映画のなかに出てくる図書館で『セブン』(95)が印象的なのは、等間隔に配置されたテーブルと緑色のカバーがつけられた電気スタンド、その背景に流れるバッハの『G線上のアリア』が効いているのだと思う。
このショットを思いついた瞬間、監督デヴィッド・フィンチャーは「よし、いける!」と思ったのではないだろうか。
そんなことはないか、フィンチャーはクールな男だからね。
さて自分が、「図書館で出会い、夢中になった本」について。
高校1年生の夏ごろ―。
父親の書斎から勝手に持ち出した『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』にショックを受けた自分は、村上春樹に興味を抱き、学校の図書館をうろついて? みた。
らば、どういうわけか村上龍の『コインロッカー・ベイビーズ』を手に取っていた。
たぶん、タイトルに魅かれたんだと思う。
前半こそ「こういう物語なんじゃないか」という想像を裏切ることがなかったが、中盤から思いもよらぬ展開が待っていて引き込まれた。
連日、図書館に通い昼休みの数十分間を使って、単行本の上下巻を読み終えた。
大長編というほどでもないが、1ヶ月くらいを要したのではないか。
ん?
借りればよかったじゃないかって?
そうなのだが、高校では仲良しというほどの友達が出来なかったからね、長めの昼休みを潰そうという意図があったのだと思う。
そうしたら、ハマってしまったと。
結果、『コインロッカー・ベイビーズ』は自分のオールタイムベスト5に入るほどお気に入りの1作となった。
後年、自作シナリオのタイトルに『アネモネは、笑う。』と冠するほどに影響を受けているし。
(『コイン~』を読んだひとなら、分かるでしょう)
その数ヶ月後―。
父親の書斎以外でも「よい本との出会い」があることを知った自分は、「図書館のうろつき」を日課にするようになる。
そこで知ったのが、映画批評家・田山力哉(以下、田山師匠)の名前。
群馬県立西邑楽高校の図書館は、内容が充実しているとはいえなかった。
とくに映画の本は「ないに等しかった」ため、数多くあるコレクションからそれを選んだというより、映画の本がそれしかなかったから手に取った―といってよかった。
それが、田山師匠の『世界映画名作全史 ニューシネマ篇』だった。
選定者の趣味か、ほかの「〇〇篇」はないのに、「ニューシネマ篇」だけが置かれていたんだ。
ここ数年は誰にも読まれることがなかったであろうこの1冊を手に取り、ページを繰り始めた。
自分はこのころにアメリカン・ニューシネマを知り、『俺たちに明日はない』(67)や『真夜中のカーボーイ』(69)、そしてその影響下にある『タクシードライバー』(76)に衝撃を受けている。
それと符合するかのように出会った田山師匠の本。
こりゃ運命だろうと確信した自分は、高校1年の冬から卒業時まで、何度も何度もこの本を読み込み、完全に自分のなかに吸収した。
誇張でもなんでもなく、ほぼすべての項目を暗記していたものね。
だから。
23歳のとき初めて映画の批評集を書き上げたのだが、真っ先に連絡先を調べ、原稿を持ち込んでみたのは田山師匠だった。
大病を患っていたはずの田山師匠だが、こころのこもった手紙を送ってくれて感激したなぁ。
天国の田山師匠へ。
中途半端ではあるし、あなたのような文章を書けているわけではないけれど、未だ映画小僧をやっていますよ。
あなたの映画愛が、わが血と肉になっています。
ありがとうございました。
おわり。
…………………………………………
明日のコラムは・・・
『結局は脚。なのか』
このショットを思いついた瞬間、監督デヴィッド・フィンチャーは「よし、いける!」と思ったのではないだろうか。
そんなことはないか、フィンチャーはクールな男だからね。
さて自分が、「図書館で出会い、夢中になった本」について。
高校1年生の夏ごろ―。
父親の書斎から勝手に持ち出した『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』にショックを受けた自分は、村上春樹に興味を抱き、学校の図書館をうろついて? みた。
らば、どういうわけか村上龍の『コインロッカー・ベイビーズ』を手に取っていた。
たぶん、タイトルに魅かれたんだと思う。
前半こそ「こういう物語なんじゃないか」という想像を裏切ることがなかったが、中盤から思いもよらぬ展開が待っていて引き込まれた。
連日、図書館に通い昼休みの数十分間を使って、単行本の上下巻を読み終えた。
大長編というほどでもないが、1ヶ月くらいを要したのではないか。
ん?
借りればよかったじゃないかって?
そうなのだが、高校では仲良しというほどの友達が出来なかったからね、長めの昼休みを潰そうという意図があったのだと思う。
そうしたら、ハマってしまったと。
結果、『コインロッカー・ベイビーズ』は自分のオールタイムベスト5に入るほどお気に入りの1作となった。
後年、自作シナリオのタイトルに『アネモネは、笑う。』と冠するほどに影響を受けているし。
(『コイン~』を読んだひとなら、分かるでしょう)
その数ヶ月後―。
父親の書斎以外でも「よい本との出会い」があることを知った自分は、「図書館のうろつき」を日課にするようになる。
そこで知ったのが、映画批評家・田山力哉(以下、田山師匠)の名前。
群馬県立西邑楽高校の図書館は、内容が充実しているとはいえなかった。
とくに映画の本は「ないに等しかった」ため、数多くあるコレクションからそれを選んだというより、映画の本がそれしかなかったから手に取った―といってよかった。
それが、田山師匠の『世界映画名作全史 ニューシネマ篇』だった。
選定者の趣味か、ほかの「〇〇篇」はないのに、「ニューシネマ篇」だけが置かれていたんだ。
ここ数年は誰にも読まれることがなかったであろうこの1冊を手に取り、ページを繰り始めた。
自分はこのころにアメリカン・ニューシネマを知り、『俺たちに明日はない』(67)や『真夜中のカーボーイ』(69)、そしてその影響下にある『タクシードライバー』(76)に衝撃を受けている。
それと符合するかのように出会った田山師匠の本。
こりゃ運命だろうと確信した自分は、高校1年の冬から卒業時まで、何度も何度もこの本を読み込み、完全に自分のなかに吸収した。
誇張でもなんでもなく、ほぼすべての項目を暗記していたものね。
だから。
23歳のとき初めて映画の批評集を書き上げたのだが、真っ先に連絡先を調べ、原稿を持ち込んでみたのは田山師匠だった。
大病を患っていたはずの田山師匠だが、こころのこもった手紙を送ってくれて感激したなぁ。
天国の田山師匠へ。
中途半端ではあるし、あなたのような文章を書けているわけではないけれど、未だ映画小僧をやっていますよ。
あなたの映画愛が、わが血と肉になっています。
ありがとうございました。
おわり。
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明日のコラムは・・・
『結局は脚。なのか』