~ウディ・アレンのキャリア10傑~
スターを起用することもあるので、インディーズというわけではない。
わけではないけれど、大作主義でもないから低予算で仕上げられる。
さらに固定ファンが存在し、ある程度の収益は保障されている。
で、あるからして毎年のように新作を創ることが出来る・・・はずだったのに。
ニューヨーク派を自負する映画界の重鎮が、82歳になって窮地に陥っている。
「社会的にすれすれのロリコン」であることは、何十年も前から報じられていたことだし、多くの映画ファンもそのことを知っていた。
知ったうえで、創り手の私生活は関係ない、創ったものが素晴らしいから映画監督として評価する―そんなひとが多かったのだが。
ワインスタイン/ケビン・スペイシーらによる性暴力問題の余波を受け、「もうアレンの映画には出ない」と発言する「アレン映画あがり」の俳優が続出、新作が思うように撮れなくなってしまった。
映画業界で活躍するひとが、アレンにまつわる噂を知らなかったなんて考えられない。
世の中の反応を敏感に感じ取って「先回り」したアクションではないのか、アレン映画でオスカーまでもらっておいて突き放すというのは、あまりにも不義理だろうよ。
ワインスタインが追放されたことに異議はないが、彼が関わった映画まで「なかったこと」にするのは、ちょっとちがうのではないか。
そんなこといったら、ポランスキーやヒッチコック、ドストエフスキーも否定しなければならない。
裁判には発展したけれど、アレンは逮捕されたわけでもレイプしたわけでもない。
出演を条件に、誰かをベッドに誘ったのともちがう。
養子に手を出したことを「キモい」と感じるのは分かるが、それによって新作を創れなくなってしまうのは、どう考えてもおかしくはないだろうか。
(1)『カメレオンマン』(83)
対峙する相手にあわせ、自らの体型や顔つき、肌の色さえ変えてしまう「個なき男」の人生を描く、疑似ドキュメンタリー。
そう、これを1位に持ってくる時点で、
恋愛喜劇と実験映画のふたつを軸にしていたアレン映画のなかで、個人的には後者を支持・歓迎していたことが分かると思う。
(2)『カイロの紫のバラ』(85)
スクリーンの「向こう側の男」に恋をしてしまったヒロイン。
映画好きで、これを嫌うひとは居ないであろうアレン流のファンタジー。
(3)『アニー・ホール』(77)
実験的演出でさえも「こじゃれた」感じにみせてしまう、アレン初期の代表作。
たとえばこのシーン、たぶん15分つづいたとしても飽きないでしょう。
まさかの本人登場は、ほとんどコントのよう。
この映画で共演したダイアン・キートンは、孤立無援状態にある現在のアレンを強く支持、たいへん心強いと思う。
(4)『ニューヨーク・ストーリー:エディプス・コンプレックス』(89)
スコセッシ、コッポラとともに、ニューヨークを題材にしたオムニバスを制作。
スコセッシびいきの自分でも、アレン・パートが最も面白いと評価しちゃいます。
というか、コッポラだけ失敗した感じが気の毒。
(5)『夫たち、妻たち』(92)
スターの「旬」を逃がさない臭覚はすごいものがあり、この映画では、「いちばんよかったころ」のジュディ・デイヴィスとジュリエット・ルイスを起用している。
(6)『ブロードウェイと銃弾』(95)
若き劇作家に起こる災難の数々をユーモラスに描く。
アレン映画の入門篇として最も適切であろう傑作、自分はこの映画からアレンのキャリアは円熟期に入ったのではないかと思っている。
若いときから、いろいろ達者なひとではあったけれども。。。
(7)『誘惑のアフロディーテ』(96)
AV女優を演じた、ミラ・ソルヴィノに尽きる。
(8)『ハンナとその姉妹』(86)
ミア・ファロー、ダイアン・ウィースト、バーバラ・ハーシーの三姉妹に、それぞれの旦那やら元旦那やら恋人やらがからむ群像劇。
103分の上映時間のなかで、生や死、セックス、宗教までを描きつくし、これを最高傑作と評価するひとも多い。
(9)『世界中がアイ・ラヴ・ユー』(97)
「ミュージカル撮ってみました」なノリで、このクオリティ。
これくらい器用なひとなのだから、アクション映画を観てみたいかも。
(10)『ウディ・アレンの重罪と軽罪』(89)
キャリアで最もブラックに、辛辣に世の中を挑発する快作。
だって、殺人者さえ裁かれないのだもの。
…………………………………………
明日のコラムは・・・
『シネマしりとり「薀蓄篇」(265)』
スターを起用することもあるので、インディーズというわけではない。
わけではないけれど、大作主義でもないから低予算で仕上げられる。
さらに固定ファンが存在し、ある程度の収益は保障されている。
で、あるからして毎年のように新作を創ることが出来る・・・はずだったのに。
ニューヨーク派を自負する映画界の重鎮が、82歳になって窮地に陥っている。
「社会的にすれすれのロリコン」であることは、何十年も前から報じられていたことだし、多くの映画ファンもそのことを知っていた。
知ったうえで、創り手の私生活は関係ない、創ったものが素晴らしいから映画監督として評価する―そんなひとが多かったのだが。
ワインスタイン/ケビン・スペイシーらによる性暴力問題の余波を受け、「もうアレンの映画には出ない」と発言する「アレン映画あがり」の俳優が続出、新作が思うように撮れなくなってしまった。
映画業界で活躍するひとが、アレンにまつわる噂を知らなかったなんて考えられない。
世の中の反応を敏感に感じ取って「先回り」したアクションではないのか、アレン映画でオスカーまでもらっておいて突き放すというのは、あまりにも不義理だろうよ。
ワインスタインが追放されたことに異議はないが、彼が関わった映画まで「なかったこと」にするのは、ちょっとちがうのではないか。
そんなこといったら、ポランスキーやヒッチコック、ドストエフスキーも否定しなければならない。
裁判には発展したけれど、アレンは逮捕されたわけでもレイプしたわけでもない。
出演を条件に、誰かをベッドに誘ったのともちがう。
養子に手を出したことを「キモい」と感じるのは分かるが、それによって新作を創れなくなってしまうのは、どう考えてもおかしくはないだろうか。
(1)『カメレオンマン』(83)
対峙する相手にあわせ、自らの体型や顔つき、肌の色さえ変えてしまう「個なき男」の人生を描く、疑似ドキュメンタリー。
そう、これを1位に持ってくる時点で、
恋愛喜劇と実験映画のふたつを軸にしていたアレン映画のなかで、個人的には後者を支持・歓迎していたことが分かると思う。
(2)『カイロの紫のバラ』(85)
スクリーンの「向こう側の男」に恋をしてしまったヒロイン。
映画好きで、これを嫌うひとは居ないであろうアレン流のファンタジー。
(3)『アニー・ホール』(77)
実験的演出でさえも「こじゃれた」感じにみせてしまう、アレン初期の代表作。
たとえばこのシーン、たぶん15分つづいたとしても飽きないでしょう。
まさかの本人登場は、ほとんどコントのよう。
この映画で共演したダイアン・キートンは、孤立無援状態にある現在のアレンを強く支持、たいへん心強いと思う。
(4)『ニューヨーク・ストーリー:エディプス・コンプレックス』(89)
スコセッシ、コッポラとともに、ニューヨークを題材にしたオムニバスを制作。
スコセッシびいきの自分でも、アレン・パートが最も面白いと評価しちゃいます。
というか、コッポラだけ失敗した感じが気の毒。
(5)『夫たち、妻たち』(92)
スターの「旬」を逃がさない臭覚はすごいものがあり、この映画では、「いちばんよかったころ」のジュディ・デイヴィスとジュリエット・ルイスを起用している。
(6)『ブロードウェイと銃弾』(95)
若き劇作家に起こる災難の数々をユーモラスに描く。
アレン映画の入門篇として最も適切であろう傑作、自分はこの映画からアレンのキャリアは円熟期に入ったのではないかと思っている。
若いときから、いろいろ達者なひとではあったけれども。。。
(7)『誘惑のアフロディーテ』(96)
AV女優を演じた、ミラ・ソルヴィノに尽きる。
(8)『ハンナとその姉妹』(86)
ミア・ファロー、ダイアン・ウィースト、バーバラ・ハーシーの三姉妹に、それぞれの旦那やら元旦那やら恋人やらがからむ群像劇。
103分の上映時間のなかで、生や死、セックス、宗教までを描きつくし、これを最高傑作と評価するひとも多い。
(9)『世界中がアイ・ラヴ・ユー』(97)
「ミュージカル撮ってみました」なノリで、このクオリティ。
これくらい器用なひとなのだから、アクション映画を観てみたいかも。
(10)『ウディ・アレンの重罪と軽罪』(89)
キャリアで最もブラックに、辛辣に世の中を挑発する快作。
だって、殺人者さえ裁かれないのだもの。
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明日のコラムは・・・
『シネマしりとり「薀蓄篇」(265)』