~飯島愛の巻~
第一夜:飯島愛のキャリアを我流紹介
第二夜:飯島愛への手紙
【第二夜】
拝啓、飯島愛様。
AV女優としてのあなたを、特別好きだった、、、というわけではありません。
同時代に活躍したAV女優のなかでは、朝岡実嶺のほうが「はるかに」好きでしたし。
ただそれでも、あなたの主演作すべてに目を通しているし、通しているばかりか何遍も繰り返し「同じところ=気に入りの場面」を再生したために、テープが破損したこともあります。
流出してしまった「写りの悪い」ビデオも観て、ふと気づいたら写真集も持っていたし、あんまり売れなかったCDも買いました。
ファンを自称する資格は、充分あるように思います。
そんな自分でも、いま、あなたの主演作を再生することはなくなりました。
見た目や演出が古臭くなったから、、、というような理由ではありません。
すでに、あなたがこの世に居ないからです。
どれだけ絶品のおかずを提供してくれたとしても、死者になったら「それ目的」にしない―自分に、そういうルールを課しているのです。
だから桃井望、里中まりあ、冴島奈緒、苺みるくのAVも、彼女らの死後は観ていません。
とくに桃井望は大好きだったから、いろいろ葛藤は抱えましたが!!
AV好きを公言し、
女優へのインタビューや現場取材などでモノカキのキャリアをスタートさせ、
実際に企画AVに出演していた子などと付きあった自分に、
「よく平気だよね」という風に疑問を投げかける友人が沢山居ます。
「そこいらへんの偏見はないよ、もちろん嫌々働いているのであれば、辞めなよっていうかもしれんけど」
「好きで働いているのであれば、問題ないと?」
「まぁそうだよね、男でいう肉体労働と一緒でしょう」
そういうケースがないわけでもない―小向美奈子、坂口杏里―からだろうけれども、
AV業界入りを「堕ちた」と表現することに、おおいなる抵抗感があります。
女子の意見ならまだ許せるけれど、ちゃんとハダカ見てシコっている男連中が堕ちただの人生転落コースだの決めつける資格はないよ。
その発想の先に、『プリティ・ウーマン』(90)があったわけでしょう。
あの映画が嫌いなのは、ああいう職業のひとは不幸である、可哀想だと決めつけているところなのです。
「じゃあ娘が居たとして、AV出るの許せるの?」
最後のほうに、決まって出てくるのがこれね。
それとこれとは別だと思うし、実際にそうなったときはちがう反応を示す可能性も大だけれど、気持ちとしては、プライド持ってやっているんだったら、つづけさせると答えておきました。
あなたが著した『プラトニック・セックス』(小学館、2000年10月)のドラマ版・映画版とも、それをメインテーマとしていました。
悔しいのは深いところまで描けるはずの映画より、テレビ版のほうが優れていたところかな。
ただあなたの原作は、そこ―親と子の葛藤―に重きを置いていなかった。
少なくとも、自分はそう解釈しました。
文学的価値という観点でいえば、正直褒められた出来ではないかもしれません。
ゴーストライターという噂も消えていませんし、いろいろと出来過ぎな展開が多い気もします。
それでも自分は、最後の一文だけはあなた自身が発したことばにちがいないと確信、そこに深く感動しました。
自分はこの一点において、数多あるタレント本のなかでも本作は頭ひとつ抜きんでるものになったと評価しています。
あなたをほんとうに愛しているから、あなたの最も汚い部分を愛撫させてくれ。
グッときたなぁ、泣きそうになったなぁ。
こういうことばは、ゴーストライターでは生み出せないものですもの。
これを読んで、どうしてあなたが服を着てテレビに出ても成功出来たのかが分かりました。
AVはファンタジーでしかありませんが、あなたのことばはリアルだった。
そこに、多くの同性が魅かれたんだと思います。
やっぱり、あなたの人生は格好よかったのです。
敬具。
次回は、『拝啓、斉藤由貴様』。
…………………………………………
明日のコラムは・・・
『あれ、ぜんぜん減ってないよ。すげーなスモーカーって。』
第一夜:飯島愛のキャリアを我流紹介
第二夜:飯島愛への手紙
【第二夜】
拝啓、飯島愛様。
AV女優としてのあなたを、特別好きだった、、、というわけではありません。
同時代に活躍したAV女優のなかでは、朝岡実嶺のほうが「はるかに」好きでしたし。
ただそれでも、あなたの主演作すべてに目を通しているし、通しているばかりか何遍も繰り返し「同じところ=気に入りの場面」を再生したために、テープが破損したこともあります。
流出してしまった「写りの悪い」ビデオも観て、ふと気づいたら写真集も持っていたし、あんまり売れなかったCDも買いました。
ファンを自称する資格は、充分あるように思います。
そんな自分でも、いま、あなたの主演作を再生することはなくなりました。
見た目や演出が古臭くなったから、、、というような理由ではありません。
すでに、あなたがこの世に居ないからです。
どれだけ絶品のおかずを提供してくれたとしても、死者になったら「それ目的」にしない―自分に、そういうルールを課しているのです。
だから桃井望、里中まりあ、冴島奈緒、苺みるくのAVも、彼女らの死後は観ていません。
とくに桃井望は大好きだったから、いろいろ葛藤は抱えましたが!!
AV好きを公言し、
女優へのインタビューや現場取材などでモノカキのキャリアをスタートさせ、
実際に企画AVに出演していた子などと付きあった自分に、
「よく平気だよね」という風に疑問を投げかける友人が沢山居ます。
「そこいらへんの偏見はないよ、もちろん嫌々働いているのであれば、辞めなよっていうかもしれんけど」
「好きで働いているのであれば、問題ないと?」
「まぁそうだよね、男でいう肉体労働と一緒でしょう」
そういうケースがないわけでもない―小向美奈子、坂口杏里―からだろうけれども、
AV業界入りを「堕ちた」と表現することに、おおいなる抵抗感があります。
女子の意見ならまだ許せるけれど、ちゃんとハダカ見てシコっている男連中が堕ちただの人生転落コースだの決めつける資格はないよ。
その発想の先に、『プリティ・ウーマン』(90)があったわけでしょう。
あの映画が嫌いなのは、ああいう職業のひとは不幸である、可哀想だと決めつけているところなのです。
「じゃあ娘が居たとして、AV出るの許せるの?」
最後のほうに、決まって出てくるのがこれね。
それとこれとは別だと思うし、実際にそうなったときはちがう反応を示す可能性も大だけれど、気持ちとしては、プライド持ってやっているんだったら、つづけさせると答えておきました。
あなたが著した『プラトニック・セックス』(小学館、2000年10月)のドラマ版・映画版とも、それをメインテーマとしていました。
悔しいのは深いところまで描けるはずの映画より、テレビ版のほうが優れていたところかな。
ただあなたの原作は、そこ―親と子の葛藤―に重きを置いていなかった。
少なくとも、自分はそう解釈しました。
文学的価値という観点でいえば、正直褒められた出来ではないかもしれません。
ゴーストライターという噂も消えていませんし、いろいろと出来過ぎな展開が多い気もします。
それでも自分は、最後の一文だけはあなた自身が発したことばにちがいないと確信、そこに深く感動しました。
自分はこの一点において、数多あるタレント本のなかでも本作は頭ひとつ抜きんでるものになったと評価しています。
あなたをほんとうに愛しているから、あなたの最も汚い部分を愛撫させてくれ。
グッときたなぁ、泣きそうになったなぁ。
こういうことばは、ゴーストライターでは生み出せないものですもの。
これを読んで、どうしてあなたが服を着てテレビに出ても成功出来たのかが分かりました。
AVはファンタジーでしかありませんが、あなたのことばはリアルだった。
そこに、多くの同性が魅かれたんだと思います。
やっぱり、あなたの人生は格好よかったのです。
敬具。
次回は、『拝啓、斉藤由貴様』。
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明日のコラムは・・・
『あれ、ぜんぜん減ってないよ。すげーなスモーカーって。』