72kgだった。
これが3年時に100kgを超えるのだから、そりゃ制服のズボンも裂ける(!!)わなぁ。
そんな体型の新入生が歩いていれば、声をかけてくるのは柔道部くらいなものである。
「―君、入る部活、決めた?」
「いいえ、まだですけど」
「柔道に、興味ある?」
「・・・ないことは、ないですけど」
「どう? 入らない?」
で、即決。
このころと現在とで、変わらないところがひとつあって。
慎重に選んだり吟味したりしないし、出来ないということ。
外食時は10秒以内に食べるものを決め、恋する相手も「ほぼ」一目惚れだものね。
後悔したことはない―とまでいうと嘘になるが、まぁそれも経験だよねと。
ただ勧誘した先輩は、これほど動けないデブも珍しい、、、と思ったにちがいない。
単に太っているだけだから、筋力も根性もセンスもなかった。
受け身はヘタッピ、いっこうに技を覚えられず、何ヶ月経っても進級出来なかった。
2年時にはほとんどの同級生が茶帯になったのに、自分は白帯のまま。
それは恥ずべきことなのに、そんなことどうでもいいと思っていた。
部活動への所属が強制であったから、とりあえず籍を置いておく―これが3年の卒業時までつづいたのである。
あのとき真面目にやっていれば、19歳のあの日、街で絡まれても対応出来たのに・・・。
と思わないこともないが、いやいや、この不真面目な中学時代に虜になったのが映画であったのだから、これはこれでよかったのではないか―と、あくまでも自分に優しく解釈するダメ人間なのであった。
おわり。
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明日のコラムは・・・
『演奏演者10傑』