Cape Fear、in JAPAN

ひとの襟首つかんで「読め!」という、映画偏愛家のサイト。

『Cape Fear』…恐怖の岬、の意。

ひとりperfume

2013-10-11 00:30:00 | コラム
もう忘年会の日程決めが始まっている。

「もう」と記したが早いところでは11月下旬あたりにおこなわれるものもあり、そう考えれば先走っているわけでもないのか・・・と。

数年前までは問答無用で幹事に任命されたり、「なんでもいいから、出し物で芸を披露しろ」なんて強制? させられたりしたのだが、いまは自分が望まないかぎり、ただ参加するだけでいい、、、みたいなポジションになった―そういうところで、自分もトシを取ったのだなぁと、なんとなく感じたりもする。

「まっき~さんは、やはり週末のほうがいいんですよね」
「そんなこともないよ、誘いがあれば、宴会終了30分前だろうが、なんとか駆けつける」
「出し物とかはウチらで考えているんですけれど、なにかやりたいものがあったりしますか?」
「君らの芸は、もう決まってんの?」
「これから考えます。もうプレッシャーですよ」
「いいんだよ、なんだって。酒入っているから涙腺じゃなくて笑腺弱っている連中を前にしてさ、マトモな芸なんかやる必要ない」
「でも、まっき~さんのモノマネとか、“ひとりperfume”とか、ものすごくウケたじゃないですか」
「(笑う)まぁ、そこそこ練習したからね」
「そういう意味で、プレッシャーなんです」
「なにかアイデアはあるの?」
「たけしの『座頭市』タップを、少しパロディにしようかなと」
「いいじゃなーい!」
「ですかね?」
「でも、あれやるとなると、そこそこのステージが必要になると思うけど?」
「そうなんですよ、だから早いとこ参加人数を確定させて、場所選びに移りたいんです」
「なるほど、がんばれよ」
「で、まっき~さんは、今回はやらない方向で?」
「(笑う)どっちでもいいけど、ボスからはなにもいわれてないんだよね」
「ボスがいってました、基本的には若いヤツがやれと。でもやりたいヤツも居るだろうから、とりあえず聞けと。とくに、まっき~さんには、、、って」
「(笑う)いいよ、もう俺は」


昔やった出し物で、そこそこ評判がよかったのが、上に出てくるモノマネとperfume。

モノマネは、いまの若いひとに通用するものでは窪塚洋介くらいしか出来ない。
基本的には年配のひと向けに披露するもので・・・

『羅生門』(50)の志村喬の台詞「わかんねぇ、さっぱりわかんねぇ」
『酔いどれ天使』(48)の志村喬の「ふん!」
『用心棒』(61)の三船の台詞「もうすぐ四十郎だがな」

とか、そういう、モノマネというか一瞬芸というか。

これが、思いのほかウケるのだ。

ひとりperfumeは、だからもう、そのまんまだ。
3人の振り付けがそれぞれ微妙にちがうので、ひとりで3役は出来ない。
いちばん好きな「かしゆか」(トップ画像中央)の振り付けを完全コピーして踊るわけだが、いちおうロングのかつらをかぶってさ、ワンピースみたいな衣装着て頑張るわけですよ、毛深い、きったねー男子が。
さすがにハイヒールまで真似ることはしないが、やるからには本気ということで、1ヶ月くらいみっちり練習したかな、ダンス得意な友人に指導してもらって。


そういうことをしなくていいようになった現在は、こころの余裕? はあるものの、
ただ参加するだけでいいというのも、それはそれで寂しい・・・なんて感じたり。

任命されたら、ちょっとうんざりしちゃうクセしてね、
なんなのか、結局は「出たがり」なのか。

まぁそうなのだけれど、若いもんの晴れの舞台を邪魔しちゃいけない、
グッと堪え、今年からは「一観客」でいようと決めた。


※難しいと思うけど、がんばれよ




…………………………………………

本館『「はったり」で、いこうぜ!!』

前ブログのコラムを完全保存『macky’s hole』

…………………………………………

明日のコラムは・・・

『Creature Show』

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

シネマしりとり「薀蓄篇」(54)

2013-10-10 00:30:00 | コラム
えー「あい」→「あい」としゅくめいのいずみ

映画が好きであると自覚するようになったあたりからの「お気に入り女優」(の、海外篇)を、思い出すかぎり挙げてみる。

<14歳~17歳>

シンシア・ギブ
ジェニファー・コネリー
アリッサ・ミラノ
グロリア・イップ
ジョイ・ウォン
マギー・チャン

エマニュエル・ベアール

ポーレット・ゴダード
ティッピ・ヘドレン
グレース・ケリー

ジョディ・フォスター
ロザンナ・アークウェット
メラニー・グリフィス

<18歳~22歳>

ベアトリス・ダル

ヴァージニア・マドセン
キム・ベイシンガー
ジュリエット・ルイス
パトリシア・アークウェット
イザベル・アジャーニ
マデリーン・ストー
シェリリン・フェン
ニコール・キッドマン

<23歳~>

クリスティーナ・リッチ
エミリー・ワトソン
ソーラ・バーチ
ヘザー・グレアム

ジュリアン・ムーア
アマンダ・セイフライド
クロエ・グレース・モレッツ


・・・・・挙げたら切りがないが、だいたいこんな感じか。

グレース・ケリーの浮いている感じがなんともいえない汗 が、すべてきちんと説明出来るリストとなっている。
初心者? のころは比較対象も少ないので、雑誌『ロードショー』の人気ランキング上位の女優さんを「なんとなく」好きになった。
シンシア・ギブなんて母国での人気はなかったといっていい、だから米国の映画研究者のなかでも彼女の名前を聞いてピンとこないひとは多いにちがいない。

グロリア・イップからの3人は、成龍映画を中心に観ていたから香港の女優を立て続けに好きになったということ。

ポーレット・ゴダードはチャップリン後期のミューズであったから、当然のように好きになった。

ジョディは、もちろん『タクシードライバー』(76)の影響。
このひとには3度ほどファンレターを書いた。うん、もちろん英語で。

18歳以降に好きになった女優さんは、脱ぎっぷりがよく、ヨゴレだってなんだって映画のためならやりますよ―そんな度胸を持つというのが共通点か。


<14歳~17歳>の項で、グレース嬢と同様に浮いている感じがするのはエマニュエル・ベアールだろう。
仏語圏から唯一のランクイン。

アクション映画を中心に鑑賞していた少年期、ポスター(トップ画像)に魅かれて観たのが『愛と宿命の泉』(86)だった。

『フロレット家のジャン』『泉のマノン』の二部作からなり、計240分という大作である。

監督クロード・ベリのことなんか、まだ聞いたことがなかった。
主演のイヴ・モンタンがどれほど偉大なひとなのかなんて知らず、
仏国を代表する二大俳優、ジェラール・ドパルデューとダニエル・オートゥイユが共演していたことも、のちの資料で理解した―程度の浅い知識だったんだ、まだ。

とにかくエマの美しい顔を拝みたかった。
ただそれだけのために、240分の大作と対峙する。

なんだ、エマが登場するのは後半『泉のマノン』からじゃないか! なんて怒りながらも、筋そのものに夢中になった。

クサい邦題はともかく、名作である。
20年代の仏国プロヴァンス地方を舞台に繰り広げられる、貧困と愛憎の物語。

エマ扮するマノンは、都会出身のセムシ男ジャン(ジェラール・ドパルデュー)の娘として登場するが、
えぇ!
ドパルデューは名優だが、あんな顔の崩れた大男のDNAから美女が生まれるか!? なんて思った。

まぁでも、上のリストにも登場するヴァージニア・マドセンだって、兄貴は「あの」マイケルなわけでね、
おかあさんがよっぽどの美人だったのだろう、、、と解釈した。


映画は究極的には、最終的には監督のもの―というのが持論だが、
筋から入ってもよし、テーマから入ってもよし、俳優から入ってもよし、もっといえば俳優の美醜から入ってもいいわけで、じつに間口の広い世界だなぁ・・・なんて、あらためて映画を賛美したくなるのだった。


※日本でのベアール人気は、このCMから





次回ののしりとりは・・・
あいとしゅくめいのいず「み」→「み」にしあたー。

…………………………………………

本館『「はったり」で、いこうぜ!!』

前ブログのコラムを完全保存『macky’s hole』

…………………………………………

明日のコラムは・・・

『ひとりperfume』

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

シネマしりとり「薀蓄篇」(53)

2013-10-09 00:30:00 | コラム
そんぐふぉーゆーえす「えー」→「えー」あい(A.I.)

スピルバーグによるSF大作『A.I.』(2001)が「スカパー!」で放送されていて、久し振りにこの映画を観てみたが、やっぱりいいな、いろいろいわれた作品だけれど、このころのスピルバーグの映画って個人的には好きだ、と思った。

作品そのものへの感想は、初見当時と変わらない。


(1)やっぱりキューブリック版も観たかった

(2)スクラップ・ショウにおける、スピルバーグのサディズム演出が凄まじい

(3)人間を一切登場させないエンディングの異様さ


3項目とも映画好きのあいだでは話題になったことだが、とくに多くのものが口を揃えて発したのは(1)だろう。

元々『A.I.』は、巨匠スタンリー・キューブリックが温めていた企画だった。

原作の映画化が好き? なキューブリックは原作小説『スーパートイズ』を読んだ直後から映画化への準備を始めたとされている。
だがその時点では、水没するニューヨークなどの映像を表現するためのテクノロジーが追いついていなかった。
そこそこの映像ならば可能であったろう、けれどもそこは完璧主義で知られるキューブリックである、巨匠はテクノロジーの進歩を待つことにして、先に『フルメタル・ジャケット』(87)や『アイズ ワイド シャット』(99)を撮ることに決めた。

『アイズ ワイド シャット』完成以前から映画小僧のあいだでは「キューブリックが次に撮るのは、すごいSFらしい」という噂が流れていて、「『2001年』再び!」なんて盛り上がっていた(と記憶する)。
だからキューブリックの急死は、いろんな意味で堪えた。

訃報の直後に決定した「スピルバーグが代わりに撮る」という流れに、ファンは揺れた。
ネット社会の「完成前夜」だったと思う、だから、たとえばこれが現在のニュースであったとしたら、もっと大きな騒ぎになっていたかもしれない。

だがキューブリックの代打なんて、ほかに誰が務められるというのだろう。

スピルバーグしか、いねぇんじゃね? みたいな。

完成した映画は、けっして駄作ではない。
ないが、それでも敢えて映画小僧のほとんどが発したのだ、「やっぱりキューブリック版も観たかった」と。


近未来―。外見は人間と変わらないロボットが大量生産され、人間と共同生活を送っていた。
唯一の欠点は感情が欠けていることだが、共存とはいえ、人々をサポートするために造られたロボットに過ぎず、別段問題はなかった。だがある時、子供のロボットに、実験的に愛をプログラムする試みが初めて行われた。
不治の病を患う少年の代わりとして、ある夫婦に与えられたそのロボット少年は、次第に自らのアイデンティティに疑問を抱き始めるようになるが・・・というのが、『A.I.』(Artificial Intelligence=人工知能)の「おおよその」物語。

ただスピルバーグの興味がロボット少年の「母をたずねて……千里」的なところになかったのはあきらかで、
昔から一部で指摘されていた「人間嫌い」っぽい―あくまでも「っぽい」で、実際はどうか分からない―一面が強調されていて、そういう意味で自分は楽しめた、、、というか、スピルバーグを怖いと思った。

宣伝は「感動、感動!」を売りにしていたけれど、感動とは無縁。
それを痛感させられるのが(2)のスクラップ・ショウだろう。

感情のないロボットだから平気だ、という理屈でロボットを壊していくさまが娯楽として機能している歪みをこれでもかと描いている。

主人公の少年は助けられるが、そこでも感動は生まれない。
助けた人間たちは少年の見た目に「多少の」罪悪感を抱いただけであり、そのヒューマニズムはエセなのだ! とスピルバーグに突きつけられているように感じた。

極めつけは、(3)のエンディング。

異星人? とロボットと、ぬいぐるみ。

人間が、ひとりも登場しない。

キューブリックのほうが「ひとに優しい」エンディングを用意したのではないか・・・なんていうジョークをいうものが居たほど、このオチは容赦がないと思った。


「(これで感動させるなんて)スピルバーグは、やっぱりあざとい」なんて感想も聞かれたが、いやいや、コトはそう単純とは思えない、
スピルバーグに感動させようなんていう意図はなかったんじゃないか―このおぞましいSFを観る度にそう思うのだが、実際のところはどうなのだろうか。





あすのしりとりは・・・
えー「あい」→「あい」としゅくめいのいずみ。

…………………………………………

本館『「はったり」で、いこうぜ!!』

前ブログのコラムを完全保存『macky’s hole』

…………………………………………

明日のコラムは・・・

『シネマしりとり「薀蓄篇」(54)』

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

マイ、カレンダーガール

2013-10-08 00:30:00 | コラム
ライター業を始めたばかりのころ・・・
音楽ライターをやっている先輩の家に遊びに行って、たまげたことがある。

部屋の7割がCDで出来ている・・・って、なんか間違った表現だろうが、ほんとうにそんな印象を受けた。
四方どこを見てもCDラック、そのラックに隙間なくCDが収納されていて、軽く1万枚は超えていた。

「何枚あるんですか?」
「きのうの時点で、3万3千2百かな」
「きっちり数えているんですか?」
「うん、リスト化してる。1枚増える度にエクセルに入力して管理しておかないと、自分でもどこになにがあるか分からない」
「ひょっとして、あいうえお順に並べてます?」
「正確に、、、ではないけどね」
「すごい! ぜんぶ買ったものですか?」
「まさか! 半分以上が、勝手に送られてくるサンプル」
「そうか、レビュー書いてほしいから、送られてくるものなんですね」
「うん、君もそのうち分かるよ。最初はうれしいけど、発売日って重なることが多いから、5枚も6枚も一気に送られてくると、封も開けたくなくなる。口外は出来ないがね(笑う)」
「そういうものですかね」
「うん、君の場合は、だから、小さな格闘技興行のチケットとか、AVとか、映画の試写会だとか、、、」
「うれしいものばかり、ですけど」
「だから最初は、ね」
「最初は、ですか」
「うん、いくら好きなものでも、そう感じる日がきっとやってくる」


あれから10年―。

確かに部屋は、AVで占拠されている笑

ありがたいことだが、先輩がいうように、ちょっとしんどい。
封さえ開けないということはないが、開けて再生してみて、10秒で入れ替えちゃったり。

ブックオフに持っていけばいい?

それも考えたが、パッケージにはでかでかと「Sample」と刻印されている。
そう、シールではなく印刷されているのだ。

それでも店によっては買い取ってくれるだろうが、市場に出ていないものをばらまくのは、自分のなかに「ちょっとだけ」芽生えている倫理の精神が痛む。

だから売れない。
だから増え続ける。

AVがひたすら増えていく。
とことん増えていく。

あぁ恐ろしい。

南海トラフが起きたとしたら、自分はAVに埋もれて死んでいくのかもしれない。
願望をいえば、生身の女人に埋もれて死にたいが・・・って、あんまりそういう冗談をいうべきではないのか。


そんなわけで? カレンダーの季節である。

そんな季節があるのかって話だが、度々書いているように、アイドルにとっては写真集やDVDと同様、自身の「ほんとうの」人気を知ることが出来る、大事な大事なアイテムのひとつなのだった。


今月―。

「来年は、誰にしようかな~?」

なんて、阿呆面でアマゾンを閲覧していると、この1週間で5つもアイドルのカレンダーが届いた。

いちばんうれしかったのは小池里奈(トップ画像)だが、
ほかは壇蜜、紗綾、中村静香、川島海荷である。

まだ届きそうな気もするが、「ここからは届きそうもないな」と思われるものを買うことにした。

・・・って、5つあるのに、まだ買う気なのか!?

と、とりあえず自分ツッコミをしておく。

しておくが、でも買う。


で、今年も買った、ももクロの日めくりカレンダー「姫クリ」に決定。


AVにアイドルカレンダー、申し訳なさそうに格闘技のポスター、そして映画のDVD・・・・・39歳男子の部屋は、そういうものに囲まれている。


※GILLEバージョンの、『行くぜっ! 怪盗少女』を

なかなか格好いいと思うよ。




…………………………………………

本館『「はったり」で、いこうぜ!!』

前ブログのコラムを完全保存『macky’s hole』

…………………………………………

明日のコラムは・・・

『シネマしりとり「薀蓄篇」(53)』

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

怒れる牡牛の物語

2013-10-07 00:30:00 | コラム
第17部「フランシス・フォード・コッポラの物語」~第1章~

「息子の作品で賞がいただけるなんて、これほどの幸福はない。息子には感謝している。しかし、私なくしては息子は存在さえしないんだ」(カーマイン・コッポラ、オスカー作曲賞受賞時のスピーチ)

「映画創りのほとんどの楽しさは、最初の段階にするリサーチと脚本を書く作業にある」(フランシス・フォード・コッポラ)

…………………………………………

公開中の米映画『パッション』を観て、監督ブライアン・デ・パルマの「変わらなさ」に安心したというか、感銘を受けた。

いや、いろいろ訂正。
変わっていないということはない、むしろサム・ライミと同様、様々なジャンル映画や「あろうことか」大作映画まで手がけ、さらに「それなりの結果」を残している。

ライミはホラー、デ・パルマはサスペンスの監督だと捉えられていたのは前世紀の話で、現代の若い映画ファンのあいだでは巨匠で通じる存在だろう。
ただ本人は息苦しさ? も感じているようで、ときどき「俺の本質は、ここにあるぜ」とでも主張するかのような小品を発表する。
『パッション』は、だから「回帰」と解釈したほうがいい。

キャリアのあいだに「回帰作」を挟むことによって、巨匠はバランスを保っている。
なんだデ・パルマって、なかなかに器用なヤツじゃないかと。


変わるひと、変わらないひと。
以前は変わらないひとこそ格好いいと感じたものだが、生きているとそうはいかないことが分かってくる。

「魂を売った」なんて表現もあるが、これはそうとう殺傷力のあることばで、こういわれたものは立ち直れないんじゃないか。

批判されて当然―と感じるものも居るには居るが、変わらないほうがおかしい・・・まぁ、おかしいとまでいうと語弊があるかもしれないけれど、その変化もあわせて表現者が生み出すものを受け止めたい。


「あいつは変わった」「魂を売った」よりも非情なことばがある。
それが、「あいつは終わった」もっと分かり易くいえば、「才能が枯れた」。


昔ほど熱心には読まなくなった小林よしのりの漫画『ゴーマニズム宣言』に、ギャグ漫画家ならではの素晴らしいワンカットがある。
才能について述べた章で、必死に原稿を描いている「老いた漫画家」のデスクに飲み物が置いてあって、そこに「一番絞りカス」と記されてあったのだ。

一番絞りカス―才能が枯れたとは、つまりそういうことだろう。

現在、映画界で「あいつは終わった」「才能が枯れた」「一番絞りのカスだ」などといわれているのは、誰か。

かなりの確率で、コッポラの名前が挙がってくることだろう。

…………………………………………

コッポラは終わった、一番絞りの「カスのカスだ」・・・それは、ほんとうだろうか。

かつてコッポラは、怪物だった。
天才でも異能でも鬼才でもなく、怪物。

怪物の創る映画もまた、怪物だった。

生物のような映画を創ったのはコッポラだけではない、だが息をする映画でも、それが怪物のように見えたのはコッポラの映画だけだった。

誰もがコッポラを恐れ、崇めた。
その意味でキューブリックやゴダールのように神格化された存在であったが、ふたりが神のままであり続けるのに対し、コッポラだけはそうはならなかった。

なぜか。

『ゴッドファーザー』の二作(72、74)、『地獄の黙示録』(79)を観て、「好き嫌いを抜きにして」こころを動かされないものは少ないだろう。
動かされないものは感情純麻といっていいほど、映画として特別な「ある高み」に達している。

この3つの「映画の怪物」と対峙したあとに・・・
スコセッシ×アレン×コッポラによるオムニバス『ニューヨーク・ストーリー』(89)のコッポラ・パート『ゾイのいない人生』や、
愛娘ソフィアの大根演技が一斉攻撃を受けた『ゴッドファーザー』の完結篇(90)、
『レインメーカー』(97)などを「ノンクレジット」で観たとしたら、あるいは「コッポラによるもの」と思わないかもしれない。

そのくらい、映像の密度というか、熱量というか、怪物性というか、そういうものに差がある。
あり過ぎる。

いや、はっきりいえば『ゴッドファーザー』完結篇は怪物ではない。
一般的なハリウッドの映画監督が撮った、一般的な大作でしかなかった。

ほとんどの映画ファンはこの映画を観て以降、「あぁ、かつてのコッポラはもう居ないのだ…」と結論づけたのだった。

…………………………………………

フランシス・フォード・コッポラ、現在74歳。

妹のタリア・シャリアは女優で、『ロッキー』シリーズ(76~)のエイドリアンとして知られる。
娘のソフィア・コッポラは映画監督として以外に、原宿では人気デザイナーとしても有名。
息子のロマンも寡作ではあるが映画監督をしていて、甥のニコラス・ケイジも含め、ハリウッドで影響力を持つファミリーであり続けている。

そう、ナンダカンダアアダコウダいって、コッポラ・ブランドは強い。
最近はワイン作りに凝りワイナリー経営などもしているが、映画史のある項目はコッポラひとりだけで記述出来てしまうほど、映画の可能性を広げたことは誰もが認めるところだろう。


怪物は、生まれながらにして怪物だったのか―その謎に、ひかりを当ててみようじゃないか。

…………………………………………

つづく。

次回は、11月上旬を予定。


※今月、コッポラは東京国際映画祭に参加するため、愛娘ソフィアと来日予定。

ソフィアは新作『ブリングリング』を引っさげて登場。
動画は、その予告編。

『ハリポタ』エマ・ワトソンが出ていることで、既に話題になっている。




…………………………………………

本シリーズでは、スコセッシのほか、デヴィッド・リンチ、スタンリー・キューブリック、ブライアン・デ・パルマ、塚本晋也など「怒りを原動力にして」映画表現を展開する格闘系映画監督の評伝をお送りします。
月1度の更新ですが、末永くお付き合いください。
参考文献は、監督の交代時にまとめて掲載します。

…………………………………………

本館『「はったり」で、いこうぜ!!』

前ブログのコラムを完全保存『macky’s hole』

…………………………………………

明日のコラムは・・・

『マイ、カレンダーガール』

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする