Cape Fear、in JAPAN

ひとの襟首つかんで「読め!」という、映画偏愛家のサイト。

『Cape Fear』…恐怖の岬、の意。

初体験 リッジモント・ハイ(241)

2017-10-13 00:10:00 | コラム
※映画小僧が映画制作というものを学び「映画を創ってみた」ころ、つまり18~19歳のエピソードを綴ります
※トップ画像は、自宅アパートで脚本を執筆(というかワープロだね)しているところ


映画制作のイロハを学べる、にっかつの専門学校に入学した自分。

本人がいうのもアレだが・・・
1年生5月の時点で、無類の映画好き/知識も並大抵でないことが同級生たちのあいだに広まった。

コイツ、どんな脚本を書くのだろう?

そう思われていたよ―と、現在でも仲良しのNくんは回想する。

1年時の後期より撮影実習が始まるが、このときの脚本は学校が用意したもの。いわゆる教材というやつだ。
オリジナルの脚本で撮影するのは2年時で、これは全生徒から公募して決まる。

自分、これに賭けていたところがあった。

脚本コースの生徒なんて、はっきりいって撮影実習そのものは出番がなく、監督助手の助手の助手、、、みたいな仕事しか与えられないし。
自分の脚本が選ばれれば多少は口を出せるだろうけれど、選ばれなかったら、他人が書いた脚本の撮影現場に顔を出すことそのものが、なんというか屈辱的であってね。

前期・後期と脚本の公募があるから、チャンスは2度。
理想は2度とも選ばれることだが、この際、1度でもいいから自分が記した脚本をもとに、皆がせっせと動く図を見てみたい、、、という思いが強かった。


前期用…困ったことがあると走り出してしまう主人公を描いた、『フォレスト・ガンプ』(94)のようなコメディを出品。
負け惜しみ? ではなく、この映画が公開されたとき、「あ、アイデアそのものは同じじゃん!」とスクリーンに突っ込んだ。

タイトルは、『マイウェイ』だった。

後期用…近未来の日本を舞台に、ロシアンルーレットに興じる若者を描いたブラックコメディを出品。

タイトルは、まんま『ロシアンルーレット』。


結果は、ともに敗退。

コンクールではないので、自分がどのあたりで落とされたのか分からない。

ただ講師からは「牧野の力は、こんなもんじゃないだろう」と評された。

激励といえばそうだが、悔しかった。
講師のことばより、同級生のひとりからイヤミったらしく「脚本コースなのに、選ばれなかったね」といわれたことが堪えた。

・・・くそぉ。

その日は、上京して初めて荒れた。

この写真は、後期で落ちたときのカラオケだったと記憶する。



ご機嫌のように見えるが、荒れ疲れ、逆にハイになっていたんだよ、たぶん。


結局、2年間で目立ったことといえば服装―ずっとジャージで通した―と映画の知識くらいだったかと。

講師が記した成績表には、こんなことが記されていた。

「独自の視点の持ち主。旺盛な筆力もうかがえる。ただし、特む性格ゆえ穴に落ち込む一抹の懸念がないでもない」

すげぇな、とくに後半。
完全に、自分を捉えていたのだなぁって。


実際、穴に落ち込む感じで43歳になった。

モノカキで喰ってはいるけれど、当初の夢だった映画制作に携わっているわけではない。

悔しいですよ、やっぱり。


今年、同級生たちと2度ほど呑んだが、「脚本はどうしたよ? 久しくコンクールにも出品してないでしょう。最終予選がベスト? お前は、そんなもんじゃないだろう」といわれた。

うん、正直いうと自分でもそう思っている。

だから今年、久し振りに脚本の構成を練っている。
『沈黙』と『ツイン・ピークス』に刺激されたところ、多々あり。かな。


ただ、ね。
話は戻るが、あんまりやることがなかった「他人の脚本で撮影実習」でも、ほんの少しだけ、映画を創っているという喜びは味わえたんだ。

この感覚、『桐島、部活やめるってよ』(2012)の前田くんと同じだ。




だからなのだろうな、この物語が大好きなクセして、繰り返し鑑賞することが出来ないんだよ。

弱点を、突かれているような気がするから。





おわり。

…………………………………………

明日のコラムは・・・

『やっぱり「ここ」が好き(6)』
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする