Cape Fear、in JAPAN

ひとの襟首つかんで「読め!」という、映画偏愛家のサイト。

『Cape Fear』…恐怖の岬、の意。

復讐するは我にあり

2015-09-20 05:45:44 | コラム
ちょいと調べることがあって、10本連続で「復讐の映画」を観た。

どれもすでに観たことのあるものばかりだが、立て続けに触れると、なかなかにヘビィでぐったりする。

日本でも「ことばとして」だいぶ浸透してきた―ものの、同じ意味とはいえ、復讐をリベンジと表現してしまうと、なんとなく軽くなる。
だからこそ、浸透してきたのかもしれないが。
復讐、復讐…と繰り返して使うと、ほんとうにヘビィになるし。


映画の世界では復讐は「よくあるテーマ」のひとつだが、日常でこれを目標? にしているひとには滅多に出会わない。

そりゃそうだ、そこまでひとを恨んでいるひとに出会ってしまったら、距離を置いたほうがいい。

自分?
復讐したいひと?

・・・まぁ、居ないといえば嘘になるわな。

でも「したい」と思うだけで、実際に行動しようとは思わない。

ソイツのために自分の一生を棒に振るわけにはいかない―そう考えてしまう時点で、ほんとうに恨んでいないのかもしれないよね。


以下が、この数日に観た「復讐の映画」10本。

これらの物語に触れると、日々のアレヤコレヤなんかどうでもよくなってしまう、、、という効果はあるんじゃないかな。


(1)『悪い奴ほどよく眠る』(60)

殺された父親の仇を取るために、愛のない結婚をする主人公。



でも、愛が生まれてしまうのだよなぁ!!

(2)『ケープ・フィアー』(91)

自分を「きちんと」守ってくれなかった弁護士への復讐。

無学だった主人公は監獄のなかで字を学習し、やがて法律まで覚えていく。

この執念!!

(3)『鉄男』(89)

不条理劇のような映画だが、いちおうの理屈はついていて、その柱となっているのが「復讐」なのであった。

(4)『オールド・ボーイ』(2003)

つまり根気強さがなければ、復讐は成し遂げられない。




ちなみにリメイク版は、意図は分かるが失敗している。

(5)『マッドマックス』(79)

妻と子どもを殺された警官の復讐劇。

物語ではなく、物語られる背景―砂漠、近未来―に真新しさがあった。

(6)『キル・ビル』シリーズ(2003~2004)

とくに、オーレン・イシイの物語。



QTタランティーノやスコセッシって、復讐の物語が好きよね。

(7)『わらの犬』(71)

復讐というより、逆襲かもしれないが。

(8)『ゆりかごを揺らす手』(92)

派手な復讐でないところが、かえって怖い。



(9)『ギャング・オブ・ニューヨーク』(2002)

父親を殺された主人公の復讐譚を、米国近代史とからめて描く。

レオがどれだけ熱演しても、ダニエル様の怪演には敵わなかったなぁ。

(10)『告白』(2010)

クソガキに愛娘を殺された女教師による、身の毛もよだつ復讐の物語。

牛乳にあるものを混ぜるという発想が、とっても新鮮だった。

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明日のコラムは・・・

『おたおた』

 
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ハァハァ

2015-09-19 05:30:22 | コラム
公開されたばかりの日本産インディーズ、『私たちのハァハァ』の出来が頗るよい。

実在するロックバンド「クリープハイプ」のライブのために、九州の女子高生4人がチャリ&歩き&ヒッチハイクで1000km先の東京を目指す物語。

自分もクリープハイプは好きだし、女子高生も「もちろん」好き。
だから本作を観たのだが、いわゆる「自撮り」や「SNS発信」を物語に巧みに織り交ぜ、「いま、ここ。」というものがきっちり描かれているのが素晴らしい。


実在するミュージシャンと追っかけ―この設定でピンとくるのは、ロバート・ゼメキスの出世作『抱きしめたい』(78)だろう。



クリープハイプにビートルズ・・・追いかけられるほうは圧倒的な存在感を放つが、物語そのものに「一切」からまないという共通点はあるものの、
『ハァハァ』が描き出すものは、グルーピーたちの狂乱ではなく、あくまでも青春の輝きであったりする。


ちなみにクリープハイプの音楽とは、こういう感じ。
久し振りに尖ったヤツが出てきたなぁ! と、自分は興味を持ったんだ。





追っかけ。

というものを、やったことがない。

「会いにいける」アイドルに会いにいったことはないし、
「出待ち」をしたことがないし、
少年期も、ファンレターを送る程度で満足していたんだ。

やったからといって、やらないものより情熱度が高いとは思わない。
思わないが、もし時間的・経済的な問題がクリア出来たならば、自分もちょっとやってみたい、、、と思わないでもない。

それから。
アイドルや若手芸人の追っかけをするものを、しないものがバカにすることがあるが、ちょっと待てといいたい。

サッカーW杯の度に仕事を辞めて現地まで観にいく熱狂的ファンが日本にも「少なからず」存在するわけで、それもある意味では、立派な追っかけだしね!! と突っ込んでおく。


そこできょうは、その(追っかけの)対象と「成り得た」アイドルや有名人を、時系列で振り返ってみよう。


(1)斉藤由貴

たぶん、初めて好きになった有名人だから。

ファンクラブに入ったし、カセットテープは絶対にアクシアだったし、ヨーヨーも買った・・・のだから、東京育ちであれば、あるいは「もう一歩先」まで踏み込んだファン活動を展開していたかも。

(2)高井麻巳子

現、秋元康夫人。
元「おニャン子クラブ」のエース。



やっぱりファンクラブに入っていたし、彼女の卒業発表時、少し泣いちゃった記憶があるもの。

いってしまうが、いちばんオカズにした有名人である。

(3)グロリア・イップ

香港出身のアイドル・女優で、日本「でのみ」人気が出た。




(4)エメリヤーエンコ・ヒョードル

格闘家。
急に男くさくなるが、一時期はこのひとが出るというだけで、海外の興行を観にいったっけ。


で、現在が・・・

(5)Perfume

であると。




彼女らのライブにはよく行くし、音楽フェスに参戦するとなれば十中八九で観にいく。
だからまぁ、ソフトな追っかけではあるのかもしれない。


もうオジサンだから、『私たちのハァハァ』のような青春のきらめき、、、みたいなものは微塵もないけれどね!!

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明日のコラムは・・・

『復讐するは我にあり』
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初体験 リッジモント・ハイ(145)

2015-09-18 14:07:43 | コラム
現在、日記は書いていない。
まぁ毎日のブログやフェイスブックの投稿が、(自己主張満点なので)日記代わりになるのだろうね。

日記を書いてきた期間・・・ではなく「種類」は、3つに分けられる。

(1)小学4~6年時に書いた「恋文的な」もの。
(2)中学2年からスタートして、35歳までつづいた「映画感想日記」。
(3)高校1年の夏休み限定で記した「減量日記」。

期間を種類と訂正したのは、(3)は(2)の継続期間中に記されたものだから。
そう、並行していたんだ。

最も切実なのは(3)で、自分としては井上靖が記した「行軍日記」くらい迫真性があると思っているのだが、



戦争とからめるといろいろ問題がありそうなのでやめておく。

きょうの主役は、(1)である。


<9月1日 始業式>

久し振りに陽子ちゃんと会えた。
あいかわらずかわいかった。

<9月2日>

席替えをした。
陽子ちゃんと離れてしまった。

悲しい・・・。

<9月20日>

陽子ちゃんと本の会話が出来た。
うれしかった。


・・・気持ち悪いぞ、そーとー気持ち悪いぞこれは。

そうなんだ、当時モノスゴ好きだった石川陽子ちゃんに直接好きだといえないものだから・・・って、ちゃんと告白もしているのだけれども、
ともかく、ノート丸々1冊が、陽子ちゃんに対する愛のことばで溢れかえっているのであった。


<10月5日>

体育の時間に、陽子ちゃんのブルマ姿を見れた。


・・・このころからの、だから筋金入りのブルマ好きだったんだね。


<7月15日>

島野くんと、水着に着替える女子を覗いた。
陽子ちゃんのも、見た。


・・・我ながら阿呆だが、まぁトシゴロの男子なんてこんなものだろう。


<7月21日>

通知表と健康記録が配られた。
何気なく陽子ちゃんの健康記録を覗かせてもらったら、陽子ちゃんに本気で叱られ「スケベ!」といわれた。

なんで?


・・・そりゃ胸囲の項があるからでしょう。
小5でピンとこなかったところをみると、自分は割と性的には未熟だったのだろう。
そのクセして、着替えは覗いたわけだが。


<12月20日>

陽子ちゃんに、早めのクリスマスプレゼント。
陽子ちゃんのために買ったのに、そういえない。
「同じの2冊買っちゃったから、あげる」といって渡す。


・・・女子のほうが早熟のはずだし、いいや、そういうの関係なしに、鈍感ではない限り、その想いは伝わっていたのだと思うけれどね。


このあたりは、まだいい。
いつ読み返してもヤバいと寒気がするのは、自分と陽子ちゃんを主人公とした創作小説を載せている日である。


<3月5日>

雲の上で下界を見下ろしながら、陽子ちゃんと暮らしている。
嫌いなSくんとKくんを発見、彼ら目がけて小便をしてやった。

いい気味だ。

陽子ちゃんも、笑っている。

お昼ごはんを食べて、キスをした。


・・・小5だよ。
小3ならまだしも、、、って、その線引きは微妙だが、まぁこういうことを書きつづければ、現在の自分のようなヤツが出来上がると。


よく「なぜ捨てないのか」と聞かれる。

べつにいいよ、こういうことに関する羞恥心みたいなものは、どこかに置き忘れてきたから。


大事なのは、自虐の精神。
匿名で他者を罵るくらいなら、自分を馬鹿にして笑っていたほうが健全だと思う。


おわり。


※そういえば『セブン』の犯人ジョン・ドゥも、日記をつけていたっけ。

このオープニングでも、書くシーンが少しだけ出てくる。




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明日のコラムは・・・

『ハァハァ』
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初体験 リッジモント・ハイ(144)

2015-09-17 05:45:10 | コラム
字が上手、キレイ、あるいは女子のような字を書くんだね、見た目に反して―と評されることが多い。

まぁ、否定はしない。
そういわれてもうれしくはない・・・というかゴーマンかましていえば、いわれ慣れているので、なんとも思わなかったりする。

「習字とか、習ってた?」

「うん習ってた」と返すと、あぁなるほど、、、みたいな顔をされるが、それはたぶん関係ない。
もういちどゴーマンかますと、習う前から字は上手だったし!


「男が女に褒められてうれしいこと」なんていうネット記事を目にしたが、それによると・・・

(1)「一緒にいると安心する」
(2)「何でも知ってるんだね」
(3)「センスいいね」
(4)「そういうところ好きだな」
(5)「こんなの初めて」

・・・なんだそうだ。

ふーん。
(2)は、うれしいかもしれない。

でも個人的には「面白い!」っていわれたいね。

最も恐怖なのは「つまらない!」といわれることだから。

どうなるだろうね、いわれたら。
しばらく寝込んでしまうかもしれない、芸人でもないのに・・・。

ドキッとしたことばとしては、「まっき~がどんなエッチをするのか興味がある」というのがあった。

そーとーうれしかった。
そしてこれは、間違いなく口説けば性交じゃなくって成功するパターン。

しかし、まだ若かったんだ、少し照れただけでなにも返せなかった。

バカ! 自分のバカ!!


話を戻す。
契約書とか年賀状の宛名くらいは手書きだが、基本、文字は「書くもの」ではなく「打つもの」となった。

愛用の万年筆も久しく使っていない。
自慢の「ペンだこ」もいつの間にか消えて、モノカキらしさがなくなってきたな~、と。


昔から書くことが好きだった。苦ではなかった。
だから日記も三日坊主で終わらず、かなり長いあいだ続けられた。

というわけで、今回の初体験テーマは「生まれて初めての日記」でいってみよう。


日記がそのまま文学まで昇華したのは、ご存知『アンネの日記』。
記録文学の最高峰と称される井伏鱒二の『黒い雨』も、日記で構成されたものである。

映画の世界でいえば、タイトルがそのものずばりの『ブリジット・ジョーンズの日記』(2001)。

ただトラビス狂としては、『タクシードライバー』(76)のモノローグシーンをいちばんに挙げたい。





ヒロインが書いていた日記がドラマの鍵を握り、実際にその日記が書籍化されたのは『ツイン・ピークス』(90~91)の『ローラの日記』。

著したのは、デヴィッド・リンチの愛娘ジェニファーである。

しかしまぁ、文学としては面白くなかったかな。

それは、主人公デイル・クーパーの独白? をまとめた『クーパーは語る』にもいえることだけれど。




日記とはつまり、自身との対話である。
他者に読ませることを前提としていないからこそ本音が書けるのであろうし、真理が見えてくる(こともある)。

文豪たちの日記や往復書簡や恋文などが発見されると、歴史的価値が高いから公にされるわけだけど、ほんとうは怒っているかもしれない。

・・・いやでも、作家は往々にして自意識が高いから、無視したらしたで怒りそう。

自分も似非とはいえモノカキを名乗っているので、やっぱり自意識が高い。異様に高い。

そんなわけで、自分が生まれて初めて書いた日記を少しばかり紹介してみたいと思う。


つづく。

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『初体験 リッジモント・ハイ(145)』
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カンニングモンキー

2015-09-16 05:38:13 | コラム
筆記のテストで100点を取ったこと。

・・・は、20歳までで3回しかない。
「しかない」からこそ、はっきり3回と覚えている。

いつ、どの教科で―も覚えているよ。

中1の数学、1学期の中間テスト
高1の理科B、2学期の期末テスト
専門学校1年の映画史

誇れるのは最後の映画史くらいかな、問題作った講師が「毎年やっているけど、100点は7年ぶり」と褒めてくれたから。


「67歳の明大教授」が「20代後半の教え子の女子」に司法試験の問題を漏洩したことが、話題になっている。

懲戒免職を喰らった教授曰く「かわいがっていた教え子なので、何とか合格させてやりたかった」。

はっきりと「見返り」を求めるほど大胆? ではなかったようだが、まぁ好きだったんだろうね。

発覚そのものは、女子の回答があんまりにも完璧に過ぎたから。
司法試験なんて「100点を取れないように作ってある」なんていう話を聞いたことあるけれども、ほぼ100点にちかい出来だったらしいし。

思い出すのは―。
20代後半のころ、バイト先の大学生(中大、英米文学専攻)のレポートを代わりに書いてあげたら、あまりにも出来がよかったか、それ以降、彼は講義で(挙手もしていないのに)指されるようになったこと。

講師も、分かっていたのだろうねぇ。

これは頼んだ彼というより、自分のほうに問題があった。
ノーベル文学賞受賞者・フォークナーについてのレポートであったのだが、ちょっとそこいらの大学生が書くような文章じゃなかったもの、エラソーにいうとレベルが高過ぎたのだと思う。


少し前、CSのTBSチャンネルで『金八先生』の再放送が流れていて、なんとなく観ていたらカンニングのエピソードだった。
女子生徒がカンニングを試みたが、うまくいかない。
解答用紙を集める際に彼女の筆記用具入れが落ちて、カンニングペーパーが顔を出す。

それが騒ぎになり、、、という話。

この手の話はよく聞くが、聞くだけで、自分は未経験であるし、そういうのを見たこともない。

家族がよじ登って手助けをする―という、こんな海外の画像が話題になったことがあるけれども、これほんとうだろうか?



なんかのパロディじゃね??


断っておくが。
・・・って断らなくても分かっていると思うが、不正が嫌いなマッスグ人間というわけではない。

(たぶん)いろんな不正をしてきたはずだけど、自分の能力を誤魔化すことはしなかったよ、、、と。


そういえば最近、IQが160あるというひとに会った。

ほんとうかもしれないが、信じていない。
だってさ、それほどIQ高いひとが「俺、IQ160」なんていうだろうか。

バカじゃん!

いや1周回って頭いいからこそ、そういうこといっちゃうのかもしれないけれど。。。


自分のように、俺ソーロー、タンショーとはっきり告白することによって「それを武器にする?」阿呆も居れば、
「俺、IQ160」といってしまう秀才も居る。

つくづく、この世は面白いなぁ。


※『カンニングモンキー』主題歌




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『初体験 リッジモント・ハイ(144)』

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