Cape Fear、in JAPAN

ひとの襟首つかんで「読め!」という、映画偏愛家のサイト。

『Cape Fear』…恐怖の岬、の意。

にっぽん男優列伝(223)田村高廣

2014-03-26 04:38:12 | コラム
28年8月31日生まれ・2006年5月16日死去、享年77歳。
京都出身。

田村正和は面白いけれど、俳優としては新人類? というか、特殊なキャラクターを独特の間で表現することに長けたひとだと思うんです。
その弟・田村亮も兄に比べればフツーのキャラクターを演じることは出来ますが、なんとなく性格俳優っぽい雰囲気があります。
ふたりの兄・田村高廣(たむら・たかひろ)さんがいちばんマトモというか、そういう意味で父・阪妻を継ぐ正統的な俳優さんだった、、、といえるのではないでしょうか。

強引にたとえると、フォンダ一家みたいなものですかね。
父ヘンリーが阪妻、息子ピーターはハミダシモノだから田村正和で、優等生(でもないけど)の娘ジェーンが高廣さん・・・って無理がありましたね、すいません。

ともあれ。
そのマトモさがあったからこそ、きのうも言及した作品『白い巨塔』(66)における「善意の象徴」里見脩二に説得力を持たせることが出来たのでしょうし、
代表作であろう『泥の河』(81)のリアリティは、高廣さんの存在感によって生まれているのだと思います。

ゆえに二代目・阪東妻三郎の襲名を期待されたようですが、本人は強く拒否したそうですね。
そこらへんの事情や思いは、凡人の自分では想像することさえ出来ません。




<経歴>

前述したように、父は阪東妻三郎。

俳優業に興味を示さず一般企業に働き始めるも、その直後に父が死去。
父の盟友・木下惠介の勧めもあって、松竹に入社。

映画俳優デビュー作は、54年の『女の園』。
『二十四の瞳』(54)の磯吉役も印象に残りますが、50年代でひとつ選ぶとするならば、やはり『張込み』(58)の犯人役でしょう。
ふたりの刑事(大木実・宮口精二)もヒロイン(高峰秀子)も素晴らしかったけれど、物語を動かすのは犯人の石井なのですから。

『女の橋』(61)、『背徳のメス』(61)、5部作として制作された大作『宮本武蔵』(61~65)の最終章『巌流島の決斗』では柳生宗矩を演じ、すでにこのころには風格がありましたよね。

63年、松竹を退社しフリーに。
『花実のない森』(65)、『徳川家康』(65)を経た65年より『兵隊やくざ』のシリーズで有田上等兵を演じる。

勝新太郎演じる主人公が型破りなために配置されたといえる、インテリのキャラクターでした。

65年…『続 兵隊やくざ』
66年…『新・兵隊やくざ』『兵隊やくざ 大脱走』『兵隊やくざ 脱獄』
67年…『兵隊やくざ 殴り込み』『兵隊やくざ 俺にまかせろ』
68年…『兵隊やくざ 強奪』
72年…『新兵隊やくざ 火線』

いつも思うことですが、この時代の量産システムって凄まじいですよね。
続編とはいえ年間3本も制作されるなんて!!

『清作の妻』(65)、前述した『白い巨塔』、『紀ノ川』(66)、『眠狂四郎 女地獄』(68)、『新選組』(69)、『悪名一番勝負』(69)。

70年代に入ると、脇で作品を支える重鎮的キャラクターが多くなっていきます。

日米合作の『トラ・トラ・トラ!』(70)、
『どぶ川学級』(72)、『恍惚の人』(73)、『青幻記 遠い日の母は美しく』(73)、『本陣殺人事件』(75)、『野性の証明』(78)。
『愛の亡霊』(78)、『日蓮』(79)、『動乱』(80)、『天平の甍』(80)、『遥かなる走路』(80)。

81年―小栗康平の長編デビュー作、『泥の河』に主演。

ほんとうの主人公は「子どもたち」ですし、最も印象に残るのは加賀まりこ(!!)だったりしますが、作品の方向性を示すのは、やはり高廣さんです。
そう考えると田村高廣という俳優さんの一大特徴は、絶妙なバランス感覚―だったのかもしれません。

『ひめゆりの塔』(82)、『彼のオートバイ・彼女の島』(86)、『海と毒薬』(86)、『1000年刻みの日時計 牧野村物語』(86)、『ハチ公物語』(87)、『敦煌』(88)、『226』(89)。
『月光の夏』(93)、吉良上野介を演じた『忠臣蔵外伝 四谷怪談』(94)、『眠る男』(96)、『阿弥陀堂だより』(2002)。

2006年5月16日―脳梗塞により死去、享年77歳でした。

映画の遺作は『The焼肉ムービー プルコギ』(2007)、
高廣さんは「歳相応」のような気がしますが、弟・正和さんって70歳になっているんですね。

ぜんぜんそんな感じがしないところが、やっぱり新人類っぽいですねー。

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明日のコラムは・・・

男優列伝、3連続でいきます。
『にっぽん男優列伝(224)田山涼成』

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にっぽん男優列伝(222)田宮二郎

2014-03-25 01:05:24 | コラム
35年8月25日生まれ・78年12月28日死去、享年43歳。
大阪出身。

74年生まれの自分、物心ついたころにはすでに田宮二郎(たみや・じろう)さんは故人であって、
『クイズタイムショック』(テレビ朝日)は自分にとっては二代目の山口崇、
だから、いわゆる「映画界追放」や衝撃的な最期についてなどは、映画が好きになって以降に知りました。

足の指で散弾銃の引金を引き、胸を撃ち抜いて絶命。

『キル・ビル』シリーズ(2003~2004)で知られるデヴィッド・キャラダインは「自分のナニを縛って」死んでいたことから「自死か自慰中の事故か」と騒がれましたが、インパクトはそれ以上でしょう。

北野武は自作のなかで、
「あんまり死ぬの怖がっていると、死にたくなっちゃうんだよ」といっています。

ふだんから死に対する言及が多かったみたいですし、これにちかい感じなのかもしれません。


「映画界追放」に関しては、これは五社協定という特殊なルールゆえに起こったことといえます。
五社協定とは簡単にいえば、大手の映画会社「松竹・東宝・大映・新東宝・東映」による取り決めのこと。

(1)各社専属の監督、俳優の引き抜きを禁止する

(2)監督、俳優の貸し出しの特例も、この際廃止する

「貸し出し」というところに「俳優の地位の低さ」を感じ、俳優至上主義? となった現代からすれば不思議な感じもしますが、昔はスタジオが強かったし、社長が目立っていたんです。

田宮さんは宣伝ポスターにおける「クレジットの順番」に腹を立てて抗議、大映の永田社長と大喧嘩を繰り広げた結果、「追放処分」となってしまいます。
それが解けるまで、当時は(映画の)下に見られていたテレビ番組で活躍、そこで人気を博したのが『クイズタイムショック』だったというわけです。


※『白い巨塔』第一話。うーん、見入ってしまう。




<経歴>

幼少のころに両親が死去し、10代後半まで親族に育てられる。
学習院大学で経済を学ぶエリートで外交官を夢見ていましたが、ミスコンの男版でしょうか、「ミスターニッポンコンテスト」で優勝、これをきっかけにして大映に入社しました。(演技研究所10期生)

実質的な映画俳優デビュー作は、57年の『九時間の恐怖』。
59年の『私の選んだ人』で初主演を果たし、『殺されたスチュワーデス 白か黒か』(59)や『痴人の愛』(60)、『足にさわった女』(60)、『女の勲章』(61)で好演する。

人気が定着するのは、勝新太郎と共演した『悪名』シリーズ(61~68)あたりから。
(『悪名十八番』まで、計14作品に出演)

『黒の試走車』(62)、『女系家族』(63)。

64年―ガンマニア・鴨井大介を軽快に演じる『宿無し犬』が好評でシリーズ化、
『喧嘩犬』(64)、『ごろつき犬』(65)、『暴れ犬』(65)、『鉄砲犬』(65)、『続鉄砲犬』(66)、『野良犬』(66)、『早射ち犬』(67)、『勝負犬』(67)とつづきます。

テンポのいい演出に抜群の配役―天知茂や成田三樹夫など―、うん、自分にとっては田宮さんといえば、このシリーズですねぇ。

けれどもやはり、一般的には66年に発表された『白い巨塔』の財前五郎役がいちばんなのでしょう。
橋本忍による脚本も見事でしたが、映画は原作小説の途中までしか描かれていません。それで制作されたのが、78年からのテレビシリーズでした。

68年―『不信のとき』で、皮肉にも文字通り映画会社に不信感を抱き、、、というか抱かれ? 前述したように事実上の追放処分を受ける。

活動の場をテレビに移しながらも独立後には映画界に復帰、細々とではありますがフィルモグラフィを増やしていきました。

『日本暗殺秘録』(69)、『愛の化石』(70)、『花と龍』(73)、
藤枝梅安を演じた『必殺仕掛人』(73)や佐々木小次郎を演じた『宮本武蔵』(73)、
『華麗なる一族』(74)、『動脈列島』(75)、『撃たれる前に撃て!』(76)。

70年代に入って以降は、死へのカウントダウンといったらいいのでしょうか、
自身の手で映画を創るも興行的に失敗、「日本のハワード・ヒューズ」を目指してビジネスにも手を出しますがこれも失敗、返せる見込みのない借金を抱え精神的にも不安定となりました。

そして・・・・・。

映画の遺作は、76年の『不毛地帯』。

43歳はいかにも若過ぎる、もっと沢山の映画を残してほしかったですよねぇ。

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電報も、悪くない

2014-03-24 00:30:00 | コラム
電報を送るのが好きだ。

若ければ若いひとほど、驚いてくれるし。

先日も、結婚する友人の女子にミニーちゃんのぬいぐるみと花束つきの電報を送ったらば、

「こうくるとは思わなかったー!!」

と、たいへん感謝された。

「まだ結婚前だから、いいや」と、ほっぺにキスをもらったのである。


なんというか、電報と無縁のひとのほうが多いからだろう、極端にいえば古いイメージがあるのだと思う、

「チチキトク」

とか、

「ニイタカヤマノボレ」

とかね。

古過ぎるよ、バカヤロウ。

古過ぎて逆に「ニイタカヤマノボレ」のほうを知らんだろうって。

数年前だったか・・・真珠湾攻撃くらい学校で習っているはずだが、「ほんとうは奇襲じゃなかったっぽい」とかいう話を映画小僧たちのあいだで展開した際、参考にする映画は自分らは『トラ・トラ・トラ!』(70)、でも若い子は『パールハーバー』(2001)のほうなんだよね!

これで真珠湾攻撃を知ったと。

車椅子のルーズベルト(ジョン・ヴォイド)が立ち上がってしまう、あのクソ映画を参考って!!

「あれ、歴史の教科書では?」
「うーーん、なんか社会の先生、前半に時間をかけ過ぎて、昭和に入ると駆け足なんですよ」
「まぁ大概そうだけど、あの戦争くらいは、それなりに時間かけない?」
「どうだったかなー。ぜんぜん覚えてないな~」

関係ないが『パールハーバー』、ヒロイン役のケイト・ベッキンゼール。
ぜんぜん魅力的じゃなくて、この子は消えるな・・・と思っていたのだが、化けましたなぁ。

完全に、読みが外れたよ。


まぁいいや。

『笑っていいとも』によく登場した「キティちゃん電報」じゃないが、いまはいろいろ出来ることくらい、みんな知ってますって。
知ってはいるけれど、送る機会も受け取る機会も少ない―ということなのだと思う。

唯一のネックは「そこそこ高い」ということ。

ぬいぐるみ系で花束をつけると、もうそれだけで1万円ちかくいってしまうし。

だから、電報にするかどうかは、ことばは悪いが、送るに値する相手かどうかで決めることになる。

勝手に決めているだけなのだが、決めているがゆえに、自分に送られてくるとひじょーに感動したりする。


2月の誕生日に、電報をもらったんだ。

不覚にも落涙。


やるじゃねぇか、自分を泣かせるなんて・・・。

って、些細なことで泣いちゃう自分なので、泣かすこと自体は楽勝だとは思うが。


どうだろうかみんな、たまには電報送ってみないかい?

自分にとって大事な、真に大事なひとにね。

・・・と、たまには柄にもないことを書いてみる。


※トップ画像は、いちど送ってみたいタイプの電報。
でっかい風船のなかに、小さいのが沢山入っているやつ。

ふつうは電報メインで、ぬいぐるみや花束はサブのはずだけれど、これは逆。

でも、すげー喜ばれそう。

※じゃあ、『トラ・トラ・トラ!』から連想して笑

「AKBでは誰がいい?」とか「モー娘。では誰がいい?」という話はよくするが、「MAXでは誰がいい?」というのは聞いたことがないよね。




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生きろとはいわん。ばってん、死なんでくれ。

2014-03-23 05:42:47 | コラム
「映画は、人生の教科書だった」

・・・・・。

う~~ん、ちょっと美し過ぎて、自分には似つかわしくないというか、照れちゃうかな。

実際に映画に救われたからこそ映画小僧を自称しているわけだが、性根が腐っているからね、「教科書だった」とか、そういう美しい感じで映画を論じたくないところがある。

あるひとは「最高のひまつぶし」といった。

うん、このくらいのほうが共感が持てる―と、はっきりいえるようになったのは、じつは最近のことである。

映画と自分の関係性を客観視出来るようになったというか、
映画はあくまでもツクリモノ、
そのうえで、映画というものを一種のカンフル剤と捉えるくらいのほうが健全なのだろう。

・・・と、不健全なオメーがいうんじゃねぇ!!

という話もあるが、まぁそれはいいじゃないか。


で。
このくらい映画小僧を自称していると、「いい映画、教えてください」といわれることがひじょうに多い。

先日も左手首に自傷の痕が残る青年に「前向きになる映画を」と乞われ、ちょっとうろたえた。

会ったばかりだったしね、リストカットの刻印も気になったし。
ほんとうは、相手のことをよく知ったうえで答えるべき問いなんだ。

「ひとごろし」こと、トラビスの物語で前向きになっちゃう自分のようなヤツも居るわけで。

だから「もうちょっと、君のことを知ってから」と返したら、

「それは、ちょっと…」

と、いいやがった。

なんかメンドクセーな。

まぁ話せないこともあるのだろう、でも、こころを閉ざしているのに「なにかを要求してくる」ってひどくワガママじゃあないか。

女子なら、それでも許せたかもしれないが。

まぁいい。
たぶん、もう会うことはなさそうだし。

でも「その時間」は、あと60分くらいつづきそうだったんだよね。

無言は堪え難い、
だから「あくまでも、自分の場合ね。前向きになれなくても責任取れないよ」と前置きをして、次の10本を紹介したのだった。

紹介するからには「こころに響いてほしい」と願うが、さて、どうだろうね。


(1)『EUREKA ユリイカ』(2000)

発表時点で、いや現在でも、現代映画の到達点のような気がする。

褒め過ぎ?

いや、そんなことはないだろう。

(2)『トト・ザ・ヒーロー』(91)

ファンタジーの視点から人間賛歌を描く。

素敵。

(3)『モダン・タイムス』(36)

前を向いて歩こうじゃないか。

ラストシーン。
気づき難いが、ショットが切り替わると太陽の向きに変化が見られる。
これは演出ミスではなく、「ふたりの明るい未来は遠い」ことを表現していると捉えるべきだろう。

それでもひとりじゃないし、、、ということなんだ。

(4)『タクシードライバー』(76)

観るたびにエネルギーをもらえる。

トラビスは、永遠にヒーローなんだ。

(5)『タイタニック』(97)

敢えて、ベッタベタを。

彼女が笛を吹くところ。

生きようとするところ。

(6)『ショーシャンクの空に』(94)

90年代以降、これほどお客さんに愛された映画もない。

(7)『川の底からこんにちは』(2010)

歌を聴くだけで、♪ 小さいことは気にするな ♪ と思えるから。




(8)『カノン』(98)

トラビスの物語よりも落ち込む。

でも最後の最後で反転し、生ゴミだろうが産業廃棄物だろうがゴキブリだろうがミジンコだろうがザーメン映画小僧だろうが、生きる資格があるんだと痛感させられる。

(9)『エリン・ブロコビッチ』(2000)

元気が出る映画の定番。

男子と比べれば女子は上に挙げたようなゴキブリとかミジンコとか揶揄されることはないと思うが、ビッチといわれるひとは、それはそれで生き難いことだろう。

だからこそ、「フェラチオで署名をもらった」といってのけるクライマックスは痛快。

(10)『マグノリア』(99)

映画は教科書とは思わないが、ある意味で、聖書にはなるのかもしれない―そう感じた作品。

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初体験 リッジモント・ハイ(70)

2014-03-22 00:30:00 | コラム
きのう取り上げなかった「ヒッチハイクが描かれる映画」を、ふたつほど。

『フィールド・オブ・ドリームス』(89)…トップ画像

主人公レイ・キンセラ(ケビン・コスナー)が自宅のあるアイオワに帰る道中で、ひとりの青年を同乗させる。

彼の名はアーチー・グラハム(フランク・ホエーリー)、のちに町の名医となるムーンライト・グラハム(バート・ランカスター)の若き姿である。

自家製球場のスタンドから愛娘が落ちたとき、「境界線」を越えて本物の姿を見せる、あのおじいちゃんね。

※このシーン



日本映画からも、一本。

山田洋次はロードムービーやヒッチハイクが好きなのかもしれないね、『幸福の黄色いハンカチ』(77)や『家族』(70)、そして、これも撮っているし。

『十五才 学校4』(2000)

不登校の少年が、横浜から鹿児島までをヒッチハイクして旅する物語。

「善意のかたまり」のような第1作目には「ついていけない…」とウンザリしたものだが、これは、そこそこ感動した記憶がある。

どちらにせよ、「よいヒッチハイク」を描いた映画である。

自分の経験も、そうだった。


24歳のころ、いまから15年以上も前の話である。

アルバイトを辞めた直後に「かーちゃんの訃報」が飛び込んできて、四十九日を迎えるまでは実家で過ごした。
かーちゃんという大事な存在が抜けているものの、久し振りの家族団らん。

悲しさ・寂しさを紛らわすことが出来たものの、そのぶん、東京に帰還してからがつらい。

アパートから出ないと、この世でひとりぼっちのような気がしてくる。

そこで、歩くことにした。

目的地はなし、ただ『天国と地獄』(63)を観た直後ということもあり、「江ノ島あたり」を目指そうとして歩き始める。

で、実際に江ノ島まで辿り着いた。
ゆっくり歩いたから約15時間くらいを要したのではないか。

いまのようなネット時代であれば、いちいち投稿したり写真をアップしたりしていたことだろう。
コメントがあることで、ひとりじゃないと実感出来たかもしれない。

けれども、そういう反応がなくても、家にひとりで居るよりはマシだったんだよね。

歩行者が居る。
自動車が通っている。
真夜中でも営業している店がある。

なんかそれだけで、救われたりして。

ただ、そんな感情も「行き、のみ」の話である。

よくある展開だが、「帰りは、ひたすら面倒くさい」だけなんだよね。

電車に乗るという手もあるが、いまは真夜中。
ホテルに泊まることも考えたが、まだ「部屋でひとり」状態にはなりたくなかった。

そこで、とぼとぼと歩いた。

ほんとうに、とぼとぼしていたんだと思う。

「とぼとぼ歩いているから」と、トラック運転手のおにいちゃんが声をかけてくれた。

「町田? いいよ、横浜インターまでの配送だから、乗っけてってやるよ」

ヒッチハイクとは、ちょっとちがう形ではあるけれどね。


運ちゃんとの会話で、その日が日曜の深夜帯であることは記憶している。

「―日曜のラジオってさ、休止が多くて。こっちも退屈だったからちょうどいいや」

おにいちゃんはそういって、缶コーヒーと、コンビニおにぎりまで奢ってくれた。

映画小僧であること。
かーちゃんが死んだこと。

そういうことを話していたら、あっという間に横浜インターに到着した。

「もうすぐだね」
「ほんとう、ありがとうございます。関係ないですけど・・・どんな映画が好きですか」
「最近はぜんぜん観てないけどね。そうだなぁ、分かり易いかも、、、だけど、『トラック野郎』は傑作だね!」
「(笑う)あぁ、やっぱり」
「分かり易いだろ?」
「えぇ」

「職種はちがいますけど、自分、『タクシードライバー』が大好きなんです」
「あぁ! あの、ひとごろしの」
「(笑う)まぁ、ひとごろしの映画ですよね」
「難しいことは分からんけど、頑張れよ」
「はい!」


いい思い出である。

あのときのおにいちゃんも、いまではじいさんのはずだ。

元気、してますか?

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『生きろとはいわん。ばってん、死なんでくれ。』

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