ここ10年の米映画で、とくに顕著になったこと。
映画小僧でなくとも指摘出来ると思う、それは、本編上映直後に映し出される「プロダクションのマーク/ロゴ」の多さ。
昔はワーナーであれパラマウントであれフォックスであれ、誰もが知っている「スタジオの顔」が「ひとつだけ」映し出されると、
すぐにオープニング・クレジットが流れたものだった。
ごく稀に『タワーリング・インフェルノ』(74)のような「共作」もあったけれど、
最近のように、まだマークがつづくんかい!? みたいなツッコミは不要だったはず。
そうなった理由は、ふたつ。
(1)実際に数多くのプロダクションが関わるようになったから
それは昔からそうだったのかもしれないが、
(2)「トップ以外の顔」も掲げるべき、、、という時代になったから
・・・というのがあるらしい。
なるほど、
『ダークナイト』(2008)も20年前であれば、ワーナーのマークだけだったかもしれない。DCコミックスのマークさえカットされていたかもね。
もうひとつ、「映画あるある」を。
いや「あるある」とはちがうかな、表現のありかた、、、というべきか。
興行・批評の両面で大成功をおさめた『万引き家族』(2018)、
※希林さん合掌
パルムドール受賞を伝えるネットニュースのコメントで引っかかったのが、「どうして日本のイメージを悪くするような映画が…」というもの。
映画というものを、観たことないんだべか?
バカだなぁクソだなぁ、コイツは映画を観る資格も語る資格もないな、というか、そもそもこの映画を観るつもりはないだろうしと。
じゃああれかい、日本マンセー映画を撮れと?
批評精神、というものを知らんのか。
マイケル・ムーアの映画を観てみろ、ときの大統領がケチョンケチョンにされているじゃないか。
海の向こうの話だけじゃない、大島渚は常に国家に喧嘩を売っていた。
映画がそういうものばっかりになっても困る、
困るが、表現を志すものの大半は「批評精神」を宿している、
宿しているからこそ表現をやりたくなるのであってね、それは「あたりまえ」なんだ、それが「あるある」だよと。
この世は善と愛に溢れていて、そればかりで、すべてが美しく、毎日が楽しい。
・・・まぁ年に1本くらいならそんな映画に付き合うが、それしかなかったら自分は映画小僧になっていない。
表現に、映画に批評精神というものがあったからこそ、自分は映画の虜になった。
みなまでいわせないでおくれ、
つまりは、そういうことなのです。
…………………………………………
明日のコラムは・・・
『スポーツに、出し惜しみは要らない ~追悼・山本KID徳郁~』
映画小僧でなくとも指摘出来ると思う、それは、本編上映直後に映し出される「プロダクションのマーク/ロゴ」の多さ。
昔はワーナーであれパラマウントであれフォックスであれ、誰もが知っている「スタジオの顔」が「ひとつだけ」映し出されると、
すぐにオープニング・クレジットが流れたものだった。
ごく稀に『タワーリング・インフェルノ』(74)のような「共作」もあったけれど、
最近のように、まだマークがつづくんかい!? みたいなツッコミは不要だったはず。
そうなった理由は、ふたつ。
(1)実際に数多くのプロダクションが関わるようになったから
それは昔からそうだったのかもしれないが、
(2)「トップ以外の顔」も掲げるべき、、、という時代になったから
・・・というのがあるらしい。
なるほど、
『ダークナイト』(2008)も20年前であれば、ワーナーのマークだけだったかもしれない。DCコミックスのマークさえカットされていたかもね。
もうひとつ、「映画あるある」を。
いや「あるある」とはちがうかな、表現のありかた、、、というべきか。
興行・批評の両面で大成功をおさめた『万引き家族』(2018)、
※希林さん合掌
パルムドール受賞を伝えるネットニュースのコメントで引っかかったのが、「どうして日本のイメージを悪くするような映画が…」というもの。
映画というものを、観たことないんだべか?
バカだなぁクソだなぁ、コイツは映画を観る資格も語る資格もないな、というか、そもそもこの映画を観るつもりはないだろうしと。
じゃああれかい、日本マンセー映画を撮れと?
批評精神、というものを知らんのか。
マイケル・ムーアの映画を観てみろ、ときの大統領がケチョンケチョンにされているじゃないか。
海の向こうの話だけじゃない、大島渚は常に国家に喧嘩を売っていた。
映画がそういうものばっかりになっても困る、
困るが、表現を志すものの大半は「批評精神」を宿している、
宿しているからこそ表現をやりたくなるのであってね、それは「あたりまえ」なんだ、それが「あるある」だよと。
この世は善と愛に溢れていて、そればかりで、すべてが美しく、毎日が楽しい。
・・・まぁ年に1本くらいならそんな映画に付き合うが、それしかなかったら自分は映画小僧になっていない。
表現に、映画に批評精神というものがあったからこそ、自分は映画の虜になった。
みなまでいわせないでおくれ、
つまりは、そういうことなのです。
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明日のコラムは・・・
『スポーツに、出し惜しみは要らない ~追悼・山本KID徳郁~』