所英男「―戦うストーカー、所英男です。(中略)10年間追いつづけているKIDさん、RIZINで僕と試合をしてください。日本の格闘技界を一緒に盛り上げましょう」
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「(失神KO負けに対し)…なんか、失神したときは、すげー気持ちよかったです」
※対ザンビディス戦
「魔裟斗くん、ふたりで試合でもして日本を盛り上げましょう」
「格闘の、神様の、子ども。俺は。だからKID」
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誤解を受け易い競技だからこそ、イキったファイターは好きじゃない。
試合前の会見における「メンチ切り」や「乱闘」とか一切要らない。
本人たちは盛り上げているつもりかもしれないが、こっちは煽られるどころか呆れるばかり、、、だったりする。
その感覚、古い。とさえ思う。
アリはフォアマンに対し、そういう「戦略」を立てていたけれど。
しかしキンシャサの奇跡が起こったのは自分が生まれた74年だぜ、あれから40年が過ぎ、格闘技だって進化しているはずなのに、同じスタイルというのはどうかしているでしょうよ。
そういう意味で、山本KID徳郁はぎりぎりの線をいっていた。
ファイターとしてのセンスは抜群、
しかし、たとえば試合終了後、「まだまだいけるぜ」アピールのためにリング上で腕立て伏せを披露するパフォーマンスは、正直好きになれなかった。
ゴングが鳴ったんだ、相手に敬意を表するために握手しにいこうぜ腕立ては控室でやってくれと。
ただ、ふだんは「見た目に反し」相手を挑発するようなタイプじゃない。
「自分大好き」アピールは強いものの、相手をコケにするような発言は一切しなかった。
(UFCで連敗がつづいて以降も)常に目が離せないファイターではあった。
勝ちかたも負けかたも派手だったから。
KIDは鳴り物入りで格闘技界にやってきた。
レスリングエリートの姉と妹の知名度を借り、地上波デビュー戦から華々しい舞台が用意されていた。
ハードルは異様に高かったはずだが、彼は拳ひとつでそれを乗り越えてしまう。
(ここ最近では美憂や聖子のほうが、「KIDの姉・妹」と称されるようになっている)
KID全盛の時代は、現在ほど階級が細分化されていなかった。
だから彼は減量ではなく増量することによって、つまり本来の理想的な階級ではなく、身体の大きい上の階級のファイターたちと戦うことを余儀なくされていた。
主催者はいっていたそうだ、「もう少し経ったら、KIDくんの階級を作るから」。
しかしKIDは、そんな不利な状況下で連勝記録を打ち立ててしまう。
こうして、ビミョーだったはずのリングネームも「あり。」にしてしまったのだった。
無問題でしょう、だって格好いいし強いのだから! と。
KIDの格闘技人生におけるハイライトは、やはり魔裟斗戦だろう。
今月末におこなわれる堀口と天心のキックボクシングを、みなが魔裟斗とKIDの戦いになぞらえているのは、あの試合が忘れられないからだもの。
双方があれほどスウィングする格闘技も、そうそうない。
怪我以降、結果を残せないでいたKIDだが、惜しいのは、所英男との対決が実現出来なかったこと。
冒頭で引用したとおり、所くんは10年間、対戦要求をつづけてきた。
ここまで先延ばしにしなくとも、どこかで交わることが出来たはず。
出し惜しみ、し過ぎたよね。
このふたりならきっと、魔裟斗戦をも凌ぐエキサイティングな試合を展開出来ただろうな・・・。
リングの外でも、多くの話題を振りまいたひとだった。
何度か取材をしたが、会うたびにタトゥーが増えていった。
カレー屋を営んでいたこともあった。
けっして不味くはなかったが、どういうわけかうまくいかなかった。
最初の嫁さんのことを「だいぶ」引きずり、試合前のインタビューでさえ「きっと、よりを戻す」なんて発言していた。
そういうものをすべてひっくるめて、憎めないひとだった。
そんなKIDに憧れて、彼のジム『KRAZY BEE』の門をたたく若者は多い。
いまをときめく堀口恭司と矢地祐介も『KRAZY BEE』出身、KIDはきちんと後継者となるKIDを育てている。
これは桜庭和志や魔裟斗でも不可能だったことで、このあたりが、KID最大の功績なのではないか。
がん公表から1ヶ月、早過ぎる若過ぎる最期ではあるけれども、救いはKIDのKIDがこの道を継いでくれているところだろう。
山本KID徳郁、9月18日死去。
享年41歳、合掌。
※KIDの背中で始まり、背中で終わる格好いい煽りPV
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明日のコラムは・・・
『にっぽん女優列伝(78)片桐はいり』
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「(失神KO負けに対し)…なんか、失神したときは、すげー気持ちよかったです」
※対ザンビディス戦
「魔裟斗くん、ふたりで試合でもして日本を盛り上げましょう」
「格闘の、神様の、子ども。俺は。だからKID」
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誤解を受け易い競技だからこそ、イキったファイターは好きじゃない。
試合前の会見における「メンチ切り」や「乱闘」とか一切要らない。
本人たちは盛り上げているつもりかもしれないが、こっちは煽られるどころか呆れるばかり、、、だったりする。
その感覚、古い。とさえ思う。
アリはフォアマンに対し、そういう「戦略」を立てていたけれど。
しかしキンシャサの奇跡が起こったのは自分が生まれた74年だぜ、あれから40年が過ぎ、格闘技だって進化しているはずなのに、同じスタイルというのはどうかしているでしょうよ。
そういう意味で、山本KID徳郁はぎりぎりの線をいっていた。
ファイターとしてのセンスは抜群、
しかし、たとえば試合終了後、「まだまだいけるぜ」アピールのためにリング上で腕立て伏せを披露するパフォーマンスは、正直好きになれなかった。
ゴングが鳴ったんだ、相手に敬意を表するために握手しにいこうぜ腕立ては控室でやってくれと。
ただ、ふだんは「見た目に反し」相手を挑発するようなタイプじゃない。
「自分大好き」アピールは強いものの、相手をコケにするような発言は一切しなかった。
(UFCで連敗がつづいて以降も)常に目が離せないファイターではあった。
勝ちかたも負けかたも派手だったから。
KIDは鳴り物入りで格闘技界にやってきた。
レスリングエリートの姉と妹の知名度を借り、地上波デビュー戦から華々しい舞台が用意されていた。
ハードルは異様に高かったはずだが、彼は拳ひとつでそれを乗り越えてしまう。
(ここ最近では美憂や聖子のほうが、「KIDの姉・妹」と称されるようになっている)
KID全盛の時代は、現在ほど階級が細分化されていなかった。
だから彼は減量ではなく増量することによって、つまり本来の理想的な階級ではなく、身体の大きい上の階級のファイターたちと戦うことを余儀なくされていた。
主催者はいっていたそうだ、「もう少し経ったら、KIDくんの階級を作るから」。
しかしKIDは、そんな不利な状況下で連勝記録を打ち立ててしまう。
こうして、ビミョーだったはずのリングネームも「あり。」にしてしまったのだった。
無問題でしょう、だって格好いいし強いのだから! と。
KIDの格闘技人生におけるハイライトは、やはり魔裟斗戦だろう。
今月末におこなわれる堀口と天心のキックボクシングを、みなが魔裟斗とKIDの戦いになぞらえているのは、あの試合が忘れられないからだもの。
双方があれほどスウィングする格闘技も、そうそうない。
怪我以降、結果を残せないでいたKIDだが、惜しいのは、所英男との対決が実現出来なかったこと。
冒頭で引用したとおり、所くんは10年間、対戦要求をつづけてきた。
ここまで先延ばしにしなくとも、どこかで交わることが出来たはず。
出し惜しみ、し過ぎたよね。
このふたりならきっと、魔裟斗戦をも凌ぐエキサイティングな試合を展開出来ただろうな・・・。
リングの外でも、多くの話題を振りまいたひとだった。
何度か取材をしたが、会うたびにタトゥーが増えていった。
カレー屋を営んでいたこともあった。
けっして不味くはなかったが、どういうわけかうまくいかなかった。
最初の嫁さんのことを「だいぶ」引きずり、試合前のインタビューでさえ「きっと、よりを戻す」なんて発言していた。
そういうものをすべてひっくるめて、憎めないひとだった。
そんなKIDに憧れて、彼のジム『KRAZY BEE』の門をたたく若者は多い。
いまをときめく堀口恭司と矢地祐介も『KRAZY BEE』出身、KIDはきちんと後継者となるKIDを育てている。
これは桜庭和志や魔裟斗でも不可能だったことで、このあたりが、KID最大の功績なのではないか。
がん公表から1ヶ月、早過ぎる若過ぎる最期ではあるけれども、救いはKIDのKIDがこの道を継いでくれているところだろう。
山本KID徳郁、9月18日死去。
享年41歳、合掌。
※KIDの背中で始まり、背中で終わる格好いい煽りPV
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明日のコラムは・・・
『にっぽん女優列伝(78)片桐はいり』