Cape Fear、in JAPAN

ひとの襟首つかんで「読め!」という、映画偏愛家のサイト。

『Cape Fear』…恐怖の岬、の意。

house

2018-10-22 00:10:00 | コラム
家が好きだ。

・・・いやちがうな、自分が住んできた歴代の家が好きだ。

居心地のいい「ひとんち」っていうのもあるにはあるけれど、結局は「じぶんち」「ぼくんち」には敵わない。

・・・という表現も妙かな、ほとんどのひとにとってマイホームというのは、そういうものだろうから。

いやいや。

そうともかぎらんのかな。


それはともかく。
仕事の関係で仕方なく、というのは分かるが、「飽きたから」みたいな理由で引っ越しをするひとと知り合ったとき、あぁ頭がおかしいなこのひとは、、、と思ったものである。

「―いまのお住まい、気に入ってないんですか」
「そういうわけでもないけどね」
「隣人に問題があるとか」
「いやいや、よい近所付き合いが出来ているよ。きっと僕は、定住というものが苦手なんだよ」

ふぅん、そういうこともあるのか。

新しい物件を探したり、引っ越し費用を用意したり、その他諸々の手続きをする労力を思うと、出来るかぎり出ていきたくなくなるけれどなぁ。

でもまぁ、そういうことを楽しめるひとが居る―ってことで納得しましょう。


映画のなかの家。
映画は究極的には、メタファーの集合体みたいなところがある。

登場人物が、「無意味にそこ」に住んでいるわけがない、、、と捉えたほうがいい。

きっと、なんらかの意味があるはずで。


(1)『モダン・タイムス』(36)

家を持たぬカップルが、「こんな家に住みたい!」と語り合う。

このシーンのあとに、未来は厳しいことを暗示するラストシーンが用意されている。



(2)『サイコ』(60…トップ画像)

素敵に見える家なのにね、撮りかたの巧さだったのかな。

(3)『家族ゲーム』(83)

団地特有の狭さ。
それを活かした絵作りが素晴らしかった。

(4)『8Mile』(2002)

トレーラーハウスだって、家は家だ。



(5)『マネーピット』(86)

夢のマイホームが、欠陥だらけだったら・・・。

(6)『砂と霧の家』(2003)

ここに挙げた10本のなかでは、最も切実な問題を孕んでいる。

終の棲家ゆえ、こういう争いに発展することもあるのだろう。

(7)『天国と地獄』(63)

「どっからでも見えるよ、丘の上に家を構えやがって」



(8)『ルーム』(2015)

閉じ込められていた「ルーム」に、お別れを告げにいく子ども。



完璧なラストシーンだった。

(9)『キャリー』(76)

キャリーが精神的に解放されるためには、家もろとも破壊する必要があったのだろうね。

(10)『太陽を盗んだ男』(79)

たったひとりで、しかもあんなところで原爆作っちゃうジュリー。

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明日のコラムは・・・

『びっくりキャリアの俳優たち』
コメント (1)
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