Cape Fear、in JAPAN

ひとの襟首つかんで「読め!」という、映画偏愛家のサイト。

『Cape Fear』…恐怖の岬、の意。

初体験 リッジモント・ハイ(141)

2015-08-26 05:39:51 | コラム
小学生のころに「なりたい!」と憧れを抱いた職業に、実際就いたひとってどのくらいの割合なんだろうか。

1割・・・にも満たないよね、きっと。

そういう思いでこの動画を観ると、ひじょうに感慨深い。


ミルコVS美濃輪の煽りV…この興行の開催日が、5月5日の「子どもの日」というのが泣かせる。

「いろんな夢をあきらめて、ひとは、おとなになるのだろうか」





信奉する映画監督マーティン・スコセッシは、ほんとうは司祭になりたかった。
司祭の試験に何度も落ちて挫折し、幼少のころ夢中になった映画の世界に救いを求めたのだった。

将来を宿命づけられた歌舞伎の世界とか皇室の方々って、葛藤はなかったのだろうか・・・などと思ったりもする。


自分が映画にのめり込み、直接的でなくともいいから、間接的にでもいいから映画の世界に、それも書くほうで生きたいと思ったのは、中学3年のころ。
ポール・シュレイダーや橋本忍、淀川先生の影響だった。

それ以前は、「夢は?」と聞かれると「漫画家」と答えていた。

聞かれると―というのがポイントで、自分から発することはなかった。
つまり、強く願っていたわけではなかった、、、ということ。

では、夢の実現のためになにもしなかったのかというと、そんなこともない。

実際に漫画を描いた。

少し前に、少女コミックの『りぼん』の付録が話題になったことがある。

素人でも漫画が描ける「漫画家キット」。(トップ画像)
これ、自分の時代にあったらなぁ、、、なんて思った。


群馬の片田舎の文房具屋には、な~~~んもなかった。

だからペンとスクリーントーンを通販で買う。
たぶんお年玉を使ったのではなかったかな。

大学ノートと鉛筆でいいような気がするが、昔も今も、形から入るヤツだからね。


絵心?

うーん、まあまあってところだろうか。

小学校の図画工作の成績を確認してみると・・・

4年生、ふつう
5年生、よくできました
6年生、ふつう

中学時代の美術は、

1年生、4
2年生、4
3年生、3

・・・とある。

下書きは上手、絵の具を使ってペケになるという、よく居るタイプだ。


そのころの『週刊少年ジャンプ』で人気があったのは、『キン肉マン』『キャプテン翼』『北斗の拳』だった。

自分は『キャプテン翼』を「はっきりと」パクり、



『キャプテン隼』というサッカー漫画を描いた。


そう、創作の第一歩は模倣から始まる―と思っている自分なんかからすると、今回の東京五輪エンブレム問題は、ヤンヤヤンヤいわれているデザイナーさんに同情しちゃうところがある。

あるんだが、あのひとはあのひとでまた、ちょっと頑なに過ぎて、もう少し愛嬌があったらいいのにな「QTタランティーノみたいに」なんていう風にも思う。

まぁいいや。
自分の話。

描いてはみたものの・・・

サッカーボールをキレイに「まるく」描けない。
ゴールネットの網を描くのが面倒くさい。

だから、試合は4コマくらいで終了する。
しかもそのうち1コマは、大きくスコアを表示。

ほとんどのコマが登場人物のアップで、しかもコマごとに同一キャラの顔が「大幅に」変わってしまう。

こりゃダメだ、自分にはセンスがない。根気もない。
漫画の神様は、自分に微笑んでくれない。

と解釈し、40ページを予定していた『キャプテン隼』は7ページで終了、「つづき」が描かれることは永遠になかったのであった。


(若いうちに)自分の能力の限界を知ることって、大事だなって話です。


おわり。


※9月よりEテレで、漫画家・浦沢直樹が同業者に密着取材していく番組がスタート。

これ、面白そう。



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明日のコラムは・・・

『閃、光。』
コメント (1)
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