Cape Fear、in JAPAN

ひとの襟首つかんで「読め!」という、映画偏愛家のサイト。

『Cape Fear』…恐怖の岬、の意。

われら? リンチ党

2012-05-26 04:09:03 | コラム
古くはジュリアン・デュヴィヴィエ(仏国)、現代ではジョエル&イーサン・コーエン兄弟(米国)―あたりが、母国以上に日本で愛されている映画監督といわれている。(ただ米国におけるコーエン兄弟の評価は、ここ数年でグンと上がった感はあるが。それは、オスカーのノミネート数で分かる)

デヴィッド・リンチも、そんなひとりだろう。
本人はあれほど米国文化―主にフィフティーズ―を愛しているというのに、母国では「あまり」愛されない・・・気の毒ではあるが、なんとなくリンチらしいとも思ったり。

どれくらい日本で愛されているかというと・・・

『ツイン・ピークス』シリーズ(90~91=トップ画像)は、日本で最も支持を集めた。
その証拠に、ヒロインの葬式までおこなわれた。

アート系の映画監督なのに、渋谷パンテオンという大劇場で「リンチ映画のオールナイト」が企画されたことがある。

日本コカ・コーラからの熱烈なラブコールに応え、缶コーヒー『ジョージア』のTVCMを制作したことがある。

・・・って、じつはすべて『ツイン・ピークス』現象の余波、、、なのだけれども。


スコセッシ、黒澤の次にリンチが好きだ。

スコセッシと黒澤が直球だとしたら、リンチはスライダーのひと。しかも高速の。
「セックス&バイオレンス」の映像作家―のように捉えられているところがあるかもしれないが、
「夢と超現実」のマジシャン―と評したほうが、個人的にはしっくりくる。

分からないのに面白い、、、ではなく、分からないから面白いという感覚は、リンチの映画でしか体感したことがない。
「答えを求めようとした瞬間から安っぽくなっていく」リンチの映画は、ある意味で批評家泣かせともいえるが、映画マニアを自称していないひとにまでリンチの名は浸透しており「好きだ」というひとが多い。
それはリンチが、アートをも手がけているからだろう。

そういえば自分に「リンチ? 好きだよ」といったAもBもC子も、美大出身だったか。

来月27日より、渋谷ヒカリエにてリンチの個展が開催される。

無料?

金払ってでも、観たいというリンチ党員は多いのに!!


日本で開催されたリンチの個展は、すべて観に行っている。

これはマイコレクション「リンチ三種の神器」
左からリンチの画集、『ツイン・ピークス』ガイドブック、そして評伝だが、
手に取る機会が多いのは「最も少なそうな」画集なのだった。

ワケ分からん絵、、、にも関わらず。

飽きない。
飽きない、、、ねぇ。

映画以外で繰り返しの鑑賞に耐えられるのは、女子の脚だけだと思っていた。
それだけじゃないよ―と、そっと教えてくれたリンチの個展となれば、3回は行かなければ。


ヒカリエで自分を見かけたら、どうぞ声をかけてください。

リンチ党というだけで、みな友達なんだから―というような内容のことを、そういえば随分前のコラムに書いたことがあるのだが、
ほんとうに声をかけてくれたひとが居て、ソイツとは親友になった。


これも、リンチの縁である。






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明日のコラムは・・・

『ねうち』


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牛丼とハイソ

2012-05-25 05:43:47 | コラム
ハイソといってもハイソックスのことではない、
いや女子高生が穿くハイソは好き、大好きだが、タイトルのハイソはHigh Society、つまり上流階級を指している。
しかしこの画像のハイソとか最高だね、街で見かけたら逮捕されてもいいから抱きつきたくなるほどだ。
抱きついて、ちゅーちゅーしたい。


地元の館林から帰還した。
僅か30時間ほどの里帰りではあったが、とーちゃんとも「酒」呑めたし、ねーちゃんとも「メシ」喰えたし、そこそこ満足の出来るものだった。

目的は法事―ただ、かーちゃんについては命日7月25日に書きたいので、きょうは「自分」と「ねーちゃん」について書いてみることにする。

出来のいい姉と、そんな姉に心配ばかりかける弟―幸田文の『おとうと』に似ているといえば美化し過ぎではあるが、
うちの姉弟、とても仲がいい。

そりゃ昔は、軋轢がないでもなかった。
生徒会長や鼓笛隊の指揮者を担当し、語学留学を果たした姉に対して「勝手に」劣等感を抱く弟・・・みたいな図があって、
まぁそれを理由にするわけにはいかないが、+の面で秀でた牧野家の評判を±ゼロにすべく、弟はせっせと悪事を働き、必死になって-の面で秀でようと頑張って? いた。

そういうことを気にしなくなったのは自分の上京後で、自分も(たぶん)ねーちゃんも数年にいちどの再会を心待ちにする関係性を築いたのだった。

東京に帰還する数時間前・・・きのうの昼のことだが、インド人がやっているカレー屋さんで昼飯を喰った。
インドといえば現在公開中の映画『ロボット』にはたまげたが、安いのにボリュームのあるカレーにも驚いた。
ここの支払いは自分―ねーちゃんに奢る日がくるとは思わなんだ、、、という感慨は、自分だけでなく、きっと、ねーちゃんも抱いたことだろう。


そういえば10年以上も前・・・
ねーちゃんが、自分の家に泊まりにきたことがある。
目的は東京観光であったが、確か大晦日から三が日にかけてのことだった。
まだ愛する旦那と出会う前の寂しいねーちゃんが、ハニーと呼べるひとが居なかった「やはり」寂しい弟の家に遊びにきたと、そういうわけである。

現住居のような2Kという間取りであれば不自由もないが、
八畳一間「偽」フローリング、ベッドはひとつの前住居はひとを泊めるというような環境ではなかった。
結果、ベッドにねーちゃんが、そのすぐそばの床で自分が寝ることになった、、、って、あれま、この姉と弟の位置を逆転させれば、まさに『おとうと』のクライマックスともいえるシーンになるが、決定的にちがうのは、こんな状況にあっても自分、ねーちゃんの寝息を確認したあとに「しっかと」自慰をおこなっているところだろう。

あぁサイテーだよ、わりーかよ。

そのころ、自分は「某」すき家でアルバイトをしていた。
牛丼並が400円だったころ、それから、松屋でキムチ牛丼のなかに「カエルの下半身が混入して騒ぎになった」ころ―といえば、いつごろか分かってもらえるだろう、
大晦日も格闘技観戦などを楽しめる身分にはなく、たったひとり―そう、このころから問題の「深夜はひとり体制」であったが、強盗に襲われるような危険な目に遭ったことはなかった―で八王子南店の接客をしていた。
そのあいだ―ねーちゃんはひとり、自分の部屋で紅白歌合戦を観ていた。
配線の関係で(東京だというのに)NHKは映りが悪く、「こうやって、コードを持っていれば、そこそこよく映るから」とアドバイスしておいたが、いつの時代の話かと思う。

年が明けた朝の8時―自分で煮た牛丼を持ち帰りの器に入れ、温かいうちにと家路を急ぐ。

元旦に牛丼弁当をはふはふ食べる姉弟・・・美しい光景ではないが、それはそれで幸福だったんじゃないかと思う。
自分にとっては『三丁目の夕日』より、こっちのほうにリアリティがあるといったらいいのか、
しかし自分が借金で苦しみ始めるのはちょうどこのころからで、この牛丼だって自分で煮てはいるが、勝手に持ち帰ったものである。
アルバイトは5時間働いて並1丁の賄いをいただける―というのがルールだったんだ。店で特盛2丁を平らげている時点でNGであり、ねーちゃんを勝手に共犯者に仕立てていたのだった。

帰省時は常に、当たり前のようにとーちゃん「あるいは」ねーちゃんが飯代を出してくれた。
「借金が」というとイイワケのようになってしまうので口には出さなかったが、それに甘えているようなところがあった。

債務整理が終わり、完済人にはなったものの、借金返済を第一義にしていたものだから国保と市民税が溜まりに溜まっていた。
一昨年からはその清算に追われ、最近になってようやく落ち着いてきたのである。
それで自分のほうから「自分が出すから、美味しいっていうそのカレー屋さんにいこうよ」と誘ったのだった。

築ン十年の木造アパートから、いろいろ整っている団地へ。
多重債務者から、完済人へ。
ズルして賄いを多く喰っていたフリーターが、外食をメインとするフリーライターに。
ちがいの分かる男でもないクセして、発泡酒をビールに変えて。
インスタントでもドリップでさえもなく、コーヒーは専用のカプセルで―という高級志向。
そういやチャリだって「足がこれだけだから」というのをイイワケに、そこそこいいものに乗っているわけで。

おまけに、準急で帰れば1000円も安いのに、わざわざ特急券を購入して東京に戻る。

変われば変わるものである。
ホンモノのハイソであれば町田駅からタクシーなのだろうが、さすがにそこまで余裕はない。大きなバッグを抱えて我が家に向かっていると、「また」熟女パブの客引きに呼び止められた。

おいおい、どこのイナカモンがこんなバッグ抱えて呑みにくるんだよ、ひとだけでなく、その持ち物もきっちり見て声をかけろってんだ。だいたい自分の顔を見れば、熟女じゃなくてロリータを欲しているくらいプロなら分かるだろうが。

客引きに愛想笑いで応え、再び歩き出す。
数十時間前の法事を回想すれば、自分はただ笑って呑んでいるだけで、なにもしていないことに気づく。
とーちゃんとねーちゃんは、あんなにセカセカと動いているのに。

寺から戻ったあとの実家で、とーちゃんは「光永はそういった雑念やらなにやらとは無縁になるように努めているから、きっと書きたいことを書けるはずだ」という。
努めたというか気づいたらそうなっていた―というほうが正しいような気もするが、いやいや、そこにとーちゃんの配慮というものがあったのだろう、、、と思うと、理解のある親でよかったと改めて感謝の気持ちでいっぱいになる。


さぁ書こう。
自分は、書くことくらいしか出来ないじゃん?

歩きながら、そう思った。

団地から見える距離に、すき家がある。
そこで持ち帰り牛皿の「メガ盛り」を注文し、ハイソになるにはまだ早い、いや訂正、早いどころかブルーカラーのモノカキっていうのが性にあっているんじゃないかと思い直し、帰宅後、メガ盛りを一気に平らげ、シャワーを浴び、パソコンの電源を入れた。

おっと。
最近、ウィルスチェックをしてないな。
しているあいだに、マスをかいておこう。ことばを紡ぐのはそのあとだ、、、って、毎度毎度こんなオチで芸がないが、
これでこそ自分なんだよねと「かーちゃんの遺影」に向かって苦笑し、仏壇の戸を閉め、エロ本を開いたのだった。


※ねーちゃんの好きなアルフィーの曲で、自分がいちばん気に入っているやつを。

ねーちゃん、美味かったねカレー。
こんど、まだごちそうします。




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一票の格差どころか、投票権もないけれど。。。

2012-05-24 00:15:00 | コラム
まだ館林から帰還していないので、サクサクッと。

現在は「ももクロ」に熱を上げてはいるが、AKBだって嫌いじゃない。

自分が思うに・・・
AKBにはポップな軽薄さがあり、
モー娘。 というより、つんくの個性は楽曲のキャッチーさにあり、
「ももクロ」が伸びてきているのは、その21世紀性? に皆が気づき始めたから、、、なのだと思う。

それぞれに売れる理由が「きちんとある」ということだが、
これを論じていくと長くなるので、またの機会に。

ただ、よくオッサンに「売れている理由が分からん。説明してくれ」といわれるのだが、
自分は「説明しましょう。その代わり、自分は天地真理が売れたのが分からんのです。説明してくれますか」と返すと「う!」と詰まることが多いのね、こんど試してみましょう。

さて。
来月はAKBの総選挙なので、
きょうは予想ではなく、自分が望む結果を記しておきたい。

こうならないことは分かってはいる、、、けれどね。


(1)渡辺麻友

まゆゆ。トップ画像の子。

ごめん、まゆゆ。あなたで何度ヌいたか分からない。


へ?

ロリコン?

だから、そうだといっているじゃないか。

(2)小嶋陽菜

こじはる。

絶対に助平だと思う。だから好き。

(3)篠田麻里子

もう少し、ふっくらしていていいと思う。

(4)柏木由紀

たまらない。

(5)大島優子

ふつうに考えたら、このへんだ。

(6)松井珠理奈

この子がからんでくるのは、ほぼ間違いない。

(7)板野友美

声は好き。

(8)高城亜樹

付き合った子に似ている。

(9)倉持明日香

なぜか周りにファン多し。

(10)指原莉乃

もう少し壊れた感じのほうが、売れると思うが。






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『未定』


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(再録)かーちゃんからの手紙

2012-05-23 00:15:00 | コラム
叔父の納骨のため、数時間後には地元の館林に帰還している。

きょうあたり「今年の最高気温」が出そうだが、もう暑いのには慣れっこである。
時代遅れであろうダブルの礼服を着て、汗をかきかき手を合わせてこようと思う。

かーちゃんの命日は7月25日で十七回忌は2ヶ月先のはずだが、
この際だから―と、叔父の納骨と同時に済ませてしまうことにした・・・という話を数日前に聞き、ちょっと焦る自分。

それが分かっていたら、連休をもらっていたのになぁ、、、と。

まぁ仕方がない、翌日には東京に戻る忙しない帰省となるが、久し振りにとーちゃんと盃を交わしてこよう。


そんなわけできょうは、ちょっと手抜きの? 内容。


前ブログにも記した「かーちゃんからの、最初で最後の手紙」を再録する。


92年―上京して数ヶ月が経った自分は、母の日に真っ赤な財布を贈った。
その返事である。


「光永、お元気ですか。
母の日のプレゼント、有難う。
集金はそんなに大変(注1)だとは思いませんでした。でも、「ご苦労様」って言われると、うれしいでしょう。

早いもので、光永が行ってから、2ヶ月経ちました。学校と配達と、両方大変でしょう。1人が家に居ないっていう事はさびしいですよ。
今は矢代のおばあちゃん(注2)が夕方来て話していきますので退屈しませんが、7時頃、お姉ちゃんが帰ってくるまで1人でテレビ見てもつまんないし、光永が居る頃はいろいろ話したり、6時過ぎると夕食でしたが、今では3人そろってからです。
その前に鍵をかけてお風呂に入って、そのうちお姉ちゃんが帰ってきます。
この前、お姉ちゃんはお風呂で気を失って右の耳の下をぶっつけて、ワーワー泣きました。ちょうど連休中だったので良かったのですが、3日間くらい、大変でした。

今年は休み中、お父さんもお姉ちゃんも、掃除でどこへも出掛けませんでした。
お母さんも、おかげでゆっくり出来ました。

今日は、11日(月)。会社を休んで血の検査に行ってきました。お姉ちゃんは土曜日に仕事に出て、月曜に休んで連れてってくれました。
お姉ちゃんには洋服を母の日のプレゼントに買ってもらい、家へ帰ってきたら、光永のが届いていました。
うれしかったです。(涙が出ました)
お母さんは、幸福だと思います。

お父さんは10日は放送大学だったので、「お母さん、アイス買ってきたよ。それとこれから、靴を買いにいってあげよう」って言ってくれました。
お父さんも、お姉ちゃんも、よくやってくれています。
お姉ちゃんは毎日、起こさなくてもちゃんと起きてくるし、お父さんもこの前、人間ドッグに行ったけれど、全然、悪い所ナシ、少し太り過ぎだそうです。
お母さんも、今の所、大丈夫です。

何か送ってもらいたいものがあったら、言ってください。(遠慮しないで)
このテレホンカードは、会社の人とツツジを見にいったり、足利の藤を見にいった時に買ったものです。(会社の人に笑われました)「また、子供に送るんでしょう?」って。(注3)

色々と書きたい事あるんですが、いざ書こうとすると、中々、光永みたいにはいきません。字はヘタだし。
とりあえず、この辺で、プレゼント有難う。
大事に使います。又、書きます。読みづらいでしょう。
体に気を付けて。」


注1・・・新聞配達をすることによって奨学金を得る、新聞奨学生だった。
注2・・・近所に住む、元気なおばあちゃん。
注3・・・当時、電話を持っていなかった。携帯も普及していない時代なので、月に1~2度、公衆電話で連絡を取っていた。

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黙りなさい―と、映画の神はいっている

2012-05-22 01:15:00 | コラム
ウディ・アレンの新作映画『ミッドナイト・イン・パリ』について、批評家ロジャー・エバートはこう評す。

「誰にでも理解できる映画には、もう飽き飽きした。つまりそれは、誰のための映画でもないのだから。この映画はまさに“私のための映画”だった」

感動した。
感心する批評はあっても、感動する批評にはなかなか出会えない。

この「私のための映画」という感覚こそ、究極の映画「偏」愛。
こんな表現で映画批評をやっていいのは選ばれたひとだけ、、、という気もするが、そういや自分だって『タクシードライバー』(76)への偏愛は似たようなもので。

他者に「観たい」と思わせる表現が批評の定義だとすれば、これは禁じ手。
しかし映画を浴びれば浴びるほど・・・いや、もちろん、いっぽうで「沢山の映画を浴びたい」とは思っているのだが、毒にも薬にもならない映画はもういいよ、、、なんて気持ちにも襲われて。


だから―というだけの理由ではないが、映画祭に注目しエッジの効いた新作の出現を待っている。

カンヌ映画祭が開幕した。
CSチャンネル『ムービープラス』で開会式を観たが、総合司会のベレニス・ベジョ(=『アーティスト』のヒロイン役)が、いいことをいっている。

上映前の、観客のざわめき。
遡って、撮影中に飛び交う会話の数々。
もう少し時間を巻き戻せば、脚本家がキーボードを打つカタカタという音が聞こえてくる―。

映画の神は、それらのサウンドに対し「黙りなさい」と優しく諭す・・・という内容だった。

いかにもカンヌ的な、ひねりの効いたスピーチ。

カンヌだけでなくベルリンやベネチア、ほかにもモントリオール、シトヘス、サンダンス、夕張、釜山、東京などなど映画祭は世界中で開催されているが、「うちがいちばん」という自覚はカンヌが最も強い。
それだけの歴史を持つのだからそれは当然のことで、
自分が大好きな『タクシードライバー』も『地獄の黙示録』(79)も『ブリキの太鼓』(79)も『ワイルド・アット・ハート』(90)も『バートン・フィンク』(91)も『ピアノ・レッスン』(93)も『アンダーグラウンド』(95)も、みんなみんな、カンヌが発見した映画なのだった。

最高賞は、パルムドール(黄金のシュロ=トップ画像)と呼ばれる。
それを目指して本年も、世界各国から巨匠名匠鬼才異才奇人変人が大集合。

コンペ出品作→こちら

受賞作を的中させるのは、オスカーの3倍は難しいとされている、、、のは当然のことで、出品条件は「初披露」なのだから、つまり1本も観ていない時点で当てられるか! ってなものである。

であるが、敢えて予想。
というか、自分の希望を。


イランのキアロスタミによる『ライク・サムワン・イン・ラブ』は、日本人が出ている―高梨臨や加瀬亮―ので取ってほしいという気持ちもあるが、
カナダの変人デヴィッド・クローネンバーグは、カンヌでしか評価されない印象があるので、彼の『コズモポリス』に一票。

当たっても当たらなくても、この際、どうでもいい。

そんなことより、自分のための映画が出現してほしい―映画小僧の、切なる想いである。


ん?

なにいっているのか、分からん?

だからいったじゃない、「こんな表現で映画批評をやっていいのは選ばれたひとだけ、、、」って。

さて自分は映画の神に選ばれたのかどうか・・・それはちょっと、分からない。





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