※映画小僧が映画制作というものを学び「映画を創ってみた」ころ、つまり18~19歳のエピソードを綴ります
※トップ画像は、自宅アパートで脚本を執筆(というかワープロだね)しているところ
映画制作のイロハを学べる、にっかつの専門学校に入学した自分。
本人がいうのもアレだが・・・
1年生5月の時点で、無類の映画好き/知識も並大抵でないことが同級生たちのあいだに広まった。
コイツ、どんな脚本を書くのだろう?
そう思われていたよ―と、現在でも仲良しのNくんは回想する。
1年時の後期より撮影実習が始まるが、このときの脚本は学校が用意したもの。いわゆる教材というやつだ。
オリジナルの脚本で撮影するのは2年時で、これは全生徒から公募して決まる。
自分、これに賭けていたところがあった。
脚本コースの生徒なんて、はっきりいって撮影実習そのものは出番がなく、監督助手の助手の助手、、、みたいな仕事しか与えられないし。
自分の脚本が選ばれれば多少は口を出せるだろうけれど、選ばれなかったら、他人が書いた脚本の撮影現場に顔を出すことそのものが、なんというか屈辱的であってね。
前期・後期と脚本の公募があるから、チャンスは2度。
理想は2度とも選ばれることだが、この際、1度でもいいから自分が記した脚本をもとに、皆がせっせと動く図を見てみたい、、、という思いが強かった。
前期用…困ったことがあると走り出してしまう主人公を描いた、『フォレスト・ガンプ』(94)のようなコメディを出品。
負け惜しみ? ではなく、この映画が公開されたとき、「あ、アイデアそのものは同じじゃん!」とスクリーンに突っ込んだ。
タイトルは、『マイウェイ』だった。
後期用…近未来の日本を舞台に、ロシアンルーレットに興じる若者を描いたブラックコメディを出品。
タイトルは、まんま『ロシアンルーレット』。
結果は、ともに敗退。
コンクールではないので、自分がどのあたりで落とされたのか分からない。
ただ講師からは「牧野の力は、こんなもんじゃないだろう」と評された。
激励といえばそうだが、悔しかった。
講師のことばより、同級生のひとりからイヤミったらしく「脚本コースなのに、選ばれなかったね」といわれたことが堪えた。
・・・くそぉ。
その日は、上京して初めて荒れた。
この写真は、後期で落ちたときのカラオケだったと記憶する。
ご機嫌のように見えるが、荒れ疲れ、逆にハイになっていたんだよ、たぶん。
結局、2年間で目立ったことといえば服装―ずっとジャージで通した―と映画の知識くらいだったかと。
講師が記した成績表には、こんなことが記されていた。
「独自の視点の持ち主。旺盛な筆力もうかがえる。ただし、特む性格ゆえ穴に落ち込む一抹の懸念がないでもない」
すげぇな、とくに後半。
完全に、自分を捉えていたのだなぁって。
実際、穴に落ち込む感じで43歳になった。
モノカキで喰ってはいるけれど、当初の夢だった映画制作に携わっているわけではない。
悔しいですよ、やっぱり。
今年、同級生たちと2度ほど呑んだが、「脚本はどうしたよ? 久しくコンクールにも出品してないでしょう。最終予選がベスト? お前は、そんなもんじゃないだろう」といわれた。
うん、正直いうと自分でもそう思っている。
だから今年、久し振りに脚本の構成を練っている。
『沈黙』と『ツイン・ピークス』に刺激されたところ、多々あり。かな。
ただ、ね。
話は戻るが、あんまりやることがなかった「他人の脚本で撮影実習」でも、ほんの少しだけ、映画を創っているという喜びは味わえたんだ。
この感覚、『桐島、部活やめるってよ』(2012)の前田くんと同じだ。
だからなのだろうな、この物語が大好きなクセして、繰り返し鑑賞することが出来ないんだよ。
弱点を、突かれているような気がするから。
おわり。
…………………………………………
明日のコラムは・・・
『やっぱり「ここ」が好き(6)』
※トップ画像は、自宅アパートで脚本を執筆(というかワープロだね)しているところ
映画制作のイロハを学べる、にっかつの専門学校に入学した自分。
本人がいうのもアレだが・・・
1年生5月の時点で、無類の映画好き/知識も並大抵でないことが同級生たちのあいだに広まった。
コイツ、どんな脚本を書くのだろう?
そう思われていたよ―と、現在でも仲良しのNくんは回想する。
1年時の後期より撮影実習が始まるが、このときの脚本は学校が用意したもの。いわゆる教材というやつだ。
オリジナルの脚本で撮影するのは2年時で、これは全生徒から公募して決まる。
自分、これに賭けていたところがあった。
脚本コースの生徒なんて、はっきりいって撮影実習そのものは出番がなく、監督助手の助手の助手、、、みたいな仕事しか与えられないし。
自分の脚本が選ばれれば多少は口を出せるだろうけれど、選ばれなかったら、他人が書いた脚本の撮影現場に顔を出すことそのものが、なんというか屈辱的であってね。
前期・後期と脚本の公募があるから、チャンスは2度。
理想は2度とも選ばれることだが、この際、1度でもいいから自分が記した脚本をもとに、皆がせっせと動く図を見てみたい、、、という思いが強かった。
前期用…困ったことがあると走り出してしまう主人公を描いた、『フォレスト・ガンプ』(94)のようなコメディを出品。
負け惜しみ? ではなく、この映画が公開されたとき、「あ、アイデアそのものは同じじゃん!」とスクリーンに突っ込んだ。
タイトルは、『マイウェイ』だった。
後期用…近未来の日本を舞台に、ロシアンルーレットに興じる若者を描いたブラックコメディを出品。
タイトルは、まんま『ロシアンルーレット』。
結果は、ともに敗退。
コンクールではないので、自分がどのあたりで落とされたのか分からない。
ただ講師からは「牧野の力は、こんなもんじゃないだろう」と評された。
激励といえばそうだが、悔しかった。
講師のことばより、同級生のひとりからイヤミったらしく「脚本コースなのに、選ばれなかったね」といわれたことが堪えた。
・・・くそぉ。
その日は、上京して初めて荒れた。
この写真は、後期で落ちたときのカラオケだったと記憶する。
ご機嫌のように見えるが、荒れ疲れ、逆にハイになっていたんだよ、たぶん。
結局、2年間で目立ったことといえば服装―ずっとジャージで通した―と映画の知識くらいだったかと。
講師が記した成績表には、こんなことが記されていた。
「独自の視点の持ち主。旺盛な筆力もうかがえる。ただし、特む性格ゆえ穴に落ち込む一抹の懸念がないでもない」
すげぇな、とくに後半。
完全に、自分を捉えていたのだなぁって。
実際、穴に落ち込む感じで43歳になった。
モノカキで喰ってはいるけれど、当初の夢だった映画制作に携わっているわけではない。
悔しいですよ、やっぱり。
今年、同級生たちと2度ほど呑んだが、「脚本はどうしたよ? 久しくコンクールにも出品してないでしょう。最終予選がベスト? お前は、そんなもんじゃないだろう」といわれた。
うん、正直いうと自分でもそう思っている。
だから今年、久し振りに脚本の構成を練っている。
『沈黙』と『ツイン・ピークス』に刺激されたところ、多々あり。かな。
ただ、ね。
話は戻るが、あんまりやることがなかった「他人の脚本で撮影実習」でも、ほんの少しだけ、映画を創っているという喜びは味わえたんだ。
この感覚、『桐島、部活やめるってよ』(2012)の前田くんと同じだ。
だからなのだろうな、この物語が大好きなクセして、繰り返し鑑賞することが出来ないんだよ。
弱点を、突かれているような気がするから。
おわり。
…………………………………………
明日のコラムは・・・
『やっぱり「ここ」が好き(6)』