Cape Fear、in JAPAN

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『Cape Fear』…恐怖の岬、の意。

45のおもひで

2018-10-15 00:10:00 | コラム
『新潮45』の休刊―事実上の廃刊―は、なかなか衝撃的だった。

個人的には、「ナチスのガス室はなかった!」という記事を載せて廃刊になった『マルコポーロ』以来のインパクト。


ここ10年は購読していないが、テレビでも活躍する中瀬ゆかりが編集長だった時代、つまり福田和也や岩井志麻子や天才サイバラが強力連載を展開していたころは熱心な読者で、
いつかはこのオピニオン誌に連載を持ちたいとまで思い、実際に中瀬編集長に原稿を持ち込んだこともあった。
(トップ画像は、自分の本棚に残してあるもの)


購読をやめた理由?

中瀬編集長じゃなくなり、雑誌の色が自分にあわなくなったため。

だから、ここ数年の『新潮45』がそっち方向に暴走していることは「なんとなく、しか。」知らなかった。

杉田水脈議員による、
LGBT(大雑把にいってしまうと、性的少数者)に対する偏見に満ち溢れた投稿が話題となった数ヶ月前、久し振りに『新潮45』を手に取ってみる。


いや、これはちょっとひどい。
文章を読んで吐き気がしたのは、ちょっと記憶にないぞ。

映画ではファレリー兄弟、文学では筒井康隆などが使う、
社会の欺瞞などを露わにするため、敢えてなにかを茶化したりする高等テクニック―であるわけもなく、LGBTの問題と直面しているひとを、ただただ怯えさせ不安にさせる文言と主張が並んでいるだけ。

どこかの雑誌が杉田議員の「顔相」をおこない、こういうこと「いいそうな」顔をしていると結んだが、それに対し「そんなことしたら、杉田議員と同じレベルになってしまう」という批判があがった。
が、そんな企画を立ち上げたくなるのも分かるよ、
自分だってこのひとを見て、「あぁなるほどね、このギスギスした顔の女なら…」って思ったもん。


怖いのは、杉田議員が「LGBTは生産性がない」と信じて疑わないところだろう。

そう思って、ここまで生きてきちゃったんだ。

そう、「きちゃった」んだ。


逆に、可哀想になった。

だからといって、このまま議員をつづけてもらっても困るし、こんな前時代的なひとが国のアレヤコレヤに関わるのは日本にとって不幸でしかないのだけれどもね。


そして。
大好きで、連載を持ちたいとまで思っていた雑誌が、コイツがきっかけで潰されたことに対する怒り―それをどうすればいいのか、ぜんぜん分からない自分なのだった。




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明日のコラムは・・・

『少人数のほうが楽しいと思えるようになってきた。』
コメント (1)
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