歩行者が、通りかかった自動車に乗せてもらうこと―それをヒッチハイクという。
「無料で」とか「歩行者がその意思を示す」とか、いろいろ補足しなければならないとは思うが、そういうのを取っ払って「映画に登場したヒッチハイク」を挙げてみよう。
映画史上で最も有名と思われるのが、トップ画像の『或る夜の出来事』(34)。
オスカー作品賞に輝くラブ・コメディだが、ラブコメ苦手を自称する自分でも、これは文句なく楽しめた。
クラーク・ゲーブルがヒッチハイクを試みても「ぜんぜんダメ」なのに、クローデット・コルベールが「ちょっと脚を見せただけ」で一発OK。
そういうものだよね笑
恐怖映画の古典としては、77年の『ヒッチハイク』。
スリラー映画として名高いのは『ヒッチャー』(85)で、これはリメイクもされている。
会ったばかりの、知らないものを同乗させるわけだからね、素敵な物語を紡ぐことも可能だが、そりゃ恐怖の物語のほうが浮かび易いわな。
善意の行為のはずが散々な目に遭うという展開、物語としては最高だし。
ただ現実にこんなことばかり起こるのは、(当たり前だが)やっぱりよくない。
ひとやこの世を信じられなくなったら、生きていけなくなるよ。
読売の投書だったか、ゴミ捨てをする小学生に「えらいね」と声をかけたら、完全無視されたそうだ。
「知らないひとに声をかけられても応えないこと」と、家でも学校でも教わっているのだろう。
これをダメとする世の中のほうが正しいはずだが、それで被害者が出たら、、、と考えると、親も教師も間違ってはいないわけで。
きのうチャリで街を走っていたら、知らない子どもが拳銃を撃つ真似をしてきたので、わざわざチャリを止めて倒れる演技をしたんだ。
子ども、ゲラゲラ笑ってくれた。
理想はね、これなんですよ。
話を戻して。
変り種としては、親指が異様に長い女子(ユマ・サーマン)を主人公にした『カウガール・ブルース』(93)。
『テルマ&ルイーズ』(91)のブラッド・ピットもヒッチハイクをしていたし、自らの意思ではないが『逃亡者』(90)のハリソン・フォードも自動車に乗せてもらっていた。
ヒッチハイクでもなんでもないが、ハリウッド映画にはバッジを見せて「警察だ!」「FBIだ!」といって、自動車を借りようとするシーンが登場する。
ああいうことって、実際にも起こる光景なんだろうか。
日本じゃ、まーず見ることがないよね。
いずれにしても。
ヒッチハイクは舞台として「広大であること」が必須であるため、ロードムービーと同様に米国の専売特許っぽいところがある。
広義の意味で捉えれば『幸福の黄色いハンカチ』(77)もロードムービー×ヒッチハイカーの物語といえるが、
舞台を北海道としたのは「広大だから」だったのだと思う。
そういえば先日の『マツコ&有吉の怒り新党』で、「北海道の広さを分かっていないこと、に腹が立つ」という投稿があったが、そういうことなのだよね。
まぁエラソーに「そういうことなのだ」といった自分も、北海道の広さを分かっていないのだけれども。
有吉といえば、猿岩石のヒッチハイクだ。
現在の有吉は好きだが、一発屋といわれていたころの彼を、じつはあまり知らない。
当時テレビをあまり観ていなかったというか観られる環境になかったというか、『電波少年』そのものをキチンと観ていなかったのだよね。
さすがに『白い雲のように』は知っていたけれど。
そんなわけで今回の初体験シリーズは、「はじめてのヒッチハイク」でいってみよう。
ん?
あるのかって?
うん、はじめてというか、たったいちどだけ、そういう経験があるのだ。
つづく。
※ではこの曲を、May J.×クリス・ハートのカバーで。
それにしてもMayちゃん、キレイだなぁ。
…………………………………………
本館『「はったり」で、いこうぜ!!』
前ブログのコラムを完全保存『macky’s hole』
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明日のコラムは・・・
『初体験 リッジモント・ハイ(70)』
「無料で」とか「歩行者がその意思を示す」とか、いろいろ補足しなければならないとは思うが、そういうのを取っ払って「映画に登場したヒッチハイク」を挙げてみよう。
映画史上で最も有名と思われるのが、トップ画像の『或る夜の出来事』(34)。
オスカー作品賞に輝くラブ・コメディだが、ラブコメ苦手を自称する自分でも、これは文句なく楽しめた。
クラーク・ゲーブルがヒッチハイクを試みても「ぜんぜんダメ」なのに、クローデット・コルベールが「ちょっと脚を見せただけ」で一発OK。
そういうものだよね笑
恐怖映画の古典としては、77年の『ヒッチハイク』。
スリラー映画として名高いのは『ヒッチャー』(85)で、これはリメイクもされている。
会ったばかりの、知らないものを同乗させるわけだからね、素敵な物語を紡ぐことも可能だが、そりゃ恐怖の物語のほうが浮かび易いわな。
善意の行為のはずが散々な目に遭うという展開、物語としては最高だし。
ただ現実にこんなことばかり起こるのは、(当たり前だが)やっぱりよくない。
ひとやこの世を信じられなくなったら、生きていけなくなるよ。
読売の投書だったか、ゴミ捨てをする小学生に「えらいね」と声をかけたら、完全無視されたそうだ。
「知らないひとに声をかけられても応えないこと」と、家でも学校でも教わっているのだろう。
これをダメとする世の中のほうが正しいはずだが、それで被害者が出たら、、、と考えると、親も教師も間違ってはいないわけで。
きのうチャリで街を走っていたら、知らない子どもが拳銃を撃つ真似をしてきたので、わざわざチャリを止めて倒れる演技をしたんだ。
子ども、ゲラゲラ笑ってくれた。
理想はね、これなんですよ。
話を戻して。
変り種としては、親指が異様に長い女子(ユマ・サーマン)を主人公にした『カウガール・ブルース』(93)。
『テルマ&ルイーズ』(91)のブラッド・ピットもヒッチハイクをしていたし、自らの意思ではないが『逃亡者』(90)のハリソン・フォードも自動車に乗せてもらっていた。
ヒッチハイクでもなんでもないが、ハリウッド映画にはバッジを見せて「警察だ!」「FBIだ!」といって、自動車を借りようとするシーンが登場する。
ああいうことって、実際にも起こる光景なんだろうか。
日本じゃ、まーず見ることがないよね。
いずれにしても。
ヒッチハイクは舞台として「広大であること」が必須であるため、ロードムービーと同様に米国の専売特許っぽいところがある。
広義の意味で捉えれば『幸福の黄色いハンカチ』(77)もロードムービー×ヒッチハイカーの物語といえるが、
舞台を北海道としたのは「広大だから」だったのだと思う。
そういえば先日の『マツコ&有吉の怒り新党』で、「北海道の広さを分かっていないこと、に腹が立つ」という投稿があったが、そういうことなのだよね。
まぁエラソーに「そういうことなのだ」といった自分も、北海道の広さを分かっていないのだけれども。
有吉といえば、猿岩石のヒッチハイクだ。
現在の有吉は好きだが、一発屋といわれていたころの彼を、じつはあまり知らない。
当時テレビをあまり観ていなかったというか観られる環境になかったというか、『電波少年』そのものをキチンと観ていなかったのだよね。
さすがに『白い雲のように』は知っていたけれど。
そんなわけで今回の初体験シリーズは、「はじめてのヒッチハイク」でいってみよう。
ん?
あるのかって?
うん、はじめてというか、たったいちどだけ、そういう経験があるのだ。
つづく。
※ではこの曲を、May J.×クリス・ハートのカバーで。
それにしてもMayちゃん、キレイだなぁ。
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『初体験 リッジモント・ハイ(70)』