※映画小僧が映画制作というものを学び「映画を創ってみた」ころ、つまり18~19歳のエピソードを綴ります
ちなみに映画「制作」なのか「製作」なのかという話があるが、どっちも間違いではないらしい。
らしいが、映画は商品であることを理解しつつ、ゲージツの要素のほうが強い、というか、そうあってほしいという思いが強いので、自分は「制作」を好んで用いている。
だから「製作総指揮」の「製作」が一般的に「製作」を用いていることに、ちょっと反感みたいなものを抱いている自分なのであった・・・。
さて、まずは映画のなかで描かれた映画制作というものを、いくつか挙げてみる。
『ホワイトハンター ブラックハート』(90)
『アフリカの女王』(51)撮影時の監督ジョン・ヒューストンをモデルにした、イーストウッド監督作。
困難を極めた撮影は長引くも、当のヒューストンは呑気に? ハンティングに没頭する。
映画を観ても彼がどうしてそんな感じだったのかは分からない。
分からないが、ある面で、筋が通っていた男であることだけは分かる。
『エド・ウッド』(94)
才能は「ゼロ」だったはずなのに、運と意地で映画を撮りつづけた映画監督の一代記。
ティム・バートンの監督作のなかで、個人的にいちばん好き。
※オープニング・クレジットがひじょうに凝っていて素晴らしい。とくに後半、水のなかで文字が揺らめいているところに注目!
『女優霊』(96)
撮影所に「居る」とされる女優の霊を描く、中田秀夫のホラー映画。
霊の映しかたの巧さ(怖さ)は、そのまま後年の『リング』(98)に活かされている。
『ハート・オブ・ダークネス/コッポラの黙示録』(91…トップ画像)
「歴史的」問題作『地獄の黙示録』(79)の制作過程を追う、傑作ドキュメンタリー。
当時の映像を撮っていたのは、コッポラの妻エレノア。
敢えていうが、これを観ると、関係者は、みんなキチガイであったことが分かる。
『ミッドナイトクロス』(81)
映画の音響効果マンが、殺人事件に巻き込まれていくデ・パルマ的サスペンス。
※撮影風景を捉えたショット
ナンシー・アレンが、「ちょうどいい感じの美人」で好きだった。
そしてこの映画の「なんともいえぬ」エンディングにこそ、映画に対するデ・パルマの偏執的ともいえる愛が感じられて感動的なんだ。
『アビエイター』(2004)
スコセッシが、実業家、映画監督のハワード・ヒューズを描いた。
キャサリン・ヘプバーンとの関係性など、興味深いエピソードも多かったが、全体を通して観ると「イビツ感が過ぎた」と思う。
・・・挙げていったら切りがないので、このあたりで。
強引にまとめると、映画創りは「どうかしている」ということ。
「どうかしていないと、出来ない」のかもしれない。
自分?
自分は、どうかしていたかって―?
どうなんでしょう。
基本的にはどうかしている人間だが笑、映画創りにおいてはどうだったのか。
つづく。
…………………………………………
明日のコラムは・・・
『初体験 リッジモント・ハイ(241)』
ちなみに映画「制作」なのか「製作」なのかという話があるが、どっちも間違いではないらしい。
らしいが、映画は商品であることを理解しつつ、ゲージツの要素のほうが強い、というか、そうあってほしいという思いが強いので、自分は「制作」を好んで用いている。
だから「製作総指揮」の「製作」が一般的に「製作」を用いていることに、ちょっと反感みたいなものを抱いている自分なのであった・・・。
さて、まずは映画のなかで描かれた映画制作というものを、いくつか挙げてみる。
『ホワイトハンター ブラックハート』(90)
『アフリカの女王』(51)撮影時の監督ジョン・ヒューストンをモデルにした、イーストウッド監督作。
困難を極めた撮影は長引くも、当のヒューストンは呑気に? ハンティングに没頭する。
映画を観ても彼がどうしてそんな感じだったのかは分からない。
分からないが、ある面で、筋が通っていた男であることだけは分かる。
『エド・ウッド』(94)
才能は「ゼロ」だったはずなのに、運と意地で映画を撮りつづけた映画監督の一代記。
ティム・バートンの監督作のなかで、個人的にいちばん好き。
※オープニング・クレジットがひじょうに凝っていて素晴らしい。とくに後半、水のなかで文字が揺らめいているところに注目!
『女優霊』(96)
撮影所に「居る」とされる女優の霊を描く、中田秀夫のホラー映画。
霊の映しかたの巧さ(怖さ)は、そのまま後年の『リング』(98)に活かされている。
『ハート・オブ・ダークネス/コッポラの黙示録』(91…トップ画像)
「歴史的」問題作『地獄の黙示録』(79)の制作過程を追う、傑作ドキュメンタリー。
当時の映像を撮っていたのは、コッポラの妻エレノア。
敢えていうが、これを観ると、関係者は、みんなキチガイであったことが分かる。
『ミッドナイトクロス』(81)
映画の音響効果マンが、殺人事件に巻き込まれていくデ・パルマ的サスペンス。
※撮影風景を捉えたショット
ナンシー・アレンが、「ちょうどいい感じの美人」で好きだった。
そしてこの映画の「なんともいえぬ」エンディングにこそ、映画に対するデ・パルマの偏執的ともいえる愛が感じられて感動的なんだ。
『アビエイター』(2004)
スコセッシが、実業家、映画監督のハワード・ヒューズを描いた。
キャサリン・ヘプバーンとの関係性など、興味深いエピソードも多かったが、全体を通して観ると「イビツ感が過ぎた」と思う。
・・・挙げていったら切りがないので、このあたりで。
強引にまとめると、映画創りは「どうかしている」ということ。
「どうかしていないと、出来ない」のかもしれない。
自分?
自分は、どうかしていたかって―?
どうなんでしょう。
基本的にはどうかしている人間だが笑、映画創りにおいてはどうだったのか。
つづく。
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明日のコラムは・・・
『初体験 リッジモント・ハイ(241)』