Cape Fear、in JAPAN

ひとの襟首つかんで「読め!」という、映画偏愛家のサイト。

『Cape Fear』…恐怖の岬、の意。

この歳になって、「みっちゃん」がしっくりくるようになった。

2018-10-03 05:28:28 | コラム
自分の名前は、牧野光永(まきの・みつえい)。

2010年代に入って以降、「みつえい」と打ち込むと、きっちり「光永」と変換されることに感動しているが、
小学3年生くらいまでは「みっちゃん」「みっち」と呼ばれ、それ以降は「まっき~」と呼ばれることが多くなった。

現在でも知り合いの7割に「まっき~」と呼ばれていて、それがいちばん「しっくり」きていた・・・はずなのだが、最近になって「みっちゃん」と呼ばれることに喜びというか、大袈裟にいえば「快楽」を感じるまでになってきた。

エッチの際、自分は相手の名前を連呼する癖(?)があり、だから相手にも「みっちゃん!!」を連呼するように指示(?)するのだが、そうすると性的興奮が高まる。
つまり、そういうことかもしれない。
(ちがうか!)


それはともかく。

30代までは「ちゃん」づけに抵抗感というか、恥ずかしさがあったのだろう。

そういう世間体すらどうでもよくなってきたから、むしろ「ちゃん」づけのほうがうれしく感じられるようになったのかもしれない。


先輩、兄貴、
バイト時代はチーフ、キャップ、
モノカキになってからは先生やら師匠やら呼ばれたこともあるが、どれもむず痒くなるというか。

映画監督になったとしても、「監督!」と呼ばれるのは個人的には恥ずかしいのかもしれない。
MMAでベルトを巻いたとしても、「チャンピオン」なんて呼ばないでおくれ。
だからもちろん「牧野部長」「牧野代表」「牧野社長」「牧野GM」「牧野CEO」なんて柄じゃない、
自分には社会的ルールなんて適用しなくていいし、そう呼ばれることにステイタスを感じるわけでもない。


だからいま、自分のことを「まっき~」と呼んでくれるひとたちへ。

そのまま「まっき~」でもぜんぜん構わないのですけど、もしよかったら「みっちゃん」と呼んでみてください。

そうしたら。
自分でいうのもアレだが、抜群の笑顔と評される自分の笑みが、さらに輝くかもしれませんので。。。


※ときどき、歌います。
旭さんは自分にとって、俳優さんである前に歌い手さんなのです。



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明日のコラムは・・・

『映画監督別10傑(29)石井隆』
コメント (5)
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