Cape Fear、in JAPAN

ひとの襟首つかんで「読め!」という、映画偏愛家のサイト。

『Cape Fear』…恐怖の岬、の意。

シネマしりとり「薀蓄篇」(137)

2015-09-14 05:57:51 | コラム
むかでにん「げん」→「げん」こう

スマホにおける予測変換で、最も多く表示されるものを順に挙げていくと・・・

原稿
取材
キチガイ

映画
格闘技

・・・に、なるみたい。

上ふたつは職業柄、、、なのだろうけれども、それ以降は分からんね笑


「いま取材を終えて、原稿書いている」

こう返信することが、ひじょーに多い。

実際にもそうだから間違いではない、
ないが、ちょっと、こういう文章を打つことに酔っているところがある・・・ような気がする。

まあいいや。

で、映画に登場する「原稿書き」みたいなものを考えてみる。

同業者といったら向こうがイヤな顔しそうだが、最も共感出来るのは『バートン・フィンク』(91)である。

「市井のひとびとの日常を描く物語」であればタイプする手は止まらない作家でも、ハリウッドによる「売れる物語を」という要求に関しては、思考がゼロになってしまう。

書けない、あぁ書けない・・・分かるなぁ!!

その書けない状況から抜け出すためであったか、クスリに手を出した作家を描いたのが『裸のランチ』(91)。

トリップした彼には、タイプライターがでかいゴキブリのように見えるのだった。




書けない状況から精神的に病んでいく作家の物語は多い。

最も有名なのは、おそらく『シャイニング』(80)の主人公だろう。

原作者キングには嫌われたが、この映画のジャック・ニコルソンは絶品。
しかしそれ以上に、奥さん役のシェリー・デュヴァルのほうが怖かった笑

同じキング原作でいうと、人気作家の受難を描いた『ミザリー』(90)も捨て難い。



足を折られるくらいなら、とっとと殺してくれと思うわな。


作家だっていつも部屋に閉じこもり、唸っているわけじゃない。

そう思わせてくれるのが、『恋におちたシェイクスピア』(98)だ。



ジョセフ・ファインズが演じるシェイクスピアの創作風景は、いっつもノリノリで見ていて気持ちいい。

ああいう風に書きたい―と思って真似をしてみるが、なかなかうまくはいかないものだねぇ。

ほとんど登場はしないけど深い余韻を残すのは、これまたキング原作の『スタンド・バイ・ミー』(86)。

リチャード・ドレイファスが回想をしながら原稿を書くラストは、作家の心象風景がしっかり描けていて素晴らしかった。


否!
やっぱり作家は、暗い部屋で悶々としていないと!!

それが文豪というものである―というひとには、市川崑の『おとうと』(60)を。

森雅之が演じる小説家は、誰をイメージしたものでもない。
ないけれど、昭和の作家像といえばこんな感じなのだろう。

気難しく神経質で、いつもイライラしている。

平成的には「暗いよ!!」かもしれないが、いやたしかに、現在の作家にもこういうタイプが多いと思うんだ。





あすのしりとりは・・・
げんこ「う」→「う」ーはー。

…………………………………………

明日のコラムは・・・

『シネマしりとり「薀蓄篇」(138)』
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする